「結局僕は、自分の自己満足と、多輝のために動いていることはわかっています。ですけど、わかりません。どうして、あなた方は、自ら消える道を選ぶのですか?」
ため息を吐いて優一郎はそう訊ねた。すると学と文が顔を見合わせる。どうしてかしらね、と呟いてから学が微笑む。それから学は優一郎に目を戻した。
「アタシのこれも、ただの自己満足なんだと思うわ。本当は大好きな文ちゃんとずっと一緒に居たいけど」
そこまで言ってから学が深い呼吸をして天井を仰ぐ。何でかしらね、と自問するように呟いてから学はすうっと瞼を下ろした。ほどなく穏やかな寝息が聞こえてくる。もしかしたら学は起きて話をすることすら辛い状態になっているのではないだろうか。
「というわけですから、お帰りください。もし、私が私で無くなってしまっていたら、勝手に回収して勝手に好きなように使っていただいてかまいませんから」
笑い混じりに言って文が立ち上がる。優一郎は文と学を見比べて眉を寄せた。学は本当は文と一緒に居たいと言っていた。だが実際には自分の身を削って魔の進行を何とか食い止めようとしている。だが一度、起こってしまった揺れはなかったことには出来ないのだ。
何が学をそうさせるのだろう。
「文さん、本当に、それでかまわないのですか?」
改めて文を見つめて優一郎は問いかけた。学は文と一緒に居たいと言っていたのだ。文も本当は学と共に生きたいのではないだろうか。そんな思いをこめて訊ねた優一郎を文は真っ直ぐに見つめた。
「愚問ですね。私達がどういう存在なのか、一番熟知してらっしゃるのは空の主。あなたでしょう?」
ヒューマノイドはマスターには逆らう事が出来ない。ヒューマノイドにとってマスターが唯一絶対の存在だ。だがヒューマノイドはマスターを第一に考えるため、護るためなら何でもするのではないだろうか。例え自己を犠牲にしても。
そこまで考えた優一郎は目を細めて口元を手で覆った。つい、多輝のことを思い浮かべてしまったのだ。多輝はもしも優一郎の身に何かあったら、真っ先に駆けつけて身を滅ぼしかねない。それは恋人とかいう以前に多輝がヒューマノイドで、優一郎をマスターに登録しているからだ。
「あなたが仰ったような事は、すでに私が学さまに告げて十分に話し合っています。その上で学さまが選ばれた道を否定する権利は私にはありません」
作り物の人形のような笑みを浮かべて文が言う。つまり、学は文ですら止めることの出来ない何かを抱え、今の状況に身を削りながら挑んでいるということだろうか。だがそんな真似をしたところで誰が利を得られるのだろう。
ふと、それまで目を閉じていた学が瞼をゆるゆると開けて手を伸ばす。気配に気付いた文の手を力なく握ってから学は微笑んでみせた。
「文ちゃん……。戻りたい?」
殆ど聞き取れない声で学が問う。文は驚いたように目を見張って学の手を両手に握りしめた。
「戻るって……どこにですか?」
仰天した顔で文が問う。学は少しだけ笑ってから文を見つめた。
「元の場所に。何も知らない頃に。あの人に頼れば、記憶を捨てることは、出来るわ。アタシに付き合うこと、ないのよ?」
消え入りそうな声で言って学が首を傾げてみせる。
「いや! 私、学さまと、ああっ!」
文の股間から火花の散る音が鳴る。その後、文は床にへたり込んでしまった。だがその両手はしっかりと学の手をつかんだままだ。
「……優一郎君。文ちゃんを、戻してあげて、ちょうだい」
学が静かに告げて微笑む。優一郎は床に崩れた文と学とを見比べた。
「いやっ! です、わたし、学さまのおそばに……。居させて、くださいっ!」
懸命な面持ちで文が叫ぶ。すると学は文に握られていた手をするりと抜いた。それまでとは打ってかわった勢いで身を起こし、素早く文の腹に手をあてがう。へその奥の電源スイッチを切られた文は一声も発する間もなく、力なくベッドに寄りかかった。疲れたような息を繰り返してから、学がひとしきり咳き込んで顔を上げる。
「まだ間に合う、でしょう?」
そう言ってから学は優しく文の髪を撫でた。
「脳にかかった負荷を診てみないと、なんとも」
真剣な顔で優一郎は文に近づいた。文は目を開けたまま力なくベッドに寄りかかっている。そう、と呟いてから学は優一郎を真っ直ぐに見つめた。
「アタシ、水輝君が戻るのを待ってるの。やっぱりこの世界には、あのコ、必要だから」
文に触れようとしていた手をぴたりと止めて優一郎は学を見た。
「水輝さんは、まもなく目覚めるでしょう」
「そっちじゃないわ。多輝ちゃんを殺すって言った、水輝君」
静かに言ってから学が微笑む。優一郎は険しい目で学を見た。どうやら学はその話を文に聞かせたくなくて、わざわざ電源を落としたらしい。そのことに遅れて気付いて優一郎は目を細めた。
「学さん。戻す、ことはとても難しいんです」
優一郎は感情のない声で告げて文のスカートをめくりあげた。股間からは電子回路の焼けた独特の匂いが漂っている。
「でも、出来なく、ないわ」
ベッドに手をついて上半身を起こしたまま、学が言葉を継ぐ。優一郎は文の股間をのぞき込んだ。
「制御コンピュータが完全に逝っている可能性が高いですね」
「そう……。バックアップは取ってあるから」
咳き込んでから学は枕の下に手を入れた。一本の鍵を差し出され、優一郎は何気なくそれを受け取った。
「そこに……コピーが、あるから」
そう言ってから学はベッドに横たわった。こうなることを見越していたのか、それとも別の目的があったのかは判らないが、学は文のデータのコピーをとって銀行の貸金庫に預けているのだと言う。
「学さん……その……」
優一郎はおどおどとした表情で話しかけた。なに? と学が疲れた顔で言う。
「コンピュータは機械です、いくらでも交換できますし、データを戻せば元通りです」
そこまで言ってから優一郎はしかし、と言葉を継いだ。
「脳は、機械ではありません」
「あの人なら、記憶操作くらい、簡単でしょ? 水輝君のも散々弄りまくってたんだから」
そう言ってから学はベッドから身を乗り出して文を見た。優一郎は文をしばし見つめてから顔を上げた。
「立城さんも、万能ではありません」
そう言葉にしてから優一郎ははっと気付いた。そう。天輝も言っていた。立城は無茶をしているのだと。その意味を考えるより先に学がくすくすと笑う。
「よし、優一郎君の提案に乗っちゃおう。まだもしかしたらどーにか出来るかも知んない」
急にそう言って学が深く息を吐く。それから学はよいしょ、と声をかけて身を起こした。
「学さん……!」
声をかけて優一郎は学に手を伸ばした。だが学は大丈夫、と笑って静かにベッドを降りた。まだ学の身体はやせ細ったままだが、どこかに向けて放出されっぱなしだった力の流れは止まっている。学は床に屈んで文の腹に手を当てた。スイッチを入れられた文がはっとしたように目を見張る。文が何かを言う前に学はにっこりと笑って告げた。
「やっぱりアタシ、もうちょっと前向きに生きることにしたから。ごめんなさいね、痛い思いをさせて」
申し訳なさそうな顔で学が詫びる。
「私、まだ、お側に、居ても、いいのですね?」
心からほっとしたように文が言う。もちろん、と微笑んで学は文に唇を寄せた。軽く口づけをしてから、学が囁くように言う。
「アタシ、ワガママだし、ガンコだし、融通が利かないと思うけど、これからもよろしくね」
にこやかに告げてから学が身体を起こす。おっと、と呟いて学は床に手をついた。どうやらまだ身体は本調子という訳にはいかないらしい。
「文さん? 身体は? 動ける状態じゃないはずなのに?」
驚きに目を見張って優一郎が訊ねると、文がふふんと胸を張る。
「学さまを甘く見ないでください。今の私にはコンピュータが二系統搭載されているんです」
自慢をする文の頭を優しく撫で、学はその場によろけながら立ち上がった。よいしょ、と声をかけてベッドに座る。文は床にへたり込んだままだが、さっきよりは随分と元気な顔をしている。そんな二人を交互に見つめてから優一郎は思わず苦笑を浮かべた。
学が改心w しました。
優一郎は誰も犠牲にならない最善手を常に考えている感じですかね。