※この作品はR-18です。

まやかしの終わり 二部 光の公女   作:伊駒辰葉

62 / 124
このエピソードで三章は終わりです。
エロシーンはありません。


バイオリンの音がした後

 細い弦の旋律がきこえる。佑は薄く目を開けて音のする方を見た。身じろぎした佑に気付かないのか、ベッドから少し離れたところで椅子に腰掛けた水輝はバイオリンを弾き続けている。

 

 窓から差し込む日の光は赤く染まっている。大きな窓のカーテンは全て開けられていて、部屋の中は赤い日差しに満たされている。その光に照らされた水輝をぼんやりと見つめながら佑はしばしまどろんでいた。

 

 ふと、水輝が手を止める。音がやんだところで佑は水輝に声を掛けようとした。だがそれより早く、水輝が中空を仰いで小声で何事かを言う。すると唐突に部屋の中に黒いものが現れた。

 

「水輝様ぁあああ!!」

 

 泣いているような声で叫びながら黒い翼をつけた少女が水輝に抱きつこうとする。だが水輝はすげなく少女を避け、椅子からするりと立ち上がった。勢いよく水輝に突進した少女が情けない声を上げて床に激突する。

 

「毎度毎度、何で同じ事が出来る」

 

 呆れたように言ってから水輝が仕方なさそうに少女を引き起こす。何となく起きるタイミングを逸した佑は黙って二人の様子をうかがった。

 

 情けない声で文句を言いつつ身を起こした少女の頭を水輝が乱暴に撫でる。すると少女はえへへ、と嬉しそうに笑って水輝の腕にしがみついた。

 

「寂しかったよぉー。ずっと水輝様に放って……放置プレイ?」

「阿呆」

 

 じゃれつく少女を解くでもなく、水輝が呆れたように言う。だがその目がやけに沈んで見える。何故だろう、と考えを巡らせつつも佑は黙って二人の様子を観察した。

 

 少女は確か千佳という名前ではなかっただろうか。優一郎の記憶の中に見た千佳のことを思い出して佑は内心で頷いた。千佳は嬉しそうに水輝の腕にぶら下がっている。無邪気にじゃれつく千佳のことを佑は少しだけ羨ましく感じた。佑があんな風にじゃれついたら水輝はどうするのだろう。

 

「それでぇ? なあに? 水輝様」

 

 まるで子供のようにあどけない笑みを浮かべて千佳が問う。すると水輝は少しの間黙った後、呟くように言った。

 

「セイレーンに気をつけろ。お前を狂わせる旋律があるんだ」

「は?」

 

 訝りの声を上げて千佳が首を傾げる。水輝はため息を吐いて千佳の腕をやんわりと解いてから椅子に腰掛けた。

 

「せいれーん? せんりつ?」

「旋律と言うよりは音の配置だな。音の長さと高さと配分によっては、お前たちは狂ってしまう訳だが」

 

 難しい顔で言いながら水輝が再びバイオリンを鳴らし始める。千佳は水輝の前にぼんやりと佇んでしきりに首を傾げていた。

 

「判らなければいい。用はそれだけだ」

 

 細く悲しげなメロディを奏でながら水輝がぞんざいに言う。千佳は唇を尖らせて拗ねた顔をしていたが、やがて判ったと頷いてその場から姿を消した。

 

 赤い日差しが徐々に暗くなる。しばし一人でバイオリンを奏でていた水輝が唐突に言う。

 

「それで? いつまで寝たふりをしているつもりだ?」

 

 急に話しかけられた佑はどきりとして慌てて身を起こした。どうやら水輝は最初から気付いていたらしい。佑が身を起こしてもバイオリンを弾き続けている。

 

「忠告だけで良かったの?」

 

 ベッドにぺたんと座って佑は訊ねた。ちらりと佑を見てから水輝が低い声で言う。

 

「護れる余裕が今のおれにはない」

 

 珍しく弱気なことを言う水輝を佑は目を丸くして凝視した。だが水輝は冗談を言っているつもりはないらしい。少しも笑っていない水輝を見つめて佑は不安に顔を曇らせた。

 

「水輝さん。一応夫婦だとか、また子供ができちゃったとか、そんなことは関係ないから。緊急の時には水輝さんが最も大切だと思う相手のために、力をふるってね」

 

 言うまでも無くわかってると思うけど……。そう続けながら佑は自然と顔をうつむけた。手を下腹にあてがうとはっきりと判る。この胎には子が宿っている。今は小さな力だが、やがてこの命は育って外界に出るだろう。

 

 不意に水輝が手を止める。バイオリンの音が止むと急に静けさが耳に染みる。佑は恐る恐る顔を上げて水輝を見つめた。だが水輝はバイオリンに弓を乗せたまま、じっと正面を見つめている。てっきり水輝が自分の方を見ていると思っていた佑は戸惑いを覚えて顔を歪めた。

 

「もしかしたらおれは」

 

 掠れた声で呟いてから、水輝は小声で笑った。

 

「何も大切じゃないのかも知れない」

 

 そう言ってから水輝はゆらりと立ち上がった。水輝の手にしていたバイオリンが空に溶けて消えてしまう。ゆっくりと歩み寄ってくる水輝を真っ直ぐに見つめられず、佑は何となく視線を逸らした。

 

「それもそれで、水輝さんの生き方よ。何よりも水輝さんが大切なわたしには理解することは無理だけど」

「じゃあ佑は」

 

 ベッドの傍で足を止めて水輝が言う。佑は不安に駆られつつ目を上げた。ジーンズのジャケットのポケットに手を突っ込んだ水輝はじっと佑を見下ろしている。窓から差し込む暗い茜色に照らされた水輝の青い髪と瞳が紫色に見える。

 

「おれが死ねと言えば死ぬのか?」

 

 抑揚のない声で問われて佑は何度か瞬きをした。言われた意味を理解するまでに何故か時間がかかる。その間、水輝は無言で佑を見つめたままだった。

 

「ええ。水輝さんに過去の存在がとりついていたころは、実際に言われたとおりに殺されてみせたこともあるわよ」

 

 質問の意味を理解し、納得して頷きながら佑は答えた。すると水輝が急に佑に背を向ける。

 

「紫!」

 

 唐突に張られた水輝の声に応じてその場に紫が現れる。佑は何事かと目を見張り、部屋の中に姿を現した紫と水輝とを見比べた。紫はにこやかな笑みを浮かべて佑に手を振ってから水輝に向き直った。

 

「なあに?」

「一人、使い物にならなくなった。代わりを頼む」

 

 淡々と言う水輝を見つめ、紫が困ったような顔をする。

 

「ただで? この間だって随分と痛い思いをさせられたのだけれど?」

 

 腕組みをし、首を傾げて紫が言うと水輝がため息を吐いて返す。

 

「お前は嬲られるおれをおかずに散々性交しただろうが。代価はそれで十分だろ」

 

 行けよ、と吐き捨てて水輝が顎をしゃくる。もう、とぼやいて紫は諦めたような顔をしてその場から姿を消した。短いやり取りに口を挟むことも出来ず、佑は唖然とした顔で紫が消えた場所を見つめた。

 

「紫さん。元気そうね……」

 

 他に何を言っていいか判らず、佑は呟くように言った。そうだな、と同意しながら水輝が肩越しに佑を振り返る。

 

「その腹の奴は放置しておくとお前を内側から食うぞ? どうする?」

 

 感情のこもらない声で問われて佑は慌てて自分の腹を見下ろした。水輝と交わった際に孕んだことは自分でも判っていた。だが今は水輝の言うようなことはない。腹に自分ではない別の者がいるという感覚があるだけだ。

 

「もしそうだとしても、この子はわたしの子よ。わたしは構わない。水輝さんは?」

「おれは」

 

 そこで言葉を切ってから水輝は正面を向いた。再び背を向けた水輝を見つめ、佑は胸を押さえた。何故、水輝は急にこんな風に寂しそうな顔をするようになったのだろう。交わって失神する前はそんなことはなかったのに。そう考えながら佑は水輝の返事を待った。

 

「それを殺すことしか考えてなかった」

 

 ぽつりと呟くように言ってから水輝はため息を吐いた。それから水輝は踵を返して佑を見下ろした。いつの間にか窓から差し込む光は暗くなっている。

 

「水輝さんがそう考えているなら従うわ。どうすればいい?」

 

 緊張に顔を強ばらせながら佑は訊ねた。だが水輝は黙って首を横に振る。それを見た佑の顔から血の気が引いた。もしかしたら自分はうっかりまずいことを言ってしまったのだろうか。そんな不安が胸にこみ上げてくる。

 

「水輝さんはどうしたいの? この子を殺したいなら言うとおりにするわ。どうでもいいならこのままで構わないし」

「好きにしろ」

 

 素っ気なく言ってから水輝はゆらりとベッドから離れた。何を言われたか一瞬理解出来ず、佑の反応は遅れた。我に返った時にはもう、水輝は部屋のドア近くまで遠ざかっていた。

 

「水輝さん。この子は、水輝さんにとって害になる存在なの?」

「出てみないと何とも言えないな」

 

 すかさず答えながら水輝がドアノブに手を掛ける。そこで水輝は振り返って佑にひらひらと手を振った。

 

「じゃあな」

 

 そう言って水輝がドアを開く。廊下の灯りがやけに眩しく見え、佑は目を細めた。




水輝がどうしたいのか全く判らん話になりました……。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。