※この作品はR-18です。

まやかしの終わり 二部 光の公女   作:伊駒辰葉

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ここから四章です。
エロシーンはありません。


四章
もしかして記憶喪失かな?w 1


 肌に馴染みのない温もりを覚えて茜はそっと目を開いた。あれ、と胸中で呟いてから暗がりの中で目を凝らす。どうやら自分は立城の腕に抱かれて眠っていたようだ。なのに何で馴染みがないと感じてしまったのだろう。自分の感覚が理解出来ず、茜は不思議に思いつつもそっと立城の腕の中から抜け出した。裸で抱き合っていたのだから暖かくて当然なのに、何故かそれが珍しいことのように思えてならない。

 

 窓の外は暗い。ベッドの縁に腰掛けてしばらくの間、窓から暗い空を見つめてから茜は立ち上がった。肌寒さを覚えて思わず身震いする。どうやら裸で歩き回るには寒いようだ。茜は立城を起こしてしまわないよう、足音を殺して部屋を横切った。クロゼットの中からガウンを取りだして手早く着込む。

 

 静かに部屋を抜け出すと廊下には灯りが点いていた。もう夕食の支度が整っているのだろう。どこからともなくいい匂いが漂ってくる。今日の夕飯のメニューを思い浮かべつつ、茜は歩き出した。

 

 ここは寝室。ここは書斎。ここは客間。よく知っている筈なのに何故か知らない家のような気がする。どうしてだろう、と首を傾げつつ、茜は広々とした屋敷の中を歩き回った。ここは立城の屋敷で、自分はずっと一緒に暮らしている筈なのに。そう考えてから茜はふと足を止めた。

 

 ホントにそうだっけ? 自分に問い掛けて記憶を手繰ってみる。だが自分の記憶の中には立城と共にいた時間しか存在せず、他のことがよく判らない。難しい顔で考えながら茜は再び歩き出した。

 

 通りすがる使用人が茜に挨拶をして過ぎる。彼らも別におかしい様子はない。当たり前に茜と接しているのだ。

 

「何で引っかかるのかな」

 

 小声で呟いて茜は階下に続く階段を下りた。深い赤味かかったじゅうたんは毛足が長く、足音を全て吸い込んでしまう。茜は周囲を見回しながら一階にたどり着いた。

 

 そういえば久しく触ってない気がする。茜は自然ととある部屋に足を向けた。一階の奥の部屋に入って灯りを点ける。広い部屋の端には応接セットが設えてあり、その中央には一台のグランドピアノが置かれている。茜はピアノに近づいて鍵盤の蓋を開いた。フェルトのカバーを取り去って椅子に腰掛ける。椅子の高さは茜にぴったりと合わせて調整してある。

 

 やっぱりいつもと変わりないよね。そう呟いて茜は鍵盤を軽く叩いてみた。音も狂っていないし、いつもと同じようによく響いている。よし、と頷いて茜は腰を上げ、ピアノの蓋の譜面台のある部分を折りたたんだ。よいしょ、と声をかけて大きな蓋を持ち上げて支え棒を立てる。

 

 改めて椅子に腰掛けた茜はピアノを弾き始めた。まずは指ならしね、と自分に言い訳をしてから簡単な童謡を弾く。続いて唱歌を歌いながら伴奏を入れている内に指が慣れてくる。

 

「ここはやっぱりノクターンでしょう」

 

 すっかり上機嫌になって茜は笑顔で言いながら曲を奏で始めた。静かな夜想曲が屋敷の中に響く。茜はピアノを弾きながら苦笑して声を上げた。

 

「そんなトコで覗いてないで、入ったら?」

 

 背後の気配が揺れる。やがて気配は静かにピアノに近づいてきた。茜は歩んできた青年を見上げて首を傾げてみせた。この青年の名前は葵と言う。

 

「なにしてるんだ?」

「ピアノ弾いてるの」

 

 怪訝そうな顔で問われて茜は答えた。すると葵が腕組みをして首を捻る。それが妙におかしくて茜はくすくすと笑いながら手を止めた。立城が可愛がっている葵はこの姿をしている割に子供のようで、知らないことも多いのだ。

 

「ぴあの?」

「そう。楽器、知らない?」

 

 座ったら、と促しながら茜は今度は優しい唱歌を弾き始めた。素直にピアノの傍に椅子を寄せて座った葵が眉を寄せる。

 

「がっき? 知らない。知らないとまずいのか?」

「んー……まずくはないけど、知ってても別に損はないね」

 

 相変わらず面白いことを言う。そんなことを考えながら茜は何となく歌い出した。すると葵が驚いたような顔をする。その仰天した顔を見止めて茜は歌うのを止めた。

 

「どうしたの?」

「なんだ、いまの」

 

 何がそんなに珍しいのか、葵は目を輝かせて立ち上がってピアノに寄りかかった。間近に見つめられた茜は困惑しつつも正直に答えた。

 

「歌だよ。簡単に言うと旋律に歌詞を乗せたモノ、かなー」

 

 そう説明してから茜はまた歌い出した。何が嬉しいのだろう。葵はにこにこと嬉しそうに笑ってピアノにべったりと寄りかかっている。しばらく歌い続けてから茜は葵を見つめて手を止めた。すると途端に葵が残念そうな顔になる。

 

「歌、しないのか?」

「せっかくだから教えようか?」

 

 そんなに気に入ったのなら覚えても損はないだろう。そう簡単に考えて茜は訊ねた。すると慌てたように葵が首を横に振る。

 

「おれ、出来ない。無理だ。壊れる」

「は?」

 

 今度は茜が訝りを覚えて訊ね返した。だが葵は無理だというばかりで理由を説明しようとしない。ひとしきり無理だと繰り返してから葵は椅子に戻った。どうやら教えることは出来そうにない。

 

 ふと背後に気配を感じて茜は振り返った。いつの間に近づいていたのか、しっかりと服を着た立城が部屋に入ってきている。

 

「葵、歌ってみればいいのに」

 

 笑顔で立城が言うと葵が強く首を横に振る。立城が言っても駄目だということは、相当に無理なのだろう。葵は拗ねた顔をして立ち上がっていつものように立城にべったりと抱きついた。口づけをねだる葵に苦笑してから立城が軽いキスをする。それを見て苦笑しつつ、茜は再び鍵盤に指を乗せた。

 

「リクエストあれば弾くよん。何かある?」

 

 訊ねながら茜は間を繋ぐために童謡を弾いた。童謡や唱歌を弾くと何故か懐かしいものがこみ上げてくる。きっとこの手の曲には人の郷愁を誘う力があるのだろう。

 

「早春賦なんてどうでしょう?」

「早春賦? 季節はずれだけど……」

 

 不思議に思いながらも茜は聞き覚えのある曲を奏で始めた。だが何故だろう。弾いているうちに胸が妙に苦しくなる。しばらく弾いてから茜は唐突に手を止めた。

 

「ごめん。何だか苦しいから、他のにしない?」

 

 理由が判らないままに茜は立城に訊いた。椅子に舞い戻っていた葵が残念そうな顔をして唇を尖らせる。立城はピアノに寄りかかって微笑みを浮かべて茜を見つめた。




順が記憶喪失ぽいです。
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