あの子の手が、私の手に触れた瞬間、
心臓が強く跳ねた。
まるで、何年も閉じ込められていたものが、いきなり空気を吸い込んだみたいに。
指先は熱く、汗ばんでいた。
それが、私のものなのか、あの子のものなのか、わからなかった。
ただ、確かに“つながって”しまった。
何も言わなくても、伝わってしまった。
沈黙が、重くのしかかる。
でも――そのままではいけない。
ここで、止めなければ。
私は、ゆっくりと自分の手を引いた。
そっと。拒絶ではなく、否定でもなく、
ほんの少しだけ“時間を戻す”ような仕草で。
「……ごめんね」
自分でも驚くほど、かすれた声だった。
何を謝っているのか、言葉にはできなかった。
でもそれは、すべてのことへの謝罪だった。
写真を撮ったこと。
それを見せたこと。
気づかれたことを知りながら、続けてしまったこと。
――そして、止めなかった心に対して。
あの子は、何も言わなかった。
ただ、その場に立ち尽くしたまま、私を見ていた。
私も、目を逸らさなかった。
ただ、そっと、首を横に振った。
「これは……間違いよ」
口に出してしまった言葉が、胸の奥に痛く響いた。
言い聞かせているのは、あの子ではなく――私自身だった。
しばらくして、あの子は一歩だけ後ろに下がった。
そして、ゆっくりとリビングを出ていった。
私は、ひとりその場に残された。
手のひらに、さっきの体温がまだ残っていた。
拭っても、消えなかった。
消えないとわかっていたから、拭こうとすらしなかった。
静かな部屋に、テレビの音だけが流れていた。
内容なんて、何も頭に入らなかった。
私の耳に残っていたのは、
あの子の言葉――「なんで、こんなことするの?」だけだった。
私は、理性を選んだ。
選んだはずだった。
でも、心は――
いまだに、あの瞬間に立ち尽くしていた。
夜になっても、眠れなかった。
いつもなら、少し読書をして、布団に入れば自然とまぶたが重くなるはずなのに、
この夜はどうしても、身体の奥に熱が残っていた。
あの子の手の感触が、まだ肌のどこかにまとわりついていた。
私の手を、そっと掴んだあの温度。
それを、私は確かに“拒まなかった”。
……いや、むしろ――
求めてしまっていた。
ベッドの上で膝を抱えたまま、私は自分の胸元にそっと手を置いた。
ブラの上から、鼓動を感じる。
ゆっくり、でも確かに速くなっている。
それが、今夜の“答え”だった。
「もう終わりにしなきゃ」
そう思ったはずだった。
言葉にもした。行動にも移した。
でも。
心は、嘘をつけなかった。
私は立ち上がって、静かに洗面所へ向かった。
誰にも気づかれないように、足音を殺して歩く。
自分でも、その行動が何を意味しているかはわかっていた。
ただ、止められなかった。
洗面台の鏡に映る自分は、どこか疲れていて、でもどこか――熱を帯びていた。
スマホを取り出す。
手が、一瞬だけ躊躇した。
でも、そのままカメラを起動した。
シャッターには、指をかけなかった。
ただ、画面越しに自分を見つめた。
ブラのストラップがずれていた。
それを直そうとした指が止まり、
そのまま、ゆっくりと肩から滑り落とした。
カメラはその様子を、無言で映していた。
撮るつもりじゃなかった。
……でも、次の瞬間、私は指を動かしていた。
カシャ。
乾いた音が静寂の中に響く。
誰もいないはずなのに、誰かに聞かれた気がして、胸が強く脈打つ。
その一枚を見つめながら、
私は深く息を吸った。
「……また、やってしまったね」
鏡に向かってつぶやいた声は、自分でも呆れるほど冷静だった。
でも、その奥で何かが安堵していた。
“見られるかもしれない”。
その可能性に、私はまた身を預けてしまっていた。
写真は保存した。
でも、今回は誰にも“見せる場所”には置かなかった。
それが、唯一の理性だった。
ただ、そこにあるだけ。
誰にも見せない、でも消しもせずに、
スマホの中にそっとしまっておく。
“もしも、また見られたら”。
そんな、ありえない可能性にすがるような甘さ。
私はスマホの画面を伏せて、ベッドに戻った。
部屋の明かりを消すと、すぐに目が慣れて、天井の形がくっきりと浮かんだ。
――私たちは、どこまで行ってしまうんだろう。
そう思いながら、目を閉じた。
眠れぬ夜が、また始まっていた。