鏡の中の自分を見る時間が、また少しずつ長くなっていた。
メイクを終えても、髪を整えたあとも、すぐには鏡を離れられなかった。
以前の私は、ここまで自分の姿を“誰かの目”を想定して眺めることなんてなかった。
でも今は違う。
誰に見せたい、という明確な相手がいるわけじゃない。
――ただ、“見られているかもしれない”という想像が、私を形づくるようになっていた。
その“誰か”が、あの子であること。
それは、もう疑いようもなかった。
息子。
私の中で最も無防備で、最も守るべき存在だったはずのあの子に、
私は――自分を、晒してしまった。
それでも。
視線が向けられるたびに、どこかで安堵してしまう自分がいる。
あの子のまなざしに、責められたいのか、それとも許されたいのか。
それさえ、もうわからなくなっていた。
*
ある夕方、私はわざと、カーディガンを羽織らずに台所に立った。
薄手のキャミソールだけで。
肩が出るのが、少しだけ恥ずかしかった。
でも、背後にあの子の視線を感じたとき――私は、腕を組んだまま微動だにしなかった。
見てる。
そう確信した。
何も言わない。
でも、感じている。
それで充分だった。
部屋着も少しずつ変えていった。
それは“露出”という意味ではなく、“想定する相手”の変化だった。
彼に見られているかもしれない――そう思うだけで、
肌に触れる布の感触さえ、意味を帯びてくる。
ときどき、彼が目を逸らすようになった。
でも、その目の動きは、もう知っている。
逸らしたいのではなく、抑えたいのだ。
見てしまっていることを、隠したいのだ。
そして、私はそれを、受け入れていた。
見られることを、否定しなかった。
拒まなかった。
むしろ、そこに私自身の存在を感じていた。
“母”としての私が崩れていく音が、どこかで鳴っている。
でもその崩れの中に、確かに“生きている私”がいた。
夜。
私は鏡の前で、何のためとも知れず、そっと胸元のリボンをほどいていた。
スマホは開かない。
写真も撮らない。
ただ、そこに立っているだけ。
けれど、その姿が“見られているかもしれない”という想像が、
身体の奥から熱を帯びさせる。
誰にも求められなかった自分が、
いま誰かの目に宿っている。
それが、たとえ許されない視線だったとしても――
私は、その重さに、身を預けていた。
*
そして、ある夜。
ソファに座ってテレビを見ていると、
あの子がふと、隣に腰を下ろした。
この前のように。
言葉はなかった。
でも、距離は、これまででいちばん近かった。
私は何も言わず、ただ静かに肩の力を抜いた。
布の擦れる音と、心臓の音だけが、やけに大きく聞こえていた。
それが、きっと――始まりだった。