入れ替わりに今度は部屋によく見知った顔が現れる。黒いスーツに身を固めた優一郎を見止めて透は心底から安堵の息を吐いた。優一郎は入れ違いになった要を見送ってから透に微笑みかけた。
「ねえさ……、いえ、透さん。このたびはおめでとうございます」
型どおりに挨拶をしてから優一郎は総一郎にも軽く頭を下げてみせた。部屋の隅に佇んでいた総一郎はやはりうむ、と優一郎に頷いてみせる。
「テレビ局なども来ていて大変だと思いますけど、よろしくお願いします」
優一郎の言葉通り、今日は式場に多くのカメラが入ると聞いている。この結婚式は言葉の表す意味だけではなく、他の意味もたぶんに含まれているのだ。
「まあ、なるようになるさ。要が予想以上に神経を昂ぶらせているのが心配だが……」
そう答えて透は顔をしかめて腕組みをした。あの調子だと要はお色直しのたびにセッティングチェックをしなければならないのではないだろうか。幸い、今日の式では新婦のお色直しと同時に新郎のそれも行われることになっている。その度に総ラメのタキシードを着せられたり、カウボーイの格好をさせられることを思い出し、透は乾いた声で笑った。
「こまめにチェックして、補正していくしかないでしょう」
困ったような顔をして優一郎が言う。その優一郎は今日は見知らぬ女性を一人連れている。年齢は栄子とそう変わらないのではないだろうか。物静かな女性は部屋に入って会釈をしたきり、じっと黙って優一郎の後ろに控えている。
「また新しいの作ったのか」
おもむろに立ち上がると透は大股で優一郎の背後の女性に近づいた。すると優一郎がさりげなく身体を動かし、背後に女性を隠してしまう。訝りを覚えて足を止めた透に優一郎は微笑みを浮かべてみせた。
「……あんた、どっかで会ったこと無いか?」
透は眉を寄せて優一郎の影に隠れている女性に話しかけた。確かどこかで見た覚えがある。だが女性は答えず、代わりに優一郎が笑顔で首を傾げて告げた。
「この方は木崎良子さんと仰います。透さんのお父上、木村順さんに仕えていらした方です」
丁寧に説明をした後、優一郎はそっと身体をずらした。するとそこで良子が静かに頭を下げる。道理で見た気がしたのだ。恐らく良子とは屋敷の中ですれ違いでもしていたのだろう。そう納得して透は頷いた。
優一郎が良子を連れて控え室を出た後、今度は泰蔵が老人連中を連れてやってくる。次々に訪れる関係各位に挨拶するだけで透は目眩を覚えた。何せ今日の式の来賓は数が多い。吉良瀬財閥の関係者だけではなく、木村財閥の首脳陣なども次々に挨拶にやってくる。
その中で透は順によく似た、だが順ではない男にも会った。型どおりに挨拶をしたその男は順の替え玉に作られた者だ。そのことを知ってはいたが、透はどこに目があるか判らないからと儀礼的に挨拶を返した。
式の時間が近付き、受付役の女性たちの元に来賓がひっきりなしに訪れるようになる頃、透は今度は別の部屋に移るようにと言われた。そこではホテル関係者と式の段取りの最終チェックが行われた。要と共に司会役や式の世話をしてくれる人々に挨拶をする。めまぐるしい時間が過ぎる中、透は一息吐くために人の来ないホールの外に移動した。少しの間でも頭を休めないと、疲れ果ててしまいそうだ。
ふと、見た覚えのある女性が近づいてくる。透はだがその女性が誰だったかをすぐには思い出せなかった。若々しく魅力的な身体にぴったりと合ったスーツを身に着けた女性がにっこりと笑って透に頭を下げる。透はつられて頭を下げてからまじまじと女性を見た。
女性は透の視線を避けるでもなく、にこやかに微笑んで佇んでいる。しばし女性を観察してから透はあっ、と声を上げた。女性はあの時、刀を持って透に斬りつけてきた佑とそっくり同じ姿をしていたのだ。
「あんた、誰だ?」
訝りに眉を寄せて透はストレートに訊ねた。これは佑と同じ形をしてはいるが、佑ではない。そのことを透は女性の放つ力から読んでいた。あの時に対峙した佑は相当に強かったのだと思う。だが今、目の前に立っているこの女性の力は圧倒的だ。恐らく力が見えない人々も、この女性の気に随分と当てられたのではないだろうか。
「このたびはまことにおめでとうございます。吉良瀬佑としてこのめでたき式に出席するために参りましたものです」
そう言ってから女性は恭しく頭を下げた。その瞬間、女性が放っていた力がぴたりと止まり、完全になりを潜めてしまう。どうやらこの女性はわざと読ませるために意図的に力を放出していたらしい。
「あんた、俺と会ったことないか?」
無遠慮に女性を眺め回しながら透はそう訊ねた。どこでいつ、とはっきり覚えている訳ではない。だが何となくこの雰囲気に覚えがある気がする。
「もしかしたら、どこかでお目にかかったことがあったかもしれませんね」
にっこりと笑って女性は再びお辞儀をすると、静かにその場を去ってしまった。何となくそれ以上に声を掛けづらく、透は無言で女性を見送った。
不意に聞き慣れたメロディが響く。透は慌ててタキシードのポケットを探って携帯電話を取り出した。式の間は電源を切るように、と言われていたことを忘れていた。だがまだ式は始まっていないから大丈夫だろう。そう思いながら透は受話ボタンを押して耳に電話をあてがった。
『お忙しいところ失礼いたします』
透に電話をしてきたのは順の第一秘書を務める男だった。挨拶の口調が妙に早口だ。ということは、相当に急ぎの用だろう。
「何があった」
『先日、報告いたしました巫女の身柄を保護しました。場所は』
口早に秘書が報告を始める。透は真剣な顔で秘書の話に耳を傾けた。秘書が巫女と呼んだのは、人の中でも特異な力を持つ者のことだ。彼らの中には魔を封じたりすることが可能な者がいると言う。
『名を北王子紀早、今はまだ精神状態が不安定なために指定病院の保護下にありますが、安定を待って該当の組織に身柄を移す予定となっております』
宜しいでしょうか、と秘書が緊張した声音で訊ねる。まだこの秘書は順以外の誰かに仕えることに慣れておらず、透に報告する際にも少し緊張するようだ。
「誰に担当させる? まさかあいつか?」
『残念ながら他におりません』
苦渋の色を滲ませた声が答えてくる。透は眉間に皺を寄せて低く唸った。木村財閥は漸く内部が落ち着いてきたところで、新たな人材を外から雇うのはまだ難しい。一応、魔の対抗手段となりそうなものは片っ端から押さえておけ、というのが透の命令で、その育成までを担当する者の数がまだ足りなすぎるのだ。
「俺が動ければそれにこしたことは無いだろうが、あの女が変態でも科学に対する情熱は確かだからな。ただ、せっかくの素体を安易にヒューマノイド化しないように釘を刺しておいてくれ」
『畏まりました。それではそのように……』
そこでふと、秘書が思い出したように告げる。
『蛇足ではありますが、当該巫女が保護されたのは、どうやら魔の群れの奇襲を受けた後だったようです』
それを耳にして透はぴくりと眉を上げた。魔の奇襲、と胸の中で繰り返してみる。確かに報告を受けた少女には類い希な力はある。だがそれは実際に育成してみないことには使い物になるかどうか判らない、不安定な力だ。その能力がタイミングよく開花したなら秘書はもっと歯切れ良く報告してくるだろう。
何故、少女は生きて保護されたのだろう。目星をつけてはいたが、少女を見張っていたのは魔への対抗手段を持たない人間だった筈だ。それにもう一つ妙な点がある。魔は基本的には群れないのだ。群れを作るのには幾つか条件があるらしく、一つは群れを統率するリーダー的存在があること。もう一つは群れをなす知能があること。これまでに世界各地を荒らし回っている魔のデータを見ても、群れに襲われたケースは十パーセントにも満たないのだ。
「わかった。式が済んだら時間を作って俺も立ち会おう。あれにも釘をさしておいたほうがいいしな」
『宜しくお願いいたします』
ほっとしたように告げて秘書は失礼します、と電話を切った。どうやら式が済んでも落ち着くことは出来ないらしい。そのことにため息を吐いて透は結婚式の控え室へと戻っていった。
透が忙しすぎるw