他人になった妹は、俺の裏垢調教志願者でした 作:ドン・ドナシアン
001 身体を好きにしていいよ。他人だもの
呼び鈴が鳴ったので、なにも考えずに扉を開けた。
玄関の扉を開けた瞬間、まだ朝の冷たさが残る家の空気に、外の生ぬるい風が流れ込む。
そこに立っていたのは、一年半前に家族の縁を切られたはずの妹だった。
湿り気を含んだ春の匂いが、妹の肌の香りと混ざって鼻をくすぐる。
忘れていたはずの一年半前の怒りが、ざわりと胸を抉った。
ここは、直樹がひとりで暮らしている駅から離れた郊外の古い一軒家だ。
直樹がここで暮らすようになってから随分と手入れはしたが、それ以前には十年以上は誰も生活していなかった建物だけあり、かなり傷んではいる。しかし、高校中退で表向きには、派遣の清掃勤務の住まいとしては十分すぎる家だ。
ただし、なにもない。
一番近いコンビニも、歩いて三十分以上はかかる場所にしかなく、周りも未使用の農地ばかりで近所住民も年寄りばかりだ。
そんな誰も訪ねてくるはずのないような場所に、膨らみかけた桜の蕾みたいな色味をまとって、妹が立っていた。
一年以上会っていなかった「妹」は随分な美少女に変身をしていた。
「お兄ちゃん、久しぶりね」
声は屈託がない。けれど、その奥に張り付いた微笑は、どこかぎこちなく、緊張しているのがわかる。
笑いながらも怯えているように見えた。
いずれにしても、もう戸籍のうえでも兄妹ではない、赤の他人に向ける言葉じゃない。
いまさら「お兄ちゃん」なんて呼ばれる筋合いはないだろと、喉の奥で舌打ちしたくなった。
「はあ、なんだ、お前?」
「夜行バスで着いたの。でも、都心って便利ね。あんなに早い時間から電車が走ってんだから」
妹は、一年半前のことなんて忘れたみたいに、平気な顔で喋り続ける。
薄いカーディガンに、パステルピンクのミニスカート。白く長い脚は、まだ春には冷たい外気にさらされているのに、寒そうな素振りひとつない。
脇に抱えた古いトランクの車輪には、湿った泥がこびりついていた。
服に隠れていない首筋や膝のあたりに、じんわり滲んだ汗が薄く光っている。
風に髪がほどけて、頬にくっついてはまた離れた。
故郷から都心まで夜行バスで着き、それから早朝の電車に乗ったとしても、最寄りの駅からこの一軒家までは歩けば半時間はかかる。この郊外の道を歩いてきたのだろうか。
それでもなお、まだ幼さの残る顔立ちに愛想笑いを張り付けて、平気なふりをしている。
まるで場違いな、どこか作り物めいた“美少女”だ。
玄関先に小さな花びらが舞い込んだ。
この家の土間に落ちた色が、桜なのか、妹の頬の赤みなのかも、いまはどうでもよかった。
ため息が漏れた。眉が自然としかめられる。
「……こんなところまで、なにしに来たんだよ」
妹は答えず、足元のトランクを少しずらした。
スカートの裾が風に揺れて、白い脚がぞっとするほど無防備に晒される。
「大学で斡旋してくれる女子寮が手違いで入れなくて……。それで、いまお兄ちゃんがこっちで暮らしてるのを思いだしたの。少しのあいだだけでいいから泊めてよ」
言葉は甘い。でも、目の奥はまったく笑っていない。
「大学の寮ってなんだよ?」
自然と声が低くなった。
妹は肩をすくめて笑った。
「あたしが都心の大学に受かったの、知ってるでしょう?」
「知るわけないだろ。なんでわざわざ、こっちなんだよ」
「お兄ちゃんの近くにいないと、だめだから……」
「はあ? なにがだめなんだよ」
意味がわからなかった。
唇の端を歪めて直樹を見つめ返す妹の目が、どこか遠くを見ているようで、気味が悪い。
苛立ちで声が少しだけ荒れた。
妹は目を伏せて、小さく息を吐いた。
「お兄ちゃんって、ざしきわらしだから」
「……なに言ってんだ?」
はっきり意味がわからない言葉が、頭の中を素通りしていく。
直樹の顔が歪んだのを、妹は気づいているのかいないのか、まるで子供が夢を語るように続けた。
「ざしきわらし……。家に福を呼んで、いなくなると全部だめになる。お兄ちゃんを切り捨てた家がどうなったか……。まあ、当然の酬いだけどね……」
妹の声が、風の音に溶けた。
直樹は口を開きかけたが、なにを返していいかわからなかった。
頭の奥が少しだけ痺れたみたいに重たい。
「……なに言ってんだ。意味わかんねえ」
吐き出すように呟くしかなかった。
ざしきわらしって……妖怪扱いかよ……。
妹はかすかに笑った。
笑っているはずなのに、頬の奥は引きつっていた。
「いいの。お兄ちゃんにはわかんなくても……。とにかく、あの毒親は……当然の酬いを受けたんだよ」
「毒親って……」
妹の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
一年半前、あいつは思春期特有の気まずさなのか、直樹にも親にも、ろくに口をきかなかった。
なにを考えているのかもわからないまま、ただ直樹の退学と追い出しに黙って従って、なにも言わずに背中を向けた。
だから、こうしてあいつが親を毒づくのを聞くのは初めてだ。
とにかく、妹の声はひどく静かだった。
どこか遠くを見るように視線を逸らしたまま、ぽつりと小さく続ける。
「……あたしも含めてね」
空気がひやりとした。
けれど、その意味を訊こうとした直樹を見もしないで、妹はふっと息を吸った。
「そんなことより、入れてよ」
気づけば、妹が引きずってきたトランクが扉に挟まっていた。妹はなんの抵抗もなく、トランクごと、するりと土間に身体を滑らせた。
「おい、勝手に入るな」
思わず腕を伸ばす。
だが、そのときには、すでに妹は玄関に身体を入れ終わり、後ろ手に扉を閉めてしまっていた。トランクは土間の隅に押しやっている。
「だから、女子寮に入るつもりだったんだけど、手違いでまだ住めなくなったって説明したじゃない……。お兄ちゃん、この一軒家でひとり暮らしでしょう。部屋も余ってるじゃない。いいじゃないの」
妹は靴を脱ぐそぶりまで見せている。
直樹は、それを阻止するように妹の身体の前に立ちはだかった。
「はあ? なに、なれなれしいこと言ってんだよ。そもそも、なんで、俺のこと知ってんだよ?」
この妹を含めた家族に縁を切られ、実家を追い出されてから一年半が過ぎている。
直樹が高校で同級生の下着を盗んだと騒がれたあの事件のせいだ。
もっとも、それは冤罪だ。
外見も性格も地味で、クラスに馴染めず、いつもひとりでいた直樹は、苛めの標的になった。
下着泥棒に仕立てられたのは、ただの悪ふざけだったようだ。
苛めの中心にいたクラスメイト数名が、女生徒の荷物から下着を盗んで、直樹の鞄に押し込んだのが真相だった。
思いのほか大騒ぎになって、悪戯をした連中は冗談だったなんて言えなくなったらしい。
もちろん冤罪を主張した。
でも、庇ってくれる人間なんて誰もいなかった。
結局、退学処分を食らって、親には縁を切られて家を追い出された。
そもそも、親との関係は最初から複雑だった。
直樹を産んだのは父の前妻──それが、実の母親だ。
けれど、その女は不倫の末に離婚し、生まれたばかりの直樹を置いて姿を消した。
婚姻中の子だった直樹は自動的に父の戸籍に入ったものの、実際には父との血の繋がりはなかった。
だから、父の後妻──いまの母や、ふたりのあいだに生まれた妹とも、血は繋がっていない。
それでも父は育ててはくれた。だが、そこに愛情なんてものは最初からなかったと思う。
そして、直樹が冤罪事件を起こしたとされたとき、あの男は真っ先にDNA鑑定をした。
鑑定の結果を手に、家庭裁判所へ訴えを起こし、正式に「親子関係はない」と認めさせたのだ。
そのあと、手切れ金を渡して──「他人なんだから出ていけ」と追い出した。
そこまでされて、家族に未練なんてあるはずがなかった。
あれから一年半……。
冤罪は認められ、色々あって、示談金と慰謝料を受け取り、あのクラスメイトとは和解が成立したが、退学が中退扱いに変わっただけで復学はしてないし、家族との縁切りもそのままだ。
つまりは、この妹は赤の他人なのだ。
「……赤の他人に頼む話じゃないな」
「うん。赤の他人だから、お願いするの。あの毒親がやったことでありがたかったのは、あたしとお兄ちゃんを他人にしたことね。それだけは、グッジョブだったわ」
「ぐっじょぶ?」
そして、妹は勝手に上がり込み、靴を揃えている。
直樹は苛立ちを堪えて溜息を吐くしかなかった。
「ちょっと、待てよ──」
「お願い……寮が空くまでの一か月だけでいいから。」
「お前なあ……。なにをいまさら……」
言葉を探す間もなく、妹はくるりとこちらを振り向き、ふっと微笑んだ。
「その代わり……あたしの身体を好きにしていいよ。他人だもの。いいよね?」
「はあ?」
思わず聞き返すと、妹は一歩踏み出し、直樹の手を取って、自分の胸元へと押し当てた。
指先に柔らかい感触が伝わる。
「うわっ」
ぎょっとした。
慌てて、手を妹の胸から離そうとしたが、押し付ける力が意外に強くて離せない。
そして、布越しに柔らかい妹の胸の中心の硬い小さな突起が突き返してくる。
ブラを着けてない?
「赤の他人でしょう? だったら大丈夫だよ。お兄ちゃんが好きにしていいから」
妹の声は小さく震えていた。
胸元の熱と一緒に、速すぎる心臓の鼓動が手のひらにまで伝わってくる。
「お前……なに考えて……」
「心配ないの。あたし、処女じゃないし……。お兄ちゃん2号で処女膜はちゃんと破ってきたから。お兄ちゃんに迷惑はかけないよ」
「お兄ちゃん2号?」
「通販で買ったバイブ。お兄ちゃんの名前つけたの」
「なんだ、それ? そもそも、なんで2号なんだよ」
「お兄ちゃんが言ったからよ」
妹が意味ありげに微笑む。
なんのことかわからない。
妹とは一年以上会ってないのだ。
「……いや、意味が……。まあいい。もう言わなくていい……。どうでもいいし」
「とにかく、いいから抱いて……。抱けば、お兄ちゃんのことだから、情がうつって、追い出さないでしょう」
「お前、本音を堂々と口にすんじゃないぞ。まあ、そういうところもあるかもしれねえけど、俺はお前らを許すつもりなんて……」
「許さなくていいの。お兄ちゃんは仕返しするだけ。それに、お兄ちゃんの秘密、知ってるよ。受け入れてくれないと、SNSであることないこと、ばら撒くからね」
言いながら、妹はゆっくり直樹の手を離した。
「秘密ってなんだよ? そもそも、お前、謝ってんのかよ。それとも、脅してんのか」
「お兄ちゃんが受け入れてくれるなら、どっちでもいい。ねえ、出ていくとき捨てた古い本……あたし、拾ったんだよ。縛ったり手錠したりされてる女の人の写真、いっぱい……」
背筋がひりついた。
「あれを……お前……」
思わず声をあげる。
溜め込んでいたSМ物の写真集や、雑誌、エロコミックとかだ。
扱いに困って、普通の本に混ぜて捨てたはずなのに……。
あれを回収してた?
「練習してきたの。縛ってもいい。痛いのは……ちょっといやだけど、お兄ちゃんがしたいなら我慢する。とにかく、あたしが許すからね。お兄ちゃんがそういうこと好きなのはわかったんだから。お兄ちゃんになら、なにをされてもいいよ」
妹はスカートの裾をかすかに握りしめ、すっと上にあげはじめた。
白い太ももがあらわになる。
手は震えていたが、さらにスカートの裾があがり、白い下着がちらりと覗く。
「わっ、なに考えて……」
慌てて、妹の手をスカートから離させる。
すると、今度は抱きついてきた。
「ねえ、このクズ女に仕返ししたいでしょ? お兄ちゃんが大変だったとき、信用もせずに家から追い出したクズ家族のひとりだよ。あたしが代わりに償うから」
妹はもう直樹の胸に腕をまわして、ぐいぐいと身体を押しつけてくる。
妹の身体の奥からじんわり滲む汗の熱が服越しに伝わる。
湿った髪の先が直樹の首にかすかに当たるたび、春の埃っぽい風と、妹自身の甘い汗の匂いが混ざって鼻をついた。
胸元には、シャツ越しに押しあてられた柔らかさがある。
妹の身体は生暖かくて、かすかに震えていた。
こっちの息が詰まりそうになる距離だ。
「ねえ、お兄ちゃんを見捨てた、このクズ女に仕返ししたくない……? お兄ちゃんには、その権利があるし」
「うわっ」
妹がそのまま直樹を押し倒し、倒れる瞬間に自分が下になるように身体を入れ替えた。廊下に仰向けに倒れた妹の脚のあいだに、倒れ込んだかたちになる。
妹のミニスカートが少しまくれあがり、今度こそ白い下着が露わになっていた。
その妹の腰に直樹の腰を押しつけたみたいな体勢だ。
「……あたしに調教ってものをしてみて……。お兄ちゃんが悪いんだよ。あんな本を置いていくから……。あたし、しっかりと勉強してきたから」
妹が真っ赤な顔で言った。
直樹を見あげる妹の顔は……明らかに欲情した「女」の顔だった。
「勉強?」
「一年半の間、我慢したんだよ。すぐに追いかけたかったけど、十八歳になって、高校を卒業するまで我慢したの。ねえ、お兄ちゃん、大好きだよ。なにしてもいいの。ここに置いて」
「お前、好きって……」
戸惑った。
ひいき目に見ても、この妹は絶世の美少女だ。妹はあの事件のときに初めて、実の兄妹でないことを知ったのかもしれないが、直樹は知っていた。
ひとりの女として、意識したことがないというのは嘘になる。だからこそ、冤罪で縁を切られたときに、庇うような言葉を受けられなかったのは寂しかった。
だが、あれから一年半だ……。
まるで、人が変わったように、突然にやってきて、迫ってくるなど……。混乱して頭がついてこない。
「好きよ、お兄ちゃん。兄妹としてじゃない──。他人として……。女として……。いなくなってから気がついたの。でも、気がついたときには遅かったの。でも、もう間違えない。お兄ちゃん、お願い」
「わ、わかったから、ちょっと落ち着けって……。とりあえず、手を離せ」
妹の身体の上からどこうと思うのだが、妹の手がしっかりと直樹の身体を下から抱きしめていてできないのだ。
そして、やっと妹が直樹の身体から手を離す。
直樹が身体をどけると、妹が上体だけ起きあがらせた。
「……それで、お兄ちゃん、調教って、最初はなにしたらいいの? 下着って……脱ぐ?」
すると、妹は腰を玄関前の床につけたまま手をスカートの中に入れた。
「馬鹿、脱ぐなよ──」
驚いて、慌てて声をあげる。
「ご、ごめん。じゃあ、脱がない方がいいのかな? お兄ちゃんが脱がす? と、とにかく、どうぞ……」
妹が上半身だけ起こしたまま、直樹に向かって両手を揃えて差し出す。
「なにが、どうぞだ。違うだろう──」
なにをどう突っ込んでいいかわからない。
とにかく、親に籍を抜かれて、兄妹の縁を外されたはずの妹が突然に家を訪れてきたことも理解できないのに、いきなり、縛るだの、調教だの、なんのことだ──。
「そうか。手は後ろがいいよね。あれっ、でも、先に手錠すると、服は脱がせにくい? どうしたらいい、お兄ちゃん……。そうだ、あっ、そうだ、手錠と縄とか、幾らかは、通販で準備してきたよ、まず出すね」
妹が慌てたように、玄関からトランクを引っ張り上げ、その場で拡げた。
中からスーパーのビニル袋を取り出す。
「お前、通販、好きだな」
「これ、これよ、お兄ちゃん。これ使って。ネットで初心者用って書いてあったやつだから大丈夫よ。カップル用。星も四個半」
がさごそと取り出す。どこで手に入れたのか、新品そうな革の枷だ。赤い縄束も数束ある。
「出さなくていい──。しまえ──。はあ……、勘弁してくれよ……」
呆れて声をあげ、そして、大きく溜息をついてしまった。
「だったら、とっておきの秘密を言うよ、お兄ちゃん」
「もう秘密なんてねえよ。あのSM雑誌も好きにしな。暴露するならすればいい。どうせ、ばらされて困るような人間関係なんてねえしな」
「
すると、妹が顔を赤くしたまま、直樹を見つめてぼそりと呟く。
だが、その単語は……。
「は?」
「あたし、“
妹は、スカートの裾を今度こそ完全にめくり上げた。
目の前に晒されたのは、真っ白いレースのパンツ……じゃない。
左の腰骨のあたり、下着の淵から覗いている小さなホクロ。それに……白い下着の正面にわざとらしく縫い付けられた、銀色の小さなリング。
見覚えがあった。
……まさか。そんな馬鹿な……。
直樹が《Lupin20》で通っている裏垢で、ずっと相手をしてくれていた、あの《WARASHIBE17》。
直樹だけに送ってくれた、下着の前に光る小さなリングの写真。
あれを最初に見たとき、直樹は興奮して泣きそうになった。
あれが……。
「……おい。嘘だろ」
妹は恥ずかしそうに笑った。スカートを握る指先がかすかに震えている。
「……だから言ったでしょ? 秘密、って」
頭が真っ白になる。
おい待て、じゃあ、あのときのDMも、写真も、あの言葉も──全部……?
嘘だろ──。