虹色の羽根がとても綺麗で多輝はどきどきしながら克人にしがみついていた。克人は羽虫のような虹色の羽根を器用に動かし、夜の空を滑るように行く。初めて空に浮いた時は多輝は思わず悲鳴を上げてしまったが、数分ほど飛んでいるうちに足許に硬いものがないことにも慣れた。
「そんなに抱きつかなくても落とさないのに」
くすくすと笑う克人に拗ねて唇を尖らせてから、多輝は恐る恐る眼下を見つめた。夜の闇に町の細々とした灯りが浮かんでいる。さほど人口の多くないこの町は、夜遅くなると静まりかえっている。そんな町の空を克人は優雅に飛んでいるのだ。
多輝は改めて感心してすごいなあと呟いた。そう? と軽く答えた克人が両腕に多輝を抱え直す。くっついていることにもすっかり慣れ、多輝は何となく克人の胸元に額をすり寄せた。
不思議な話を聞くのも楽しかった。だけどこうして飛ぶのもとても楽しい。多輝は初めての体験に心躍らせていた。克人が軽く羽ばたきするとふわりと身体が傾いて飛ぶ方向が変わる。今度は海に行ってみようかと言われ、多輝は目を輝かせて頷いた。
施設に帰ることを多輝はすっかり忘れて克人との時間を楽しんでいた。克人も深夜になっているというのに多輝に帰らなくていいのかとは訊ねない。それに何故か多輝は夜遅くなっても少しも眠くならなかった。
ずっとこうしていたいなあ。多輝は克人に聞かせるつもりもなくそんなことを呟いた。克人は自分を苛めたりしないし、意味もなく叱ったりしない。もちろん殴られることもなく、多輝は珍しく緊張を解いて克人と接していた。
「ほら、着いたよ」
そう言って克人が静かに多輝を下ろす。夜の砂浜に降り立った多輝は暗い海を見つめて身震いした。
「寒い」
何となく呟いた多輝を不思議そうな顔をして見つめ、克人は首を傾げてみせた。
「寒い? 蒸し暑いくらいなのに」
だって真夏だよ。そう言って克人はくすりと笑った。今日は月がないためか、海の傍はやけに暗い。だから寒く感じるのだろうか。多輝は改めて袖から出ている自分の腕に何度か触った。
しばらく砂浜にいると目が慣れてきて周囲のものが少しずつ見えるようになってくる。多輝は克人と砂の山を作って遊び始めた。克人は文句を言うこともなく多輝に付き合い、一緒になって砂を盛る。小さな砂の山を作ったところで二人はトンネルを掘り始めた。砂山を間に挟んで向き合い、少しずつ砂を崩していく。こうして誰かと砂で遊ぶのも多輝は初めてだった。
砂山を崩さないように慎重に少しずつトンネルを掘っていた多輝は、ふと目を見張って手を止めた。
「繋がった」
にっこりと笑って克人が砂山のトンネルの中で多輝の手を指先でつかむ。多輝は何度か瞬きをして笑顔で克人に頷いた。トンネルの中で手を繋いだまま、克人が静かに問う。
「ずっとここにいたい?」
「え」
小さな多輝の手を優しくつかんで克人が同じ質問を繰り返す。その意味がよく判らず、多輝は首を捻ってみた。
「でも、おれ、明日はようちえんにいかなきゃ」
すっかり忘れていた現実を思い出して多輝は顔を曇らせた。そう、明日になったらまたアルミの弁当箱をバッグに詰め込み、迎えのバスに乗って幼稚園に向かわなければならない。バスの中できっとあいつはいつものように喧嘩をふっかけてくるだろう。だがバス内で暴れてはいけないから、じっと我慢しなければならないのだ。つらつらと毎朝繰り返される憂鬱な光景を思い浮かべながら、多輝は無意識に俯いた。
「えい」
唐突に克人が多輝と手を繋いだまま、腕を軽く持ち上げる。その拍子に砂山はあっさりと壊れてしまった。驚きに目を丸くする多輝の手についた砂を丁寧に払いながら克人は笑った。
「そんなのどうでもいいじゃない?」
「どうでも……って」
多輝は困惑しつつ伏せていた顔を上げた。気がつくと克人はしっかりと多輝の手を握りしめていた。繋いだ手がとても温かく感じられる。
「うん。どうでもいいよ。ボクと一緒にいればいつもこうして遊べるし、辛いことや苦しいこともぜぇんぶなくなるよ」
笑顔で語りかけてくる克人を見つめ、多輝は困ってしまった。確かにずっとこうしていたいな、とは思った。けれどそんなことは出来ないのではないかと多輝は感じていた。
「苦手な喧嘩もしなくて済むし、理由もなく怒られたりすることもない。怖い大人がぶったりもしないしね」
それを聞いて多輝はぎくりと身体を竦めた。まるでこれまでの多輝を見てきたかのように克人はさらりと続ける。
「欲しかったクレヨンも、着たかった可愛い洋服も買ってあげるよ。好きなものを好きなだけ食べていいし……ああ、そうそう。ゲームもしてみたいんでしょ?」
そう告げて克人がくすくすと笑う。多輝は唖然とした顔で克人を見つめた。どうして克人はこんなになんでも知っているのだろう。素朴な疑問を感じて多輝は質問してみた。すると克人は何でもないことだよとあっさりと答える。
「多輝さんのことは、ここにいればボクにはよく判るんだよ」
「どうしてだ? ひょっとして」
そこまで言って多輝は困った顔で口を噤んだ。言ってもいいのかどうかしばらく考えてから、多輝は勇気を出して訊ねた。
「人じゃないから判るのか?」
「うん」
どうやら克人は質問に腹を立てなかったらしい。そのことにほっとしつつ多輝は胸に手を当てた。反対側の手はまだ克人にしっかりと握られている。多輝はまじまじと自分の手を包んでいる克人の手を見つめた。それから目を上げて難しい顔をして首を捻る。
「もしかして克人ってゆうかいする人なのか?」
甘い言葉で子供を騙し、さらう悪い大人がいる。そのことは多輝も幼稚園で聞いたことがある。だが怖々と訊ねた多輝とは正反対に克人は楽しそうに笑い出した。
「やだなあ。ボク、そっちの趣味はないのに、思わず食べちゃいたくなる可愛らしさだね」
よく意味の判らないことを言って克人はひとしきり笑っていた。だが言う意味は理解出来なくても、多輝は克人が誘拐目的で甘いことを言った訳ではない、と納得した。
どうする、と克人が多輝の傍にかがみ込んでいう。目の高さを合わせた克人に真っ直ぐに見つめられ、多輝は思わず目を逸らしてしまった。確かに克人の言っていることにはとても魅力は感じる。全てが本当でなくても、せめて理由なく怒られたり殴られたりしなければ、今までよりずっと安心していられるに違いない。
だが本当にそれでいいのか。懸命に考えを巡らせる多輝の頭を克人が優しく撫でる。答えは急がないからゆっくり考えなよ、と言われて多輝は難しい顔をしたまま頷いた。
この2人、割と相性はいいと思うのです。