ドアノブは、驚くほど簡単に回った。
ゆっくりと押し開けると、そこには薄暗い廊下。
照明はついていない。けれど、奥の部屋の隙間から漏れる、オレンジ色の照明だけがこの家の中をかすかに照らしていた。
靴を脱ぐ音を消すように、僕は慎重に中へ入った。
玄関に漂っていたのは、嗅ぎ慣れた柔軟剤の匂い――いや、違う、母さんの匂いだった。
部屋の奥から、小さな笑い声が聞こえた。
母さんの声だ。
それに続いて、くぐもった低い男の声。田原の声。
何を話しているのかは聞き取れない。けれどその口調は、馴れ馴れしく、まるで昔からの恋人のようだった。
僕は静かに、ゆっくりと廊下を進んでいった。
右側にあるリビングの扉は半開きになっていて、そこから照明の明かりが漏れている。
覗き込むと、視界の奥に母さんの姿があった。
部屋の中央に敷かれたマットレスの上に、彼女はゆったりと座っていた。
白いシャツに、黒いレギンス。だけどシャツの前は、三つほどボタンが外されていて、胸元が大きく開いていた。
田原はその隣に座り、母さんの髪に触れていた。
くしゅ、と手で撫でる。母さんはそれを拒まなかった。むしろ、微笑んで――受け入れていた。
僕の中で、何かが崩れた。
そのとき、田原が母さんの肩を押すようにして、ゆっくりと横に倒した。
抵抗はなかった。むしろ、自然な流れのように見えた。
彼女は静かに仰向けになり、髪が広がる。
「……ほんとに、いいのね?」
母さんが言った。
その声は震えていた。でも、それは恐怖ではない。ためらいと、甘さが混じったような声だった。
「最初に言っただろう。無理にはしないって。でも……俺は、もう我慢できそうにない」
田原の手が母さんのシャツの裾に触れ、ゆっくりと持ち上げていく。
母さんは目を閉じ、唇を噛んだ。
その光景を見ている自分が、信じられなかった。
なぜここまで来てしまったのか。なぜ止めなかったのか。
目を逸らすことも、声を出すこともできなかった。
部屋の照明が、母さんの肌を柔らかく照らす。
その肌に、田原の唇が落ちた。首筋から鎖骨、胸元へ。
母さんは目を閉じたまま、何も言わなかった。
ただその指先が、シーツをぎゅっと掴んだ。
僕はもう、逃げることもできなかった。
――その夜、僕はすべてを見てしまった。
⸻
物音ひとつ立てないまま、僕はそっとドアを閉めた。
息を殺し、何もなかったように家へ戻った。
でも、もう知ってしまった。
母さんは、隣の男に抱かれている。
そしてそれは、母さん自身が望んだことだった。