奈月はいない。ここに来てはっきりと判った。奈月の気配は今はどこにもない。それは要するに主龍神が滅したことを意味している。そして同時に世界にはあちこちで魔が蔓延り始めている。テレビやラジオなどのニュースにも毎日毎日、正体不明のモノによる被害が広がっているとアナウンサが叫んでいる。学者連中はヒトの世界を脅かすものについて研究を始めたようだ。だが、遅い。一度、堰を切って溢れた彼らは好き放題に世界を荒らすだろう。
「正直、もう、こうやって争っている場合ではないはずです。水輝さんが百人居ても抑えきれないような状況ですから。学さんや渚さんにも本来の組織運営のほうに戻ってもらわないと……」
「ウチのダーリンもあちこち引っ張られてるっぽいしなー……」
苦い顔で互いに言ってから同時にため息を吐く。順をここに送り届けた和也は早速、魔の蔓延る地に向かった筈だ。
「多輝ちゃんは? やっぱり忙しくしてんの?」
頭をかきながら順は何となく訊ねた。紅茶のカップを取り上げた優一郎がぴくりと眉を上げる。
「多輝は、力を失ってしまいました」
それを聞いて順は訝りに眉を寄せた。せりふの内容に反して優一郎はどこかほっとしたような顔をしている。
「それって喜ぶトコ?」
順は首を傾げてへらへらと笑いながら訊ねた。背もたれに腕を乗せて顎を少し反らし、下目に優一郎を見る。
「僕はエゴイストですよね」
そう言って優一郎が嗤う。優一郎は多輝の安全さえ確保出来れば、他のことは構わないと言っているのだ。順はしばし黙って優一郎を見つめてから肩を竦めた。
「別にいんじゃなーい? オレだって好き勝手やってるしね」
軽い口調で言って順はあはは、と笑ってみせた。
「もちろん。僕も出来る範囲で動いてはいます。対魔戦闘用のヒューマノイドも、設計は完了していますし」
ある程度数が揃えば、雑魚相手なら十分に戦力になるはずです。そう続けて優一郎が頷く。そだねえ、と笑って順は頷き返した。
「それにヒトにもちょっと頑張ってもらわなきゃね。何しろ、垂れ流されてるモノってさあ。ヒトの分のが多いんだしさあ」
魔は無差別にヒト等を襲っているように見える。あちこちで暴れまわっている魔はだが、単に食糧を貪り食っているだけなのだ。魔の糧はヒトなどが垂れ流す感情そのものだ。
「この国は、まだまだ全然マシなほうというか、世界規模で考えれば、被害は軽微だと言っていい部類に入りますからね」
そう言って優一郎が頷く。順は苦笑してため息を吐いた。
「皮肉だねえ……。亡霊が作った縄張りが、今は結界みたいに作用してるんだから」
かつて紫翠は世界の中に自分たちだけの小さな世界を築いた。そこでは紫翠に作られた者たちが蜜の時間を過ごしていた。甘く気だるい夢の事を思い出しながら順は軽く眉を寄せた。
「歴史のある国はまだマシのようですね。ヨーロッパや中東、インド、中国では魔に対する備えを行っていた集団が、活動を開始しているようです」
その力を利用して権力を握ろうとしている者も多いみたいですけど。淡々と語られる優一郎の言葉に順は腕組みをして頷いた。
「この国でもボンクラ政治家どもが泣きついてきたからねぇ。他の国はもっと悲惨じゃないかな」
木村財閥の抱える企業の全ては、魔の襲撃に何故か遭っていない。周辺に甚大な被害が及んでいても、木村系列の企業のビルや敷地だけはきっちりと残っているのだ。吉良瀬財閥の企業にも同じ事が言える。あれほど木村を敬遠し、蔑視していた連中が一様に頼ってきたのだ。その報告は順の耳に入っている。
「一番大変なことになっているのは、あの超大国のようですけどね」
「あーそーこーはーねー。科学的考証うんぬん言ってる割に、全てに関してどんぶり勘定っていう、超絶いいかげんな国だから」
頭をかきながら順は苦い顔で言った。優一郎の言った国にも木村系の企業はある。だがそこの社員達は今回の件で魔が溢れた時にさっさと帰国させた。今はきっと中に誰もいなくなった企業の敷地を取り合いでもしているだろう。国のサイズに比べれば猫の額ほどもない範囲だが、確実に魔を防げる場所だからだ。
「まあ、全滅することはないでしょうし。現に、父……いえ、吉良博士の論文について問い合わせが殺到しているようですし」
発表時は笑って無視したくせに。そう言って優一郎がおかしそうに笑う。順はその時の経緯を思い出して苦笑した。各学会に発表される論文についてはあらかた押さえてある。
「酷かったらしいねえ。いっちばんマジで考えようとしたのが、どこだっけ? あの、南のちっちゃい国の博士たちだったって言うじゃん?」
だが当の総一郎は今はこの世界にはいない。きっと龍宝珠界で失われた龍宝珠の復活に全力を挙げている。今さらぼんくらどもに割く時間はない、という訳だ。
「あの国は吉良瀬の海外拠点としてきっちり抑えてありますから。夏のバカンスの行き先は当面大丈夫ですよ」
軽く冗談を言ってから優一郎がふと真顔になる。順は黙ってジャケットのポケットから煙草を引っ張り出した。吸わせてね、と断ってから唇に煙草を挟む。
「論文に対する問い合わせにはちょうど向こうに行っていた呉羽さんに対処してもらってます。使えそうな人材については、犬を使ってピンポイントで確保するように指示しました」
灰皿を順の方に押して優一郎が言う。順はライターで煙草の先に火を点けて深く息を吸った。目を細めて細長く煙を吐く。
国名出すつもりなかったんだけどなー!!><
日本とかそういうのも極力出していないはずなのです……。
どこの国か判らん、どこ世界かも判らん、実在しないところ、というつもりで書いていたので……。