※この作品はR-18です。

母のパート   作:松田義和


オリジナル:現代/日常
タグ:R-18 R-15 母 寝取られ 写真 NTR
母さんが働きに出ることになった。
だんだん帰りが遅くなる。
少しずつ母さんが変わっていく

1 / 1
ひりつきましょう。


第1話

母さんがパートを始めると言い出したのは、ある日の夕食後だった。

湯気の立つ味噌汁をすすりながら、ぽつりと話した。

 

「ねえ、私、駅前のスーパーで働こうと思うの」

 

思わず箸が止まった。

母さんが働く――それはなんとなく想像していなかった未来だった。

 

「急にどうしたの?」と僕。

 

母さんは少し笑って答えた。

「あなたも大きくなって、私がずっと家にいる必要もないでしょう?それに、ちょっと外に出てみたくなったの」

 

理由はそれだけじゃない気がしたが、僕は何も言わなかった。

 

父さんは、というと意外にもすんなりと賛成だった。

「いいんじゃないか。駅前なら通いやすいし、気分転換にもなるだろう」

テレビのリモコンを片手に、そう言ってうなずいた。

 

実はそのスーパー――僕も以前、そこでバイトをしていた。

店長も、パートの主婦さんたちも、だいたい顔見知りだ。

 

「え、あそこ?…知ってるよ、店長まだいると思うよ」

 

「そうなの?」

母さんは少し恥ずかしそうに笑った。

 

あの母さんが、レジに立つ姿。

エプロンを着けて、他のパートさんたちと笑いながら並ぶ姿。

 

想像すると、なんだか胸がざわついた。

それは誇らしさなのか、違和感なのか、自分でもよくわからない。

 

ただ、確かに何かが少しずつ動き出している。

僕の家の中で、母さんの中で、そしてきっと――僕の中でも。

 

 

 

母さんの初出勤日は、思いのほか早くやってきた。

少し緊張したような表情で、朝食の準備をしている母さんを見ていると、僕のほうまで妙にそわそわしてきた。

 

「制服、変じゃないかな?」

鏡を覗き込みながら聞いてくる。

 

「うん、大丈夫。似合ってるよ」

そう答えながらも、僕はちょっと驚いていた。

普段の母さんとは少し違う――なんというか、“社会の顔”をつけたような、別の一面を見ているようだった。

 

駅まで一緒に歩いた。

母さんは何度も小さく深呼吸をしていた。

スーパーの看板が見えるあたりで、立ち止まって言った。

 

「ここからは一人で行くね」

笑ってはいたけど、その目は本気で緊張していた。

 

「うん、頑張って」

僕は手を振った。母さんは小さくうなずいて、背筋を伸ばして歩いていった。

 

午後、なんとなく気になって、店の外を通ってみた。

自動ドア越しに、レジに立つ母さんの姿が見えた。

お客様に丁寧に頭を下げ、笑顔で接している。

エプロン姿の母さん。

見慣れているはずの場所に、いつもと違う母さんがいる。

不思議な光景だった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

買い物に来ていたおばあさんが、母さんに「ありがとう」と頭を下げて帰っていった。

母さんもきちんとお辞儀を返していた。

 

なんだか、胸の奥がじんとした。

 

夕方、母さんは少し疲れた顔で帰ってきた。

でもその目は、どこか晴れやかだった。

 

「どうだった?」と僕が聞くと、母さんは笑って言った。

 

「思ったより、できたかも。レジも教えてもらったし、お客さんに『丁寧ね』って言われたの」

「そっか、よかったじゃん」

 

「うん」

母さんは、キッチンに向かいながらふっとつぶやいた。

「私も、まだ少し役に立てるかなって思った」

 

僕はその背中を見つめながら、小さくうなずいた。

 

それはただのパートかもしれない。

でも、母さんにとっては――いや、僕たち家族にとっても――

小さな再出発だった。

 

 

それからしばらく、母さんの生活は目に見えて変わっていった。

 

朝、家族の誰よりも早く起きるようになった。

洗濯機を回し、朝食を整え、軽くメイクをして出かけていく。

駅までの道を歩く後ろ姿に、どこか背筋の伸びた強さを感じた。

 

最初のうちは疲れた様子で帰ってきていた母さんも、

次第に慣れてきたのか、夜の表情にも余裕が出てきた。

 

「店長さん、若いけどすごく丁寧なのよ」

「パートの奥さんたちも、優しくてね」

 

そんな話を、楽しそうにしてくれるようになった。

 

ある日、僕が夕方にスーパーに立ち寄ると、

母さんはサラダ用のトマトを並べながら、別の女性スタッフと笑い合っていた。

僕の姿に気づいて、一瞬驚いたような顔をして、

すぐに照れくさそうに笑った。

 

その笑顔が、なんだか少し変わっていた。

優しさは変わらない。でも、そこに“仕事をしている人”の誇りのような、

それまで家で見たことのない凛とした空気が漂っていた。

 

そして――

母さんのスマホが鳴る回数が増えた。

 

夕食後、ソファに座ってスマホを眺めていることが多くなった。

何かに夢中になっているような視線。

指先で画面を滑らせ、時折、小さく笑ったりする。

 

「何見てるの?」と僕が声をかけると、

「え?ああ、ちょっとお得情報とか、ね」とごまかされる。

 

そんな日が、何度か続いた。

 

僕はふと、胸がざわついた。

何かが――ほんの少しずつ、変わってきている。

それは母さんの中で起きている変化で、

きっと、家族の誰もが気づかないくらい静かな変化だった。

 

けれど僕だけが、それを敏感に感じ取っていた。

 

母さんが、何かを“手に入れ始めた”ような気がした。

それは自由か、自信か、それとも――

 

僕にはまだ、その答えがわからなかった。

 

 

きっかけは、ふとした音だった。

 

ピコン、と鳴るスマホの通知音。

母さんは洗面所にいた。

テーブルの上に伏せて置かれていたスマホが小さく振動し、画面がちらりと光った。

 

何気なく目をやる。

そこに一瞬だけ表示された名前が、僕の胸にひっかかった。

 

──「フジモト店長」

 

“ああ、あのスーパーの店長か”

 

でも、なぜ私用のスマホに?

なぜ、こんな時間に?

メッセージは一瞬で消えてしまったけれど、確かに名前の横には、ハートの絵文字が添えられていたように見えた。

 

そんなはずない、と思う自分と、

もしかして……と疑いを持ち始める自分がいた。

 

それから、僕は気づいてしまった。

母さんの帰宅時間が、少しだけ遅くなっていることに。

たった10分、20分――でも、以前はきっちりしていた母さんだ。

 

「今日はちょっと品出しが長引いて…」

「レジの締め作業があって」

理由はいつも自然だった。疑うのが失礼な気もした。

 

でも、僕の中に芽生えた小さな違和感は、静かに、確かに膨らんでいった。

 

ある晩、母さんが風呂に入っている間に、ついスマホを手に取ってしまった。

ロックはかかっていた。

以前はそんなこと、なかったはずなのに。

 

画面には「LINEに新着メッセージがあります」の通知。

内容までは見えなかった。

 

僕は手を止め、スマホをそっと元の場所に戻した。

だけど、もう止まらなかった。

どうしても、知りたくなってしまった。

 

母さんが、今どんな顔を誰に見せているのか。

誰と、どんな言葉を交わしているのか。

 

翌週、僕はわざと部活を休み、母さんの退勤時間に合わせてスーパーへ向かった。

母さんの姿は、すぐに見つけられた。

制服姿で、いつものようにきちんと働いている。

笑顔も、動きも、どこか清々しささえある。

 

けれど、仕事が終わった後だった。

 

制服のまま、少しだけ髪を整え、

母さんは店の裏口から出ていった。

 

そのあとを、僕は無意識のまま、つけていた。

 

角を曲がったところで、彼が待っていた。

黒いポロシャツ。あの人がフジモト店長か。

 

母さんは、彼に向かって自然に微笑んだ。

そして、並んで歩き出した。

 

カフェに入る。

二人で向かい合って座り、メニューを見る姿。

 

――まるで、デートだ。

 

心臓が嫌な音を立てて鼓動を始めた。

耳が熱くなり、喉が詰まる。

 

母さんは、僕の知らない“誰か”になろうとしている。

いや、もうすでに――なっているのかもしれない。

 

僕は、どうしたらいいのだろう。

 

この気持ちの名前も、母さんの本心も、まだ何もわからなかった。

 

ただ、その日から僕は、目を逸らせなくなってしまった。

母さんの、変わりゆく姿から。

 

 

僕は、もう引き返せなくなっていた。

 

あの日、カフェに入る二人を見てからというもの、

母さんの退勤時間になると、理由もなく外に出かけるようになった。

ただ「見届けたい」という思いだけで、母さんのあとをつけるようになっていた。

 

何度かは何も起きなかった。

母さんはまっすぐ家に帰ったり、スーパーでちょっとした買い物をして帰ったり。

僕はそれを“安心材料”にしようとした。

だけど心の奥では、決定的な瞬間を探していたのかもしれない。

 

そして、ついにその夜が来た。

 

その日は夕方から雨が降っていた。

傘をさして出てきた母さんは、裏口ではなく正面から出てきた。

そして、傘も差さずに待っていたフジモト店長と目が合い、自然に笑った。

 

僕は傘を傾けながら、距離をとって後を追った。

二人は駅の横の通りを抜けて、繁華街のほうへと向かっていく。

このルートは初めてだった。

 

やがて二人は、古びたビルの前で立ち止まった。

「○○レンタルスペース」と書かれたプレート。

小さなイベントや勉強会に使われる、いかにも地味な場所だ。

母さんは軽くうなずき、フジモト店長のあとに続いて中へ入っていった。

 

僕は建物の向かいのコンビニに入り、雑誌をめくるふりをしながら時間をつぶした。

20分、30分、1時間。

何をしているのか、考えたくもなかった。

でも想像は、いやでも浮かんでくる。

 

1時間半ほどして、ようやく二人が出てきた。

雨は止んでいたが、地面はまだ濡れていた。

 

母さんの髪は少し乱れていて、頬が赤い。

フジモト店長が彼女の背に手を添え、

母さんはそれを受け入れるように肩を寄せた。

 

――恋人、だ。

 

その瞬間、胸が締め付けられた。

喉が痛い。

息が苦しい。

何も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。

 

笑い合いながら歩いていく二人の後ろ姿が、

まるで別の世界の住人のように思えた。

 

家では見ることのなかった母さんの顔。

誰かに向けられる“女”の表情。

それを目の当たりにした僕は、

その夜、自分の部屋にこもって灯りも点けずに座っていた。

 

スマホの中の写真、

母さんが笑っている日常の記録、

それらが急に遠いものに感じられた。

 

僕は一体、何に嫉妬していたのだろう。

奪われたのは、家族の母親?

それとも、もっと曖昧で、言葉にできないなにか?

 

――その夜、夢の中でも母さんの後ろ姿を追いかけていた。

どれだけ走っても、母さんの肩に手をかけることはできなかった。

 

 

 

あの夜以来、僕の中で何かが崩れてしまっていた。

 

食卓で笑う母さんを見ても、その表情の裏側を思い出してしまう。

スマホをいじっているだけで、誰と何を話しているのかと想像してしまう。

日常の風景が、じわじわと染みのように変色していく。

 

それでも僕は、何も言わなかった。

言えるはずがなかった。

僕には、何の権利もない。ただの息子でしかないのだから。

 

けれど、その日――

ほんの偶然だった。

 

母さんが風呂場にスマホを置き忘れていた。

 

最初は見ないふりをしようと思った。

でも、あの通知音がまた鳴った。

 

ピコン。

 

画面に浮かんだ名前。

 

「フジモト」

それだけ。苗字だけになっていた。

アイコンは風景の写真。

そこに、短いメッセージが並ぶ。

 

「さっきの君の横顔、忘れられない」

「次、いつ会える?」

「例の場所、また空いてるみたい」

「ビデオ、ちゃんと消したから安心して」

 

その言葉を読んだ瞬間、頭が真っ白になった。

指が勝手に動いた。

LINEのトーク履歴を開いてしまう。

過去のメッセージがスクロールされる。

 

会いたい、寂しい、好き――

そして、

 

「今日はいっぱい愛してくれてありがとう」

「写真、恥ずかしいけど…あなたが望むなら」

 

写真のマークが並んでいた。

手が震えた。

 

押すべきじゃないと分かっていた。

でも、見ずにはいられなかった。

 

そこには、布団の上で笑う母さんがいた。

白いシャツのまま、頬を赤らめて、指でピースをしていた。

その横に、男の手が添えられていた。

 

 

別の動画もあった。

再生ボタンを押すのが怖くて、押せなかった。

 

背後で水音が止まった。

 

「……あ、スマホ……」

 

風呂場から、母さんの声が聞こえた。

 

僕は我に返り、慌ててスマホを元の場所に戻す。

何もなかったふりをして部屋に逃げ込んだ。

 

呼吸が荒い。

冷や汗が背中を伝う。

 

これが、母さんのもう一つの現実。

僕の知らない、母さんの“恋人”としての顔。

 

でも、心のどこかで僕は、

その母さんを見たがっていたのかもしれない。

 

知ってしまった。

もう、戻れない。

 

 

それから数日、僕は母さんのスマホの在りかばかり気にするようになっていた。

 

リビングのテーブル、キッチンの端、洗面所の棚。

ふとした瞬間に、無防備に置かれているのを見ると、心臓が高鳴る。

 

――あの夜の続きが、どうしても気になっていた。

 

もう見たくないと思った。

でも同時に、続きを求める自分が確かにいた。

 

ある夜、母さんが寝室で眠りについた後、僕はそっと居間に向かった。

充電ケーブルに繋がれた母さんのスマホが、まるで誘惑するように光を放っていた。

 

顔認証では開かない。

だが、パスコードは以前何気なく見えていた。

買い替えたばかりのとき、「見てて」と母さんがロックを設定した数字。

忘れるわけがなかった。

 

震える指で、それを入力する。

 

――開いた。

 

LINEのトーク欄、再びフジモトの名前をタップする。

 

写真。動画。前より数が増えていた。

アイコンの下に、「今日もありがとう。またね♡」という文字。

 

僕は指で、ある動画のサムネイルを押した。

 

一瞬の読み込みのあと、画面に映ったのは、見慣れた和室だった。

旅館のような部屋。障子の影がやわらかく差し込んでいる。

 

そこに、母さんがいた。

薄い浴衣を着て、布団の上にうつ伏せになっている。

肩が露わで、浴衣は帯を解かれて胸元がずり落ちていた。

顔を伏せたまま、何も言わない。

 

カメラがゆっくりと彼女の体をなぞるように動く。

 

母さんの肌は汗で少し光っていて、

首筋に垂れた髪が、妙に艶かしかった。

 

やがて男の手が映り込み、浴衣の裾がめくられていく。

母さんの白い脚が現れた。

声はほとんど聞こえない。でも、呼吸音だけが生々しかった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

そのとき、僕の中で何かが弾けた。

 

「見てはいけない」と理性が警鐘を鳴らしても、

指は次の動画を探していた。

 

別の動画では、母さんが男のシャツを着たまま、ベッドの上で髪を束ねていた。

画面に向かって小さく笑い、「ちゃんと撮れてるの?」とつぶやく。

声が、甘い。

ふだん僕が聞く“母親の声”じゃなかった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

僕はスマホを持つ手を強く握りしめた。

目をそらせなかった。

頭の中で何かが溶けていく感覚。

 

それは怒りだったのか、興奮だったのか。

いや、きっとどちらでもなく――

 

嫉妬だった。

 

誰にも見せたことのない表情を、

知らない男にだけ許している母さん。

 

僕の知らない“母としてではない顔”。

 

その現実が、僕の心を深くえぐっていく。

 

そして、気づけば動画は再生され続けていた。

僕は、それを止められなかった。

 

画面の中で揺れる母さんの身体。

彼女を包む声、肌の温度、指先の動き。

そのすべてが僕の心を乱し、身体を熱くさせていく。

 

理性はもう役に立たなかった。

僕はただ、画面に引き込まれていった。

 

――それが、母さんであることを忘れたいのに。

忘れられなかった。

 

 

僕の中で、ある思いがどんどん膨らんでいた。

 

あの夜、母さんとフジモト店長が入っていった古びたレンタルスペース。

動画に映っていた障子や畳の部屋――おそらく、あそこだ。

 

母さんがシャワーを浴びたあとに撮られたような映像。

照明の色も、壁の質感も、カーテンの影の形も、

僕があのとき見上げたあのビルの二階と一致している。

 

――あそこで、二人は。

 

想像の断片が現実と混じり合い、記憶の中でふくらんでいく。

僕はもう確かめずにはいられなくなっていた。

 

翌週、母さんの出勤シフトをそれとなく確認して、

再び、あのビルへ向かった。

 

今度は、昼間だった。

 

「このへん、貸しスペースってどうやって調べるんだろう……」

 

僕はスマホで、そのビルの名前を検索した。

小さなイベント用の部屋を貸し出すサイトがヒットした。

 

“和室スペース/2時間2200円/駅徒歩3分”

“カップル利用不可と書いてますが、実際は融通効きます(笑)”

レビュー欄にそんなコメントが並んでいた。

 

予約可能なカレンダーを開くと、

つい先日の日曜夕方――そこには「利用済」と赤い文字があった。

 

ドキリとした。

 

日曜の夕方。

母さんは「遅番だった」と言っていた日だ。

 

やっぱり、あの日もあそこへ――?

 

僕は決めた。

 

直接、この目で確かめるしかない。

 

⸻

 

次の週の金曜、母さんが「遅くなる」と言った日。

 

僕は、あのビルの近くに早めに到着し、

向かいのカフェの二階席から出入り口が見える席を確保した。

 

18時半。

母さんの姿が見えた。

 

すこし髪を巻いて、普段よりも明るい色の服を着ている。

そして、5分もしないうちに――男が現れた。

 

フジモトだ。

 

二人は短く言葉を交わし、何のためらいもなく、

連れ立ってビルの中に入っていった。

 

僕はカフェを飛び出し、通りを横断してビルの前に立った。

 

入り口の横にある郵便受け。

その下に、小さな張り紙があった。

 

「ご利用の方は201号室へ。静かにお願いします」

 

――201。

 

階段をのぼる足音に神経を集中させながら、僕はそっと二階へあがった。

 

静かな廊下。

そして、目の前に201号室のドア。

 

すりガラスのむこうに、うっすらと人の影が動いていた。

 

ドアに耳を近づけた。

 

小さな話し声。

男の低い声と、母さんの笑い声が交互に聞こえてくる。

 

その瞬間、何かが落ちるような音がして、

やがて……布が擦れるような音。

 

畳の上に座る気配。

小さく、何かを囁く声。

 

僕は、ドアノブに手をかけた。

もちろん開けるつもりはなかった。

ただ、その向こうを“感じていたかった”のだ。

 

そして――

 

かすかな吐息が聞こえた。

 

女のそれだ。

短く、切なげに震えるような吐息。

聞き覚えのある、でも“知らない顔”の母の声。

 

背筋が凍りつくような興奮と、

怒りとも嫉妬ともつかない感情が胸を焼いた。

 

僕はその場から動けなかった。

何分、何十分が過ぎたのかさえ、わからない。

 

ただひとつだけ、確信した。

 

母さんは、ここで“そういう時間”を過ごしている。

母ではない、ひとりの“女”として。

 

そして、僕はそれを“見届けよう”としている。

見たくないと願いながら、奥底では望んでいる。

 

自分でも、もうわからなかった。

 

 

あの夜、あの場所の前で聞いた母の吐息。

もう、逃れられない。

 

それから僕は、動画の映像を何度も見返すようになっていた。

画面の中の母さん。

裸の肩。うつむいた顔。

そして、その周囲に映る部屋の輪郭、照明の配置、置かれた時計やクッション。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

その細部に、“ある違和感”を覚えるようになった。

 

カメラの動きがやけにスムーズすぎる。

 

ズーム、角度の切り替え、照明の調整。

スマホで撮るにしては不自然なほど映像が整理されていた。

あれは――誰かが「撮るつもり」で準備していたものじゃないか?

 

そして、決定的だったのは一つの動画。

 

再生開始直後、画面の左端にチラリと映った三脚の脚部。

それはすぐに隠れたが、間違いなく“据え置きのカメラ”で撮っている。

 

つまり――フジモトは、母さんとの行為を記録していた。

しかも、母さんの無自覚な部分まで含めて。

 

ある動画では、母さんが「これ、録ってるの?」と笑っている。

フジモトは「平気平気、確認用にちょっとだけだよ」と軽く返していた。

 

その言葉に、母さんは少し戸惑った顔をして、

でも、拒否はしなかった。

 

僕は背筋が寒くなるのを感じた。

 

母さんは、“撮られていること”をどこまで理解していたんだ?

 

その日、僕はレンタルスペースのウェブサイトに再びアクセスし、

ダメ元で過去の利用履歴を問い合わせるメールを送った。

 

もちろん本名は使わず、

「先日利用した際に忘れ物をしてしまい、何号室にどなたがいたか記録を確認したい」

という曖昧な文面にした。

 

数日後、返信があった。

 

「ご利用日時:○月○日18:00〜20:00/部屋:201号室

ご予約者名:フジモト コウジ様

利用目的欄:撮影練習/機材持込あり」

 

――撮影練習。機材持込。

 

僕の中で、何かが冷たく固まっていった。

 

つまりこれは、

完全に意図して記録されていたということだ。

しかも、“撮影練習”という名目で。

 

ただの思い出でも、愛の証でもない。

フジモトにとっては――作品の一つだったのかもしれない。

 

もしかして、どこかに保存されている?

あるいは、他の誰かに見せている?

最悪の場合――流出している可能性さえ。

 

僕は混乱しながらも、フジモトのSNS、店のレビュー、個人名での検索などを始めた。

 

そこで、あるページが引っかかった。

 

**個人制作の「映像ポートフォリオ」**と書かれたブログ。

名前は「K.Fujimoto」。

顔写真こそなかったが、投稿日時とビルの撮影歴が一致している。

 

その中に、こう記されていた。

 

「和室、自然光、和装女性の人物記録。

表情と“恥じらい”を引き出すのがテーマ。

協力者には感謝したい。現在、別プロジェクトに展開中。」

 

協力者?

 

それは母のことなのか?

本人は、ただの「恋人としての記録」だと思っているのか?

それとも、本当はすべて知っていて――演じていたのか?

 

疑念が、僕の中で渦を巻く。

 

僕は確かめなければならなかった。

母さんが、どこまで知っていたのかを。

 

 

フジモトが撮影者である。

その“練習映像”の被写体が、母さんである。

 

そして、それらが個人のポートフォリオに繋がっていた。

 

ならば、その映像や写真が、他にもどこかに保管されているはずだ。

 

僕は、それを突き止めなければならなかった。

 

⸻

 

きっかけは、ある夜――

母さんが寝静まった後、ふと彼女の部屋に入ったときだった。

 

机の上には、ポーチと化粧品。

引き出しにはレシートやメモ帳。

その下――小さな、黒いUSBメモリが転がっていた。

 

僕は息を飲んだ。

 

母さんがこういうものを持っているのは珍しい。

仕事や家庭のことで使う理由は見当たらない。

 

――まさか。

 

僕はそれを手に取り、自室のノートPCに差し込んだ。

 

「読み込み中…」

 

しばらくして、フォルダが開いた。

 

「kf_movie」

 

その名に、心臓が跳ねた。

 

中には、日付と時間が記された複数のファイル。

すべて動画だった。

 

僕は、一番最初のものを再生した。

 

映し出されたのは――

母さんが、撮影準備中のフジモトに笑いかけている場面だった。

 

「こんな格好、ほんとに必要なの?」と母さんが照れ笑いする。

「うん、自然なままでいいから。君がそのままでいるだけで、すごくいい画になるから」

そう答えるフジモトの声。

 

母さんは白いワンピース姿で、まるで恋人の前でくつろいでいるような表情だった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

次の動画では、

浴衣姿の母さんがカメラの前に立ち、

「ねぇ…これって、あとで消してくれるんだよね?」と小さく呟いていた。

 

フジモトは笑いながら「もちろん」と言っていた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

――だが、消されていなかった。

むしろ、しっかりとUSBにバックアップされていた。

 

そして最も衝撃的だったのは、そのUSBの最後に保存されていた一つのテキストファイルだった。

 

「cloud_login.txt」

 

開くと、こう書かれていた。

 

drive.cloudbase.io

user:kfujimoto.works

pass:k********4

 

クラウドへのログイン情報だった。

 

僕は迷った。

けれど、すでに何度も一線を越えていた。

 

このまま知らないふりは、もうできなかった。

 

僕はVPNを使い、別名義でアクセスを試みた。

 

パスワードを入れる。

読み込みが始まる。

認証完了。

 

画面が切り替わった瞬間、僕の目の前に現れたのは――

 

母さんの名が記された、数十本の動画ファイル。

「Yoko_2025_4.avi」

「Yoko_morninglight.mov」

「Yoko_TwinsTatami.mp4」

「Yoko_SecondSession_FinalEdit.wmv」

 

それは単なる保存ではなかった。

**明らかに編集済みの“作品”**だった。

 

そしてその中には、パスワード保護されたフォルダもあった。

「Client_Ready」と名前が付けられていた。

 

クライアント。

誰かに――渡す予定のもの?

 

もしかして、これらは販売されるか、誰かに提供されている?

 

僕は震える手で、いくつかの動画をダウンロードした。

そのひとつを再生する。

 

そこには、見たことのない母さんの姿があった。

裸の背中。髪をほどき、カメラの前で振り返る。

笑顔を浮かべながら、静かに浴衣を脱ぐ。

 

「こういうの…ほんとに、必要なの?」

と母さんは言う。

 

それに、カメラの向こうのフジモトが言う。

「君が“知らない自分”を見つけていく様子が、俺には一番美しいんだ」

 

その言葉に、母さんは微笑む。

戸惑いと快感が混ざったような笑みだった。

 

僕は動画を止めた。

 

頭が痛かった。

これが現実かどうかもわからなかった。

 

でも一つだけ確かだった。

 

母さんは“撮られていた”。

そしてそれは、フジモトだけの記録ではない。

誰かの手に渡ろうとしている。

 

僕は、気づいてしまった。

 

母さんは今、取り返しのつかない場所にいる。

僕だけが、まだそれを知らずにいたのだ。

 

 

 

僕は、フジモトに会うと決めた。

 

これ以上、母さんを撮らせるわけにはいかない。

誰かの欲望の記録として、彼女を“商品”のように扱わせたくなかった。

 

最初は怒りに任せて殴ってやろうかと思った。

でも、今は違う。

まず、知る必要があった。

 

なぜ、あれほどまでに記録していたのか。

母さんがどこまで知っていたのか。

 

僕はスマホで検索し、フジモトがスーパーのバックヤードに入る時間帯を見計らって、裏手で待ち構えた。

 

金曜の午後5時。

荷台口のシャッターが上がり、制服姿のフジモトが現れた。

 

「……フジモトさん」

 

僕は声をかけた。

 

彼は一瞬、警戒するように目を細めたが、すぐに気づいたようだった。

「ああ……君、たしか……ユウヤくんだっけ?」

 

僕は頷いた。

胸の奥がざわつく。

何も知らないフリをしているような、その口ぶりが気に入らなかった。

 

「少し、話がしたいんです。時間、いいですか」

 

「……ここじゃあれだな。向かいの喫茶店でいい?」

 

彼は、思った以上にあっさりと応じた。

 

⸻

 

古びた喫茶店の奥の席。

冷たいアイスコーヒーに口をつけたあと、僕は本題を切り出した。

 

「母の……陽子のことです」

 

彼はグラスを置き、ふっと笑った。

「うん。まさか君にバレてたとは思わなかったけど、隠してたつもりもないんだ」

 

「あなた、母を……記録してますよね。動画、写真、USB、クラウド。

しかも、それを“他人に見せるつもり”だった。違いますか?」

 

フジモトは驚いた様子も見せず、少しだけ目を伏せてから、静かに言った。

 

「……見たんだね。あれを」

 

「見た。全部じゃないけど、十分すぎるくらいに」

 

「そうか」

彼は背もたれに寄りかかり、言葉を選ぶようにしながら続けた。

 

「君がどう思ってるかはともかく――君の母さんは、自分の意思で“撮られること”を選んでるよ」

 

「……そんなわけない。母さんはただ、あなたを信じてるだけだ」

 

「信じることと委ねることは、似て非なるものだよ」

フジモトの声は静かだった。

 

「最初はたしかに、ただの記念だった。ふたりで過ごした時間の。

でも、彼女の中には明らかに“誰かに見せたい自分”がいたんだ。

それは、母親でも、妻でもない――ただの“ひとりの女”としての顔。

それを、俺は引き出しただけだよ」

 

「じゃあ、撮ったものを他人に渡すのは、その“引き出した”成果の一部だと?」

 

「……ああ、それについては説明させてくれ」

彼は少しだけ表情を引き締めた。

 

「たしかに、編集した動画を“評価用”として映像制作の仲間に見せたことがある。

でも顔は加工してあるし、実名は絶対に出してない。

それでも君が怒るのは当然だと思う。だから――削除するよ、全部」

 

「ほんとに?」

 

「約束するよ。

ただ、それでもひとつだけ言わせてほしい。

君の母さんは、自分で“解放されたがっていた”。

カメラを通して、自分を肯定したがっていた。

君が思っている以上に、強い人なんだよ」

 

僕は言葉を失った。

 

母は、知らずに撮られていたのではない。

“撮らせていた”のか?

 

僕が信じていた母の“無垢さ”は、

ただの願望に過ぎなかったのか。

 

喫茶店の時計の音が、やけに大きく聞こえた。

 

そして僕は、最後に静かに言った。

 

「……あなたの言葉が嘘じゃないなら、証明してください。

クラウドのアカウント、今ここで消してください」

 

フジモトは黙って頷き、スマホを取り出した。

僕はその手元をじっと見つめた。

 

画面に映る“削除”の文字。

確認ボタン。

データは、消えていった。

 

けれど――胸のざわつきは、消えなかった。

 

僕が守りたかったのは、母さんの何だったのか。

“知らないでいてほしい”という幻想か。

それとも、“誰かのものにならない”という独占欲だったのか。

 

それはもう、自分でもよくわからなかった。

 

 

 

 

あれから、どれくらいの時間が経っただろう。

季節は二度、三度と巡り、僕は大学を卒業し、いまは別の街で暮らしている。

 

実家には、ほとんど帰っていない。

理由はいくつもあったけれど、根底にあるのはきっと、

あの春の出来事から、どこか心が離れてしまったからだ。

 

フジモトと会って、クラウドの記録が削除されたあと――

母さんとは、何も話さなかった。

 

彼女は何も知らないふりをして、

僕もそれに合わせた。

 

あの日以降、母さんのスマホからフジモトの名前が消え、

「パートはやめたの」とだけ言って、

家にいる時間が増えていった。

 

それが、母さんなりの答えだったのかもしれない。

 

でも、真実が何だったのか――僕は今でも知らない。

 

⸻

 

久しぶりに帰省したある日、

台所で母さんがエプロン姿で洗い物をしていた。

 

僕は無言でその背中を見つめていた。

細くなった肩。髪の分け目の少しだけ白いもの。

でも、動きは変わらず丁寧で、落ち着いていた。

 

「なに?」と振り向いて、母さんが笑った。

 

その笑顔に、あの映像の中で見た“彼女”の表情が重なる。

 

でも、今目の前にいるのは、僕の母さんだった。

 

それだけで、少しだけ救われた気がした。

 

⸻

 

夜、ひとりで近所の公園に足を向ける。

桜はまだ咲き始めたばかりだった。

 

ベンチに腰を下ろし、スマホを取り出す。

その中にはもう、あのUSBから写したファイルは残っていない。

全部、消した。

 

消したけれど――

脳裏には、ふとした拍子に蘇る。

 

畳の上で微笑む母の顔。

髪を束ねながら、「これ、撮ってるの?」と恥じらう声。

 

あれは、現実だった。

 

でも同時に、たぶん二度と戻らない“時間”だった。

 

あの出来事が、母さんにとってなんだったのか。

それを知る権利が、自分にあったのか。

今でも、答えは出ないままだ。

 

ただ――

 

母さんは今日も、家で夕飯を作って待っていてくれる。

 

それだけで、十分だと思うようにしている。

 

春の風が、静かに頬をなでていった。

 

⸻

 

〈エピローグ〉

 

誰かを“守る”というのは、

何かを奪うことではなかったのだと、

今なら少しだけわかる気がする。

 

守りたかったのは、

僕の中にある“母という記憶”だったのかもしれない。

 

でも人は、記録では生きていけない。

 

誰かの視線の中で、息をして、笑って、愛される。

その姿を、僕は――もう、責めない。

 

そしてきっと、

母もまた、何も聞かなかった僕のことを

あの夜、どこかで許してくれていたのだろう。

 

静かな春の夜に、

母の声が、優しく胸の奥で響いていた。

 

 

帰省して三日目の夜だった。

 

父は仕事で遅く、家には母と僕だけ。

夕飯のあと、二人でリビングに座っていた。

 

テレビをつけたまま、誰も何も言わず、

番組の笑い声だけが、部屋の中に流れていた。

 

やがて、母が湯呑みを手にして、ふと言った。

 

「……ねぇ、ユウヤ」

 

「ん?」

 

「もし、あのとき……私が、少しだけ違う選択をしてたらって、

今でもたまに思うの」

 

僕は、一瞬で背筋が固くなった。

“あのとき”――その言葉だけで、どこを指しているのかわかった。

 

でも、母の表情は穏やかだった。

まるで、過去の一幕を遠くから眺めているように。

 

「誰かに必要とされるって、ね」

母は小さく笑った。

「ほんとうに嬉しいことなのよ。

たとえ、それが勘違いだったとしても。

その瞬間は、ちゃんと温かくて……嘘じゃなかったの」

 

僕は何も言えなかった。

 

「ただね、あなたに何か隠してるって思いながら過ごすのが、いちばん苦しかった」

 

母の目が、ほんの少しだけ潤んで見えた。

 

「でも、あなたが何も聞かないでいてくれたこと、

いちばん、感謝してるのよ」

 

僕は俯いた。

心の奥が、静かに痛んだ。

 

あのとき、問い詰めようと思えばできた。

何もかも知っていることを伝えれば、母を変えることもできたかもしれない。

 

でも僕は、選ばなかった。

ただ、母の“沈黙”に合わせた。

 

それが正しかったのか、今でもわからない。

でも、少なくとも――

 

「……母さんが笑ってくれてれば、それでいいよ」

そう呟くと、母は静かに微笑んだ。

 

「……ありがとう」

 

その言葉は、誰に向けられたものだったのか。

過去の自分にか。僕にか。

それとも、今もどこかにいる“あの人”にか。

 

わからない。

 

けれどその夜、

湯呑みに立ちのぼる湯気とともに、

僕たちは確かに、あの時間をひとつだけ乗り越えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。