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出て行った時と同じまま、壊れた部屋の中を透はぐるりと見回した。その横に立つ要が呆れたような顔で周囲を見回す。透と要は木村の本邸の地下にある研究室に立っていた。床は相変わらず壊れたまま、ところ構わず細い木が生えている。
「ここはもう使えねーな」
そう告げて透は要を連れて研究室を出た。隣の古びた部屋を抜けて一階に戻り、階段をさらに上がって二階に移動する。大きな部屋のドアを開けて透は声を張った。
「ちなり! 巴!」
暗い部屋でベッドに横たわっていた二人が慌てたように飛び起きる。それを見止めてから透は頭をかいた。窓から覗く空はまだ暗い。どうやら今は夜中らしい。
「透先輩! おかえりなさい!」
「おかえり、透クン!」
それぞれが笑顔で言って透に駆けより、抱きついてくる。少し後ろに立っていた要がぴくりと眉を上げてうろんな目で透を見る。
「可愛らしい恋人ですこと」
ほほほ、と笑いつつも要の目は少しも笑っていない。
「ああ。可愛いだろ」
傲然と胸を張ってから、透は抱きついている二人の頭をそれぞれ撫でた。
「巴、ちなり。俺は彼女、如月要と結婚することにした。今後、お前達は愛人として扱うが構わないな?」
二人が頭を上げて顔を見合わせる。先に口を開いたのは巴だった。
「透先輩の愛人?」
「愛人って恋人みたいなカンジ?」
巴に続いてちなりが言う。それから二人ははしゃいだ声を上げて手を取り合い、その場で飛び跳ねた。
「何かかっこいー! 愛人愛人」
「透先輩、結婚するんですね! 素敵ですっ」
はしゃいでいる二人を見て要があんぐりと口を開ける。何か言いたそうに何度か口を開閉してから要は困ったような顔になった。
「愛人の一人や二人、きっちり面倒見るのが甲斐性ってものだろ? おまえは甲斐性の無い男のほうがいいのか?」
「それは願い下げですけれども」
透の問いかけにすかさず答えてから要が頬に手をあてがってまじまじと二人を見る。どうやら要には二人がはしゃいでいる理由が判らないらしい。
「こんなことを言うと怒る奴も居るだろうが、世の中には座るべき位置というものが用意されている。要、おまえとこの二人ではそれが違うんだ」
「よく判らない理屈ですわ」
はしゃぐ二人を眺めながら要が困惑した面持ちで言う。二人は早速、と部屋の明かりを点けて着替えを始めた。ネグリジェを脱いで手早く着替えを終えた二人が、お茶をいれてきまーす、と言い残して部屋を駆け出して行く。それを見送ってから要はため息を吐いた。
「何故、彼女達はあんなに嬉しそうですの?」
理解出来ませんわ、と呟いて要が透を見上げる。
「それが甲斐性ってものだろう? 女を泣かせるような男がいいのか?」
「それは問題外ですわ。やはり! 殿方は女性をめろめろにさせて幾らですもの!」
こぶしを握りしめて要が力説する。それからふと、要が我に返ったように首を傾げる。
「まさか彼女たちに結婚を宣言するために戻られましたの?」
不思議そうな顔をして要が問う。
「俺にとって一番大切なのはおまえだが、あいつらはおまえの次に大切だからな。報告するなら真っ先にすべきだろう」
違うか? そう言いながら透は要を部屋の奥に促した。そうですわね、と納得顔で頷いた要が促されるままに歩を進める。そうしている間に巴とちなりが部屋に戻ってきた。
「早く座ってくださーい」
嬉しそうにちなりが言う。透は急かされるままにソファに腰を下ろし、隣に要を座らせた。ちなりがいそいそと紅茶を入れる傍で、巴が茶菓子をテーブルに乗せる。二人は茶の準備を終えてから顔を見合わせ、えへへと笑ってみせた。
「巴、ちなり。要のことをこれからは姉のように慕うように」
二人に向かって言ってから、透は次に要を見た。二人はそれぞれが手を上げてはーい、と元気よく返事する。
「要、俺の妻としてこいつらを妹のように可愛がってやってくれ」
「え、ええ……。な、何だか照れますわね」
頬を染めて頷いてから要は出された紅茶を取った。そっと唇をカップにつけた要が驚きの顔をしてまじまじと紅茶を見つめる。
「とても美味しいですわ」
「えへへー。とっておきなのぉ」
嬉しそうに笑ってちなりが言う。するとその横で巴が少し拗ねた顔をした。要がそれを見止めたのか、慌てたように茶菓子をつまむ。口に入れたところで要は微笑を浮かべて巴にこちらも美味しいですわ、と言う。すると巴がぱっと明るい顔をしてちなりの背中を叩いてみせる。
「それで、今後のことだが、結婚にあたって、如月の家に俺が入ることになった。要、おまえの屋敷に移って、そこを、俺の、城、としようと思う」
「え。透クン、お引越しするの?」
透と要の向かいに腰を下ろしてちなりが不思議そうな顔をする。その横に座った巴も目を見開いて透を見つめる。要は菓子の乗った皿をテーブルに戻して頷いてみせた。
「判りましたわ。お母様は今は別荘の方に移られていらっしゃるので、あの家にはわたくし一人ですし……」
広さは申し分ないかと思いますわ。そう付け足して要はもう一度、頷いた。
「ああ。ここは結局、オヤジの城だからな。俺は俺の城が欲しいんだ」
「そういえば……順様、いらっしゃらないんですよ」
ふと、巴が思い出したという顔で言う。聞けば、ここ最近はずっと順は本邸に戻っていないらしい。留守中に客人が来た事もあり、紫の居る別邸にも問い合わせたらしいのだが、そこにも順はいないようだ。
「オヤジ、今は女になってるらしいからな。どうせ、どこかで男捕まえて遊んでるんだろう」
総一郎の見せてくれたビデオのことを思い出して透は頷いた。巴がそっかー、と呟いて納得顔で頷く。するとちなりがその横でむくれた顔をした。
「あのヒト、怖いからヤダ。順さん居ないかってしつこいのぉ」
唇を尖らせて拗ねた顔でちなりが言う。透は訝りを覚えて眉を寄せた。
「誰だ? もしかして……吉良瀬邸の執事のことか?」
もう、お客さんに失礼だよ、と巴が小声でちなりをたしなめてから透に向き直る。
「多分、そうだと思います。大きな黒い車で来られて、スーツを着てて、凄く丁寧な人です」
どうやら間違いはなさそうだ。透は和也のことを思い出して顎に手をあてがった。考えを巡らせながら紅茶を啜る。
「わかった。きっとオヤジはそいつから逃げるために家に帰れねーんだろう」
「えっ。そんな怖いヒトなの? やっぱり」
ちなりが顔をしかめて小声で言う。ちなりには順を怖がらせるのならよほどだという感覚があるらしい。その横で巴も恐怖を感じているのか身震いしている。
「いや、そーゆーわけでも無いと思うが……。そういうことならさっさとここは出ようぜ。荷物まとめてピックアップに積もう」
茶と菓子を平らげて透は腰を上げた。他の三人が慌ただしくお茶と菓子を片付けて席を立つ。二人が荷造りを始めたのを横目に透は要を促して部屋を出た。透の私室は二人の部屋の隣だ。だが持ち出すような荷物は殆どない。拠点を学校の地下に移す際にあらかた運び出してしまったのだ。
荷物をまとめて車に積み込んでから、透は執事に挨拶をした。夜更けだというのに老執事は丁寧に挨拶をしてくれた。それからお土産です、と幾つかの菓子折りを持たせてくれる。最後に執事は真っ白な封筒を透に差し出した。
「世話になったな。もし、オヤジが戻らないようなら連絡くれ」
出された封筒の中を覗いた透は目を細めた。中には銀行の通帳が三冊と印鑑が入っている。恭しく礼をした執事が微笑みを浮かべて言う。
「もしも透様がお屋敷を出られることがあれば、渡してくれと頼まれていたものです」
「オヤジのやつ……」
目を細めて透は呟いた。通帳の名義は全て透になっていた。薄く細い紙片を引っ張り出してみる。そこには癖のある字で『積み立て貯金だよーん』と書いてあった。ここに透が来てから間もないのに、順はわざわざ通帳を作ってそこに小遣い代わりに金を振り込んでいたらしい。
「オヤジが戻ったら、連絡するように伝えてくれ。正直、これからは木村だ吉良瀬だって争ってられるようなちんたらした世の中じゃ無くなるだろうしな」
「畏まりました。それでは、これを」
執事がポケットから出した鍵を透に差し出す。不思議に思いながらそれを受け取った透に執事は深々と礼をした。
「それでは、透様。お元気で」
にこやかな笑みで送られて透は屋敷を後にした。貰った封筒に番号の振られた銀色の鍵を滑らせる。三人が待つ車に向かいながら透は封筒をポケットにねじこんだ。
透はさっぱりきっぱりなので、順と割と仲良くやっていけるのだと思います。