朝のキスは、もはや歯磨き後のうがいと同じくらい、当たり前の工程になってしまった。
されるがままに唇を蹂躙されながら、私はどこか遠い目で今日の天気のことなどを考えていた。
洗面所から解放され、自室で制服に着替える。首元の、紺と白のストライプ柄のネクタイを手に取り、慣れた手つきで首にかけ、その結び目をきゅっと締め直した、その時。
背後から伸びてきた女の指が、私の手の上をなぞった。
「私がやってあげる」
「いい、自分でできるから…!」
私の抵抗も虚しく、女は私の手からネクタイの端を奪い取ると、手伝うふりをしながら、その指先で私の首筋や鎖骨のあたりをくすぐるように撫で回す。
(朝からやめてほしいんですけど!?)
心の中で悪態をつきながら、身体がびくっと震えるのを必死で堪える。
女は、慣れない手つきで、しかし楽しそうに私のネクタイを結んでいく。そして、最後に結び目をきゅっと締め上げると、完成したそれを、まるで芸術品のように愛おしそうに指でそっと撫でた。
「このネクタイ、みこによく似合ってて綺麗だね」
その囁きに、私はなぜか、ほんの少しだけ胸騒ぎを覚えた。ネクタイという、首に巻くものに向けられた執着が、妙に生々しく感じられたからだ。
その嫌な予感は、昼過ぎに形を持ち始めた。
体育の授業が終わり、汗を流して更衣室に戻る。自分のロッカーを開けた瞬間、私は動きを止めた。
女が、そこにいた。
そして、ジャージの上に置いておいたはずの私のネクタイを、その白い指で弄んでいた。結び目を作っては解き、また作っては解き、その布の感触を確かめるように、無邪気に遊んでいる。
「……何してるの。返して」
私の声に、女は顔を上げた。そして、名残惜しそうにしながらも、素直にネクタイを私の手に返す。
しかし、その金色の瞳は、まだネクタイに異様な執着を残していた。
女は私の手の中のネクタイを、もう一度だけそっと撫でると、聞こえるか聞こえないかくらいの、本当に小さな声で、ぼそりと囁いた。
「……これでみこを縛ったら、どんな顔するかな…」
「え?」
背筋が、ぞわりとした。
「今、何か言った?」
私が聞き返すと、女は「ううん、なんでもないよ」と、いつもの無垢な笑顔で首を振る。
(聞き間違い…? いや、でも確かに…)
気のせいだと思うことにしたが、胸の奥で鳴り始めた警鐘は、止まってはくれなかった。
放課後、教室の窓から差し込む西日が、やけに眩しかった。
私は帰り支度をしながらも、昼間の女の囁きが、耳の奥にこびりついて離れなかった。
『これでみこを縛ったら、どんな顔するかな…』
その言葉を思い出すたびに、自分の首元に巻かれたネクタイが、まるで蛇のように、じわりと肌に食い込んでくるような錯覚に陥る。
息苦しい。
私は、ほとんど無意識に、ネクタイの結び目に手をかけ、少しだけそれを緩めた。
その、瞬間。
隣を歩いていた女の視線が、私の手元に、そしてネクタイに、ねっとりと絡みついたのを、私は感じてしまった。
その金色の瞳は、獲物を見つけた爬虫類のように、冷たく、しかし確かな熱を帯びていた。
私がネクタイを緩める仕草が、まるで「誘っている」とでも受け取られたかのように。
(違う、そうじゃない!)
私は慌てて手を離したが、もう遅い。
女は、私の反応を見て楽しむように、小さく、満足げに微笑んでいた。
家に帰るまでの道が、永遠のように長く感じられた。
自室に飛び込むと、私は真っ先に、呪いのアイテムと化したネクタイを首から引き抜き、部屋の隅の、一番遠い場所へと放り投げた。
そして、逃げるように制服を脱ぎ捨て、風呂場へと向かう。
熱いシャワーを浴びて、少しだけ冷静さを取り戻したつもりだった。
あれはただの冗談だ。いつもの、この人外の意地の悪い嫌がらせ。そう自分に言い聞かせる。
パジャマ姿で、少しだけ軽くなった心で、自室のドアを開ける。
―――そして、私の思考は完全に停止した。
ベッドの上。
女が、そこに座っていた。
そして、その手には、私が先ほど放り投げたはずの、紺と白のストライプ柄のネクタイが、握られていた。
女は、妖しく、そしてどこか期待に満ちた、蠱惑的な笑みを浮かべている。
「みこ」
その唇が、ゆっくりと動いた。
「これ、今夜だけ貸してね」
昼間に感じた嫌な予感が、今、最悪の形で目の前の現実となった。
私の顔から、サッと血の気が引いていくのが、自分でもわかった。
女は、まるでこれから始まる遊びが楽しみで仕方ない子供のように、私のネクタイを指で弄んでいる。
私は後ずさりしようとしたが、見えない壁に阻まれたかのように、足がその場に縫い付けられてしまった。
女がベッドからするりと降り立ち、ゆっくりと私に近づいてくる。そして、私の両手を優しく取ると、抵抗の隙も与えずに、私の背中側で手首を合わせた。
「んっ…!」
そこに、あの紺と白のストライプ柄のネクタイが巻き付けられる。
ぎゅっと固く縛られるわけではない。
ただ、するり、と解けてしまいそうなほど、緩く結ばれただけ。
でも、それが逆に、恐ろしかった。
本気で抵抗すれば、すぐにでも解けてしまう。なのに、女の視線と、部屋に満ちる濃密な空気が、私の身体から意思を奪う。
「解ける」のに「解けない」。
その事実が、精神的な檻となって、私をがんじがらめにした。
「自分のネクタイに縛られるのって、どんな気分?」
女は私の耳元で囁きながら、パジャマのボタンを一つ、また一つと外していく。
私は何も答えられない。ただ、カタカタと震えることしかできなかった。
はだけさせられた胸に、女の冷たい指先が触れる。そして、いつも以上に時間をかけて、丁寧に、私の身体を調べ始めた。
「ほら、解いてみれば?」
挑発的な言葉。
できるはずがない。この女を前にして、そんなことができるはずがない。
私の沈黙を、女は肯定と受け取った。
嬉しそうに喉を鳴らし、その唇が私の肌を求め始める。
いつも以上にゆっくりと、まるで味わうかのように。
自由の効かない両腕。無防備に晒された身体。
その無力感が、私の感度を異常なまでに高めていた。
女の舌が首筋を這うだけで、びくりと腰が跳ねる。胸の頂点を甘く噛まれるだけで、喉の奥から甲高い声が漏れそうになる。
私は必死に声を殺そうと唇を噛むが、その震えすら、女にとっては悦ばしい反応でしかないのだろう。
「いい顔するね、みこ」
女は私の反応を一つ一つ確かめるように、愛撫を深めていく。
指先が、お腹を、腰を、そして太腿の内側を、じらすように撫で上げる。
もう、やめてほしい。でも、どこかで、もっと、と求めてしまっている自分もいる。
そんな矛盾した感情に、頭がおかしくなりそうだった。
女は、ついに私の脚の間に顔を埋めた。
そして、パジャマのズボン越しに、熱い吐息を吹きかける。
「ひぅぅっ…!」
直接触れられるよりも、ずっと卑猥なその行為に、私の身体は勝手に反応してしまう。
腰が震え、熱い痺れが下腹部から全身へと広がっていく。
「ねぇ、みこ」
女は顔を上げ、汗ばんだ私の顔を覗き込んだ。
金色の瞳が、妖しく、そして恍惚と細められている。
「私が、解いてあげようか?」
その言葉は、悪魔の囁きだった。
この屈辱的な拘束から解放されたい。でも、それは同時に、私がこの女のなすがままになることを、完全に受け入れるということ。
私が何も答えられずにいると、女は「仕方ないなぁ」とでも言うように、私の背後に回った。
そして、ネクタイの結び目に、唇を寄せる。
ちゅ、と小さな音を立てて、女はネクタイを吸った。
そして、舌先で結び目をなぞり、ゆっくりと、歯を使ってそれを解き始めたのだ。
「んんんっ…!」
背中で繰り広げられる、信じがたい行為。
ネクタイが解かれていく、そのじれったい感覚と、背中に感じる女の吐息が、私の理性を完全に破壊した。
するり、とネクタイが解け、両腕が自由になる。
しかし、それは解放ではなかった。
自由になった私の両腕を、女は正面から掴み、頭上でシーツに縫い付ける。
そして、これまでで最も飢えた、獣のような瞳で、私を見下ろした。
「やっと、みこの全部を、好きにできるね」
その言葉を最後に、私の意識は、これまで経験したことのないほど激しい快楽の嵐に、なすすべもなく飲み込まれていった。