だん、と激しい音を立てて渚はテーブルに行儀悪く足を乗せた。背の低いテーブルを足で踏みつけにした渚をぼんやりとした目で立城が見上げる。
「どういうことかと聞いているのよ!」
どこを探しても水輝の気配は見当たらない。渚は疲れ果てた頭をかきむしって立て続けに叫んだ。
「何故、手を離したの! 最後の頼みの綱はあなただったのに!」
八つ当たりだということは渚も内心では理解していた。だが感情ではどうしても納得出来ない。
目が覚めたら周囲の事情は一変していた。渚の帰りを泣いて喜んでくれたヒューマノイドたちのことはいい。彼女たちには酷い迷惑をかけたと素直に思えた。だがいつの間にかこの地上には魔と呼ばれる者が随分とはびこっていた。渚の浄化の力にもある程度の耐性があるのか、一筋縄では浄化出来ない連中ばかりだ。
渚は急いで状況を把握しようと試みた。だが既に事態は最悪の方向に進んでいた。まず、水輝に関しては最大の情報源であるはずのところの順が捕まらない。次いで優一郎がいない。その傍にいる筈の多輝も、斎姫もいない。辛うじて残っていた由梨佳はまるで事情を知らない。その上、水輝と一緒に暮らしていたはずの奈月や佑はとんでもないことになっていた。
「今回の件は、僕も蚊帳の外ですよ。ダメージはしっかり食らいましたけど」
疲れた顔でそう言ってから立城が肩を竦める。確かに立城は本人の言う通りにダメージは受けているのだ。何しろ、事態が切迫した折に自分の意志とは関係なく引き出された渚の力が、あっという間に立城のこの屋敷を覆ってしまったからだ。
その時、随分と立城は痛い目に合ったらしい。だが一番に痛い目を見たのは部屋の隅で腕組みをして立っている葵という名の魔だろう。渚は目を吊り上げて葵を指差した。
「あなたがあんなものにうつつを抜かしているからでしょう!? 自業自得だわ!」
「わたくしにもご説明願えますか。何故、立城様は助けてくださらなかったのですか」
叫ぶ渚とは対照的に酷く冷めた声で桜がいう。渚と桜は並んで机の脇に立ち、代わる代わるに立城を責めている最中だった。
「誰を、どうやって?」
いつもなら人好きのする微笑みを絶やさないのに、今の立城は疲れた顔をしているだけで覇気がない。そんな立城を冷ややかに見下ろして桜がいう。
「姫様をです。立城様は本当は青龍王の居所をご存じだったのでは?」
地上の王でしょう。そう言葉を足して桜が口許に微笑みを浮かべる。もし、立城が本当は水輝の居場所を知っていたなら、事が起こる前に止められたのに。それが今の桜が展開している苦情だった。
「水輝を見つけることが出来たとしてどうするの? 僕に水輝を連れ戻して、水輝の感情を操れと?」
「何ですって!? 水輝の居場所を知っていたの!? あなた!」
渚は喉が裂けんばかりの声を張り上げて立城の胸ぐらをつかんだ。立城が疲れたため息を吐いてそんな渚の手を多少乱暴に解く。
「その程度のこと、立城様でしたら造作もないのでは?」
冷たく桜が告げた直後、部屋の隅にじっと立っていた葵が口を開く。
「お前らいいかげんにしろよ。立城がわざわざ結界解いてここに入れてやったのに」
「あなたは黙ってて!」
渚と桜が同時にぴしゃりと言い放つと葵が嫌そうな顔をしてまた黙り込む。
「飽きっぽい水輝にしては、よく持ったほうだと思うけどね。あれらは、結局のところ僕が水輝のために作った人形だったんだし」
「何ですって!?」
「どういう意味ですか!」
また渚と桜の声が重なる。立城がそこで深々とため息を吐いてふと部屋の隅に目をやった。渚はついついつられてそちらを見て、思わずうっと言葉を飲み込んだ。桜も同じことを思ったようで、やはり渚と同じく口を閉ざす。
立城の視線の先には小さなベビーベッドが置かれていた。中に眠る赤ん坊が落ちないようにはめ込まれている柵の上を小さな手がひらひらと動く。ベッドの端には電気で動くメリーゴーランドがぶら下がっていて、どうやら赤ん坊がその動きを追いかけて手を伸ばしているらしい。
「それで、あの娘はどうする? 遺言状に従うならば、僕には育てて欲しくないそうだけど」
ため息混じりに告げた立城の言葉を聞いて渚はまたうっ、と短いうめき声を漏らした。隣でやっぱり同じように桜が呻く。二人は顔を見合わせて何となく頷いた。渚はいそいそとテーブルから足を下ろして軽く咳払いをした。
「わ、私は無理よ? だって子育てなんてしたことないもの」
「わたくしもちょっと……」
互いに言葉を濁してから渚はまた桜と顔を見合わせて頷いた。
「だから結局、他人事だよね? 水輝とあれらの問題であって、僕たちが首をつっこむことじゃない。水輝は飽きたからあれらを捨てた。あれらは水輝無しでは存在していけないから滅びた。それだけの話」
感情のこもらない声で語る立城に渚は何も言い返すことが出来なかった。桜も同じように口許を引きつらせてはいるが言い返せないようだ。確かに居なくなった二人のことは気の毒に思うし、悲しくもある。出来れば戻ってきて欲しいと思うし、だがもう無理なのではないかと渚は本当は心の底で感じているのだ。
「ひ、卑怯よ。赤ちゃんを使って話を切り替えるなんて」
「いいからもう、お前ら帰れ!」
何とか言い返そうと試みた渚の言葉にさすがに怒りが頂点に達したのか、葵が鋭い声を放つ。怒鳴り声に怯んで渚は思わず首を竦めた。
「さっきから聞いてりゃ、文句だけ好き放題言いやがって。あ? 誰が卑怯だ? ぎゃんぎゃん泣き喚くお前らの代わりに、誰が事の始末をつけたと思ってやがる!?」
肩を怒らせて葵が大股で部屋を横切り、凄みのある声で二人を叱責する。
「泣くしか能がないお前らの代わりに、立城が二人分の葬式を出してやったんだろうが! そんなことは関係ないって暴れまくる魔を押さえてやったんだろうが!」
「それは……だって、彼は佑さんの代わりに吉良瀬の当主に戻ったから」
渚は怒鳴る葵に必死で言い返した。だがそんな渚の腕を葵が無造作につかむ。反対の手で桜の腕をつかみ、葵は今度は部屋の入り口に向かって歩き出した。
「帰れ! 二度とくんな!」
怒りの形相でそう言い放った葵が渚と桜を部屋の外に放り出す。慌てて振り返った渚の鼻先で部屋のドアがけたたましい音を立てて閉じる。しばしその場に佇んでから渚はこみ上げてきた怒りに任せてドアをぶん殴った。
「力が有り余ってるなら、あの娘を里親のところまで届けてもらえないかな?」
ドアの向こうから声が聞こえてくる。渚は眉を寄せて桜と顔を見合わせた。静かに開いたドアの内側には立城が小さな赤ん坊を抱えて立っていた。はい、と差し出された赤ん坊を反射的に受け取ってしまってから渚はうろたえた。
抱き方が判らないのだ。頼りない手つきで赤ん坊を抱きかかえる渚から桜がじりじりと怯えたように離れていく。
「ちょっ、ちょっと、桜!? 逃げないでよ! 私だって抱き方なんて」
渚が焦った声を上げた拍子に赤ん坊が急に泣き始める。渚の腕に危なっかしく抱えられた赤ん坊の髪は銀色をしている。全身を強ばらせて泣き叫ぶ赤ん坊を扱いかねて、渚は立城に助けを求める視線を投げかけた。
「由梨佳さん。わかるよね? 彼女に話をつけてあるから」
「ちょっと待ちなさい! あっ! 閉めないで! 待って!」
だが渚の叫びを余所に立城は静かにドアを閉めてしまう。渚は何とか桜を捕まえて二人がかりで赤ん坊を運ぶことにした。だがどちらが抱いても一向に赤ん坊は泣きやまない。立城の屋敷を出て、車に乗り込んでもやっぱり泣き続けている。
「……渚様。車は運転出来ますか」
十分ほど、車の中で赤ん坊が泣き喚き続けたところでさすがに辟易したようだ。運転手を務めていた和也がそう言って車を停める。
「で、出来るけど」
「では、わたくしが代わりましょう。桜様は助手席に移動して頂けますか?」
そう言って和也がさっさと運転席から離れ、後部席のドアを開く。渚が差し出された和也の腕に赤ん坊を預けた途端、それまで響いていた泣き声がぴたりとやんだ。
「……なんか悔しい」
「そうですね」
渚は桜とそれぞれに呟いて唇を尖らせた。追い出されるままに後部席を降り、運転席に乗り込む。渚の隣には桜が乗り込み、和也は一人、赤ん坊を抱えて後部席を陣取った。
この執事も謎なのよねぇ。そんなことを心の中で呟いて、渚は仕方なく車を運転し始めた。
前振りになっている気がするエピソードです。