上質な絹糸の産地として有名だったかつての活気は遠く昔のことで、朝早くからうらびれた様子の道からは若者の姿が消えて、自給自足の生活に物好きな商人がたまに絹糸を買い叩いていく……そんな斜陽の村が、俺の故郷だった。
せいぜいが十数年暮らしただけの村で、当時の俺のことを知る者はとっくの昔に全員亡くなっているが、むごたらしい現状を目の当たりにすると、少しだけ寂しいと感じるぐらいの心は俺にもあるようだ。
家々が並ぶ道から外れてしばらく、記憶を頼りに進んでいると、生えた草を何度も踏み歩いて枯らした痕跡を見つけて少し思案してからさらに分け入って歩いて行くと、村外れにポツンと建てられた家とその庭の畑には高齢化の村では比較的に若い女性の姿があり、気配に気づいて振り向いた顔は怪訝そうに俺の姿を観察していた。
「……ここに人が来るなんて珍しい。見ての通り何もありませんので、暮れる前に村にお戻りになった方がいいですよ」
農作業の手を止めて歩み寄った女性は、痩せた体に長年着古して垢が染み着いたボロ切れのような服を身に纏い、地肌が日に焼けて苦労を刻んだ顔をしていた。
「昔は母がこの家に住んでいたと聞きましたが、今はあなたがこの家に住んでいるのですね。……あっ!嫌味に聞こえてしまったのなら失礼しました。それに関しては、何一つ文句はありません。結果的に家が風化せず、今こうしてルーツを辿れたことに感謝しているくらいです。住んでいてくれて、ありがとうごさいます」
「はぁ……そうですか」
最初は痛いところをつつかれてバツが悪そうな顔をしていた女性だったが、俺が握手を求めて手を差し出すと、呆れた様子で握手に応えてくれた。
「しかし、困りました。今日はここに泊まって思い出に浸るつもりだったのですが、うーーん」
「……いいですよ、泊まっていってください。そのかわりのお代と言ってはなんですが、なにぶん退屈な村ですから、お話を聞かせてもらえませんか?私、外での生き方に興味があるんですっ!」
話している間もずっと俯いてばかりいた女性が老いを吹き飛ばして、その瞬間だけはまるで夢見る少女のように目を輝かせていたそのグリーンの瞳がとても綺麗で、「喜んで、何から話しましょうか?」と優しく見えるように意識して微笑むと、口をぽっかり開いたまま上目遣いの女性と何十秒も目が合って、何だ?と俺が首を傾げると、ハッとした様子でほつれた髪を手櫛でといてから「こっちですっ!」と家の中へと小走りに駆けていった。
「お母さん?その人だれ……ですか」
「大切なお客さんよ。私達がこの家に住めるのも、この人のおかげなのよ」
「そーなの?おにーさん、いつもありがとう!」
女性に続いて家に入り、小さい娘がいるなんて驚いた。働き盛りの父親がいるのなら、こんな水準の生活をする必要はないはずだが──これ以上の下衆の勘繰り止そう。
「いやいや、それは言い過ぎですよ。納税は遠くの町からしていたので家の所有は俺のままのはずですが、空き家が結果的にそうなっただけのことで。この先もそれを変えるつもりはありませんから、安心してください」
「えっと……じゃあ、ママかわたしがおにーさんと結婚したら、わたし達も村長に村の住民って認めてもらえるってこと?」
「こ、こらっ!お客さんを困らせるようなことを言うんじゃありません」
「ははは……驚いたな、とても頭の良い娘さんですね。確かに、その認識は正しいよ。……そうだ!ついでに勢いで結婚もしちゃいますか?娘さんを僕に下さい!……なんてね」
「きゃーーっ♡」
「ちょっと!?悪ノリしないでください!」
そんなこんなで。
昼にまた戻ると言い残して俺は村長のところへと向かって家を所有している証明書類を出し、あの居着いていた母と娘について聞いてみるとうっすら予想していた通りの答えが返ってきた。
「うぅむ。……すまんが、アレは厄飼者でな。無知だった父親が裸足で逃げ出してすぐに病死してから今まで、誰も手出しが出来んのだ。アレン殿も関わるのは止した方がいい」
厄飼者、災厄をその身に飼う呪われた血脈の者達。
ある時は人々の信仰を集めて富をもたらし、一国を滅ぼしてから人類の敵とされてきたアンタッチャブルな超常なる者達。
「なるほど、ありがとう」
「……忠告はしたぞ」
それから小さな用を済ませて約束していたとおりに家に戻ると、真っ黒な水の入った盥を抱えて恥ずかしそうな女性──リィラと扉の前でばったり会って、挨拶もそこそこに畑の乾いた土に水を捨てていた。それがリィラが汚れていた髪や体を洗った後の水だったと遅れて気づいて、タイミングが悪すぎたと新品の女性物の衣服が入った袋を抱えたまま少しだけ反省した。
一日二食が当たり前の生活で、弱った胃腸も考慮しつつ、やや割高な山羊のミルクや米と野菜を村で買い足してミルク粥を作ると、リィラの娘のココナが体を大きく揺らして美味しい!と喜びを表現していたのが微笑ましかった。
その後、翌朝になったら昨日は世話になったと置いていくつもりだった衣服がココナに見つかってしまったので、プレゼントだと渡すと、はしゃぐココナの後方で「……小汚なくて、見苦しくてすみません。ありがとうございます」と顔を赤くさせたリィラに言われたのがグサリときて、精神的にキツかった。
「やることがなくなったので、少しだけ昼寝しますね」
「はい、どうぞ寛いでください」
「……昼寝をしますね?」
「はい。失礼しますね、どうぞ」
俺もタオルと盥を借りて井戸から水を汲んで手早く旅の汚れを綺麗にして、さっきのことがあったのでまだ少し居心地が悪かったので一人になる口実が欲しかったのだが、昼寝をすると言っているのに俺の頭は丁重に持ち上げられて、いつの間にかリィラさんの柔らかい膝の上におさまっていた。……サワサワと指が髪を撫でて、くすぐったい。
もしかしたら、俺が母親のルーツを辿ってこの家に来たと聞いたものだから、リィラさんは俺が母性に餓えていると思って、母親のようなおもてなしをしようと考えたのだろうか……なんて考えていると、本当にここまでの旅で疲れていたので、すぅっと寝入ってしまった。
「……ぁ……すみません、どれぐらい寝てました?」
「えっと、もうすぐ日暮れですね」
「本当に、すみません。用事とかあったでしょうに……足が痺れてないですか?」
「平気ですよ……あっ……あれ?んっ……やだ、ごめんなさい」
立ち上がろうとしてよろめいたリィラさんが艶っぽい声を出して倒れたので、俺が慌てて体を支えようとして潰され、ギリギリでクッションぐらいにはなれた。ふにょんと柔らかい感触があったが、役得というヤツだろう。
「リィラさん、怪我とかないですか?」
「・・・・・」
「リィラさん?えっ?」
先に立ち上がって、転がったまま無言のリィラさんに手を差し出すと、手のひらの先、グッと手首を掴まれて立ち上がる気のない全体重の乗った手に引き寄せられて、床に広がるリィラさんの髪の横に両手をついた。
「あなたと会ってから、ずっと疑問でした。……どうして、私達に優しくしてくれるのですか?食事に、さっきは服までくれて……私はアレンさんの好みでしたか?それとも、ココナですか?分からない……ココナにまで、無責任に希望を見させないでください。……抵抗はしませんから。私の体を弄びたいだけなら、好きに使ってください」
いろんな感情がパンクして、うっすら涙を流すリィラさんの魂の叫びに、俺はゆっくりと身を引いて座り直し、エグエグと泣いて気力の抜けたリィラさんを見下ろした。
「……現状を変えたいですか?村の誰にも頼れない厄飼者ではなく、普通の人間としてやり直すことを強く望むなら、俺にはそれが可能です。その術を知っています。望むなら、いくらでも外で生きていく術について話をしましょう。それとも、どこかの誰かが外で生きてきた話を聞いて憧れるだけで、リィラさんは満足しますか?」
「……あなたはいったい何者ですか」
「ただの元ロブスターです」
「……はい?」
◆
とまぁ、ここまでずいぶん遠回りをしたが、英雄譚の主人公のように生きると誓った決意を墓に眠る両親に報告しようと戻った故郷の村で出会った母親とその娘の境遇を目の当たりにしたのは偶然ではなく、相応しいこの地で親子を救うことが俺の歩む新たな第一歩なのだと運命のように感じたので、俺はずっと秘密にしてきた【甲殻空間】に初めて人を招き入れることにした。
「ママ、怖いよ……」
「広い……さっきまで家の中にいたのに。ここは?」
「厄飼者の呪いを全て脱ぎ捨てる方法が、ここにあります。……変わりたいんですよね?あそこに立ってください」
「ココナ、怖くないわよ。ほら、手を繋いで一緒に行きましょう」
「ママ、ここ、凄く嫌な感じする……。帰ろう?またいつもみたいに、二人で一緒に暮らそうよ。ねぇ!ママ!」
「ココナ、お願い。もう戻れないのッ!!戻りたくもないッ!!」
「ママぁ……ママぁ……」
「お待たせしました、どうかお願いします」
「あ、はい」
悪いことをするつもりはないのに、クライマックスな親子の会話を聞いていて謎の罪悪感が凄い。……絶対に成功させなければ。
そして遺跡は起動してしばらく、二匹の親子のロブスターが衣服に包まれて現れたのだった。
「……ぅ……うぇええっ」
生臭くて、気持ち悪い。ムカムカを吐き出そうとしてえずいて、ただ涙が出ただけで、体がフラフラとした。
「ママぁ~~っ!!」
と娘の声が聞こえてきて、ハッと顔を上げると、滲む視界を手で拭って、デロデロとした何か生臭い液体で顔を汚してしまった。
「ココナちゃん、ママに会えて嬉しい気持ちは分かるけど、まだ厄骸に近づかないで。約束しただろう」
「ごめんなさい、おにーさん……ここで待つね」
「偉いね。後はおにーさんに任せて。大丈夫、二回目だから上手くやれるよ」
なんだろう、頭がぼんやりして……体も上手く動かせれない。
脇の下に腕を回されてズルズルと這い出ると、そこには白く綺麗な自分の足があって……疲れきっていた私はそのまま気絶した。
◆
しばらくは、ロブスターに食事を与えて経過を見守る毎日だった。
ロブスターが脱皮をするとき、古い体と一緒にロブスター化の呪いを脱ぎ捨てることが出来たように、先に脱皮を迎えたココナの脱ぎ捨てた青い甲殻は禍々しさを帯びていて、俺はそれを厄骸と名付けた。
ソレには【菌増殖】の呪いが付与されていて、いつか使い道があるかもしれないので保管することにした。
そして、【菌増殖】の厄骸を二つを手に入れた俺は、すっかり若々しく健康的になったリィラさん達にいつか買った服を渡してサムズアップして、この村を立ち去るのだっ「待ってください!」……ん?
「呪いは消えても、私達が厄飼者だった事実は消えません。娘と二人、特別な教養もなく、稼ぎのある夫もいません。それをこのまま置いていくなんて、無責任です」
……言われて俺は、少し考えた。
「たしかに、呪いは消えても変わらないのか。あれだけ大見得切ってこれじゃあ無責任がすぎる……どうしようっ!?」
「分かっていただけましたか。……私に一つ考えがあります」
「なるほど、俺にも分かった。アーティファクト化した【菌増殖】活用して発酵食品や酒を作ろうってことか。富をもたらせば、年老いた村長達も考えを改めてくれるかもしれない。それなら、ここに厄骸を一つ残していくよ!」
「何の話ですか、違います。……私達には特別な教養はないんです。でも、あなたは違うようですね。それはいいことです。ますます欲しくなりました。ココナ、足にしがみついてでも、逃がしちゃダメですよ」
「うん!後でママとはんぶんこだね!」
「あの……リィラさん?目が怖いですよ。ちょっ……やめ……力つよ……やめて」
「家族になりましょう?」
めっちゃ家族になった。