昨夜の出来事を思い出し、私はベッドの上で枕に顔を埋めて足をばたつかせた。
「あああああーーーーーっ!!」
声にならない絶叫。
言っちゃった。私、言っちゃったよ。「キスしてください」って!
人生最大の汚点。一生の不覚。昨日の私を揺さぶってでも止めたい。しかし、無情にも朝はやってくる。
重い足取りで洗面所へ向かい、死んだ魚のような目で歯を磨く。
そして、顔を上げた瞬間。
もはや身構える暇もなかった。顎を優しく、しかし有無を言わさぬ力でくいっと持ち上げられ、深く、長いキスをされた。
それは、昨夜までの焦らしや、それ以前の貪るようなものとは全く違った。
まるで「お前はもう私のものだ」と宣言する物語の王様のような、あるいは大義名分を得た支配者が領地に旗を立てるような、絶対的な自信と所有権に満ち満ちたキスだった。
「ん……んぅ…っ」
ようやく唇が解放されると、女はうっとりとした表情で私を見下ろし、囁いた。
「おはよう、みこ。今日も可愛いね」
(うわあああああ! この人、完全に調子に乗ってるーーーッ!)
心の中で絶叫する私をよそに、女は一日中、ご機嫌だった。
学校での態度は、目に見えて変わった。これまでのような、私の反応を試す意地悪さは綺麗さっぱり消え失せ、代わりに、あからさまな「彼氏みたいな振る舞い」が増えたのだ。
授業中、机の下でそっと手を握られ、指を一本一本絡め取られる。
(近い近い近い! 何この少女漫画で見たことあるやつ! 心臓に悪いからやめてほしい!)
休み時間、私がハナと笑い合っていても、以前のような嫉妬の色は見せない。ただ、私の後ろに立ち、愛おしそうに髪を指で梳いているだけ。その余裕綽々な態度が、逆に怖い。
「みこ、ほんと最近なんか雰囲気違うよねー」
「そ、そうかな!?」
「うん。なんか、こう…守られてるお姫様みたいな?」
ハナの的確すぎる指摘に、私の背筋は凍りついた。
(見えてないよね!? ハナには見えてないよね!? なんで分かるの!?)
その間も、女は私の背後で「そうだよ、私のお姫様だよ」とでも言うように、満足げに喉を鳴らしている。この状況、あまりにもシュールすぎる。
帰り道、女は当たり前のように、私の前にすっと手を差し出してきた。
どうしろと。
私は一瞬、気づかないふりをしようとした。しかし、女は「?」と、心の底から不思議です、みたいな顔で小首を傾げる。その完璧すぎる美貌でそんな無垢な表情をされると、無視したこっちが悪者みたいじゃないか。
私は観念し、おそるおそる、その白い手に自分の手を重ねた。
次の瞬間、指をぎゅっと絡め取られ、がっちりと恋人繋ぎにされてしまう。
(違う、これは事故!不可抗力なんだから!昨日のことはノーカウント!お願いだからそう思ってほしい!)
心の中で必死にそう叫ぶ。
しかし、私の手を握る女は、本当に嬉しそうに微笑んでいた。その横顔を見ていると、私の抵抗の意志が、じわじわと毒に侵されるように鈍っていく。
(…私が、求めたから、この人はこんなに喜んでるのか…?)
はっ、と我に返る。
危ない危ない!何を考えてるんだ私は! この人は人外! 化け物! タチの悪い悪霊なんだぞ!
自分の心が、この女の理屈に染められ始めている。
その事実に、私は心の底からゾッとした。
自室に戻り、どっと疲れてベッドに倒れ込む。
今日一日の、あの穏やかで甘い態度は、きっと嵐の前の静けさに過ぎない。
「飼いならされた」という事実を、今夜、骨の髄まで思い知らされるのだろう。
そう思うと、胃がキリキリと痛み始めた。
その夜、ベッドの中。
女はいつものように私の上に覆いかぶさってきたが、その動きには性急さや乱暴さが一切なかった。
まるで壊れ物を扱うかのように、優しく、丁寧に。
女は私の髪を梳き、額にそっと唇を寄せた。
「みこが求めてくれるのが、一番嬉しいんだよ」
その囁きは、甘い毒のように私の耳から染み込んでくる。
「違う!」と心で叫びたいのに、その優しい声と穏やかな眼差しに、身体から力が抜けていく。
女はゆっくりと私のパジャマをはだけさせると、今夜は私の全身に、慈しむようなキスを落とし始めた。
肩に、腕に、胸の谷間に。
その一つ一つが、激しい快感ではなく、じんわりと身体の芯から私を蕩かしていく。骨の髄までが、この甘い痺れに侵されていくようだった。
抵抗の意志が、溶けていく。
この優しさに身を委ねてしまえば、どれだけ楽だろう。そんな悪魔の誘惑が、頭をよぎる。
女の指が、ゆっくりと私の太腿の内側をなぞる。
「んぅ……」
びくりと震える私を見て、女は微笑んだ。
そして、私の最も柔らかな場所へと指が辿り着く寸前で、ぴたりと動きを止める。
また、あの焦らしか。そう身構えた私に、女は悪戯っぽく囁いた。
「もっと欲しい?」
「……っ」
「言ってごらん、みこの可愛い声で聞かせて」
無理強いはしない。ただ、優しく問いかけるだけ。
でも、その問いかけは、私が自ら求めることを前提としている。私が、この女のペットであることを、再確認させるための儀式。
昨夜の屈辱が蘇る。言いたくない。でも、身体は正直だった。与えられかけた快感の予感に、腰が疼いてしまう。
「……」
「みこ?」
女は急かさない。ただ、静かに私の言葉を待っている。
その沈黙が、何よりも重い圧力となって私にのしかかる。
ああ、もう、だめだ。
この優しさには、抗えない。
「……もっと…してください……」
涙が、一筋、頬を伝った。
自分の意志で、二度目の懇願をしてしまった。
その言葉で、私の心の奥にあった、最後のちっぽけな砦が、音もなく崩れ落ちた。
「いい子だね、みこ」
女は満足げに微笑むと、私の言葉に応えるように、優しく、しかし確実に、私の最も敏感な場所にある小さな蕾に指で触れた。
それは、これまでのような激しい絶頂ではなかった。
じんわりと、どこまでも深く、温かい快感が、身体中に広がっていく。まるで、ぬるま湯に浸かって、ゆっくりと意識が溶けていくような、心地よい感覚。
痛みも、苦しさも、恐怖もない。
ただ、ひたすらに甘く、穏やかな快楽の波に、私は身を委ねていた。
ああ、私、飼いならされちゃったんだな。
遠のいていく意識の片隅で、他人事のようにそう思った。
飼い主の腕の中で、安心して眠りに落ちるペットのように。
私は、この甘美な支配の中で、静かに意識を手放した。