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たらいに浸した小さなタオルをかたく絞り、折り畳んで水輝の額に乗せる。佑は寂しいものの浮かんだ顔で水輝を見つめていた。
あれから桜は少し休ませていただきます、と自分の部屋にこもってしまった。部屋のドアを振り返ってから佑は水輝に目を戻した。預かっていたメッセージを桜に伝えたことで、少しは気分もすっきりとしてはいる。だがやっぱり気分は重い。
「水輝さん……」
佑は身を屈めて水輝に唇を触れさせた。治療のために少し余裕の出来た力を唇を介して注ぎ込む。だが水輝の唇は冷え切っている。部屋には暖かい空気が満たされているのに、水輝の体温は一向に戻らない。ずっと冷たいままだ。
哀しみに顔を歪めて佑は身を起こした。そっと水輝の髪を撫でてみる。柔らかい水輝の髪をひとしきり指で撫でてから佑は力なくうなだれて椅子に腰掛け直した。
「笑顔!」
そう言って佑は自分の頬を両手に包んだ。無理やり微笑みを浮かべて顔を上げる。
外はもう暗くなり始めている。じきに日は沈んで夜がくる。佑はそっと立ち上がって窓辺に向かった。空は少しずつ赤く染まっている。青い空と赤い空が交わった部分が赤紫に染まっている。そんな空の様子を佑はしばし見上げた。
「青と、赤……」
美しい空の景色を見つめながら佑はぽつりと呟いた。やがて赤紫に染まった後に空全体が暗く沈み、星が見えてくる。一つ二つと星が増えていく様をぼんやりと見上げてきた佑はメイドの声に我に返った。お食事でございます、というメイドの声に慌てて返事する。
「今、行くわ。桜さんにも伝えて」
「畏まりました」
ドア越しにそう応えたメイドが桜の部屋に向かって歩いて行く。その足音を聞いてから佑は窓辺から離れた。
食堂に向かう佑に後ろから声がかかる。呼び止められた佑は桜が追いつくのを待ってから再び廊下を行き始めた。
「桜さん、あの、こんばんは」
これまでの桜と今の桜とでは雰囲気が違う。そのことに多少緊張しつつ挨拶した佑に、桜がこんばんはと穏やかに挨拶を返す。
「わたくしまでご相伴に預かって宜しいのですか?」
少し声を落として桜が告げる。どうやら夕食のことを言っているらしい。そのことに気付いた佑はもちろんと頷いた。広々とした階段を並んで降りて食堂に向かう。周囲は明るい電気の明かりに照らされている。
「これまでも、結構一緒に食べてたじゃない」
そう告げた佑は、これまでは奈月がそこに一緒に居たことを思い出してしまったと桜の様子を伺った。だが桜はそうですね、と穏やかに告げて頷く。特に怒りはその態度からは感じられない。
本当は桜には怒られるものだと思っていた。大事な姫様を消してしまってどうしてくれるのだ、と罵られると佑は思っていたのだ。だが桜はここに来てからただの一度も文句を口にしていない。それどころか逆に佑を気遣ってくれているのだ。それを思い返した佑は少し寂しい面持ちになった。
罵られた方が気は楽だった。だから自分は桜の気遣いも考えず、厳しく叱られることを密かに願っていたのだ。
「わたしってつくづく自己中なのね」
ひとりごちて佑はしょんぼりと肩を落とした。どうかされましたか、と桜が心配顔で言う。何でもないと首を振って佑は食堂のドアの前に待ち構えていたメイドに目で頷いた。
メイドがしずしずと扉を開く。用意された食事は美味しそうな湯気をたてている。佑は静かに食堂の奥に進んだ。桜を先に席に促して自分もテーブルにつく。控えていたメイドが佑の椅子を押す。静かに腰掛けてから佑はテーブルのナプキンを取り上げて膝に乗せた。
「いただきます」
手を合わせてきちんと言ってから佑は運ばれてきた前菜に手を付け始めた。すると向かいに座っていた桜が不思議そうな顔をする。
「佑様はお行儀が良くていらっしゃるのですね」
そういえば姫様もそうでした。少し寂しそうな顔をして桜が言う。野菜のスープをスプーンですくっていた佑は慌てて顔を上げた。
「桜さん、奈月さんのことなんだけど」
小声で言って佑はスプーンからそっと手を離した。ナプキンを置いた膝の上で両手を軽く握る。桜は何でしょう、と穏やかな声音で促した。
「あの時は、ほとんど勢いで、連れ戻してみせる! なんて言っちゃったわけだけど、宣言してみて、不可能じゃ無いって感じたの」
確かめるようにひと言ずつゆっくりと言葉を紡ぎながら佑は頷いた。それまで寂しげだった桜が少し明るい顔になる。
水輝の身体は酷く冷たい。だが死んでしまっている訳ではない。龍神は死すれば死体は残らないものだ。砂となって散るのが普通だ。だが水輝の器自体はまだ残っている。それは同時に奈月が完全に消滅してしまってはいないという証拠なのではないだろうか。佑はそう考えたのだ。
「わたしが、その実例よ。実はわたし、三度消滅したりしてるの」
我ながらしぶとすぎ。そう思った時のことを思い出して佑は微苦笑した。一度目は水輝の言ったことを勘違いして消えた。二度目は水輝に宝珠を殆ど食われた。三度目はこれで自分の役割は終わりだと、紫翠たちの影を散らしたとき。だがその度に佑は何らかの方法でこの世に引き戻された。
「水輝さん、お幸せに……。なんて言っちゃって、ほんともう! 馬鹿みたい!」
恥ずかしさから早口で言ってから、佑は慌てて手を振った。
「奈月さんのことじゃないのよ!」
「存じております」
桜が優しい笑みを浮かべて首を傾げる。穏やかな目で見つめられた佑は余計に恥ずかしくなって少し俯いた。
「奈月さん、絶対どこかにいるのよ。絶対に……」
「そうですね。わたくしもそう信じたいです」
小さな声で言って桜がスプーンを取り上げ、静かにスープを口にし始める。佑もそれにならって食事を再開した。
温かな美味しい食事が運ばれてくる。佑と桜は向かい合ってささやかな会話を交わしながら食事を続けた。ワインをグラスに満たしたメイドが静々と下がる。食後のチーズをつまみながら佑は静かにワイングラスを傾けた。
「奈月さんを連れ戻せば、水輝さんを起こすことができると思うの。あるいは、水輝さんを起こせれば、奈月さんを連れ戻す手段がわかると思うの」
鶏が先か、卵が先か、なのよね……。そう続けて佑はグラスの中にため息を吐いた。そうですね、と呟いた桜がグラスを取り上げる。
佑は話を続けるために場所を移すことにした。部屋にワインとグラス、つまみのチーズを持ち込んで桜を招き入れる。桜は失礼します、と一礼して佑の部屋に入ってきた。
吉良瀬の本邸に作られた佑の部屋は、別邸のそれよりは随分と広い。間取りだけでなく作りそのものも違う。昼には明るい日差しがたっぷり入れられるように、窓は広く取ってある。斜めに切り取られた天井からも日差しが差し込むのだろう。今は星が見える窓辺にあるゆったりとした椅子に佑は腰掛けた。
別邸の佑の部屋は落ち着いた優しい作りではあるが、どことなく暗いイメージがあった。部屋の向きも太陽の動く方向とはずれていて、窓は大きくてもそれほど日差しを感じることは出来なかった。暖炉やソファ、鏡台などはしっかりとした作りで繊細な飾りもつけられていて一目で値の張る代物と判った。ここの部屋に置かれている家具等も同じように値が張りそうな印象はあるが、どちらかと言えばシンプルな作りをしている。
水輝はぐったり死んだ感じで寝てるだけです。