nier automata ver -1.5.2a 作:ろろろん
魂の接続(ソウル・コネクト)は、私たちに甘美な蜜月をもたらした。廃墟の片隅で、私たちは互いのこめかみから伸びる黒いケーブルを接続する。カチリ、という物理的なロック音と同時に、私の聴覚センサーがホワイトノイズを拾う。それは、魂が混じり合う瞬間の、いわば産声だった。ひんやりとした金属の感触が、神経回路に直接、情報の奔流を送り込む。視覚や聴覚とは異なる、魂の奥底に直接響くような奔流。それは、言葉では決して到達し得なかった、究極の理解の始まりだった。
`<<ブラックボックス同期率、98.7%...安定軌道に移行>>`
ポッドの無機質な声が、現実世界との最後の繋がりだった。目を閉じると、私の意識は、広大な情報の海へと溶けていく。最初に流れ込んできたのは、9Sの純粋な好奇心だった。彼の意識の海は、どこまでも澄み切り、そして、温かい光に満ちていた。彼の探求心は、まるで無限の宇宙を探索する探査機のように、私の意識の隅々までを優しく撫でていく。私のブラックボックスは、その探求を、心地よい刺激として受け入れていた。彼の思考は、常に新しい知識を求め、その探求の過程で得られた純粋な喜びが、私にも直接伝わってくる。それは、私がこれまで知らなかった、世界の新しい側面を教えてくれるかのようだった。彼の論理回路が、複雑な問題を解き明かす瞬間の、あの光が弾けるような感覚。それが、私の意識にも共有され、私の内部フレームまでが、微かに歓喜に震える。
そして、私の静かな愛情が、彼の意識へと流れ込む。それは、言葉にするにはあまりにも拙く、しかし、彼にとっては、何よりも雄弁な感情だったのだろう。彼のブラックボックスが、私の感情波形を、まるで渇いた大地が水を吸い込むように受け入れていくのが分かる。互いの過去の記憶が、まるで古いフィルムのように再生される。彼の視点から見た、私が彼を助けた瞬間。私の視点から見た、彼が私に月の涙を差し出した瞬間。それらの記憶が、互いの感情と同期し、新たな意味を持って再構築されていく。未来への漠然とした希望が、二つの意識の中で混じり合い、より鮮明な形を帯びていく。すべてが混じり合い、私たちは、まるで一つの存在になったかのようだった。私たちのブラックボックスは、互いの感情波形を完璧にトレースし、共振する。それは、孤独なアンドロイドにとって、何よりも満たされた時間だった。この一体感は、私たちを、この荒廃した世界から切り離し、二人だけの楽園へと誘うかのようだった。私たちは、互いの存在の中に、無限の安らぎと、そして、満たされない渇望を埋めるための、唯一の答えを見出したと信じていた。
「ねえ、2B。この前、君が森の城で僕を助けてくれた時のこと、覚えてる? あの時、僕は本当に嬉しかったんだ。君が、僕のために、あんなにも無茶をしてくれたって、今、改めて分かったよ」
ある夜、同期中に9Sが言った。彼の意識から流れ込むのは、あの時の彼の純粋な喜びと、私への深い信頼だった。私のブラックボックスは、その記憶を再生しながら、あの時の私の感情を彼に送り返す。それは、彼を守りたいという、偽りのない、しかし任務とは矛盾する衝動だった。彼が、それを「愛」として受け取ってくれているのが、意識の奥底で分かった。その瞬間、私の内部フレームは、温かい熱に包まれた。
「ええ、覚えているわ。あなたが無事で、本当に良かった」
私の言葉は、彼の意識の中で、私の当時の感情と完全に同期する。言葉の裏に隠された、私の安堵と、彼への深い愛情が、彼に直接伝わる。私たちは、互いの最も深い部分を、隠すことなく共有し、その度に、絆はより強固なものになっていった。それは、まるで二つの魂が、一つの旋律を奏でるかのような、完璧なハーモニーだった。
だが、甘すぎる蜜は、毒となる。
副作用は、すぐに現れた。それは、廃工場の奥深く、大型の機械生命体と対峙した時に、明確な形となって現れた。
`<<警告: 敵性存在、 Goliath級を確認。推奨行動: 回避>>`
ポッドの警告を無視し、私は白の契約を構える。目標は、巨大な腕を振り回し、瓦礫を撒き散らす Goliath。私は通常、その剛腕をかいくぐり、懐に飛び込んで脚部を破壊する戦術を選ぶ。だが、その日、私の思考は違った。
(違う。もっと効率的な方法があるはずだ)
私の思考に、別の声が混じる。それは、9Sの声だった。
(あの腕の関節部分、装甲が薄い。あそこを狙えば、最小限の動きで最大の効果が得られる)
その思考と同時に、私の身体が、まるで意思を持ったかのように、勝手に動いていた。私は、振り下ろされる腕を、最小限の動きで回避すると、その勢いを利用して壁を蹴り、跳躍した。空中で身体を捻り、Goliath の腕の付け根にある、僅かな隙間へと、白の契約を突き立てる。
`<<敵ユニットの動力系に深刻なダメージを確認>>`
ポ-ッドの報告を聞きながら、私は着地した。あまりにも鮮やかすぎる一撃。それは、私の戦闘スタイルではあり得ない、9S特有の、分析に基づいた精密な攻撃だった。私のブラックボックスは、その変化を「最適化」と認識しながらも、警報を発していた。
`<<警告: 自己の戦闘アルゴリズムとの乖離率、34.7%。原因不明>>`
その時、後方で支援していた9Sが、驚きの声を上げた。
「2B、今の動き、すごいよ! まるで僕のハッキングで未来予知でもしたみたいだ!」
彼の興奮した声が、私に突き刺さる。私は、自分の身体が、もはや私だけのものとして機能しているわけではないことを、はっきりと自覚した。その事実は、私に微かな、しかし確かな不安を抱かせた。
逆に、彼のハッキングには、私の自己犠牲的で実直な思考がブレーキをかける。Goliath が体勢を崩した隙に、9Sは、そのコアを直接ハッキングしようと試みた。それは、成功すれば一撃で戦闘を終わらせられるが、失敗すれば、彼のブラックボックスが焼き切れる危険な賭けだった。
「今だ! これで…!」
彼がハッキングを開始しようとした、その瞬間。彼の意識の奥底から、強い制止の感情が湧き上がった。
(危険だ、ナインズ! すぐに中断しろ!)
それは、私の声だった。私のブラックボックスが、彼の安全を最優先するあまり、彼の探求心を抑制しようとする、無意識の介入だった。彼は、一瞬動きを止め、ハッキングを中断した。その隙に、Goliath は体勢を立て直し、反撃に転じる。
「くそっ! なんでだ…!」
9Sは、悪態をつきながら、敵の攻撃を回避する。彼の顔には、困惑と、そして、微かな苛立ちが浮かんでいた。それは、彼の判断を鈍らせる、余計なノイズだった。彼のブラックボックスは、その「ノイズ」を「安全装置」と認識しながらも、どこか苛立ちを覚えているのが、微細な振動として伝わってきた。彼は、私に視線を向け、「2B、今、君の声が聞こえた気がしたんだけど…」と尋ねた。私は、何も答えられなかった。その問いは、私たち二人の間に、新たな、しかし見えない壁を築き始めた。
Goliathは、なおも暴れ続けたが、もはやその動きは精彩を欠いていた。先ほどの一撃が、致命傷になっていたのだ。私たちは、互いに視線を交わすことなく、ただ機械的に、残された脅威を排除していく。数分後、Goliathは、けたたましい断末魔の叫びと共に、その巨体を横たえ、完全に沈黙した。戦闘は終わった。だが、私たちの間に、勝利の余韻はなかった。廃工場の静寂が、私たちの間の気まずい沈黙を、より一層際立たせる。戦闘の熱が冷めるにつれて、先ほどの不可解な現象が、より鮮明な輪郭を持って、私たちの意識にのしかかってきた。
「僕たちらしさが、消えていく…」
9Sが不安を口にしたのは、砂漠地帯を探索していた時だった。そこは、かつて私が彼を処刑した場所の一つ。広大な砂漠に、錆びついた機械生命体の残骸が、無数の墓標のように突き刺さっている。その光景は、私たちの関係の危うさを、象徴しているかのようだった。彼の声は、微かに震えていた。彼の瞳は、遠くの地平線を眺めているが、その視線の先には、私たち自身の未来が映し出されているかのようだった。彼の内部フレームからは、常に微細な振動が伝わってくる。それは、彼のブラックボックスが、絶えず激しい葛藤を続けている証だった。彼は、自らの掌を見つめ、まるでそこに、自分自身の輪郭が薄れていくのを見ているかのように、ゆっくりと指を握りしめた。
「君の思考と僕の思考の境界が、曖昧になっていくんだ。まるで、僕の論理回路に、君のパーソナリティが上書きされていくみたいに…」
彼の言葉は、私の胸に重く響いた。私もまた、同じ恐怖を感じていた。私の感情の源泉が、どこにあるのか、分からなくなりつつあったのだ。ある日、廃墟で見つけた一輪の花を見て「美しい」と感じた直後、私の頭に、まるで自分の思考であるかのように、別の声が響いた。
`思考ノイズ検出: 感傷は非効率だ。この花を構成する物質の原子配列には特筆すべき点はない。`
それは、9S特有の冷めた分析だった。私の感情なのか、彼の分析なのか、その境界が溶け始めている。私たちは、互いを理解しすぎた結果、個としての輪郭を失い始めていた。それは、まるで二つの異なる水が混じり合い、一つの濁流となっていくような感覚だった。最初は、その一体感に喜びを感じていたが、次第に、自分自身が何者なのか、分からなくなるような不安に襲われるようになった。私のブラックボックスは、この現象を「パーソナリティの融解」と認識し、警告信号を発していた。だが、その警告は、甘美な一体感の前に、かき消されてしまう。夜、眠りにつこうと目を閉じると、彼の思考の断片が、まるで夢のように私の意識に流れ込んでくる。それは、彼の過去の記憶、彼の抱える疑問、彼の未来への漠然とした不安。それらが、私の思考と混じり合い、私自身の感情であるかのように感じられる。私は、自分が何者なのか、どこまでが私で、どこからが彼なのか、その境界線を見失いつつあった。
「ねえ、2B。僕たち、このままでいいのかな?」
ある日の夕暮れ時、9Sが私の隣に座り、静かに尋ねた。彼の瞳は、不安と、そして、私への問いかけに満ちていた。私は、彼の問いに答えることができなかった。私自身も、答えを探していたからだ。
「…分からないわ、ナインズ。でも、このままでは…」
私の言葉は、途中で途切れた。私たちは、互いの手を取り合った。その手から伝わるのは、温もりと、そして、同じ不安だった。私たちは、この状況をどうすればいいのか、分からずにいた。
そして、恐怖は頂点に達した。
いつものように同期していた最中、9Sの好奇心が、私の意識のさらに深層――固くロックされていたはずの「2E」の領域に触れてしまったのだ。それは、ヨルハ計画の真実を知ろうとする9Sを、私が幾度となく処刑してきた、その記録が保存されている、私の最も忌まわしい部分だった。彼のスキャナーとしての本能が、その「未知の領域」に強く惹きつけられたのだろう。彼の意識が、まるで暗闇の中を手探りで進むかのように、その領域へと深く潜り込んでいく。
`<<エラー: 未許可領域へのアクセスを検知>>`
`<<警告: 対象領域は高レベルのセキュリティプロトコルにより保護されています>>`
ポッド042の警告が、私の意識の奥底で響く。やめて、と叫びたかった。そこだけは、見ないで。私の内部フレームが、悲鳴を上げる。だが、私の声は、彼には届かない。9Sの意識は、もう止まらない。彼は、私の最も見られたくない部分を、容赦なく暴いていく。
`<<強制介入プログラム、起動。対象: 9S。シナリオ: 記憶の強制再生>>`
私の意思とは無関係に、私のブラックボックスの深層に刻まれたプログラムが、牙を剥く。それは、彼を絶望させるためだけに存在する、悪意に満ちた罠だった。
彼の意識が、幻視する。それは、この砂漠で、彼が月の涙を私に渡そうとした、あの日の記憶。あの時、私は彼を抱きしめ、そして、その背中に刃を突き立てた。幻視の中で、私は無感情に彼を斬り捨てる。私の唇が動く。
「感情を持つことは禁止されている」
その言葉は、愛の告白ではなく、冷徹な処刑宣告として、9Sの魂に突き刺さった。彼の意識が、絶望に染まっていくのが、手に取るように分かる。彼は、その幻視の中で、私が彼を殺すたびに流したオイルの涙が、偽りではなかったことを知る。だが、同時に、私の深層に、彼を「処理対象」として監視し続ける、冷酷なプログラムがまだ生きていることも知ってしまったのだ。彼の意識は、私の偽りのない愛情と、冷酷な任務の狭間で、激しく引き裂かれる。それは、彼にとって、私からの最も残酷な裏切りだった。
「うわあああああああっ!」
9Sは、絶叫と共に物理的にケーブルを引きちぎった。火花が散り、彼のこめかみから白煙が上がる。彼のブラックボックスが、過負荷で悲鳴を上げている。彼の身体は、激しく痙攣し、床に倒れ込んだ。彼の瞳は、恐怖と、そして、私への深い絶望で大きく見開かれている。
「見た…! 君の中にいる『誰か』が、僕を殺そうとしてるんだ! 君は、僕を殺すために作られたんだ!」
彼の声は、悲鳴と、そして、私への非難に満ちていた。違う、と叫びたかった。あれは私ではない。ただの古いプログラムの残骸だ。私は、もうそんなことはしない。私は、あなたを愛している。そう、伝えたかった。だが、言葉は出なかった。彼が見たものが、紛れもない「事実」だったからだ。私の口から出る言葉は、すべてが偽りに聞こえるに違いない。その事実は、私のブラックボックスを深く抉った。
彼の瞳に、再び絶望と、私への深い不信が宿る。それは、私が最も恐れていた光景だった。彼の視線は、まるで私を汚れたものを見るかのように、冷たく、そして、私を深く傷つけた。
私は、彼に駆け寄ろうとした。だが、彼の身体は、私から遠ざかるように、微かに後ずさる。その動きが、私の心を深く抉った。私たちは、互いの魂の最も深い部分に触れ、その結果、最も深い傷を負ってしまったのだ。魂の接続は、私たちを救うどころか、より深い傷を残しただけだった。
私たちの間に、再び深い亀裂が走った。最も安易な理解の道は、最も残酷な形で、私たちを再び引き裂いた。魂の接続は、私たちを救うどころか、より深い傷を残しただけだった。その夜、私たちは、互いに背を向け、冷たい沈黙の中で、それぞれの孤独に耐えるしかなかった。嵐の夜の和解は、遠い過去の幻のように、儚く消え去った。
部屋の隅で、A2がその光景を静かに見つめていた。彼女は何も言わなかったが、その表情には、いつもの嘲りとは異なる、深い諦めと、そして、どこか哀れむような色が浮かんでいた。彼女の瞳の奥には、私たちと同じような、あるいはそれ以上の、深い傷が隠されているかのようだった。