クールな藍原さんが僕にだけはデレッデレに甘えてくる 作:三越利範
――ある日の朝。教室で、男子グループがわいわい騒いでいた。
「俺さぁ、きょう朝抜いてきたからすげーダルいんだけど」
「は!? おまえ朝からシコってきたのかよ~!」
「そうじゃねえよ! 死ね!」
……朝っぱらからひどい話してるな。男子高校生って日常会話のノリで下ネタぶっこんでくることあるから、女子にはあまり聞かせたくないよな。
「ちょっと男子ィ」
「サイテー」
実際、傍にいた女子グループからは非難轟々だ。女子も女子でエグい下ネタかますって聞いたことあるけど、真偽の程は定かじゃない。確かめる相手もいないしね。
女子のひんしゅくなどなんのそのとばかりに、男子グループは構わずゲラゲラ笑いながら下ネタを連呼していたのだけど、そこに凛とした女子の声が割って入った。
「ねえ。ちょっと静かにしてくれないかな」
言うまでもなくそれは藍原さんのものだ。
「みんなの迷惑になってるでしょ。どうして周りに配慮できないの?」
藍原さんは、騒ぐ男子グループを毅然とした態度でたしなめる。
「あ、藍原さん……」
「ご、ごめん……」
男子たちは顔を真っ赤にしてすごすご引き下がった。あの藍原さんの前で下ネタ談義に花を咲かせる度胸はなかったらしい。
「さっすが藍原さん!」
「余裕あるよね。大人ってカンジ!」
女子から黄色い声が上がる。藍原さんは女子人気も高いんだなって思わせる出来事だった。
ていうか、藍原さん、下ネタを聞いてもまったく動揺した様子がない。普段どおりのクールな藍原さんだ。女子じゃないけど、僕もシンプルに「かっこいいなぁ」と思った。
――4時間目の授業が終わると、藍原さんが僕の席にやってきて言った。
「水瀬くん。今日お昼いっしょに食べない?」
「うん。いいよ」
あの藍原さんと一緒にご飯を食べられるなんてすごく光栄なことだ。ここは友達特権と思ってぜひともご一緒させてもらおう。
いつもお昼を一緒に食べているクラスの友達の方をちらりと見ると、「いってこい」とアイコンタクトを返された。両手を合わせて「また今度ね」とアイコンタクトを返す。
僕はカバンからお弁当の包みと水筒を取り出して席を立つ。さすがに周囲も慣れてきたらしく、僕たちが連れ立って教室を出ていっても誰も何も言わなかった。僕たちがいなくなったあとであれこれ噂話をしている可能性もなくはないけど、まあ別にいいかなと思えるくらいには僕も開き直れるようになっていた。
「天気もいいし、お外にいこうか」
「そうだね」
僕たちは外靴に履き替えて中庭にやってきた。僕たちの他にも外でご飯を食べている生徒がちらほらいる。うららかな春の陽気。吹き抜ける風は暖かでとても心地が良い。
僕たちは空いているベンチに並んで腰掛けた。お弁当の包みを開き、揃って「いただきます」をする。
僕はちらりと藍原さんの方を見る。女の子らしい小さなお弁当箱の中には彩り豊かなおかずと俵型のおむすびが詰まっている。とても美味しそうだ。
「おいしそう」
僕が思わず口に出すと、藍原さんがこてんと小首をかしげる。
「……食べる?」
「いや、悪いよ。藍原さんの分がなくなっちゃうし」
「別にいいよ。代わりに水瀬くんのおかずもちょうだい」
「そういうことなら……」
おかずの交換。なんだかすごく友達っぽいな、と胸がじーんとする。
僕からは唐揚げをトレードに出し、藍原さんからはミニハンバーグをもらった。
一口食べて「おっ」と思う。
「おいしい……! これ冷凍食品じゃないね」
「うん。自分で作ったの」
藍原さんは事もなげに言う。僕は感心してしまった。
「藍原さん、料理するんだ。すごいね」
「両親が忙しいから、中学の頃から自分でやるようになっただけだよ」
藍原さんはくすぐったそうに身をよじる。表情には出ないけど照れているのだとわかる。彼女はとても美人だけど、内面は年相応に可愛らしい女の子だと僕はもう知っている。すごく優越感。
「最近は冷凍食品もすごく美味しいから、わざわざ自分で作ってるのは趣味みたいなものなんだけど」
藍原さんはいつもよりちょっと早口で言って、僕があげた唐揚げを口に運ぶ。
「ん。美味しい。水瀬くんのお弁当はお母さんが?」
「そうだよ」
「水瀬くんのお母さんはすごく料理上手だね」
「あはは。どうも」
友達に親を褒められるのって、むず痒いけど嬉しいなって思った。
しばらく無言で箸を動かす。さわさわという葉擦れの音。ちいちいという鳥の声。藍原さんと一緒だと沈黙も苦にならない。すごく居心地がいいなって感じる。なんかいいよな、こういう時間って。ほのぼのしてしまう。
そんな穏やかな沈黙を破って、藍原さんはこう切り出してきた。
「ねえ、水瀬くん。『シコる』ってなに?」
「ンンッ!」
あまりにびっくりしてご飯が変なところに入った。げほげほと咳き込む。
「大丈夫?」
藍原さんは心配そうに僕の背中をさすってくれる。水筒からお茶をがぶがぶ飲み、一息ついてようやく咳が治まった。
「はぁはぁ。藍原さんっ、突然なにを言い出すの!」
「なにって。『シコる』って何なのか知りたいだけなんだけど」
藍原さんは無垢な目で僕を見つめる。
「朝、男子が『シコる』って話していたでしょ? わたし、授業中もずっと『シコる』って何か気になってて。ねえ、『シコる』ってなんなの?」
「あんまり女の子が『シコる』って言わないで!」
藍原さんに言われると変な気分になりそうだ。
「ていうか……本当にわからないの? からかってるわけじゃない?」
「どうしてわたしが水瀬くんをからかわないといけないの」
藍原さんは心外そうだった。まあ、実際藍原さんは他人をからかうタイプではない。いつだって真剣だ。
僕は「あー」と言いよどみながら、天を見上げる。
……朝の毅然とした態度は、無知の裏返しだったのかぁ。
どうしよう。女の子に男の生理について説明するのはものすごく恥ずかしい。けど、かといって「ネットで調べれば?」って言うのは突き放しているようできまりが悪いし、それに万が一ヘンな記事でも読んでショックを受けたらすごく可哀想だ。
……うん。仕方がない。ここは友達のために泥をかぶろうじゃないか、と覚悟を決めて口を開く。
「藍原さん。『シコる』っていうのは、自慰行為のことなんだ」
「自慰行為……?」
きょとんとしている。ピンときていない様子だ。
「ええと、自慰行為はわかる?」
「うん。保健体育の授業で習ったから」
藍原さんは宙空を見上げて何かを思い出すように目を細める。
「ええと確か、『性器を自分で刺激して性的快感を得る行為』……だっけ」
「……そ、そうだね」
教科書の内容をなぞっているだけだけど、その事務的な感じがかえってえっちだなって思ってしまった。
「わたし、よくわからない。性器を弄ると気持ちいいってどういうことなの?」
その口ぶりだけで、彼女が自慰行為をしたことがないことがわかる。
……うわー。すごい罪悪感あるなぁ。
ていうか、自慰行為をしたことがない子に自慰の快感をどう伝えたらいいんだ?
「ええと、自慰をするとね、頭がふわふわして、すごく気持ちいいんだ」
「そうなの?」
「う、うん……」
この説明で伝わってくれと思ったけど、藍原さんは不思議そうに首をひねった。
「水瀬くんも自慰をするの?」
「え、ええと……それは」
僕は言葉に詰まる。顔が熱い。今僕はものすごく赤面しているんだろうな。
観念した僕は、絞り出すような声で言った。
「う、うん。するよ」
「そうなの? どのくらい?」
「え、ええと……週に1回くらいかな……?」
嘘です。本当はほぼ毎日してます。とはさすがに言えなかった。毎日シコってる猿だと藍原さんに思われるのはすごく嫌だったのだ。
「そうなんだ。クラスの子もみんなしてるのかな?」
「してる……んじゃないかな。シてない子もいるだろうけど」
「そう」
藍原さんは釈然としていない様子だった。まあ、実際彼女は未経験みたいだからなぁ。
「ねえ。自慰ってどうやるの?」
藍原さんは無垢な目で僕を見て言った。もう勘弁してくれと思う。
「その、男性器って刺激すると固くなるんだけど……」
「知ってる。『勃起』だよね」
「う、うん。その勃起した性器をこう、握って上下に擦るんだ。シコシコって」
「それが気持ちいいの?」
「……うん」
僕はいっそ殺してくれと思った。
藍原さんは僕の言葉をしばらく反芻していた。勃起、自慰、シコる。そんなワードが彼女の形の良い唇から漏れ出している。
「自慰ってそんなにいいんだ。男性器って、おちん――」
そこまで言ってから、彼女はふいに黙り込んだ。ちらりと顔を覗き込むと、藍原さんはゆでダコみたいに真っ赤な顔をしていた。
僕は理解した。彼女の中で今、授業で習った知識が確かな形を得たのだと。そして、行為の具体的なイメージが脳裏に浮かんできたのだろう。
つまり今、彼女はめちゃくちゃ恥ずかしがってる……!
藍原さんは真っ赤な顔でぷるぷると震えだす。
「男の子にそんなことを訊くなんて……」
藍原さんは両手で頬をおさえて激しく身悶えた。
「……わたし、はしたない……!」
ああ。可哀想なことに耳まで真っ赤になってしまっている。
そんな彼女を見ていると、僕はすごくいけない気分になってしまって――
――その日の夜、僕は藍原さんの恥じらう顔を思い出してシコってしまったのだった。