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閉じたドアの向こうから微かに動揺した気配が伝わってくる。静かにドアから離れた水輝は傍の壁に寄りかかっていたラスティに視線をやった。声をかけるでもなくラスティが水輝について歩く。
佑のいる部屋から十分に離れたところで水輝は足を止めた。後ろを歩いていたラスティも同じように立ち止まる。
「一応、言われた通りに結界は張り直したが」
ぼそぼそと聞き取りにくい小声で言ってから、ラスティが確かめるように周囲を見回す。水輝はそうかと頷いた。それきりまた黙った水輝をどう感じたのか、ラスティが何かを言おうと口を開きかける。だが結局、ラスティは難しい顔をして水輝と同じように黙り込んでしまった。
互いに黙ったまま、しばらく二人は向き合っていた。やがて観念したようにラスティが先に口を開く。
「じゃあ、俺はそろそろ向こうに戻るぞ。もし何かあったら」
そこまで言ってラスティが伺うように水輝を見つめる。水輝はジャケットのポケットから煙草を抜きながらそうだな、と答えた。すると少しは安心したのか、ラスティの顔から緊張の色が消える。
「もし良かったら彼女たちを向こうに」
「帰ったら常磐によろしくな」
ラスティの言葉を遮って水輝はそう告げた。するとラスティが眉を寄せて息を潜める。やがてラスティは深々とため息を吐いて水輝の咥えた煙草を唇からさらった。呆れたような顔で煙草と水輝とを見比べる。
「これは土産に貰っておく」
「どうせなら箱ごと持って行け」
水輝が胸ポケットから取り出した煙草を放るとラスティがそれを片手に受け取める。手の中に収まった煙草をしばしのあいだじっと見つめてから、ラスティはその場から静かに姿を消した。
翠色の光を見送ってから水輝はまた歩き出した。喜びの余りに失神したらしい桜を看病する奈月の許を訪れる。ノックの返事を待って部屋に入ると、奈月が桜の額に冷たく冷やしたタオルを置くところだった。
「ラスティさん、帰られたのですね?」
振り返って明るい表情で言った奈月を見つめ、水輝は足を止めた。部屋の入り口付近で立ち止まった水輝を怪訝に思ったのか奈月が不思議そうに首を傾げる。
「桜の具合はどうだ?」
広々とした部屋を何となく見回しながら水輝は訊ねた。この屋敷はいつの間にか佑と奈月を違和感なく受け入れている。
「えっと、心身ともに万全なはずなんですけど」
困ったように言いながら奈月がスカートを指先にもてあそぶ。そうか、と答えてから水輝は微かに苦笑した。
「のぼせてるのか」
どうやら桜は奈月にストレートに好きだと言われたことで舞い上がってしまったらしい。ちらりとベッドを見ると、桜が眠りつつにやにやと笑っているのが判る。
「さまざまな枷が、かかっていた反動もあるのかもしれません。もう、桜さんを縛る枷は無いはずです」
納得した顔で頷きながら奈月が言う。奈月自身は桜が何故、倒れているのかをきちんと理解していないらしい。相変わらず鈍いな、と胸の中で呟いてから水輝は無難にそうだなと答えた。
じっと部屋の入り口近くに立つ水輝を見つめ、奈月が何かを言いたそうな素振りをする。水輝はだがそれを無視して言葉を継いだ。
「この屋敷は特製の結界に囲まれているから安全だろう。こういう状況になった以上、迂闊に動くと逆に危険だ」
淡々と告げてから水輝は奈月の反応を待った。奈月は生真面目な顔で話を聞いている。
「わかりました。あの、水輝さん……」
そこで奈月が口を噤む。水輝は奈月が何かを言おうとしていることに気付かないふりをした。
「何があってもここから出るな」
きっぱりと言い切ってから水輝は踵を返した。少なくともこの屋敷の中に居れば、魔は襲ってはこれないだろう。最悪の場合でもここなら桜や佑は力を十全に発揮できる。
「はい」
少しほっとしたような顔をして奈月が頷く。水輝は肩越しに見返って奈月の表情を確認してから素っ気なく告げた。
「もう、おれに構うな。お前は桜と過ごした方が幸せだ」
じゃあな、と手をあげて水輝はドアに向かって歩き出した。驚いたように息を飲み、慌てて奈月が立ち上がる。
「水輝さん!」
水輝がドアを開ける前に奈月が駆け寄ってくる。水輝はそれを無視してドアを開けた。泣きそうな声で奈月が水輝を呼ぶ。
「水輝さん! わたしが必要でないなら、わたしを取り込んでください! わたしは水輝さんから分かたれた一部分です! 佑さんが分けたあの存在と本質的には同じです。だから!」
必死の面持ちで奈月が言う。水輝はゆらりと振り返って奈月を睨んだ。
「調子に乗るなよ。何でおれがわざわざそんな真似をしなきゃならないんだ」
低く冷たい声で言い放ってから水輝は廊下の手すりに手をかけた。身軽に飛んで吹き抜けの一階のフロアに飛び降りる。奈月が慌てたように廊下を走って階段を目指す。だがその間に水輝は玄関に向かって進んだ。通りかかったメイドが何事かという顔で廊下を走る奈月と水輝とを見比べる。
「ごめんなさい! わたし……」
奈月の声が遠ざかる。水輝は無言で玄関から外へ出た。背後で大きな扉を閉じてからため息を吐く。女を泣かせる男はサイテーだと言っていた透のことを思い出して水輝は思わず苦笑した。もしももう一度会うことがあれば、今度はげんこつの一つや二つは食らいそうだ。そんなことを思いながら水輝は夜の空へと飛び上がった。
いやほんと、奈月からするとどーしたいのか! という感じかも知れませんが、残念ながらそんな思いを抱くことが出来ないのが奈月なのです。