渚と祐を無事に吉良瀬トータルソリューションに送り届け、優一郎はその帰りの足で泰蔵の許を訪れた。街から少し離れた山の麓に建つ如月の本家は夜のとばりに包まれ静まりかえっている。夜間は水の流れが止まっているからか、いつもの鹿威しの音もない。
広々とした畳敷きの部屋で優一郎は泰蔵と向かい合わせの形で正座していた。夜も更けているというのに泰蔵はどうやら寝ずに優一郎を待っていたようだ。きっちりと着物を身に着けたままだ。その脇には一人の少女が控えている。
「お待たせしました」
「いやいや。わざわざ呼び出すような真似をしてすまんのう」
機嫌良く笑ってから泰蔵は優一郎に茶を勧めた。少女のいれてくれた茶を勧められるままに口にしつつ、優一郎は泰蔵の様子をうかがった。泰蔵はにこにこと嬉しそうな笑みを浮かべて羊羹を口に運んでいる。
「いえ、龍神内での争いにかまけて、世界に起きている問題への取り組みが疎かになっていたのは確かですし、申し訳ありませんでした」
本心からの詫びを口にすると泰蔵がほっほっほ、と快活に笑う。
「ワシも出来る事しか出来んでの。それはお互い様じゃて」
何も詫びることはないと言ってから泰蔵は茶を啜った。おかわり、と泰蔵が声を掛けると少女がしずしずと茶碗に茶を注ぐ。少女は急須をそっと盆に戻すと静かに泰蔵の斜め後ろに下がった。
「立城さんと会いました。彼は吉良瀬の当主として復帰する気は無いようです」
残念だという感を滲ませて優一郎は静かに告げた。すると泰蔵が白く長いあごひげを撫でながらふむ、と呟く。だがすぐに泰蔵はあやつらしいのぅ、と笑い出した。
「まあ、吉良瀬財閥は当主を欠いても機能するように作られておるからの。そう仕向けたのは吉良瀬殿自身じゃが」
やはり泰蔵は立城が戻ってきたことを知っていたようだ。優一郎の言葉に驚くでもなくそう応えてみせる。それから泰蔵は少し憂鬱そうな顔をしてため息を吐いた。
「実はの。優一郎殿を呼んだのには理由があってのぅ」
どこか遠くを見つめながら泰蔵が言う。まだこれ以上に何かがあるのだろうか。そう考えて緊張に身を固めた優一郎に泰蔵がぽつりと言う。
「要ちゃんが結婚することになってのぅ」
しみじみとした表情で泰蔵が言う。
「要さんが!? 相手はまさか、姉さん?」
そう言ってしまってから優一郎は慌てて口を手で覆った。姉と呼ぶなと透からは言われていたのだ。だが長い間姉弟として暮らしていたのだ。どうしても姉という呼び名が出てしまう。そんな優一郎を見て泰蔵は笑った。
「透殿はなかなか気概のある男と見受けたがのぉ。何せあやつに気に入られたくらいじゃ」
うんうん、と一人で納得したように頷いてから泰蔵は説明してくれた。少し前にここを透と要が訪れたらしい。その折、泰蔵はテストも兼ねてとある日本刀を透に差し出したのだそうだ。その刀は曰く付きの代物で、滅多なことでは人に懐かないのだという。
「それで、式の日取りは? こういう時だからこそ、大々的に行うべきだと思いますが」
身を乗り出して訊ねた優一郎に合わせ、泰蔵も身を乗り出してそうじゃろそうじゃろと頷く。
「急遽、となると押さえられる式場には限りがあったんじゃが」
そう言ってから泰蔵が指で優一郎を呼ぶ。仕草に誘われて向けた優一郎の耳に泰蔵がぼそぼそと小声で話しかける。それを聞いた優一郎は何度も頷いた。確かに泰蔵の言う式場なら随分と派手な結婚式になるに違いない。何しろあの式場はかつて水輝と紫が式を挙げた場所だ。
「解りました。僕もこれから一月くらいは人の世のほうに重点を置いて活動します。連絡係として、鈴をこちらに派遣します」
「そうじゃな。そうしてもらえると助かるのぅ」
笑顔で頷いてから、泰蔵はふと声を潜めた。
「もう一つ気がかりなことがあるんじゃが」
珍しく言いにくそうに前置きしてから泰蔵は言葉を継いだ。
「木村の当主の行方が知れん」
唐突にそう言われて優一郎は目を丸くした。木村財閥の当主というのは順のことだ。だが行方知れずとはどういうことだろうか。驚きを隠さなかった優一郎に泰蔵は詳しく説明してくれた。今は吉良瀬だ木村だと争っている場合ではない。そのために首脳陣が顔をつきあわせて今後の話し合いをすべきだというところまで話は進んでいたのだという。だが、肝心の日程の打ち合わせの段になって木村側の者が話をするのを渋り始めたのだという。
「ワシらも変だと思っての。ちと調べたんじゃが」
のらりくらりとかわされた挙げ句、木村側はこの話はなかったことにとまで言い出した。そこで泰蔵たちは調査に乗り出すことになったのだという。
「茜さんは今回の騒動で駆け回ってましたから、捕まらないのだと思います。それに最近は女性の身体を纏っていらっしゃいましたし……」
そこまで言ってから優一郎は目を細めた。確かに妙な話だ。この間までは微かにでも気配を感じることが出来たのに、今の順の行方は優一郎にもまるで判らない。
「吉良瀬はの。頭が倒れても次席が受け継ぐという図式になっておるから、例え当主が不在でも真っ当に機能するんじゃが……」
そこまで言って泰蔵は渋い顔をした。泰蔵曰く、木村財閥は吉良瀬とは異なり、当主の順一人が恐怖で人を動かしていたために不在になるとまともに動かなくなるのだという。短い間なら何とかごまかしも効くのだろうが、何分この騒ぎの中だ。この機にのし上がろうとする人間は一人や二人ではないのだそうだ。
「そのへんは姉さんがなんとかするでしょう。木村の体制についてはいろいろ意見をお持ちのようでしたし」
いつだったか、透から聞いた愚痴を思い出して優一郎はそう応えた。あれはまだ透が絵美佳だった頃の話だ。あの頃はまだ、二人とも龍神の存在については総一郎から話を聞きかじった程度で中身をまるで理解出来てはいなかった。その頃から絵美佳は木村財閥についてはよく愚痴をこぼしていたのだ。
「そうじゃの……。そう、なればいいんじゃが」
やけに消極的に泰蔵が返事する。だがすぐに泰蔵は思い直したように結婚式の事に話を戻した。
明け方まで話し込んで研究室に戻った優一郎はふらつく頭を押さえながらベッドに倒れ込んだ。渚を地上に戻すために白琅渉と天輝の説得に手間取ったことや、それまでに起こった出来事をつらつらと考えてみる。一週間程度の徹夜なら特に問題もない筈なのにやけに疲れているのは気を張り続けていたためだろう。ほどなく優一郎は睡魔に飲み込まれた。
そういえばハーメルンで人様の作品を読んでて、前書きはそこまで要らんのかな、と思い始めました。