とあるセフレたちの週末 〜繋がりっぱなし交尾で貪りあう二泊三日間〜 作:若菜はかり
【17:23】文学部の王子様
七月の最終週、多くの学生が集った農学部第二講義室はしんと静まり返っていた。
ペン先の走る音だけが聞こえるその空間で、俺は最後の一文を書き終える。机の上にそっとシャープペンシルを置くと同時に、狭まっていた視界が一気に広がる感覚がした。
今日は大学の期末試験期間、その最終日だ。
春学期最後の関門。そしてこれさえ突破してしまえば、待望の夏季休暇である。
慎重を期して答案全体に視線を巡らせ、一目見てわかるようなミスがないかを探す。
それが無事に終わると、最後に忘れず用紙の一番上に目を移す。
学籍番号と氏名の記入欄。
番号は一桁も抜けなく記入していることを確認した。
小坂井亮太、という自分の名前も当然間違えようがない。
もう確認するところがなくなり、俺は荷物をまとめて席を立った。
長机の間を抜け、教壇へと向かう。待ち受けていた白髪メガネの担当教授に軽い会釈とともに答案を手渡し、廊下へ通じる扉を通り抜けた。
しかし、まだ油断はできない。口元を引き締め、早足で階段へと向かう。
三階から二階へ降りる。その踊り場で、俺はやっと感慨に浸ることができた。
「はぁ~っ、全部終わったぁ」
いっぺんに緊張がほどけ、疲れてヘロヘロになった声が漏れる。
これでやっと夏休みだ。両手を思い切り伸ばして、俺は途方もない解放感を味わった。
「よっ、お疲れさん」
「お疲れ~、坂井っち」
講義棟のエントランスまでやってくると、聞き馴染んだ声が後ろから聞こえてきた。
振り返れば、一組の男女。
少し背が低いがガッチリとした体格の男子学生と、その彼の頭一つ分ほど小柄なポニーテール女子。二人は俺が所属しているサークルの先輩と同回生で、共に同じ農学部。この辺りでは頻繁に顔を合わせている間柄だった。
「お疲れ様です。先輩も試験上がりですか?」
「いいや、俺はたまたま研究室から休憩で出てきたところだ。今日は部会もあるしサークル棟にも寄るつもりでな。そうしたらコイツと偶然行き会って」
「私はちょうど試験終わりだったの。坂井っちよりは少し早く出てきたんだよ」
そんな会話をしながら三人で講義棟を後にする。
日は傾いたというのに未だうだるような暑さの中、連れだって向かう先は学生会館内にあるコンビニだ。
どうやら世話好きの先輩は後輩二人に飲み物を奢ってくれるつもりらしい。俺はせめて奢り甲斐のある可愛い後輩を演じて、その心遣いをありがたく頂戴することにした。
学生会館に向かうにつれて学生の数は見る間に多くなっていく。
すれ違う彼らの表情からは、キャンパス内に満ちる浮ついた雰囲気が感じ取れた。
多くの者は俺たちと同じように、これからサークル活動やアルバイトに向かうのだろう。
仲睦まじく手を繋いだカップルもいた。夏休みの予定でも話し合っているのだろうか。
あるいは、大きな集団となってテンションを上げ、今からでも打ち上げコンパに繰り出しそうな連中の姿もあった。
とはいえ、そんな中に疲労困憊を顔に浮かべ幽霊のように
そうして俺たちが学生会館の入口まで到着したときである。
俺はふと、エントランス脇のテラスに目をやった。木製のベンチとテーブルを並べて休憩スペースとなったそこは、この暑さの中でもほぼ全ての席が埋まっている。
疲れてはいたが、別に座りたかったわけではない。
ただ、その一番手前側に座を占めた一団の中によく見知った顔を見つけたのだ。
「あれ、あの子はたしか芦原真衣ちゃん」
同回生の女子もやはり気づいたらしく、驚いた声を上げた。
おそらくその声が聞こえたわけではないだろうが、あちらも顔を上げて、俺たちに気づいたようだった。その人物はちょっと驚く顔を見せるも、一緒に座る女子たちに話しかけられたようですぐに視線を戻す。
きっと彼女たちは友人なのだろう。しかし、件の人物の見た目も相まって、その集まりはさながら美男子を囲うハーレムのようにも見えた。
「……あしはら、まい?」
先輩は訝しげな様子で後輩が口にした名を繰り返した。
「あれ、知らないんですか? 文学部の王子様ですよ。ほら、去年の学祭で有名になったじゃないですか。覚えてません?」
「ん~?」
丸太のように太い首をかしげる先輩。
しかし間もなく思い当たる記憶があったようで、ポンと軽く手を打った。
「あぁ、思い出した。去年のミスキャンパス選挙、その前座でやってた男装大会か。確かそこでぶっちぎって優勝したっていう、あの」
「はい、それです。あんまり色気がありすぎて主役を危うく食いかけたっていう、ある意味伝説の子ですよ」
会館の中に入ってしまえば、当然先ほどの女子学生の姿は見えなくなった。
それでも尚、二人の話は続く。「なるほど、美人だったな」とか、「みんなチラチラ見てましたもんね。彼氏とかいるのかな」とか。その内容を半ば聞き流していると、俺のスマホがポケットの中でブルブルと震えた。
このバイブの仕方はメッセージを受信したのだろう。
送ってきた人物にも当たりをつけながら、スマホを取り出す。
画面に表示されたのは案の定、『真衣』というアカウント名だった。
『お疲れ。今日この後は暇? もし都合よかったら少し会って話せないかな』
たったそれだけの文章に、俺の心臓はドクンと高鳴った。
それでも冷静さを装いつつ少し考え、返事を送る。
『予定はOK。でも部会があって、ちょっと待っててくれるなら話せる』
先輩たちに遅れないようにコンビニに入店し、商品棚からカフェオレを取り出す。
そうしていると、彼女からの返信はすぐにあった。
『了解。じゃあ、このまま会館のカフェで待ってるね』
そのメッセージを目にして、俺はカフェオレを手に取ったことを若干後悔した。
とはいえ、先輩たちは先に品物を選んで待ってくれている。
俺はそのままレジへと向かった。手に握ったよく冷えた飲み物の冷たさが、かすかに火照り始めた俺の体温には丁度よかった。
***
「あっ、小坂井君。こっちこっち」
部会に参加し終えてすぐに学生会館まで舞い戻ると、人気もまばらなカフェの窓際に座っていた女子学生――芦原真衣が俺に向かって手を振った。
それに軽く手を挙げて応えつつ、俺はカウンターで一番安いアイスコーヒーを注文する。既に喉は潤っているけれど、席料代わりというやつだ。受け取って先ほどの待ち合わせ相手がいる席まで歩いていく。彼女はいつものクールな微笑みで俺を迎えてくれた。
「悪い。待たせた」
「ううん。こっちこそごめんね、急に呼び出しちゃって」
「いや別に。そんなことはない」
簡単に雑談を始めながら、俺は真衣の対面にどっかりと腰を下ろした。
「期末試験、そっちも終わったのか?」
「うん。本当は四限で終わってたんだけどね。その後にゼミのことで教授に相談しに行って、さっきはたまたま会った友達とお茶しながら話してたところ」
「お前も相変わらず忙しいやつだな」
「そんなことないよ。今日はサークルも休養日だしね」
そこまで話をしたところで、真衣はスッと会話を切った。
俺がさっき買ってきたアイスコーヒーをテーブルに置き、早速ミルクとシロップを溶かし込むのを見たからだろう。そのまま一口飲むまで静かに待っていてくれた。
相変わらず気配りができるのに、それをなかなか相手に感じさせない自然な振る舞いだ。
そしてそんな彼女の品性の良さは、衆目を集める外見にもまさに滲み出ていた。
整った細眉に落ち着きのある黒の瞳、控えめながらも形良い鼻筋と少し薄めの唇。可愛らしいというよりは綺麗め、華やかな女性らしいというより中性的と言ってよい顔立ちは、襟足を短く切り揃えたショートヘアと相まってよりその印象を強めていた。
髪色はアッシュゴールド、というやつであろうか。
単なる金髪よりも深みのあるその色合いは、垢ぬけた真衣によく似合っていた。
きっと日々の手入れだって抜かりはないのだろう。少し長めの前髪を彼女の指先がかき上げると、艶やかな髪はサラリと流れ落ちる。その女性的な仕草のたびに香る柑橘系のコロンが、コーヒーの匂いに混じって俺の鼻腔をくすぐった。
「それで会って話したいことって何だったんだ?」
すっかり甘くなったアイスコーヒーをごくりと飲み下すと、俺は直截に尋ねた。
とはいえ、聞かずとも大方の見当はついている。
年次が同じとはいえ学部もサークルもまるで違う俺たちにとって、つながりといえば
「今日で試験も終わったしさ、お疲れさま会兼ねて久々に宅飲みしたいなって思って。もちろん小坂井君の都合がよかったらなんだけど、どうかな?」
「また俺の家でか? 散らかってるけど、それでもいいなら構わんが」
それはやはり意外性も何もない提案だった。
真衣の言う通り、今日が期末試験最終日であったことを考えれば、まず打ち上げと称して飲み食いしたいというのが健全な大学生の姿だろう。そこで費用のかからない宅飲みにするあたり、むしろ大人しく堅実な近頃の学生らしいと言えるかもしれない。
だが、これがただの宅飲みにはならないと俺は知っていた。
真衣もそれは同じだろう。というより、そうであることを前提として誘っているのだ。
俺は反射的に生唾をぐっと飲みこんだ。その事実を真衣に悟られないようにごくごく平然を取り繕い、もう一口コーヒーを口に含む。
「でも、わざわざ会わなくたって、メッセージで伝えてくれればよかったんじゃないか?」
「だって、お酒とかおつまみの段取りがあるじゃん? それに今週はレポートや試験で散々文章を書いたし、またスマホでチマチマやり取りするのは面倒くさくて」
「……まぁ、その気持ちはわかるな」
学部は全く違えども同じ試験期間を闘った者同士である。共感は免れえない。
と、そんな話をしながらも、真衣はテーブルの端に置いていたメモ帳を手に取った。何枚かパラパラと捲り、目当ての一枚が見つかるとそれを千切り取って俺に寄越す。
そこには既に宅飲みに欲しい酒の銘柄や種々のおつまみがリストアップされていた。多くはいつも彼女と宅飲みするときと同じお決まりのメニュー。だが、中には今回初めてリクエストされているものもあった。
「そういや次は俺が買い物当番だったな。なになに……たこわさに〆鯖、それにモツ煮? おいおいどうした。今日はやけに渋いチョイスじゃねぇか」
「あはは。実は最近、動画サイトで居酒屋探訪もののチャンネル見つけちゃってさ。その影響で試してみたくなっちゃったっていうか」
「へぇ。お前もそういうの見るのな。まぁわかった。あれば買っとく」
「お願いね。もしなかったら、小坂井君の好みで見繕っておいて。じゃあ、これお金」
「おう、サンキュー」
軍資金となる数枚の千円札を受け取ると、真衣は申し訳なさそうに両手を合わせて「一旦家に帰る用事があるから到着は遅れるかも」と付け加えた。
試験期間中は家事がおろそかになっていて、正直部屋の片づけの時間が欲しいくらいだったから、俺としてもその申し出はありがたかった。気にするな、むしろ遅くなってくれたくらいがちょうどいい、と伝えると彼女は可笑しそうに笑った。
「そういえば、さっきまで部会って言ってたけど……あれだっけ、筋トレ部?」
サシ飲みの段取りも決まり、二人そろって席を立つ。空になったカップをゴミ箱に捨てに行ったところで、真衣はふと思い出したように聞いた。
「正確にはウェイトトレーニング部、だ。何度も言わすな。あんまりおちょくると、ウチの怖い女性陣が黙ってないぞ」
「ごめんごめん。もう間違えないから。……それにしても、夏休みだし大会も近いんだよね。たしか来月だっけ。なんだか最近見ないうちに、また身体が大きくなってない?」
そう言って、彼女は気安げに俺の胸板に触れてくる。
その手には何の他意もなかったはずだ。なのに、俺の背すじはぞくりと粟立った。
「おい、急に人の身体を触るなよ」
「どうして? 別に減るもんじゃないでしょ」
「減りはしないが、多少ビックリはするんだ。特に女に触られるとな」
「へぇ、そう?」
最後に付け足した不用意な一言に、真衣の目つきが妖しくなった。
そっと指先だけのタッチだったはずが、気づけば手のひら全体が胸板を触っていた。ジャージの下の鍛え上げられた筋肉の固い弾力を愉しむように、ぐっぐっと押してくる。その手はやがて肩回りへと上り、次いで首の付け根に指を絡めようとした。
「すごいなぁ。触るところ、どこも固くて太い。首なんかも指が全然回んないや」
「……なぁ、いい加減にしろよ?」
「なんで? 褒めてるのに」
「時と場所を弁えろって言ってんだよ。ただでさえ両方とも目立つ見た目なんだから」
「大丈夫だって。今はお客さん少ないし、ここは物陰になってるから誰も見てないよ」
彼女の指摘通り、ゴミ箱がある区画はカフェスペースからは死角になっていた。
しかし、少ないけれど客はいる。誰かが近づいてくればすぐに気づかれてしまうだろう。
片や身長百八十センチ後半、ウェイトトレーニング部所属の筋肉ダルマ。
片や身長百七十センチ、高身長の王子様系金髪美人、なのである。
とても人目を忍べるほどに薄い存在感ではない。しかもその上に、こんないかがわしい雰囲気を漂わせていれば結果は火を見るよりも明らかだった。
「とにかく、いい加減にしろって」
少し語気を強めながら手を払うと、真衣は不満そうに唇を尖らせた。
「素直じゃないなぁ。じゃあ、逆に私の身体を触ってみる?」
「……は?」
気がついたときには、いつの間にか真衣の左手が俺の右手を取っていた。
すべすべした指先が手の甲を撫でる。その柔らかな触れ方に、また背すじに甘い震えが走った。
「お、おい。何を……」
「大学だからって真面目ぶっちゃって。本当は小坂井君も触りたいんでしょ。さっきから胸元チラチラ見てたの、私気づいてたんだから」
「……うっ、それは」
「ん~? あはっ、図星だ」
言葉に詰まった俺を見て、真衣はニンマリと口角を上げる。
いや、しかしこれはしょうがないのだ。原因はこんなことをのたまう真衣にこそある。
身長百七十センチという女子としては大柄な体躯は、所属しているバスケットボールサークルで日々活動することによって鍛え上げられ、見るからにスラリと引き締まっていた。その一方で女性として出るべきところはしっかりと出ており、王子様系と称される顔立ちとは相反して実にグラマーなボディラインを有してもいる。
何より彼女自身が、この強みを完全に理解していた。
世間には身体の線が透けるのを嫌がり、目立ちにくい服装を選ぶ女性も多いと聞く。
その点で真衣は真逆だ。むしろ積極的に、しかし下品にはならない程度に自身の肉体的魅力を十分引き出す服を好んだ。
今日も今日とて、彼女は白のノースリーブニットにデニムジーンズを穿き、(名前はわからないが何やら薄い生地でできた)透け感のあるシャツを羽織るというコーデを身にまとっている。
女性のファッションには詳しくないが、少なくとも彼女にはよく似合っていると思う。
あるいはもっと直接的に表現していいのなら、服の上から浮き出る魅惑的なシルエットといい、つい視線を吸い寄せられてしまうシースルーの上着といい、正直言って男にとってはあまりに目の毒だった。
「相当溜まってるんだね。でも、まだダメ。お楽しみはおうちに帰ってから、ね?」
そう言って、真衣は一瞬だけ俺に身体を寄せてきた。
生温かい吐息が耳朶を撫で、一気に強まった柑橘系の香りが鼻腔を満たす。
豊満なバストが胸板に押し当てられ、次の瞬間には二人の間でむにゅりと潰れた。その何とも言えない快い感覚に俺の下腹部がじくりと疼く。
「じゃあ、買い物お願いね。私もなるべく早めに向かうから」
催眠術にでもかかったように呆然としていた俺が我に返ったときには、真衣は既に身を翻し、立ち去ろうとするところだった。
俺は黙ってその背中を目で追うことしかできない。
「……溜まってるのはそっちもだろうが」
ようやくそんな呟きを口にできたのは、彼女が完全にカフェから姿を消した直後だった。