荒れた大地の上、禍々しい色の閃光が幾本も走り、肉を斬り裂く音が四方から届く。鮮血が噴き出し、肉片が宙を舞い、何百という雄叫びが響き渡る。
「死ねぇ、腐れ呪詛師ども!!」
「くたばれや異常者どもが!」
怒号をあげながら無骨な武器を手に空へ掲げ、対峙している相手に振り下ろす。
重量感のある頑丈な装備に身を包み、筋骨隆々の兵士たちが返り血を浴びながら骨ごと肉を断ち切った。
向かってくる閃光を盾で防ぎつつ前進し、死体の山を築いて行く。
「フッ、消え失せろ時代遅れのクソ猿ども」
「魔法も使えない化石脳みそめ、滅ぼしてやる」
彼らに対するは理解不能な言語による詠唱を用いて、掌から一筋の光線を放つ者達。
高い殺傷力を持つ煌きが宙を駆け抜けて金属製の鎧ごと、強度を無視して人体を貫く。
武器の届かない距離から一方的に攻撃を浴びせ、大地を赤色に染め上げていく。
血と肉の飛散する戦場。何年も前から続く争い、その最前線がこの場所。
武の国『アッテリサ』は隣国である、魔の国『ルデサス』と領土を巡って血で血を洗う戦争を続けてきた。
最初こそはその射程距離による圧倒的な戦力差に『アッテリサ』側は防戦を強いられていたが、長引いている戦いの中で成長していった技術力によりその差を少しずつ埋めていった。今使用している砲弾や火薬類はその一部にあるものだ。
しかしそれに対抗して『ルデサス』側も様々な魔道具を発明しては実戦に投入し、全体的な戦況としては五分五分というよりもやや不利といった状況で停滞している。
特に今回の戦場はアッテリサ国にとってより重要な防衛拠点も死守しなければならない戦いが平行しているため、そう多くない兵力しか投入できていない。ただでさえ兵士一人一人の戦力差が存在する中で、更に兵士の数でもアッテリサ側が不利を被っている状況。
(ふむ、この程度の戦力であればもう数刻で殲滅可能でしょう。……とは言え――)
砂塵が舞い上がる荒野の中、ルデサス国の指揮官が一人"タバンパニ"は戦場を上空から
『上空から』とは言えど、実際に空を飛んでいる訳ではない。呪文の詠唱により魔法の眼を発現させ、それを通して大地を見下ろしているのだ。それによって正確な指揮を下せる為、リスクを軽減させながら常に優れた戦績を積み重ねてきた。
彼がルデサス国を優位に立たせている要因の一人といっても過言ではないだろう。
――だが、彼がより優れた戦績を残しているのはその魔法の眼と高い指揮能力によるものだけではない。
「タバンパニ様っ、仰せのままに”いつもの”を持ってきました」
「宜しい。ご苦労様です」
予め、手近な場所にある死体を敵味方問わず集めるように指示しておいた兵士たちが彼の下へと死体を担いで戻って来る。
彼は言う通りの仕事をこなす手下に労いの言葉をかけ、魔法の眼とはまた異なる呪文を詠唱し始める。
「………………、…。……、………。……………、…。…………、………。……、………………。………………、…。………………、…。………………、……。…………、………………。…、…………。………………、…。………、……。……………、………」
すると物言わぬ亡骸となったはずの肉体が徐に上体を起こし、虚ろな視線を宙に漂わせたまま自ら動き出した。
これこそが彼の十八番であり輝かしい戦績の基盤となる呪文。そしてアッテリサ側の兵士から”呪詛師”や”異常者”と罵られる最大の要因だった。
タバンパニだけでなく、ルデサス国の一部兵士が使用する"死者還り"の呪文はその名の通りに死体を意のままに動かせる術であるため、非人道的であると忌み嫌われているのだ。それを彼は段違いに高い精度と規模で行使でき、普通であれば短期間で乱用は不可能な程に精神力や集中力を消耗する呪文をその数倍以上のスパンで使用できる高度な術者である。
(これでこちらの戦力は更に増加。こいつらを再利用してやればこちらの損害を最小限に留められる)
そうしていつものように惨殺された肉体を再利用して前線に再投入しようとする、その時だった。
背後の方から凄まじい殺気と威圧を感じた彼は咄嗟に死体の兵士を数体掴んで、その方向に差し出して肉壁とする。
しかし反応が僅かに遅れてしまっていたのか、その壁を貫いて右手が串刺しにされた。
「ぐあぁぁぁっっ」
噴き出す血液と、それに伴って駆け巡る激痛。
殺気を感じ取った瞬間から魔法を自ら解除し、自ら前線へと赴こうとしていた複数体の骸が再び大地に崩れ落ちていく。並々ならない実力者である敵がこれほどの距離にまで近づいていれば、幾ら兵力を嵩増ししたところでこの呪文には一切期待できないのだから当然の判断と言えるだろう。
「……、…………。………………、…。…………、………。…、………………。………………、………。……………、…。……………、………………。………………、…。…、………………。……………、…。…………、………。……、…。………………、…………。……………、…。」
タバンパニはすぐさま冷静に別の呪文を唱えて大きく飛び上がり敵と距離を取る。
死体操作の術を最大限に活かす為に前線の近くで陣を構えていた彼だったが、それ故に全方位からの襲撃に対して最大限の警戒をしていた。しかし彼の前に立ちはだかる敵は消耗した様子を微塵も見せず、ただ悠々と武器を構えて今にも襲い掛からんと凄まじい殺気を漂わせている。
ふと見ると傍に侍らせていた兵士たちは無惨にも斬り捨てられていた。音も無く接近し、警戒態勢に入っていた部下たちを難無く全滅させている実力に彼は戦慄する。
だが、何より彼を驚かせたのはその容姿。機動力を重視しているのかアッテリサ国の兵士にしてはやけに軽装で、扱う武器も他の連中が振り回す鉄の塊ではなく芸術品を思わせるような意匠を凝らした細剣。そして戦場にいるのが相応しくない、穢れを知らぬ銀髪に美形,そして小柄で華奢な体格――恐らくは女性だろう。
「っ……ふはは、驚いたな。主力の指揮官を狩り尽くすアッテリサ国最強の女兵がいると噂には聞いていたが、まさか本当に存在していたとは。初めて見たが……なるほど、確かに凄まじい威圧感だ」
「私もお前のことは噂に聞いている。敵味方問わず兵士の亡骸を弄ぶ、非人道的極まりない腐れ外道がいるとな。操られている死体は何度も見ていても術者と対面するのはこちらも初めてだが、行動通りに醜悪な外見だな」
「おいおい、おいおいおい……。人の外見を悪く言うのは良くないと教えて貰えなかったのか? しかも初対面の相手に向かってその物言いは論外ではなかろうか」
「それを言うならばお前は道徳と言う物を教えて貰えなかったのか? いや、それともルデサス国自体にそういう概念が無いのか? 他者の死を愚弄することに何も思わないなど、反吐が出る」
まさにゴミを見るような眼でアッテリサ国の女兵が彼を見下す。
ちょっとした言葉の応酬にさえ彼への嫌悪が満ち満ちており、これ以上の会話すら拒もうとしている様子さえ伺える。が、それでも彼は傷を呪文で治療しながら声をかけ続ける。
「それはお前たちの価値観基準での話だろう? むしろ死して尚、国の為に戦えるようにしてあげているのだから、感謝こそされどそこまで貶される
「………………はぁ、どうしようも無い屑だな。さっさと死ね」
彼の発言に対して遂に堪忍袋の緒が切れた彼女が刃物の切っ先を向け、一直線に大地を蹴った。
「っっ」
どうにか呪文で強化しているお陰で目で追えているものの、緊急回避すら間に合いそうにない。もう彼の眼前まで鋭い刃物が迫ってきていた。このまま眉間をあの細剣で貫かれてしまうのだろう。
と、そう思いかけていた時。彼の身体が見えない力で思い切り後方へと引っ張られた。
「タバンパニ様を護衛しろぉーー」
「たかだか女相手に怯えるなぁっ。とっととぶちのめして
「やっちまえぇーーっ」
そこで死体集めに走っていた彼の配下たちが異常を感知して応援に来たのだ。
彼の後方から呪文によって閃光を迸らせ、対峙しているアッテリサ国の兵士に向けて攻撃を放つ。
「……、………………。……、…。………………、………。……………、…。…………、………」
そしてそれに便乗してタバンパニも攻撃の呪文を放ち、アッテリサ国の女兵に牽制する。――が、
「近寄ってしまえば、所詮はこんなものね」
彼女はいとも容易く全て躱しきり、一度離された敵との距離を瞬く間に詰めてしまう。そしてそれに追随して彼女の部下たちもまた迫って来る。
これでは指揮官が討たれる、と判断した数人の兵士がタバンパニの前に躍り出て呪文を唱えた。それにより再び彼の身体が宙を舞い、更に後方へと吹き飛ばされる。
「……あんな屑の為に命を棄てるなんて。憐れね」
そう言葉が聞こえたかと思えた次の瞬間、刹那の内に彼女の前に立ち塞がった男達の胴体が両断された。肉壁として機能するために呪文で肉体の硬度を高めていたはずの筋肉さえ、まるでか細い枝葉のように一瞬で断ち斬られる。
彼女と接敵して数瞬とも無い僅かな時間の中で、タバンパニを守護していた精鋭の兵士はその殆どが斬り伏せられてしまったのだ。
(これは流石に、終わったかもな…………)
細剣の貫通した右手は既に完治しているものの、あれほどのスピードを誇る彼女を前に彼が出来る事などもう殆ど無い。そもそもとして前線に出張って戦うようなタイプではない彼は、この距離にまで詰め寄られてしまった時点で死が確定したも同然なのだ。
諦観の二文字が頭を埋め尽くし、彼は彼女の前で額を地面に擦り付ける。
「俺の敗けだ、降参する。俺も、俺の仲間たちもこれ以上抵抗は一切しないと誓う。だから命だけは見逃して欲しい、この通りだ」
「……………………」
唐突に白旗を振った彼の行動に女兵は表情一つ変えずに見つめるが、恐らくはかなり動揺していることだろう。いや、もしくは単に呆れ返っているだけなのかもしれない。
数瞬の沈黙が周囲を支配した後、彼女が口を開く。
「戦場で敵に命乞いをして何になる。何故、私が貴様なぞの命を救わなければならないのだ。見逃す道理がどこにある。それならばせめて、その命を救うリスクに釣り合う何かを提示してみせろ」
「…………」
その言葉は至極真っ当な意見だった。
本当に抵抗しないかも不明な相手をわざわざ見逃し、生かしておく義理など彼女には――否、アッテリサ国兵全員には微塵も無いのだ。彼を見逃すことによる利益があるならばまだしも、寧ろこれから彼の手によって殺される兵士や国民の損害しか無い。更に言えば彼女はタバンパニのことを初見時から心底忌み嫌っているのだから、尚のこと救ってやる理由などありはしないだろう。
「お前達の仲間に入ろう。戦いで傷つけば呪文で治療し、後方からの作戦指揮も執ろう。だから――」
「話にもならない」
必死な形相で口を開いた彼だったが、やはりと言うべきかその提案は即座に
「第一に私は貴様のことが今すぐにでも殺したい程大嫌いだ、信用もしていない。たとえ我が国王が何かの気狂いで貴様を受け入れようと考えようとも、私は必ず反対し抹殺する。どれだけ能力が優秀だろうと、性根の腐りきった屑と同じ戦場になど誰が立つものか」
「…………そこまで言う必要無いだろうに」
あまりに痛烈な罵声を浴びせられた彼が小声で呟く。
どうやら、彼のこれまでの戦術は彼女にとってそれほどまでに嫌悪されるものだったようだ。
「……他には無いのだろう? ならば潔く死ね」
そう言い捨て、彼女は再び彼に向かって全速力で駆け抜ける。敵の邪魔が入る前に、確実に仕留める為に。
「――ハンッ。死なねぇよ、バァーカ」
「――っっ!?」
だが、その判断は既に遅かった。
あと数歩で命を絶てるところまで接近したと同時に異変を察知し、彼女は咄嗟の回避行動を取る。すると広範囲の地面が波打つように隆起し、次の瞬間にはタバンパニと存命の配下たちを丸ごと呑み込んでしまった。恐らくは別の指揮官が到着し、呪文によって彼を逃がしたのだろう。
(チッ、しくじったな)
――
自身の判断ミスを悔やみ、溜め息が出る。これで彼女はみすみす相手の命乞いを受け入れてしまった形になるのだから、本当に笑えない話である。
「…………はぁ。皆、とにかく今日は帰ろう」
深く落ち込む心を気合で浮き上がらせ、彼女は振り返って仲間たちに指示を出す。
戦争はまだ終わらないが、とは言え休息は必要だ。敵が敗走した以上はもうこの場に留まる理由も無い為、素早く帰って報告をしなくてはならない。戦闘が終わっても仕事はまだまだ残っているのだから。
◆◇◆◇◆◇
最終的に敵の指揮官は逃してしまった彼女だが、彼女の活躍により手薄となっていた関門を突破されることを防ぎつつ国の生命線とも言える場所に全兵力を投入し死守することが出来た。これはこの戦争においてかなり重要な分岐点だったと言えるだろう。
優先度に差があるとは言えど、彼女の守った関門もまた国の存続には重要な役割を担っていたのだ。どちらかは諦めざるを得ない状況だったことを考えれば、彼女が此度の戦で成し得た功績は非常に大きかった。
「…………と言う状況で、報告は以上になります」
「分かりました。お疲れ様です、ランプシー。下がって良いですよ」
「失礼致しました」
タバンパニとの戦闘から帰還してきたアッテリサの女兵――"ランプシー・ゼストス"はアッテリサ国王への報告を済ませた後に、自身の部屋へと戻って行く。と、その道中――。
「あら、おかえりなさいランちゃん。これからお茶するんだけど、一緒にどうかな?」
「イーアコス様、ただいま帰りました。是非ともご一緒させてください」
王城の廊下で同い年くらいの少女――"イーアコス・アッテリサ"とすれ違い、お茶会に誘われた。彼女はこのアッテリサ王国の第4王女であり、そしてランプシーの数少ない親友と呼べる関係の人物でもある。
「ありがとう、それじゃあ入って入って♪ 最近ね、結構良い感じのお茶を買ったから一緒に飲みたいなってずっと思っていたのよ」
「そうなのですか。それはとても楽しみですね」
そう言って彼女は王女の部屋へと入って行く。
そこはやはりと言うべきか、とても一人が過ごす部屋とは思えない程に広く豪華な家具や装飾品で煌びやかな雰囲気が醸し出されていた。そんな空間の中央に置かれた丸机と、その上には気品溢れる純白のティーセットと色とりどりの焼き菓子が乗せられたプレートが数枚。それらの数からして、元より誰かしらと共にする前提で用意してあったのだろう。
「さぁいらっしゃい。久しぶりにランちゃんが城に帰って来るって聞いたから、張り切って準備したんだからね」
「有難い限りですが……『久しぶり』と言ってもたった数日離れていただけですよ」
「私にとっては二日会えないだけでも久しぶりなのっ。それくらい分かっているでしょう」
膨れっ面をしながらも上機嫌に言葉を交わすイーアコス。その麗しくも親しみを覚える表情を浮かべて話している、その様子からこの二人の関係性を物語っているようだった。
いつまでも子供っぽい反応を見せる彼女にランプシーはクスッと笑って、彼女と向かい合うように椅子へ腰かける。
二人が知り合ったのは凡そ十二、三年ほど前のこと。
当時、まだ六つくらいの年頃だったランプシーは両親の顔を知らずに孤児院で過ごしていた。預けられたのか捨てられたのかさえ彼女自身には知る由も無いことだろうが、どちらにせよ最も身近な愛を受けられて来なかったのは事実。
そんな折に王族としての仕事としてイーアコスはその孤児院に訪れ、そして彼女と出会ったのだ。その頃からあまり多くを語ろうとしない彼女だったが、積極的に話しかけてみれば思いの外に気が合い話は弾んだ。彼女の"ランプシー・ゼストス"という名はイーアコスがこの時期に付けたものだ。
そうして交流を深めていく中で彼女はイーアコスとその家族に気に入られ、暫くして給仕兼護衛の役割を与えられる形で王城へと引き取られることになった。現在彼女が戦場で愛用している細剣はイーアコスが祝いに進呈した、アッテリサ国内でも屈指の武器職人が創り上げた逸品である。
今の彼女が形成される過程で、アッテリサの第4王女は常に関わってきた。
「懐かしいわね。あの頃からランちゃんは凛々しくてカッコよくて、それで可愛かったわ。話していて楽しいし、いつもランちゃんに会えるのが楽しみで仕方無かったのよ」
「勿体ないお言葉です。私も、イーアコス様が孤児院に来訪されるのを心待ちにしておりました」
「まぁ私の立場から言えば一個人に贔屓するようなことは、あまり良い印象を受けないから御法度なんだけどね。私が王族だからって、友達作りすら自由にさせてくれないのよ。ひどい話よね」
「何とも言えないです。しかし、現に私はイーアコス様と親しくさせて頂いていますので特に不自由は感じておりません」
「それはランちゃんが
イーアコスの発した『特別』という言葉。
実際、彼女の言うように親しくなったからという理由だけで特定の個人にのみ利を与えるような行いは、国の指導者として強い反感を買われかねない。しかし逆を言えば、相応の理由があればその事態は避けられるということでもあり、その理由をランプシーは有していた。
アッテリサ国王がまだ幼かったランプシーを王城へ引き入れた最大の要因は、彼女の圧倒的な戦闘能力と勇敢なる精神性にあった。
何度目かの謁見の際、孤児院に凶暴な猛獣が複数侵入してくるという事件が発生したことがある。当然、護衛として率いている兵士たちで駆除にあたったのだが一匹を取り逃してしまい、子ども達が襲われそうになったのだ。だがしかし、その場にいたランプシーが子ども達の前に飛び出し、そして怪我を負いながらも素手で猛獣を撃退するに至った。
その戦いぶりを目にしたアッテリサ国王は彼女の才質を実感し、その将来性を見抜いた。この一件が決め手となり、彼女を王城へと雇うこととなる。当時の彼女がまだ幼かった為、即座に徴兵する流れにはならなかったのだがこの時から既に貴重な国の戦力として王は数えていた。
「ふふっっ、今でも鮮明に覚えているわ。子ども相手だからって調子に乗ってた兵士の一人が、ハンデ無しの模擬戦でランちゃんにボロ負けしてたのを。あれはとっても面白かったわね」
「……そんな事がありましたか? あまり記憶に無いのですが」
「あったわよ。まぁでも、あれは仕方ないと言えば仕方ないことよね。年齢も体格も下回っている相手と平等な勝負なんて、普通は負けないと思うわ」
「…………、あぁ。少しだけ思い出しました。あの時はまだ私も幼かったもので……」
そんな風に過去を懐かしみながら、二人は談笑しつつ優雅なお茶会を楽しむ。
――そう思っていた。
「し、失礼しますっ! ランプシー隊長、西方の国境より敵影あり。恐らく敵襲かと」
唐突に開けられた扉から息を切らして一人の兵士が現れ、緊急事態を告げる。
折角のプライベートな時間を楽しんでいたイーアコスがあからさまに不機嫌な表情を浮かべ、しかし兵士を責めるわけにもいかず小さく唸った。ランプシーも彼女と同じ気持ちではあったが、されど敵襲とあれば致し方ない諦めも付いている。
「イーアコス様、申し訳ありませんがお茶会はまたの機会に致しましょう」
「…………ずっと楽しみにしていたのに」
「すぐに帰って参ります。もう『久しぶり』とお思いになられないよう善処しますので、今日の所は堪忍して頂けませんか」
「絶対によ? もしも約束を破ったら少なくとも一晩は絶対に離さないんだからね」
「はい。勿論です」
どこか不安げな視線をむける王女に優しく微笑み返すと、ランプシーは兵士の後を追うように部屋から飛び出した。
――自分を待ってくれている
そう自分自身を鼓舞し、彼女は再び戦場へと足を運ぶ。
少数精鋭の隊士たちと向かった場所は前回の戦場から少し離れた、見晴らしの良いなだらかな丘。そして先の兵士が報告したようにルデサス国兵の姿も見受けられる。現在は両国の兵士が距離を保ったまま、互いに睨み合っている状況。
ランプシーの率いる部隊はその様子を丘の上から見守っていた。
(確かに敵の姿はあるが、数も別にそこまで多くない。念には念を入れたいのだろうが、わざわざ私の部隊を投入しなければならないような戦況には見えないが……)
戦場を俯瞰して見る彼女はそう考える。
確かに兵力の差は見て取れるものの、そう大きく劣勢に見える程でもない。寧ろアッテリサ側が用意している兵器も加味すれば、僅かに優勢だと判断できるレベル。
ランプシーが投入されるのは往々にして普通の兵力差では覆りそうにない事態ばかりであり、正面以外の方角から奇襲して敵の意識を分断しつつ大将首を狙う役割を引き受けている。謂わば困ったときの最終兵器的な立ち位置であり、それは自他共に共通している認識のはずであった。
更に言えば前回の戦闘からたったの三日程度しか経過しておらず、彼女の部隊も疲労が残っている状態。彼女の戦力と役割から考えればかなり雑な起用をしており、表現を選ばずに言えば捨て駒のような扱いである
(それだけ早期決着を望んでおられるのか、それとも他に何か考えが……)
普段とは異なる戦況に困惑しつつも、上には上の考えがあると信じ彼女は部下を引き連れて進軍する。
指示の内容は普段と変わらず遠回りしてからの奇襲であり、しかし突撃のタイミングは正面でぶつかる時と同刻。つまり、時間差を作らない挟み撃ちを行うとのこと。その為、彼女達は双方がぶつかるよりも先に敵の背後へと回り込まなければならない。
敵軍に気配を覚られないよう、普段よりも長い距離を遠回りして往く。見晴らしの良い立地は精神的にも肉体的にも負荷のかかる環境であり、より一層彼女の部隊を投入する理由が不可解であった。
――と、考えながら歩を進めていた時だった。
「「うわぁぁあっ…………――」」
部隊の右側に位置していた隊士の数人が声をあげると同時に消え失せた。
振り返って見ると地面には大きな穴が開いており、それから程無くして鋭い何かが肉を貫く音がした。罠が仕掛けられていたのだ。
それに驚いた部隊が穴から遠ざかるように後退る。すると――、
「っ!? こっちにm……――」
今度は左側に位置していた隊士数人が穴へと落ち、泡立つ液体の中へと沈んでしまった。そして藻掻こうとする暇すら無く、その身体は煙をあげながらドロドロと溶けてしまい塵一つ残さず消えた。
この事態には流石のランプシーも狼狽を隠せなかった。
(嵌められたっ!?)
戦場にこういった仕掛けが施されているのは当然とも言えるが、問題はその規模だった。
敵が通るかどうか不明な場所へ仕掛けておくには、目の前の穴は大き過ぎる。そして直後に聞こえた音から察するに、この落とし穴の中には大量の凶器や毒液類が仕込まれていた。これほどの物をたったの数日で複数用意できるとは到底思えない。
つまり敵は確実にアッテリサの奇襲部隊がここを通ると確信し、短くない時間をかけて準備をしていたのだと考えられる。
「皆落ち着いてっ! 来た道をゆっくり戻れば無事に――」
唐突な出来事を前にしても彼女は冷静に努め、部下へ振り返って指示を出す。――が、その時には既に仲間の姿が一人も見当たらなかった。足音の一つすら聞こえなかったことから逃げ帰ったのではないのだろうが、そうなると何処に行ってしまったのか見当すらつかなくなる。
(何かの幻術か。それとも……)
犯人はまず間違い無くルデサスの輩であり、仕組みも敵が得意とする呪詛によるもの。恐らくは遅効性の転移罠か、実際とは異なる光景で惑わず幻術の類。
そう判断した彼女は武器を構えて敵からの奇襲に備える。四方を見渡し、敵が姿を現すまでじっと耐える。
「っ!? な、んだ……視界、が…………」
と、遂に彼女の身体にまで異変が発生した。
細剣を構えている両手は痺れ、身体を支える足腰が震え始め、目の前の景色が少しずつぼやけていく。何が起こっているのかを考えようにも意識は朦朧とし、やがては
「はぁ……、はぁ……、はぁ……、はぁ……」
呼吸が乱れ、脈拍が速まり、体温の上昇に伴って発汗が止まらない。
――どこかで毒を盛られたか。――
そう考えたところで足下がふらつき、脚を踏み外した。
視界が完全な白に染まる寸前、彼女は崖上から身を乗り出して手を伸ばしている部下の姿を目にする。そうして思考が停止すると同時に彼女は漆黒の世界へと転落してしまう。
◆◇◆◇◆◇
ふと瞼を開いてみるとそこは薄暗い空間だった。カビ臭さが漂う、無機質な岩壁と地面。屋外かと思える場所だが、出入口と思える扉が自身から見て正面に一つだけ。天井から吊り下げられているランタンの火は弱く、どこかの隠れ家か何かのようにも思える。
少しずつ意識が明瞭になっていき、自身の身体を見れば両手首には金属製の枷が嵌められている上に首輪と鎖で頑強な杭に括りつけられている。そして一糸まとわぬ姿で放置され、当然と言えば当然だろうが愛用の細剣も没収されている。
(最後に思い出せるのは、……そうか。そういうことだったか…………)
ここに至るまでの記憶を遡り、そしてランプシーは事の顛末を察した。
恐らく、意識を失う直前に見た仲間たちの姿が真実でありそれ以前のトラップは全て敵の罠による幻想。つまり部隊の先頭を歩いていた彼女が最初に罠にかけられ、呪詛による幻惑で混乱してしまった。そうして別の罠にも嵌められて身体が異常をきたした後に、丘の上から転げ落ちて意識を失った。
その時の証拠と思える打撲痕が全身の至る所にあり、ズキズキとした痛みを訴えている。
(…………まだ、身体も不調なままか)
発熱や眩暈などはほぼほぼ解消されているものの、まだ全身の痺れや倦怠感は残ったままで充分に身体を動かせそうな状態ではなかった。いくら幼い頃に素手で猛獣を撃退した彼女とは言え、たとえ手枷や足枷が無くとも今は大した抵抗手段が存在していない。
ランプシーが冷静に自分の置かれた状況を分析していると、たった一つしか無い正面の扉がゆっくりと開かれた。
「おや、ちょうどお目覚めかな。アッテリサ国最強の女兵様」
「っ、お前は……あの時の呪詛師か」
そうして現れたのは数日前に戦場で逃してしまったルデサスの指揮官――"タバンパニ"だった。
彼は右手に大きな鞄を持ち、怪しげな雰囲気と静かな狂気を漂わせている。その様相はまさしく、今から彼女を拷問しようしている男の姿。その様子を前に彼女は冷汗が背筋に流れ落ちるのを感じた。
(これはかなり不味い事になってしまったわ)
これから起きようとしている最悪のシナリオが脳裏に過る。
相手は死体を弄ぶことにさえ一切の抵抗も無い鬼畜であり、使える物は何でも使う主義。そして今囚われているのはアッテリサ国で最強と名高いランプシーなのだから、尚のこと戦闘能力の高さから利用する以外の手は無い。ルデサス国の扱う呪詛を詳細に把握しているわけではない彼女でも、相手の意思に反して行動させる術がある事は想像に容易いだろう。
意識の有無に拘らず、自らの手で大切な自国の兵士を攻撃させられてしまう。これ以上に恐ろしい事を彼女は知らない。
(さっさと自害したいところだけど……、恐らくはそんな事をさせてくれたりなんてしないでしょうね)
そうなるよりも前に自ら命を絶てれば、どれほど幸せだっただろうか。
武器は取り上げられ、手足が思うように力を入れられず、既に敵の監視下にある状況。下手な動きを見せれば警戒され、行動を封じられるであろう事は明白だ。
(今は何もせず、油断している所を一撃で仕留める。それで状況が変わる事は無いだろうけど、それでも敵を一人でも多く殺せるのなら……っ)
自分に背を向けて鞄の中から何かをガサゴソと取り出して並べている男を睨みつけながら、彼女は心の中でそう呟き相手が隙を見せるのを待つ。首輪で繋がれている為に行動範囲は広くないものの、相手から近づいて来るのならば一撃程度は入れられるかもしれない。
「……これから尋問でもしようっての? それとも洗脳? 貴様らルデサス国の奴らがすることだからな、どうせ悪趣味極まりないに決まっている」
「どう思われようと関係ないな。特にアッテリサの猿どもに理解できる等とは思ってないからな」
「ふん、理解したくもないわ。気味の悪い知恵しか入ってない脳みその中身なんて」
「出来ない事の言い訳だろうに、低能風情が無駄にプライドだけ高くなりよって。浅ましい」
「………………」
相手を挑発してやろうと考えて言葉を発したランプシーだったが、相手に挑発され返されて熱くなりかけていた事に気づいて深呼吸をする。相手の冷静さを欠こうと取った行動だったが、策士策に溺れるところであった。
と、そのやり取りの中で男は後ろ目に彼女の様子を観察して口を開く。
「だがまぁ、随分とお喋りが出来るくらいには元気を取り戻したみたいだな」
「……口だけよ」
「口だけなら好都合だ。なんせお前には俺達の玩具としての価値しか無いからな」
「………………え?」
ふと耳に聞こえた言葉にランプシーは思考が一瞬停止する。あまりにも想定外な内容の物言いに理解が追い付かなかった。
そしてそれによって反応が遅れてしまった。
「――っ痛ぅ!」
男が振り向きざまに何かを彼女の首に突き刺す。
鋭い針が皮膚を突き破り、肉をかき分けて奥へと進んでいき、そして彼女の体内に冷たい液体が流れ込んでくる。何かの毒液と思わしきそれは、じわりじわりと滲むように全身へと染み渡っていく。
経過したのはほんの数秒、しかし体感ではその倍以上。
「ぅ……ぐぁっ」
やがて男が首に突き刺した物を引き抜いた。
異物が体内から出て行った後も尚続く鋭い痛みと全身を這い回る不気味な温度によって脱力し、ランプシーは膝から崩れ落ちる。脈拍も発熱も無いが漠然とした恐怖と嫌悪に心身が苛まれ、思考がまとまらない。
「まずはその身体を変化させて貰うよ。玩具らしい容姿にね」
そう言い残して男は奇妙な器材を鞄ごと残したまま部屋から出て行く。独りで取り残されたランプシーだけが、地面に這い蹲
この瞬間が自身にとって地獄の始まりを告げる合図だった事を、彼女はまだ知らない――。