とあるセフレたちの週末 〜繋がりっぱなし交尾で貪りあう二泊三日間〜 作:若菜はかり
俺と真衣との関係が始まったのは、忘れもしない去年のクリスマス・イブのことだった。
――そう。細かいことだが、そのとき『初めて会った』わけではないのだ。
本当の初対面は、バスケットボールサークルの新歓コンパに参加したときのことだ。同学部の友人に誘われただけだった俺は、元よりタダ飯が目的で、隣に座った女子の名前や顔すらまともに覚えていなかった。真衣と今の関係になってから「そういえば、あのとき隣に座ったよね」と言われて、ようやく薄っすらと思い出したほどだ。
それから再び顔を合わせたのは、第二外国語のクラスで一緒になったときのこと。グループワークで同じ班になることもあり、そこでようやく存在を認知した。女慣れしていない俺でも小ざっぱりとした真衣は話しやすかったらしく、出身地や所属しているサークルの話をしたことがかすかに記憶に残っている。
しかし、学部もサークルも違う俺たちの行動範囲が重なったのも所詮はそこまで。あとは一年以上も接触する機会はなかった。
いや、正確に言えば、大学祭の男装コンテストの会場を通りかかり、「あ、あいつ芦原か」と思い出したことはあった。だが、こんなのは物の数にも入らないだろう。
以来、俺たちは接点を持たぬままに卒業し、それぞれの人生を歩んでいくはずだった。
そうなるはず――だったのだ。
しかし、運命の女神様とやらは要らぬ気まぐれを起こしたらしい。
よりにもよって、恋人たちがロマンチックなときを過ごす聖夜に、その事件は起きた。
『――小坂井! ちょっと店の前、見てきてくれねえか?』
声のデカい大将からそう指示されたのは、ちょうど大所帯のグループ客が退店し、店内が落ち着いてきたタイミングだった。
当時(そして今現在もだが)の俺は、サークルの先輩からの紹介で、駅近の飲み屋街にある焼き鳥店でアルバイトをしていた。
世間はクリスマスムード一色。とはいえ、元より恋人はいないし、遊ぶ金もない。俺を求めてくれるのはシフト繰りに困ったバイト先の大将くらいなもので、この日もいつもと変わらず労働に勤しんでいた。
『何かあったんですか?』
『いやな。店先で若い女の子が一人、酔い潰れて座り込んじまってるらしくて』
奥の座敷席を片付けてカウンターまで戻ってくると、大将は困った顔でそう言った。
『今夜なんて人も多いし、何かトラブルにでも巻き込まれたこっちも後味が悪い。事情聞いてみて、必要ならタクシーくらい呼んでやるって声かけてみてくれ』
『ああ、了解っす』
飲み潰れた酔客なんて、この辺りでは珍しくもない。それなのに大将が妙に優しいのはおそらく『若い女の子』というあたりが理由だったのだろう。
――このスケベ親父め。
内心呆れながらも、俺は店を出た。
すると問題の女性らしき人影は、電飾看板の陰にうずくまっていた。
『お姉さん、大丈夫ですか?』
『……はい? あ……もしかして、小坂井君……?』
『え? なんで俺の名前知って……あっ』
気怠そうに顔を上げた中性的な美人が、なぜか俺の名を口にする。
それに驚き、よくよく顔を覗き込んでみると、一つの名前が頭に思い浮かんだ。
『……ひょっとして、芦原か?』
『うん。お久しぶりだね~』
そう言って、真衣はへらへらと笑いながら手を振る。
『お前、どうしてこんなところで……』
『どうしてって、それは小坂井君も同じでしょ~? バンダナにエプロンまでしちゃって、どこかのお店の店員さんみたいだよ?』
『みたいじゃなくて、実際そうなんだよ。ここ、俺がバイトしてる焼鳥屋の店先』
そう言うと、真衣はそこで初めて自分がいる場所に気づいたかのようだった。抱き着いていた電飾看板をしげしげと見つめ、ゆっくりと状況を飲み込む。
『ああ、そうだったんだ~。どうりで、さっきから良い匂いするなぁって思ったんだよね~』
『……だいぶ酔ってんな。なあ、立てるか?』
『……う~ん。無理!』
『だろうな。よし、ちょっと待ってろ』
俺はとりあえず店に戻ると、大将に事情を話してタクシーを呼ばせてもらった。カウンターでお冷を一杯注ぎ、それを持って真衣のもとへと駆け戻る。
彼女は依然として、立て看板にもたれたまま。
しかし何を考えたのやら、通りがかった若いカップルに上機嫌で絡んでいた。
『ったく、何やってんだよ……』
困惑顔の彼らに謝りつつ、酔っ払いを引き剥がす。
『ほら、これ飲んで少しは頭冷やせ。今タクシー呼んだから、今夜はさっさと帰って寝ろ』
『やだっ、まだ飲む! ちょうど小坂井君のお店の前だし、次はここにする!』
『店の方針で泥酔客はお断りです。……はぁ、まあいいや。で? もう一回聞くけど、どうしてこんなになるまで飲んだ? せっかくのクリスマスだってのに、まさか一人で寂しくヤケ酒なんてことは……おい、芦原?』
そこまで言って、ふと気づく。
すっかりアルコールが回り、さっきまでニコニコとしていた真衣。
その切れ長な目元が涙で潤んでいた。目尻で雫となったそれがこぼれ落ちてしまわないように、彼女は必死に下唇を噛み締めている。
『……彼氏に、振られた』
『えっ?』
『だから、振られたって言ってるでしょ! しかも、よりにもよって一昨日! 今日はデートの約束だってしてたのに! 私と付き合ってると男としての自信がなくなるとか、そんなの知らないよ!』
真衣の悲愴な叫びに、通りがかった飲み客たちの視線が一斉に集まる。中には心配そうな顔も見えたが、そのほとんどは好奇と揶揄が入り混じった野次馬の目だった。
別に俺が何をしたというわけでもない。それでもいたたまれないのは確かで、どう対処したものかと考えあぐねる。
そのうちに堪えきれなくなったのか、彼女の瞳から涙がポロポロと溢れた。ぐすぐすと鼻を鳴らしつつ、コートを羽織った肩を震わせる。
『本当にわかんないよ……今のままの私が好きだって言ってくれたのに……今さら……』
俺の存在など既に眼中にないかのように、真衣は独り言のごとく呟く。
そのとき、背後から呆れたような声がした。
『やれやれ、大惨事になってるな』
『大将……』
振り返れば、店の戸口から顔を覗かせた大将が眉を顰めていた。どうやら先ほどの声は店内にいた彼の耳にまで届いたらしい。
『この嬢ちゃん、小坂井の顔見知りなんだってな。どうするつもりだ?』
『どうするって言われましても……』
俺はそこで少し考え、初めから無理は承知で一つ頼んでみることにした。
『俺がこいつを家まで送って行く……とか、駄目ですかね』
『んん?』
大将は表情に意外そうな色を浮かべた。その反応は肯定とも否定とも言い切れない。
俺は通りの向こうから近づいてくるタクシーに目をやりつつ、急いで言葉を継いだ。
『こいつ、この様子だと一人で歩けそうにないですし、タクシーの運転手さんも乗せるのを嫌がるかもしれません。だから、誰かがついていった方がいいと思ったんですけど』
『う~ん、お前の言い分もわかるんだがなぁ……』
思案顔の大将は一度店内に引っ込んで、他のスタッフと相談しているようだった。
やがてこちらに視線を戻すと、仕方ないといったふうに肩をすくめた。
『まぁ、おかげで今夜の予約分は終わったし、後は残りのメンバーでも何とかなるだろう。……わかった。今夜は先に上がって、その嬢ちゃんの面倒見てやれ』
『はい、ありがとうございます!』
女の子にはだらしのないスケベ親父にも、この夜ばかりは感謝せねばならなかった。
俺は大将に深々と一礼すると、真衣に肩を貸してタクシーに乗せた。それから店に取って返し、着替えを済ませて荷物を持ってくる。
『一応言っとくが、送り狼なんて真似はすんなよ? いくら嬢ちゃんが別嬪さんだからって、それは男として最低だからな』
『わ、わかってますって! 大体、そんな度胸もありませんよ』
愉快気にほくそ笑む大将に見送られ、タクシーは出発した。どうやら俺を待っている間に真衣は自宅の場所を伝えたらしく、年配の運転手は何も聞いてこない。
『……ごめんね。小坂井君やお店の人にまで迷惑かけちゃって』
泣いて少しは酔いが冷めたのか、真衣はふと謝罪の言葉を呟く。それに対して俺はどう答えてやればよいかわからず、気づけば似合わない台詞を口にしてしまっていた。
『芦原も大変だったんだろうし、別にいいさ。それよりも俺で良かったら、愚痴の一つや二つくらい付き合ってやるぜ?』
言ってからひどく恥ずかしくなったが、意外にも真衣はその申し出に乗ってきた。
ぽつりぽつりと、改めて今夜の経緯を語り出す。
彼女は大学入学後、友人の紹介で出会った年上の社会人男性と交際していたらしい。
一年半近く続いた二人の関係は良好そのもの。その見た目から何かと目立つ存在である真衣だが、例の恋人は大人らしい余裕をもって彼女を受け止めてくれたのだという。
『初めはお試し程度のつもりだったんだけどね。そのうち、段々と私の方が本気になってきちゃって』
『会ったこともねえけど、多分良い人だったんだろうな』
『うん。……正直ね、今まで付き合ってきた相手、結構ダメな人ばっかりでさ。だから、その反動もあったのかもしれない』
彼女は窓の外に流れゆく景色を眺めながら、懐かしむように続けた。
『親が顔を見に来たときは交際の挨拶だってしてくれたし、一時は同棲の話も出たんだ。そのくらい真面目で、優しい人だった……』
当然、将来のことも考えていたと真衣は言った。少し気が早かったかもしれないと笑っていたが、それほどまでに交際は順調で、かつ真剣なものだったのだろう。
今回のクリスマスは、そんな中でやってきた。もちろんデートの予定も入れて、二人でロマンチックな夜を過ごすはずだった。あるいは彼氏の方から、関係をもう一歩進展させるアクションがあるかもしれないと密かな期待さえしていたらしい。
――だが直前になって、真衣は恋人の方から別れを切り出された。
理由は彼女が言った通り、男の側の自信喪失。おそらくは今頃になって突然心変わりしたわけではなく、この一年半に及ぶ交際の中で積もり積もった不安が爆発したのだろうというのが、彼女なりの見立てだった。
『連絡も次の日から取れなくなるし、アパートも何も言わずに引き払ってるしさ。そのくせ、私の私物だけは律儀に送り返してくるんだから、もうどうしようもないよね』
突然の破局に、流石の真衣も呆然とするしかなかった。友人たちの前で傷心を取り繕うこともできず、彼女の失恋はすぐに周囲も知るところとなる。中でも男性を最初に紹介した人物は特に責任を感じたらしく、『慰める会』を開いてくれることになった。
その席上、真衣は周りが止めるのも聞かずに痛飲した。
そして、店から出た後で友人たちとはぐれ、俺が勤める焼き鳥店の前で座り込んでしまった――というのが事の顛末である。
『馬鹿みたいな話でしょ? 一人で勝手に舞い上がって、一人で勝手に沈み込んでさ』
最後に真衣は自嘲するように吐き捨て、その話を締めくくった。
『……このあたりでいいですか?』
大学の正門に通じる道の途中、何度も通りかかったことがある喫茶店の前でタクシーが停まる。少し聞きにくそうに聞いてきた運転手に、真衣は頷いて財布を取り出した。
『……ここが芦原の家なのか?』
『うん。叔母さん夫婦のお店でね、手伝う条件で下宿させてもらってるんだ。……そう言えば、小坂井君もここでいいの? 家まで歩いて帰れる距離?』
『いつもは自転車なんだけどな。まぁ、ランニングがてら走って帰るよ』
『そう、なんか悪いね』
タクシーから降りると、冷たい夜風にアッシュゴールドの髪がなびいた。月明かりに照らされた真衣は、改めて見ると目が離せなくなるような美人だった。そんな彼女と二人きりという事実に、今さらながらに少し緊張する。
そのころには、真衣も何とか一人で歩けるようになっていた。よろめきながらもこちらを振り向き、どこか照れ臭そうにはにかむ。
『まぁでも、この恋愛もこれでおしまい。いつまでも引きずってたら皆に迷惑かけちゃうし、早いところ忘れないと。……ありがとね、小坂井君。送ってもらった上に、つまらない愚痴にまで付き合ってもらっちゃって』
『どういたしまして。俺も今夜のことは全部忘れてやるから、安心しろよ』
『小坂井君って優しいね。その見た目のわりに』
『わりに、って部分は余計だ』
『ふふっ。……あ、そうだ』
仏頂面な俺を見て笑った真衣は、ふと思い出したように携帯電話を取り出した。
『連絡先、教えてくれる? また日を改めて今日のお礼をしたいから』
『そんなの別にいいのに』
『ダ~メ。そうしないと私の気が済まないの。大将さんにも迷惑かけたし、またお店にも寄らせてもらうから』
『はぁ……お前も何気に律儀だよな』
お互いの連絡先を交換し、その夜はそこで別れた。大将が懸念したようなことが起こらなかったのは、もちろん言うまでもない。
約束通り、真衣がバイト先に顔を出したのは、年が改まってしばらくしてからのこと。今度はちゃんと客として来店し、謝罪とお礼も忘れない彼女を、大将はいたく気に入っていた。再三の遠慮を押し切って、ドリンクを一杯サービスしたほどだ。
それとは別に、俺は真衣から食事に誘われた。場所は彼女行きつけの小洒落た洋食店。酒も入ったので細かい内容は忘れたが、思った以上に話が盛り上がり、二軒目の居酒屋にはしごするほどだった。
俺はもちろん真衣としても、初めは一度きりのお礼のはずだった。
だが、俺たちの付き合いはそれからも続き、回を重ねるたびにフランクになっていった。俺の部屋で飲み会をすることになったのも、たしか真衣の提案がきっかけだったように思う。
その初めての宅飲みの夜、俺は彼女に迫られ、童貞を失った。
『前にポロっと彼女がいたことないって言ったでしょ? 実は、あのときからずっと興味があって狙ってたんだよね』
本来は年上好きだと散々のたまっていたくせに。
事が済んだ後、この確信犯は初物食いの動機について、笑いながらそう語るのだった。
***
「――亮太、ねえ亮太ってば!」
「ん、んん……?」
身体をゆすられる感覚に重い瞼を開ける。
すると鼻先がくっつきそうな距離で、真衣が俺のことを覗き込んでいた。
「あれ……俺、寝てた……?」
「うん、結構ぐっすりとね。さっきから声かけてたのに、全然起きないんだもん」
「そっか……」
彼女の返事を聞きながら、俺は眠気を覚ますようにこめかみを強く押した。
互いに自慰する姿を見せあった後、興奮のままになだれ込んだ性行為。それは立て続けに二回戦まで続き、すっかり汗だくになった真衣が浴室に向かうのを見送って、俺はベッドの上で横になった。
そこでうつらうつらとして、目を瞑った。そこまでは覚えている。しかしまさか、そのまま眠り込んでしまっていたとは。
とはいえ、言われてみれば夢を見た記憶があるのも確かだ。それも真衣とセフレになるきっかけとなった、去年の歳暮れの出来事を鮮明に映し出した夢。
あの当時はちょっとした面倒ごとくらいに思ったのに、あれよあれよという間にこんな爛れた関係に落ち着いてしまった。人生万事塞翁が馬とは言うが、あの夜のサンタはとんでもないプレゼントを寄越してくれたものだと思う。
「……ところで、なんでお前はそんな格好してるんだ?」
「え~、なんか反応薄い。そこはもっと驚くとか、興奮するところじゃない?」
身体を起こしながら俺が示したリアクションに、真衣は不満げに唇を尖らせた。それでも気を取り直したように身を引くと、改めて“それ”を見せつけるように胸を張る。
「じゃじゃーん。ほら、どう? 私が高校時代に着てた、本物の制服だよ。今度の大学祭で使うって名目で、実家から送ってもらったんだ」
「ふ~ん。でも、その派手な髪色だと、生徒指導室常連の問題児にしか見えねえな」
「……はぁ、最初の感想がそれ?」
やはりまだ眠気が抜けない俺の一言に、真衣は今度こそがっくりと肩を落とした。
いやしかし、つい言いそびれてしまったものの、似合ってはいるのだ。
淡い水色の半袖ブラウスに、ストライプが入った緑色のネクタイ。視線を落とせばチェックのスカートに紺のハイソックスという組み合わせは、全体的にラフな着こなしもあって、いかにも現代的な女子高生らしい佇まいだ。
何より着ている本人のスペックが抜群なのが強い。年齢的には成人女性のコスプレに過ぎないのだが、だからこそのアンバランスな色香が漂っていて、妙に男心をくすぐられる。
「じゃあ、逆に聞くけど。亮太が卒業した高校は、どんな制服だったの?」
「地元じゃそれなりの伝統校で通ってたからな。男子は学ラン、女子はセーラー服だった」
「あ、ならもしかして……」
「いいや。女子の間でも不評なくらい古臭いデザインだったし、俺自身もそういうフェチはねえよ。むしろ、真衣が今着てる制服の方がそそられるくらいだし」
「へぇ。それなら良かった」
そこでようやく満足できる答えを得られたのか、真衣はにっこり笑顔になってこちらに身を乗り出した。
すると、ブラウスに包まれた爆乳が、両腕に挟まれてむにゅりと柔らかそうに潰れた。きっと高校時代からそれなりの大きさだったはずだから、これを毎日見せつけられるクラスの男子どもはたまらなかっただろう。かくいう俺も、先ほどはすげない態度を取っておきながら、その豊満な二つのメロンから視線をそらすことができなかった。
「……それで、オナニー鑑賞会の次は制服プレイって魂胆か?」
卑しい視線の行き先を誤魔化すように、俺は素っ気ない声でそう聞いた。
だが、真衣はそんな意図などお見通しだったのだろう。さらに胸元を強調するように腕の間隔を狭めると、小首を傾げながら妖しく目を細める。
「ん~とね。ただの制服プレイじゃないんだな、これが」
「は? どういうことだ?」
問い返した俺の耳元に頬を寄せ、彼女は二言三言囁いた。
「……おい、マジかよ」
思わず唖然とする。そんな俺に、真衣はニンマリと悪戯な笑みを浮かべるのだった。
***
クーラーが風を送る、かすかな物音だけが聞こえる。そんな味気ない静けさの中で、俺たちはローテーブルを囲んで座っていた。
テーブルの上には、分厚いテキストと大学ノートが一冊ずつ。
どちらも開きっぱなしだが、先ほどから一ページも進んでいないし、一文字も書かれてはいない。その代わり、ノートの隅には何かのキャラクターらしき落書きばかりが、一つ、また一つと増えつつあった。
「おい、芦原。さっきから一問も解けてないぞ」
「だって、仕方がないじゃないですか。先生が出す練習問題って、いつもレベルが高すぎるんですもん」
俺が見かねて注意すると、制服姿の真衣は膨れっ面で反論した。
それでも一応、じっとテキストに目を落とし、難しい顔をして首をひねってみる。
しばらくはそうしていた。だが、やがて観念したように大きく仰け反ると、彼女はぶう垂れた口調でギブアップを宣言した。
「あー無理。無理ですって、こんなの。これ以上は時間の無駄ですから、解説の方よろしくお願いしまーす」
なんとも投げやりで、甘ったれた口調。
俺は大げさなため息をついて、自分のシャープペンシルを手にとった。
「いいか、まずこの問題はな――」
問題の意図と、それに対する考え方をなるべく優しく噛み砕いて説明する。
そんな俺に対し、真衣は眠そうに頬杖を突き、聞いているのかも怪しい態度をとった。
さながら不真面目な女子高生と、そんな彼女に手を焼く家庭教師の図。
――だが、そんなわけがあるはずない。俺たちは同い年の大学生同士なのだから。
(……まったく、何だってこんな面倒くさいこと思いついたんだか)
途中で馬鹿らしくなって説明を投げ出し、俺は天井を仰いだ。もう一度漏らしたため息はふりではなく、本音が八割方を占めている。
言うまでもないとは思うが、これらはすべて茶番だ。
つまりは演技――俗に言う、シチュエーションプレイというやつである。
(さっきは『マンネリ対策第二弾』だとか言ってたけど、本当は自分がやりたかっただけだろ。生意気な女子高生なんて柄でもないのに、ノリノリで演じやがって。……まぁ、髪色さえ除けば? たしかに現役と言って十分通じる見た目なのが、また癪に障るんだが)
そんな物思いをしつつ、俺は改めて真衣の制服姿を盗み見た。
彼女はとうに集中力を切らし(たような自然な演技で)、両手でスマホを弄っている。
その緩い襟元からは鎖骨が色っぽく覗き、魅惑のGカップバストは窮屈そうにブラウスを押し上げていた。ネクタイのせいで肝心の谷間は隠れてしまっているものの、逆に両腕の間で寄せ上げられた乳房がネクタイを挟み込んでいて、それが妙に挑発的でもある。
これで視線に気づいた真衣が調子に乗り、俺を色仕掛けで誘惑する……となれば、いかにもベタな展開だろう。
だがしかし、彼女はそんな甘っちょろい筋書きで満足するような性質ではなかった。
「……ねぇ、どこ見てるんですか? 先生」
斜め左手からジロリと真衣に睨まれたのは、ちょうど俺の視線が彼女の太ももに吸い寄せられたタイミングだった。
ちょっとでも捲れれば下着が見えてしまいそうなくらい、短いスカート。
そこからすらりと伸びた、健康的で肉付きのいい生足。
しかも、今は無防備な女の子座りになって、どうぞ見てくださいとばかりに俺の前に曝け出しているのだ。男ならば誰でも目を奪われてしまうだろう。
そして実際、真衣もそれが狙いだったのは、彼女の口元を見れば明らかだ。
「うわぁ、もしかして高校生の教え子に欲情しちゃってます? ただの家庭教師とはいえ、その辺の倫理観どうなってるんですかね。しかも私、彼氏持ちなんですけど」
じとりと細めた瞳に侮蔑的な色を浮かべ、真衣は俺を鼻で笑った。
口調はあくまでも丁寧なまま。だが、立て続けに紡がれるのは静かな罵倒だ。
「あ~あ。これだから非モテの童貞さんは嫌ですね。余裕なくて、そのくせ男としてのプライドだけは一人前。先生の場合、筋肉つけて男らしさのアピールなのかもしれないですけど、正直暑苦しくてキモいだけですよ? それ以前に女の子に対する優しさとか、頼り甲斐とか、他にもっと心掛けるべきところがあるんじゃないかと」
「おい、生意気言うのもそのあたりにしとけよ。じゃないと――」
「じゃないと……何です? 説教とか、親に言いつけるとかですか? そういう先生こそ自分の立場がよくわかってないみたいですね。だって、先に私をいやらしい目で見てきたのは先生なんですし、親に言いつけたところで私も先生のこと言いますよ? バイト先の会社とか、先生が通ってる大学とかにも。それで困るのはそっちの方だと思いますけど」
黙り込んだ俺に、真衣は余裕の笑みを浮かべた。
その言葉も振る舞いも、すべてが演技だと頭ではわかっている。だが、彼女の芝居はあまりにも真に迫っており、俺が秘めていたコンプレックスさえ的確に言い当てていた。
既に乗り越えたものと思っていた、かつての自分。とはいえ、掘り返されるのも楽しいものではない。
役に徹する俺は次の台詞を考えつつも、腹の奥で何かがふつふつと煮え立つのを感じずにはいられなかった。
「ふふっ、都合悪くなると黙っちゃうんですね。見た目は強そうでも、中身がこんなに情けないんじゃ女の子には好かれませんよ? ……あっ、ちょっと失礼」
そこで不意に、真衣のスマホが通知音を鳴らした。
まったくの偶然なのか、はたまたタイマーでも仕掛けていたのか、それはわからない。
彼女は何食わぬ顔で画面をタップして、そこに浮かんだであろう内容に視線を走らせる。そして俺の方を向くと、見せつけるように柔らかく微笑んだ。
「彼氏のハルキ君からのメッセージでした」
その一言に、なぜか俺の心臓は大きく跳ねた。
どうしてなのか、すぐには理由が思い当たらない。
それから一瞬遅れて、
(そういえば……去年真衣を振った元カレが、ハルキって名前だったよな……)
と、ようやく思い至った。
「今度の週末、デートに行こうですって。やっぱり大人の男の人って、落ち着いてリードしてくれて素敵ですよね。見掛け倒しな先生とは大違い……ん、何ですか? この手」
俺は半ば無意識のうちに、真衣ににじり寄ってその肩に手を回していた。
彼女が訝しげな視線を寄越す。それを無視し、もう一方の手を膝裏に通して彼女を持ち上げれば、「きゃっ」と可愛らしい悲鳴が漏れた。
「な、何するんですか……!」
「決まってるだろ。先生に生意気な口を利いたお仕置きだ」
俺はそれだけ返し、身長のわりに案外軽い真衣の体躯をベッドの上に投げ出した。
くたびれたスプリングが苦しそうに軋む。そこに重なった二度目の悲鳴に、俺はやっと幾ばくかの冷静さを取り戻した。