趣味と実益の両取りだから 1
自己紹介するようにと言われ、紀早は恐る恐る自分の名前と年齢を告げた。すると白衣を身に着けた少女がふんふん、と頷く。お下げに眼鏡の愛らしい顔立ちをした少女を紀早は困惑の目で見下ろした。
祖父も無事に回復し、退院した後に紀早の元に一通の手紙が届いた。紀早たちを助けてくれたのは大きな財閥の抱える機関だった。ちなみに紀早と祖父の生活の一切を保証してくれているのもその機関だ。その機関からの手紙には紀早をスカウトしたいという旨が書かれていた。
最初、紀早は誘いを断ろうと思っていた。そもそも何故、自分がそんな機関に誘われるのか判らない。確かに就職はしたいと思ってたが、内容の判らない場所で働きたくはない。紀早はそのことを書き記した便せんを返信用の封筒に入れ、差出人に送り返した。
ほどなく紀早たちの住む新しい家に見知らぬ男性が訪ねてきた。手紙では埒があかないと判断したのか、例の機関が直に男性を寄越したのだ。年若い男性は人当たりがとてもよく、紀早に詳しい話を聞かせてくれた。
魔を倒す力が欲しくありませんか。あなたにはその可能性があるのです。
男性の話はわかりやすかった。だがその内容は紀早にとって信じがたく、まるでおとぎ話にも思えた。男性の話を一笑に付すつもりでいた紀早はだが、あの時に見た化け物たちのことを思い出した。
好きだった筈の沙耶は、この時にはもう紀早の中で憎むべき相手となっていた。沙耶は自分たちを騙し、祖父を傷つけた。もし復讐できるなら。
祖父は最後まで紀早を止めた。お前の勘違いだ、沙耶は誰も騙してなどいない、それどころか助けてくれたのだ。そんな祖父の言い分を無視して紀早は男性の話に乗ることにした。
紀早が頷いた後の話は早かった。男性は紀早に支度金を用意し、ここの住所を教えてくれた。祖父の世話は紀早に変わって他の誰かがしてくれることになった。そして紀早は早々に荷造りを済ませ、目的のこの場所を訪れたのだ。
まるで学校みたい。そう感想を漏らした紀早を建物の入り口からここまで案内してくれたのは目の前にいるこの少女だ。
「はいっ。北王子紀早さんですね。確かに登録しました」
元気な声にびくんと身を竦め、紀早は慌てて考えを中断した。舌っ足らずな話し方といい、甘えるような声といい、勿論容姿もだがこの少女はどうしても子供にしか見えない。こんな子供が働いているところなのだろうか、ここは。つい、紀早はそんな風に考えを巡らせてしまった。
「あっ、申し遅れました! 私は住田こずえって言います。喜多見先生の助手を務めてます」
小さな端末から顔を上げ、にっこりと笑うとこずえは一方的に紀早の手を握りしめた。はあ、と曖昧に頷きながら紀早はちらりと手を見下ろした。紀早の手を握るこずえの手は小さく頼りない。なのに助手、ということはやっぱりここで働いているのだろうか。
校舎を思わせる白い壁に白い天井、部屋の入り口は引き戸で硝子の小さな窓がはめ込まれている。足音が妙に響く硬い床には飾り気のない大きな机が並んでいて、中央にはベッドらしきものが一台。白い天井には丸く大きなライトが一定間隔でぶら下がっている。そんな部屋の様子をぐるりと見回してから紀早はこずえに目を戻した。
どうやらこずえは紀早が部屋を眺め終わるのを待っていたらしい。目が合うとにっこりと笑って頷いてみせる。物珍しさに任せてぼんやりと部屋を見回していた紀早は慌てて姿勢を正した。
「えっとですね、喜多見先生というのはですね」
紀早は今度は説明を始めたこずえの方に意識を集中させた。喜多見梓、というのがその先生の名前らしい。梓はまだ十七歳だという。その話を聞いて紀早は目を丸くした。こずえが先生と呼んでいるのはもしかしたらあだ名か何かなのだろうか。そんな紀早の考えを見抜いたかのように、こずえは首を横に振った。
「違います。喜多見先生は年はお若いですけど、本当に先生で……」
困った顔をしてこずえがそう言ってから首を傾げる。紀早は皺を寄せた眉間を指で強く押さえ、懸命に考えようとした。だがどうしても自分より若い誰かが教壇に立つ姿を思い描くことが出来ない。
「ごめんなさい。冗談かなにか?」
どうしても想像がつかず、紀早は思ったままに訊ねた。するとこずえが顔を歪めてまた首を横に振る。
「違うんです。喜多見先生は海外につい先日まで留学していらして、博士号も修得されていますし」
呻くような声で言ってからこずえがため息を吐く。少しの間、疲れたような顔をしてからこずえは背筋を伸ばして真っ直ぐに紀早を見つめた。
「一度でも会えばお判りになると思うんですが、生憎、今日は喜多見先生は都合が悪くてですね」
そう言ってからこずえは自分の胸に手をあてがって笑ってみせた。
「そのご様子ですと、私のことも幼い子供だと思ってますか」
「あ、ええと」
紀早は返答に困って視線を泳がせた。言われた通り、こずえはどこから見ても幼い子供にしか見えないし、違うと言われても冗談だろうとしか思えない。だが紀早はそんな自分の考えをこずえに正直に打ち明けられなかった。指を器用に動かして小型の端末に触れた後、こずえがにこやかな笑みを紀早に向ける。
そういえば梓という名前は何人か使ってますね……(汗)
作者的に気に入ってるのかも知れません。
こずえは他にも出てきて……ないなあ……。