クールな藍原さんが僕にだけはデレッデレに甘えてくる 作:三越利範
藍原さんに憧れている男子は多い。かくいう僕もそのひとりだ。
入学式のときからとてつもない美人がいるぞ、と男子女子問わず話題を集めていた藍原さん。彼女に告白する命知らずは数知れず、そのすべてを彼女は無慈悲に斬って捨てた。
「どうしてわたしがあなたとお付き合いしないといけないの?」
藍原さんの伝家の宝刀。あまりの斬れ味に、告白した男子はみな涙に濡れた。
それでも人気が衰えないのは、やっぱり彼女がそれだけ魅力的な女の子だということだ。
お近づきになりたい。そう考えるのは男子として自然なこと。けれど、同時に僕は諦めていた。
僕のような何の取り柄もない男ではきっと見向きもされないだろう。遠くから眺めているくらいがお似合いなんだ――。
その日の放課後。ひとり下校していた僕は、寄り道がしたくなった。まっすぐ家に帰ってもすることがないしね。この先に公園があったと思うから、少し寄っていこうかな。
公園の前を通りがかったとき、見慣れた後ろ姿を見つけた。うちの学校の制服。長くてきれいな黒髪。見間違うはずがない。あれは藍原さんだ。彼女は公園の入り口でひとりしゃがみ込んでいる。
(こんなところで何をしてるんだろう)
僕がそっと覗き込むと、彼女の足元には一匹のネコがいた。猫種はわからないけど、白くてぽてっとした可愛いネコだ。思わず顔が緩んでしまう。僕は犬も猫も大好きなのだ。
藍原さんもネコが好きなのかな? でも、あの藍原さんだから、きっとネコに対してもクールなんだろうなぁ……と思っていたのだが。
次に発せられた彼女の言葉に、僕の意識は全部持っていかれた。
「どうしたのかにゃ? 迷子かにゃ?」
僕は目と耳を疑った。ごしごしと目を擦る。
……うん、間違いない。目の前にいるのは、あの藍原さんだ。あのクールな藍原さんが、文字通りの猫なで声でネコに話しかけている。
ネコは藍原さんの手に前足を引っ掛けて、にゃおにゃおと甘えた声を出す。
「にゃあにゃあ。にゃおにゃお」
藍原さんは、ついにネコになってしまった。僕は唖然とする。
「にゃぁお。にゃおにゃお。にゃあ……にゃ?」
藍原さんの目が僕の姿をはっきりと捉えた。
一瞬の間。やがて藍原さんはボッと火がついたように赤面した。
僕はぽりぽりと頬を掻きながら言う。
「ええと……お困りかにゃ?」
「~~~~~~っ!」
藍原さんは真っ赤な顔で僕の胸をぽかぽか叩いてきた。かわいい。
彼女はこほんと咳払いすると、ぺしぺしと自分の両頬を叩き、クールな表情に戻った。
「水瀬くん、こんにちは」
「うん……こんにちは」
よほど恥ずかしかったのか、藍原さんの頬にはまだわずかに朱が差している。
さっきのことは、あまり深く触れちゃいけない気がした。
彼女は、ネコを抱きかかえると、こちらが訊ねる前に事のいきさつを語りだした。
「公園の前を通りがかったらネコの鳴き声が聞こえてね。茂みからこの子が飛び出してきたの」
「野良猫なのかな?」
「違うと思う。毛並みがきれいすぎるし、すごく人に慣れてる子みたいだから」
彼女の言う通り、ネコは藍原さんの腕に抱かれて気持ちよさそうにごろごろ喉を鳴らしている。
……なんというか、すごくあざとい感じがするな。
藍原さんは切れ長の目を細めてネコを観察する。
「……首輪をしてないけど、家によってはつけないのも珍しくないし」
室内飼いしてたネコが何かの拍子に逃げ出してしまったとか、わりとありそうな話だ。
「それで、その子どうするの?」
僕が訊ねると、藍原さんはネコの頭を優しく撫でながらはっきりと答えた。
「この子の飼い主さんを探してあげたい。向こうもきっと探してるだろうし、この子も会いたいと思うから」
「……そっか」
彼女の真摯な言葉に、僕は胸を打たれた。
藍原さんって、クールだけど冷たいわけじゃなくて、結構情に厚い子なんだな。知られざる彼女の一面を垣間見て、僕は嬉しくなった。
「なら、僕も協力するよ」
「いいの?」
「うん。乗りかかった舟だしね」
……まあ、あの憧れの藍原さんとお近づきになりたいという下心もなくはないんだけどさ。彼女の透き通った目はそんな僕の内心を見透かしているようで、僕はどもりながら言葉を続ける。
「ええと、その、僕もネコは好きだからさ!」
「そう」
藍原さんはこくりとうなずくと、かすかに微笑んだ。
「水瀬くん、優しいんだね」
ドキッとした。藍原さんってすごく美人って印象だったけど、笑うとこんなに可愛いんだ……!
いや、今はネコの飼い主を探すほうが先決だろ!と心の中で自分をたしなめる。
「それじゃ、さっそく探しにいこうよ!」
「うん」
僕たちはとりあえず周辺の家に聞き込みをすることにした。
「このネコに見覚えはありませんか?」
「ううん。見たことないねぇ」
最初に訪ねた家に住んでいた人の良さそうなおばあさんは、はてと首をひねる。おばあさんが頭を撫でると、ネコはやっぱりゴロゴロと甘えた声を出した。
「かわいいねぇ。うちも昔ネコを飼っていてね――」
おばあさんは遠い目をする。お年寄り特有の長い昔語りが始まりそうな気配を感じて、僕は慌てて頭を下げる。
「そ、それじゃ、お邪魔しました!」
「あら、もう行っちゃうの。中でお茶でも飲んでいかない? お菓子もあるわよ」
「あはは、おかまいなくー」
僕たちはぺこりと会釈して、後ろ髪をひかれる思いでおばあさんの家を後にした。
次はどうしようかと途方に暮れていると、藍原さんが口を開いた。
「ごめんね、水瀬くん」
藍原さんは申し訳無さそうに目を伏せる。どうして謝られたのかわからず、僕は面食らう。
「えっ、いきなりどうしたの?」
「だって。水瀬くんにばかり喋らせちゃって悪いなって」
さっきのおばあさんとのことかな。確かに僕とおばあさんだけで会話していた気がする。
「わたし、人付き合いがあまり上手じゃなくて。だから、ごめんなさい」
「別に謝ることじゃないよ」
僕は落ち着かなくて、無意味に髪を撫で付ける。
「人には向き不向きがあって当然だから」
「やっぱり、水瀬くんは優しいね」
藍原さんは柔らかく微笑んだ。またドキッとさせられる。この笑顔は不意打ちすぎるよ!
「つ、次の家に行こうか!」
「うん」
僕はきっと耳まで真っ赤になってるんだろうなって思った。
――それから僕たちは何軒か家を回ったけど、めぼしい情報は得られなかった。徒労感が肩にどっしりとのしかかってくる。
結局僕たちは、元いた公園に戻ってきた。ベンチに並んで腰掛けて休憩する。ネコは藍原さんの膝の上で丸くなり、すうすうと穏やかな寝息を立てている。
「バロンは可愛いね」
ネコの背中を撫でながら、藍原さんは目を細める。
僕ははてと首をかしげる。
「……バロンって?」
「この子の仮の名前。ネコさんじゃ味気ないでしょ」
「勝手に名前つけちゃまずいんじゃないかなぁ」
完全に情が移ってしまったみたいだ。
「もし飼い主が見つからなかったら、うちで飼うから」
藍原さんは決意に満ちた目で空を見上げる。
「ご両親に反対されない?」
「頑張って説得する」
彼女はすっかりネコに入れ込んでいるようだ。
藍原さんって、結構意固地なところがあるんだなぁ。
「一緒に暮らそうね、バロン」
藍原さんが慈愛に満ちた表情でネコを見つめていると、遠くからパタパタと誰かが走り寄ってきた。それはエプロンをつけた若いお姉さんだった。
「――アリア!」
お姉さんが叫ぶと、ネコは顔をあげてにゃあと鳴いた。そして藍原さんの膝からぴょんと飛び降りると、お姉さんのもとへと走り寄っていく。
「……バロン」
藍原さんはショックを受けた顔をしていた。
お姉さんはネコを大切そうに抱きかかえると、ほうっと安堵の息をつく。
「ああ良かった。突然飛び出していくんだから。心配したんだよ」
ネコはゴロゴロと喉を鳴らして、お姉さんの胸に顔をうずめる。
どうやら、この人がネコの飼い主で間違いないらしい。
お姉さんはこちらに向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「ふたりが保護してくれたのよね。ありがとう!」
聞くところによると、お姉さんも周囲の家に聞き込みをしていて、ネコを連れた高校生が飼い主を探していることを知ったらしい。
「申し遅れました。私、こういう者です」
彼女はかしこまった口調で名刺を差し出してきた。そこには、お姉さんの名前とともにポップな字体でこう書かれていた。
――ねこカフェ『まぁず』
「猫カフェの子だったんですね」
道理で人に慣れまくっているわけだ。あのあざとさも納得しかない。
「接客中に脱走しちゃって……ずっと探してたの」
「見つかって良かったですね」
「本当にねー」
僕がお姉さんと談笑していると、藍原さんが泣きそうな顔で僕の袖をクイクイ引いてきた。
「あの、バロン……」
どうやらかなり傷心しているようだった。一時は自分が飼うことを決めるくらい入れ込んでいたわけだしなぁ。
そんな僕らを見ていろいろ察したらしく、お姉さんは言った。
「良かったらだけど、ちょっと休憩していかない?」
『えっ?』
声をハモらせてきょとんとする僕たちに、お姉さんはパチっとウインクする。
「もちろん料金はいただきませんので♪」
――かくして、僕らはねこカフェ『まぁず』にお邪魔することになった。
公園から10分ほど歩いた街中に『まぁず』はあった。景観に合った落ち着いた雰囲気の店。店内には僕たち以外にお客さんはおらず、したがって僕たちはハーレム状態だった。
「おお、ネコがめちゃくちゃ寄ってくる」
白毛、黒毛、三毛猫もいる。みんなとても人懐っこくて、膝の上に乗ってきたり、ゴロゴロと顔を擦りつけてきたり。思わず顔が緩んでしまう。
「ああ、アリア。きみは本当にかわいいね」
藍原さんはとろけた顔でアリアを撫でていた。
「あの子、うちの社長なの。で、私が店長」
「どっちが偉いんですか?」
「そりゃ猫様にはかないませんよ」
ユニークな店長さんだなぁ。
「ふふっ」
店長さんが微笑ましげに藍原さんとアリアを見つめている。
「すごく可愛い子だね。きみのカノジョ?」
「ち、違います……!」
「あら。お似合いだと思ったのに」
店長さんにからかわれて僕は激しく赤面する。
この会話が藍原さんに聞こえてやしないかハラハラしてしまった。
それから僕たちは、ネコたちにおやつをあげてさらなるハーレムを築き上げるなどした。楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、そろそろお暇しようかとなったのだけど。
「ああ、アリアぁ」
藍原さんは涙目でアリアを見つめている。本当にあの子が気に入ったんだな。仲良くなった分、離れ離れになるのが辛いだろう。けど、そろそろ帰らないとなぁ。
僕が途方に暮れていると、店長さんが言った。
「あの、良かったらなんだけど」
そして彼女は、商品棚からひとつのぬいぐるみを取って藍原さんに差し出した。
「この子をもらってくれないかな?」
「これは……」
藍原さんは息を呑む。ぬいぐるみはあのネコ――アリアと瓜二つだった。どうやら、あの子をモチーフにしたおみやげらしい。
店長さんは、営業スマイルではない心からの笑顔を藍原さんに向ける。
「よかったら、またあの子に会いに来てあげてね」
「……はいっ」
藍原さんは微笑みを返した。僕はめちゃくちゃ胸がほっこりした。
――店を出ると、もう夕方だった。燃えるような夕陽が煌々と街を照らしている。
「水瀬くん。今日は本当にありがとう」
藍原さんは深々と頭を下げた。僕はびっくりしてしまう。
「頭をあげてよ、藍原さんっ」
「でも、すごく迷惑をかけちゃったから」
藍原さんはすごく申し訳無さそうな顔をしていた。
僕はぎこちなく笑って、ぽりぽりと頬を掻く。
「ええと。僕、すごく楽しかったから。だから気にしないで」
「……ありがとう」
藍原さんは柔らかく微笑んだ。なんとも言えないむず痒い沈黙が横たわる。
その空気に耐えきれなくなった僕は、顔を真っ赤にしながら言った。
「そ、それじゃ、また明日学校でね!」
そしてその場を後にしようとすると、藍原さんがクイクイと制服の裾を引っ張ってきた。
「藍原さん……?」
訝(いぶか)りながら振り返ると、彼女はぬいぐるみで顔を隠していた。
藍原さんは、ぬいぐるみの手をくいくいと動かして言った。
「また明日……にゃ」
そう言い残し、藍原さんはとたとたと走っていった。
去り際に見えた彼女の横顔は、夕陽より赤く染まっていた。
僕ははぁとため息をつきながら、その場にうずくまる。
「……可愛すぎるよ、藍原さんっ」
普段のクールな姿とのギャップがすごい。一発で心を撃ち抜かれた。
夜になっても藍原さんの照れ顔ばかり頭に浮かんできて、僕は一晩中もだえた。
――翌朝。登校した僕は昨日のことを思い出していた。
あの藍原さんと過ごした時間。それは夢のようだった。けれど、夢はいつか覚めるものだ。僕たちはまたただのクラスメイトに戻るのだろう。
――そう思っていたのだけど。
「おはよう、水瀬くん」
しばらくして教室に入ってきた藍原さんは、まっすぐに僕の席にやってきてそう声をかけてきた。
教室中がざわっとする。
あの藍原さんが、自分から誰かに話しかけている。しかも男子に。衝撃はさざ波のように教室中に広がっていく。
「お、おはよう。どうしたの?」
僕が戸惑いながら訊ねると、藍原さんはきょとんとする。
「だって、わたしたち、友達でしょ。挨拶くらいするよ」
あまりの衝撃に固まる僕とクラス一同。
ぽっと頬を染めて、彼女はさらなる爆弾を投下する。
「水瀬くんには恥ずかしいところをたくさん見られちゃったよね」
ざわっ! ざわざわ!
もう収拾付かないな、この空気。僕は天を仰いだ。
――その後、僕は「藍原さんの恥ずかしいところを見た男」として、男子から一目置かれることになるのだった。