※この作品はR-18です。

裏 母の写真   作:松田義和

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それは、何の前触れもなくやってきた

翌朝、いつものように洗濯機を回し、湯を沸かし、味噌汁を火にかける。

何も変わらない、いつもの朝のはずだった。

 

でも、自分の内側だけが少し違っていた。

昨夜、撮ってしまったあの写真。

「見せるつもりはなかった」と自分に言い聞かせながらも、

どこかで――“見つかる可能性”を残したままにしていた。

 

それは、ロックをかけずにスマホを使い続けたこと。

あえて“非表示”フォルダに入れず、アルバムの端にそのまま残したこと。

 

指先ひとつで触れられる距離に、その写真はあった。

 

そして、私が味噌汁の味を確かめていたとき。

背後から、ほんのわずかに感じた気配。

 

ソファに座ったあの子が、なぜか静かにしている。

テレビもつけず、音も立てず、息遣いさえ遠慮がちだ。

それがかえって、すべてを物語っていた。

 

私は、おたまを持ったまま、静かに振り返った。

 

ソファの背に、私のスマホがあった。

画面は点灯していた。

あの子の指が、ほんの一瞬、画面から離れる。

 

私と目が合った。

何か言いかけたような表情。

でも、何も言葉は出てこなかった。

 

その沈黙が、すべてだった。

 

あの子は、見た。

間違いなく――また、見てしまったのだ。

 

昨夜、誰にも見せるつもりはないと思っていた“あの写真”。

でも本当は。

心のどこかで、「また見つけて」と願っていた。

 

だから私は、驚かなかった。

ただ、心が静かに揺れていた。

 

あの子は、そっとスマホをテーブルに戻した。

何事もなかったように立ち上がり、

「……飯、できた?」とだけ言った。

 

「うん」

私はそう答えるのが精一杯だった。

手のひらがじんわりと汗ばんでいることに、自分で驚いた。

 

テーブルをはさみ、私たちは向かい合って朝食をとった。

でも、視線は合わない。

それでも、確かに“何か”がそこにあった。

 

言葉にはならない。

でも、もう隠されてもいない。

私たちのあいだにあるのは、

見つけてしまった写真と、

見せてしまった私。

 

箸の動きだけが静かに響くなかで、私は思った。

 

――これは、偶然だったのか。

それとも、意図的だったのか。

 

自分でも、もうわからなかった。

 

でも、もし“また撮ったら”――

きっと、彼はまた見る。

それだけは確信できた。

 

そして私は、今夜もスマホを手に取るかもしれない。

その可能性が、自分の中でだんだんと濃くなっていくのを、

ただ黙って、受け入れていた。

 

それは、何の前触れもなくやってきた。

 

その日も、私はいつものように夕飯を作っていた。

包丁の音、味噌汁の湯気、炒め物の匂い。

窓から差し込む夕方の光が、キッチンのタイルを鈍く照らしていた。

 

後ろから、足音がした。

軽い、慎重な足取り。

気づいていないふりをして、私は味噌汁の味を見ていた。

 

すると突然――

背中に、手が添えられた。

 

軽く、でも確かに。

腰の少し上、エプロンの結び目のあたり。

柔らかく置かれたその手の感触に、全身がびくっと震えた。

 

「……熱くない?」

 

息子の声だった。

低く、小さく、でも確かに私の耳に届いた。

 

私の手元をのぞくようにしながら、彼はすぐそばに立っていた。

肩と肩が、かすかに触れ合う距離。

台所にこんなに狭いスペースがあっただろうか、と思うほどの近さ。

 

「うん、大丈夫よ」

私はなるべく平静を装って答えたけれど、声は少しかすれていた。

 

息子はそれ以上何も言わなかった。

けれど、すぐに離れることもなかった。

その手は、しばらくのあいだ、そこに残っていた。

 

まるで私の反応を試すように。

それとも、自分の衝動を確かめるように。

 

私は――動けなかった。

言葉を失い、ただ、心臓の音ばかりが身体の奥で膨らんでいく。

 

やがて彼は、そっと手を離した。

何もなかったように冷蔵庫を開け、水を取り出し、

何気ない口調で言った。

 

「今日の、ごはんの匂い……なんか落ち着く」

 

それだけ言って、リビングへ戻っていった。

 

私はその場に立ち尽くしたまま、味噌汁の火を止めるのも忘れていた。

あの手のぬくもりが、まだ背中に残っていた。

 

彼は――距離を詰めてきた。

無言の写真のやりとりを越えて、

もう「言葉」も「触れる」ことも恐れない顔をしていた。

 

私は、何をしてしまったんだろう。

それとも、何を望んでしまっているのだろう。

 

答えは出なかった。

でも、このままではいけないと、思うことさえもう難しかった。

 

私たちは、きっともう、

“許される関係”という岸辺から、

遠くへ流されはじめていたのだ。

 

 

 

 

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