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童話に出てくるお菓子の家、というのはこういうのをいうのかも知れない。やけに愛らしい家の中を見回して優一郎は目の前に横たわる学に目を戻した。かいがいしく学の世話をしているのは文だ。
二人はあれから自宅に戻ったらしい。文はすぐに学が修復して動けるようになったのだが、今度は学が倒れてしまったのだという。だが前のように眠り続けている訳ではないためか、文はある程度は自由に動き回れるのだという。
短い間に学はやせ細っていた。頬は痩せこけ、顔色は青ざめている。
「それで、立城さんから伝言を預かっています」
話を戻して優一郎は学を見つめた。学が何かしら、と掠れた声で言って微笑みを浮かべる。
魔は僕のほうで対処しておきますから、人の世のほうの組織の采配を取ることも忘れないでくださいね。はぁと。
立城から聞いた通りのことを告げると学は困ったような顔をした。はぁと、と呟いてから軽く咳き込む。傍にいた文が少しだけ学の身を起こして口元に湯のみをあてがう。白湯を少し飲んでから学が静かにまたベッドに横になる。
「学さまがこれまで身を削って努力されてきたのに! 月龍様は身勝手すぎます!」
目に涙を滲ませて文が声を張る。泣かないで、と呟くように言ってから学が文の目許を指で拭う。その指もまるで枯れた枝のようにやせ細っている。
「立城さんは、主龍神の消滅によって発生し、まもなく到達する、魔の大氾濫に対抗するための策を持っているようです。いったん、離れてください」
「困ったわねぇ……」
微かな声で呟いてから学が深く息を吐く。それから学は少しだけ笑って首を傾げてみせた。
「組織は、まだちゃんと動いているのよ。アタシが倒れた程度でどうにかなるような、そんなやわな構造は、してないし」
消え入りそうな声で言ってから学が深く息を吸う。どうやら少し喋るにもかなりの体力を消耗するらしい。それだけ学が抑えているものは大きいのだ。
「通常の事態なら、そうでしょう。しかし、今は非常時です。本当に、大丈夫なのですか?」
優一郎はそう問いかけながらさりげなく部屋の様子を見た。学の家にはどこにも結界が張られていない。今の学では結界を維持することが出来ないのだろう。もしも魔に襲いかかられたらひとたまりもないはずだ。
「それと、はっきり言いましょう。立城さんの策において、あなたの存在は邪魔なんだと思います。彼を信用してください」
「困ったわぁ……。アタシ、あの人を信用出来ないのよねぇ」
苦笑のようなものを浮かべてから学は咳き込んだ。ごめんなさいね、と間に言葉を挟んで口元を押さえて激しく咳く。しばし咳をしてから学は枕元にあったタオルで口元と手を拭った。
「これ以上、あなたに何ができるのですか? あなたが倒れてしまったら、後にあなたが必要な局面が来た時にどうすればいいのですか?」
「魔は本来は、淫魔って名前で、その王らしいけど、正直なところ、アタシに出来るのは、出来るだけこっちに来ないように、することだけなの」
もしも境界が決壊してしまったら、もう出来ることは何もない。そう続けて学はため息を吐いた。
「違います! 学さま、時と共に役割は変化するものです」
そう言ってから文がきつく優一郎を睨む。
「別にあなたの意見に賛成しているわけはありませんから」
それだけ言ってから文はふいとそっぽを向いた。すると学が少しだけ笑って文の頭を撫でる。ありがと、と聞き取りにくい小声で呟いてから学は深く息を吸った。
「でもダメ。ルールはルール。もしいま、境界が一気に壊れたら、どうするの? あの人の策ってなあに? それは本当に、根本的な問題を、解決出来る策なの?」
学はじっと優一郎を見つめて呟くように問いかけた。声は小さいし覇気はないが、言葉ははっきりと聞き取れる。
「境界は壊れます。それは奈月さんが消滅したときに決まっていたことです」
「今すぐに壊れるのと、多少でも時間が稼げた後に、壊れるのとでは、まるで意味が違うわ」
苦しげに息をしながら学が言う。それから学は深い息を吐いて枕にしっかりと頭を預けた。
「あなたの命と天秤にかけて、得策だとは到底思えませんが」
「命の価値は、誰も同じ。人も、魔も、龍神も、それ以外の誰も、みんな同じ。混乱している人が、まるで魔に慣れていない今の状態で、大量の魔に襲われたら?」
ゆっくりと一言ずつを喋ってから学はぼんやりとした目で天井を見つめた。美しかった面立ちには今は翳りしか感じることは出来ない。
「人の世の混乱を鎮める役目を負う者も必要ですよね。あなたはそのような用途にも活用できる組織の長だと思うのですが」
「彼らは、アタシがいなくても、ちゃんとそう動いているわ。有能ですもの」
小声で言って学が少し笑う。自分が欠けても機能するようになっているのだと学は説明した。たった一人が抜けたことで動かなくなる組織に意味はない。自分がいなくなれば代わりの者が立ち、きちんと回るようになっている。そう言ってから学は文に声をかけて少し身を起こした。白湯を飲ませて貰う学は見ていられないほどに痛々しい姿をしているのだ。なのにどうしてこう譲らないのだろう。
「組織運営の理屈としては筋が通っていますけど、組織として、力が弱まっていくのは避けられないと思うのですが。今は非常時です。瞬発的に最大限の力を発してもらう必要があるから、僕は立城さんの意見に賛同し、あなたを説得に来ているんです」
「……今更」
ぽつりと呟いてから学が静かにベッドに戻る。顔にかかった髪を丁寧に払ってから学は優一郎に笑みかけた。
「紫と水輝君が抜けた後、ウチの中は混乱したわ。アタシが引き継ぐことは決まってたけど、それでもやっぱり色々な問題が起こったわ。でも、みんな頑張ってウチを立て直したの」
その時のことがあったから、と少し笑ってから学は優一郎を見つめた。
「心配は要らないわ。アタシが居なくてもウチは今までと変わりなく動くから」
だから安心して、と続けて学はため息のように息を吐いた。
「文さんは、それでいいのですか?」
学の傍に腰掛けていた文に優一郎は話を振った。それまで黙っていた文がびくりと肩を震わせる。
「わ、私は学さまに従います。私は学さまのものですから」
文はにっこりと微笑んでみせた。だがその笑みに温度はなく、まるでショーウィンドウに飾られた人形のようだ。その笑みを見止めた学が卑怯ね、とぽつりと呟く。
「学さん、正直なところを言いましょう。あなた以上に、今、文の巫女に居なくなってもらっては困るんです」
優一郎は文から学に視線を移して静かに告げた。するとそれまで穏やかな表情をしていた学が険しい顔になる。
「誰が困るの」
低い声で詰問された優一郎はちらりと文を見てから学に目を戻した。
「問題ありません。私の自我が崩壊し、私が私で無くなっても、文の巫女という存在は残ります。意識も無く、ただ自慰をし続けるだけの完全な人形となるでしょうが、巫女として託宣を下すには逆にそのほうが便利でしょう?」
そう告げて文が嗤う。優一郎は開きかけていた口を閉じて文を見た。学と文はじっと優一郎を見つめている。
学は自己犠牲が過ぎる。
そして文はヒューマノイドなのでマスターである学には逆らえません。