その日は曇り空で、外干しは諦めて浴室乾燥にした。
いつものように、洗濯機の中から濡れた衣類を取り出していく。
夫のワイシャツ、タオル、私のブラジャー。
そして――あの子のズボン。ポケットが少し膨らんでいた。
あれ?
と思って、手を差し込んだ。何か紙のようなものが指先に触れる。
軽く湿っていて、端が少しふやけている。
引っ張り出してみると、それは――写真だった。
心臓が、止まりそうになった。
洗面所の明かりの下で、その紙を見つめた。
色あせてはいたけれど、すぐにわかった。
自分の身体、自分の下着、自分のポーズ。
間違いなく――あの、写真のうちの一枚だった。
よりによって、それをプリントしていたなんて。
一瞬、時間が止まった。
手が震えて、紙がかさりと鳴った。
吸い込まれるように、その細部を見てしまう。
脚の組み方、スカートの角度、薄く浮かぶ下着の輪郭。
画面越しよりも、ずっと生々しい。
……どうして、こんなものを印刷したの?
まさか、本当に“持って帰っていた”の?
スマホの中じゃなくて、物理的に。肌身離さず、ポケットの中に。
持ち歩いて……見返していた?
そう考えた瞬間、頭が真っ白になり、吐き気がこみ上げてきた。
でもそれと同時に、言いようのない衝撃が胸を貫いた。
「見ていた」だけじゃなかった。
「持っていた」。
「残そうとしていた」。
それは、偶然じゃない。
間違いなく、意志だった。
その意志の存在に気づいてしまった今――
もう“無かったこと”にはできない。
私は洗面所の戸をそっと閉めて、写真をタオルの中に隠した。
乾燥機を回す音が、小さく響く。
その音に、心臓の鼓動を合わせるようにして、深く息を吐いた。
あの子の足音が廊下に響いた気がした。
私はタオルを抱いたまま、洗面台の鏡を見た。
そこには、エプロン姿の“母親”の顔があった。
でも、その目だけが、明らかに揺れていた。
私はどうするべきなんだろう。
問い詰める? 知らないふりをする?
それとも――
写真を見つめていた指先が、熱を持っていた。
一枚の濡れた写真。
それが、確かな“境界線”だった。
私たちは、もう戻れないところに、来てしまっていた。
写真は、そのまま洗濯かごの一番下にそっと沈めた。
何も言わなかった。
その夜も、私は何食わぬ顔で食卓に立ち、普段と同じように家族の夕食を用意した。
あの子は、いつも通りに味噌汁を飲み、ごはんを口に運んだ。
でも、やっぱり目を合わせようとはしなかった。
私も、合わせなかった。
それでよかった。
何も起きなかったことにしてしまえば、きっと時間が流してくれる――
そう思いたかった。
でも、身体の奥のどこかが、どうしようもなくうずいていた。
「また、見たんだ」
あの子が、あの写真を印刷してまで残そうとしたこと。
それが何を意味するのか、言葉にはできなくても、私はわかっていた。
でも、それ以上に――
“見られた私”が、頭のどこかに、いつまでも残っていた。
消せなかった。
むしろ、日に日にくっきりと色づいていくような錯覚すらあった。
そして私は、夜の洗面所で、そっとスマホのカメラを起動した。
誰かに強制されたわけじゃない。
誰にも頼まれていない。
ただ、自分の意志で、私はシャッターを押した。
――キャミソールを少しだけずらし、肩をあらわにする。
――鏡に映った自分の横顔を切り取るように、角度を調整する。
――ブラのレースが浮かぶように、わずかに下を向いてシャッターを押す。
指先が震えていた。
でも、その震えは恐怖ではなかった。
それは、どうしようもない衝動だった。
応えてしまった、あの子の無言の欲望に。
保存した写真は、アルバムではなく、わかりやすい場所に置いた。
スマホのトップ画面にある、普段は誰も開かないようなアプリの中。
パスコードは、かけなかった。
前と同じように。
――もしかしたら、また覗くかもしれない。
――また、確かめようとするかもしれない。
そんなことを考えている自分が、恐ろしかった。
でも、それ以上に――どこかで、期待していた。
私は、何をしているのだろう。
でもその問いは、もはや何の意味も持たなかった。
私は母親であると同時に、誰かに見られたい“女”としての自分を、もう否定できなかった。
ただの気の迷い。
ただの一枚のつもりだったはずの写真。
それが、私たちの“距離”を狂わせ、
私自身を変えてしまった。
今、このスマホの中には――
もうひとつの、私がいる。
そして、それがまた誰かに見つかるのを、私はじっと、静かに待っている。