平日の俺の頭の中は仕事仕事仕事で、休日になるとゲームゲームゲームな生活を続けていたが、ふと、こんな生活に飽きてしまっている自分に気がついてしまった。
それから色々なことに着手してみたのだが、マメに外側のコミュニティーを持たないことが人をここまで孤立化させることを思いしらされた。
「今さら……なにやってんだろうな、俺」
苦手だからと目を背けてきた現実から行き着いた果てがゲームへの没頭だったことを、ぐるりと一周して戻って来てしまったのだから、そんな自分に苦笑してしまう。
「……いっそ、ゲーム実況でも初めてみるか?」
最近まで一般人に戻ろうと足掻いたことで多少散財してしまったが、貯金だけはある。それしか取り柄がないともいえる。
そういう経緯でネットで安く買った40万円の中古の防音室は、業者の人に組み立ててもらうと謎の幾何学模様が内側に描かれていて、俺が防音室の中でカチリと扉を閉めると、ゲーミングPCのように模様が虹色に輝き出したので笑ってしまった。
──笑っていられたのも最初だけで、ガタガタと大きな震動とキィィイイイン!!という飛行機が離陸するときのような音が俺を不安にさせた。
ピタリ、とおさまった。
そして、揺れの余韻に怯えながら這うように防音室の扉を開くと──そこには草原が広がっていて。
振り返ったデスクトップのモニターには、【再起動可能まで8:58:31】と無機質なフォントのタイマーが正確に時間を刻んでいた。
そして、恐る恐る草原へと一歩踏み出すと、防音室は光の粒になって拡散し、俺の腕に集束するとデジタル腕時計の姿となって右の手首に現れたのだった。
再起動可能の時間になると、自宅の防音室に帰ることが出来た。それはそれとして、平日になると仕事仕事仕事の生活に戻ってお金を稼ぎ、金曜日の夕方になると宅配便の荷物を受け取って、俺は新品の安全靴を履いて防音室の扉を開いた。
……あれは間違いなく異世界転移だった。平日の仕事中も頭の中の片隅にはあの不思議な体験のことが忘れられずにいて、休み時間になるとタスク管理のアプリを開いては浮かんできたアイデアを整理する毎日だった。
そうして、出来得る万全の準備をして異世界に転移をした俺は、燻っていた冒険心を思い出して草原を駆け出したのだった。
◆
「……なんだか、最近の篠宮さん雰囲気変わりましたよね。笑顔も増えて、明るくなったみたい。プライベートでいいことでもあったのかな」
「可愛い彼女でも出来たんだろ。おっ、噂をすれば明るくなった篠宮くん。彼女でも出来たのかー?」
会社で昼食後にトイレから戻ると、同期の山田さんと高橋先輩がどうやら最近の俺の様子について話していたようで、流れるように話題を振られて一瞬硬直する。
「へ?この僕に彼女が?違いますよ高橋先輩、出来るはずがないのに意地悪だなぁ。最近は趣味が充実しているだけですっ!」
「ほぅ、それはよかったな。二重の意味で、なぁ?」
「む……それって、どんな趣味なんですか」
ギロリと山田さんが先輩をひと睨みして、怖ぁ……と怯えつつ、どうやってはぐらかそうかと言葉を慎重に選んだ。
「どんなって……うーーん、ソロキャンプでチル的なアレです」
「おいおい……若いのに、ずいぶんと渋い趣味だな。焚き火してカップ麺にコーヒーを飲んだりするのか」
「少し羨ましいかも。女性だとそういうことを一人でするのって、安全を考えると難しいし……いいなぁ」
「自然の中で生きることに没頭するのって、やってみると気持ちいいですよ。ワンボタンで飲むコーヒーよりも、待望の最新作のゲームをするよりも、最近は充実していて、今日の活力になってます!」
「……篠宮お前、本当に変わったな。その中学生みたいな髪型を変えたら、フツーに彼女くらい出来ると思うぞ?」
「余計なこと言わないでください。篠宮さんは今の前髪がかわいい篠宮さんのままでいてくださいね?」
「えっ……さすがに怒っていいですか?」
「悪い悪い──さぁ仕事の時間だぞ」
逃げやがったな、このやろう……と心の中で文句を言いつつ、美容院に行って髪型をセットしてみようかな、なんてことを考えながら、一呼吸してから仕事に頭を切り替えた。
◆
YouTubeで観た悪魔のパスタなるものを再現して作ってみると、これがかなり美味しかった。多めに作ったソレを皿に盛ってラップしてからクラーボックスに入れて、それを持ち歩いて防音室へと向かった。
「なにこれ、すっごく美味しい!」
「喜んでくれてよかった」
街で本屋を営んでいる生活力が壊滅的なミリエッタさんに俺は再加熱した悪魔のパスタを振る舞うことで、本来はお断りな立ち読み行為に加えて今日も奥の部屋まで借りる許可をもらっていた。
ことの始まりは新人冒険者に成り立ての俺が引き受けた特殊技能依頼で依頼主のミリエッタさん言う通りに掃除洗濯と料理を振る舞ってみるとそれで胃袋を掴むことに成功し、交渉の後に今の関係に至る。
「はぁ~~、他所では味わえない至福のひとときだった。……冒険者なんて不安定な仕事は止めて、これからは毎食作ってよー、私と結婚してー」
「……読書の邪魔なんで、静かにお願いします」
「ガーーン、ひ、酷いよ。私のプロポーズを見向きもしないなんて」
「……そこでワゴンセールしているような安い言葉がなんですか?」
「うわーお、一段とキツいね」
今日はやたらとウザ絡みしてくるな、と「ちょん、ちょん」と言いながら肩をつついてくるミリエッタさんの指先を掴んで振り向くと、にいっ、とイタズラな笑みを浮かべた顔が思っていたよりもすぐ近くにあったので、後ろへと身動ぎした。
「頭に埃が被っているようなこんな私のことを構ってくれるの、今は君ぐらいしかいないんだよー。……どう?今なら売れ残りがワゴンセールでお買い得だよ。なんなら、お試しからもあるよー?」
「すみません。そういうのはまったく慣れてなくて。免疫がないというか、反応に困るというか」
「うーーん、外を歩けばあの人もこの人もみんな最初は知らないことだらけで、未知を既知に変えていくのは読書と同じでしょ?早いか遅いかがあるだけで、何事も経験だよー。……それとも、今まで新しい本を読むことは楽しくなかった?」
「……いや、当たり外れはあったけど、それも含めてどれも楽しかったよ」
「うん、そんな感じでいいんだよ。まずは気楽に試してみよう!……お店、閉めてくるからね」
お店を閉めると言ってもすぐそこで完結することなのに、顔の横で小さく手を振って、流し目で背中のエプロンの紐をほどく仕草を無意識に目で追っている自分に気づいてハッとした。
「臨時休業、っと。終わったよー!」
指先を外に開いて、ててて、と雛のように笑顔で駆け寄ってくるミリエッタさんが、丸い眼鏡を外して縁によけた机の上に置いた。
以前に「雨は嫌い」と言っていたクセのある緑色のショートカットに、知性を感じる紫色の瞳は目尻が少し垂れて優しい印象のいわゆるタヌキ顔で、売り言葉に買い言葉の憎まれ口で「茸のかさみたいだ」とよくふざけて言っていた茶色い帽子も外すと、ぴょこんとアホ毛が立っていた。
「君にオフなときの姿を見せるのはこれが初めてだから、少し恥ずかしいかも」
「……さっきはワゴンセールなんて言ってすみませんでした。全然そんなことないです」
「もっと素直な言葉で言ってくれないと、相手に伝わらないよ?」
「ミリエッタさんのことは、仕草の一つ一つが可愛くて、それでいて、ふとした表情が額縁の中の絵から切り取ったように綺麗だと思います」
「それは……言い過ぎでないかい?……悔しい、不意を突かれて面映ゆい」
ムッとした照れ顔で胸を親指を握り込んだ拳でポカポカと殴られて、「なんかすみません」とミリエッタさんの肩に手を置くと、殴るのを止めて俺の胸板に手を置いて上目遣いで唇が急接近して、目をつぶって唇を尖らせていた。なんだこれ……女の子のキス待ちの顔って、こんなに可愛いのかよ。
ちゅっ。
「どうだった?お試しの初チューの感想は」
「……まだ、ドキドキしています。柔らかくて、よく分からないけど、興奮してました」
「よかった。私も同じで心臓がバクバクだよー。……こういうの、いいよね。もう一回しよ?」
ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ……。
ジュルルルル、ズゾゾゾゾッ!!
ついさっきまで、ピュアなキスをしていた唇が、今は俺の勃起したペニスを咥え込んで下品な水音を鳴らしていた。
一般的に考えてミリエッタさんのことを処女だとは思っていなかったが、ここまでの性奉仕を彼女に仕込んだ誰かのことを考えると、頭がモヤモヤした。
「……きもちひいれすら?」
「すごく気持ちいいよ。……でも、そろそろ顎とか疲れない?」
「正直言うと、すごく疲れます。でも、喜んでもらえると嬉しいです!」
「そうなんだ。……よかったら、今度は俺が──「臨時休業って、マジか……おーーい、誰かいませんか?」
「えっ?……はーーーい!!……ごめんね、お得意様が来たみたいだから。ちょっとだけ対応してくるね」
「あ、うん。行ってきて」
入口から男性の声がしたとき、一瞬ミリエッタさんが嬉しそうな顔をして、次に困り顔になっていた。我儘を言えば本当は居留守をしてほしかったけれど、慌てて眼鏡と帽子を着けて、エプロンを結んだ彼女の仕事を邪魔することは出来なかった。
「あ、いたいた。ワケあって、世話をしている小さい娘を将来的には学校に通わせてあげたいんだけど、勉強にちょうどいい本とかは」
「それでしたら」
「お邪魔しました」
いつまでも居られないと思い、靴を履いてすれ違うときに頭を下げつつ、最後にお得意様とやらの顔をみてやろうと思ったら、堂々とした立ち姿で会釈を返す長身で体の引き締まった優男風だった。
「……あの人帰っちゃったけど、何か邪魔しちゃった?」
「そっちの用事はもうほとんど終わっていたので、お気になさらずー」
「そうなんだ、ならいいけど」
「良さそうな本をこちらでいくつか見繕っておきますが……しばらくお暇ですか?」
「実はもうこっちで本の目星がついていて、それがあるからここに来たというか。まだ在庫があるなら、すぐに終わるよ」
「流石ですねー、でしたら私はお茶を出す準備をして本を選ぶのを待ってます」
「ありがとう。えっと……これと、あった!これと……なんだ、あっという間に終わったな」
すたすたと奥の部屋の前で靴を脱いで、代金を支払う前にお茶だけいただいていこうと襖を横に滑らせると、衣服を横に畳んで布団の側で正座する全裸のミリエッタの姿があった。
「厄飼者で本の虫として死にゆくだけだった私を救っていただいて、そればかりか、今の仕事まで紹介していただいたことへのお礼がまだ十分出来ていません」
「あーーえっと。そのことなら前に一度してくれたから、チャラになったはずだよ?厄骸も貰ったし」
あのときはつい流されて、口での奉仕で果てて、もうこれ以上は勃たないと本番行為からはなんとか逃げたが……。
「あれから私も勉強しまして。コンドームの用意がありますのでー。気楽にお礼を受け取ってくださいませ」
「……コンドームあるの?」
「はい。めっちゃあります」
めっちゃお礼された。