仕事を手伝った礼は何がいいかと問われたので、「一晩付き合え」と言った。
特に理由はない。兄弟弟子が酒を酌み交わすのに理由がいるだろうか。と思ったが、どうも誤解させたらしい。
◆
四百年経っても、私はまだ成長の余地があったぞ。と、師匠に教えてやりたいものだが、冥界のどこにいるのかはわからない。
私は新たな視点を見るようになった。
そこに悪口雑言の本音はなく、内臓をぶら下げた棒人形もなく、他人の心象だけが見える。
鬼が抜けて『さとりの視点』とでも名付けようか。
ただ、それは瞳の奥にしか見えない。
この視点を使おうと思えば、鼻同士がぶつかるほどの距離まで相手の目を覗き込む形になる。
これから殺す相手の心象を見ても、家族らしき童や老女の顔くらいしか見えない。
『サトリ鬼』ほどには使えないだろう。
この視点がなぜ見えるようになったのか、それには弟弟子のことがかかわってくる。
弟弟子の草薙のことが、時折わからなくなるのだ。
本音が見えていた時も思っていたことだ。こいつは目の前に化け物が居る状況でも、砂糖の量だとか余計なことに注意が逸れる節がある。
あの精悍な顔が物憂げに遠くを見つめている時は、なにを考えているのか覗き込みたくなる。その度に奴はぎょっとして、それから呆れたように、私の顔を手の甲で退ける。
そうしているうちに『視点』を見つけてしまった。
このことを近江に話した。
「私も草薙さんのことを全てわかっているわけではありませんよ」
意外な答えだった。
近江は草薙に仕事を紹介する橋渡しだ。今は冥界の事務所に居を構えている。私が殺した張本人なのだが、再会しての第一声は「お仕事に困っていませんか」だった。それからは私も奴の紹介する仕事を受けている。時々草薙と鉢合わせることもあって、その時のあいつはなんだかよくわからないが、不満そうにしていた。
草薙が想師として出立する前からの付き合いだというから、近江ならわかると思っていた。
「お互いプライベートには踏み込まないようにしているので。それでも仕事の上で信頼を置かれているというのは、ありがたいことですが」
「ふむ」
私は紙巻に火をつける。煙を深く吸い込んで、吐き出す。
「ただ」
「なんだ」
「わからないと思うのは草薙さんのせいというより、九鬼さんご自身の変化かも知れません」
私は首を傾げる。
「『サトリ鬼の視点』を使って無理矢理暴き出すのではなく、自然な相手への興味から得た力というのは、健全だと思いますね」
「……なるほど」
医師のような口調で近江が言うので、私は脳味噌を見透かされたような気分になった。
しかし、健全、か。
◆
停泊しているホテルは安っぽいが、不便はない。室井の名と住所を使ったが、従業員に疑念の気配はなかった。『サトリ鬼』など使わずともその程度はわかるし、仮に正体が暴かれたとしてもうっとおしいだけで問題はない。
草薙の弟子である倉沢を連れて常連の店に入ったことがある。
あれは最初は緊張していたが、メインディッシュが運ばれてくる頃には私を兄さんと呼び始めた。それで兄上を思い出して、私はけして素直な弟ではなかったなと反省した。
酔って私の背中で眠る倉沢をアパートまで送り届けてやったら、真由と草薙が驚いた顔で出迎えた。
弟子が行方不明になっているという知らせで師自ら探していたらしい。天承老師ならそんなことはしないだろう、と私が言うと、草薙は一瞬、遠い目をした。それを覗き込むと、なぜか真由が割れんばかりの悲鳴を上げたので『さとりの視点』は使えなかった。
あの遠くを見つめる目はなんなのだろうか。
そればかりが気になっている。
物思いにふけって、しばらく紙巻を咥えたままになっていた。
呼び出し音が鳴る。
受話器を手に取って「来い」とだけ伝える。他に約束はない。
しばらくして扉がノックされる。二回。それは厠でするノックだ、と説教しようかと思ったが、顔を見てその気が失せた。
遠い目をしていた。
心なしか、頬も紅潮している。
「……」
気になったが、ひとまず部屋へ入れた。
草薙はソファに腰を下ろした。遠い目は俯いている。酒をグラスに注ぐ。
「飲むか」
「ああ」
奴とは別のソファに腰を下ろした。
紙巻へ火をつける私を横目に観察して、草薙は呟く。
「一晩付き合え、と言ってたよな」
どうにも、見覚えがあると思った。
兄上についていた小姓の表情に似ている。
「酒を飲むだけか」
「それ以外に何がある」
私は答えた。
草薙は、ふうう、と心底安心したようにため息を吐く。
「待て、本当に何を考えとったんだ」
私は奴の眼を覗き込んだ。『さとりの視点』を使おうとすると、手で退けられる。ぴりっ、とした殺意も感じた。
どうやら、誤解させたらしい。それに気付いて目を閉じる。
「既婚者が何を考えとる」
「お前が妙な言い方するからだ。旋視せずに悟ったってことは、その、お前も少しは考えてたんだろ」
「考えたとて実行するかは別だ。『サトリ鬼』から解放されてようやくそうなった」
言って、額を抱える。
奴は耐えきれないという様子で、立ち上がる。
「シャワー借りるぞ」
「準備でもするのか」
冗談のつもりはなかった。だが機嫌を損ねたのか、顔をしかめる。
ジャケットを脱ぎはじめた。
ここで脱ぐのか。
声に出ていた気もする。
そのまま、酒の肴に観察してやった。奴は、ふい、と背中を向けた。
本当に、何を考えているのかわからん。
肩甲骨の出っ張り。
「……背中」
シャツの襟がするりと落ちると、はっきりと見えた。
皮膚の下に羽でも入っているような、左右対称の腫瘍。
そういえば『だいだらぼっち』で見ればこいつは羽虫だったな。私は思い出す。
私は、自分の前髪に隠れた角に触れた。雨後の筍のように削っても生え続けた、複数の角の跡。
「ああ、視点の影響だ」
奴は腕を回して腫瘤を触る。
その動作が妙になまめかしい。
気付けば立ち上がって触れていた。
「お前っ」
殺意が飛ぶ。反射的にベルトを掴む。
ソファに組み敷いた。
両手が塞がっている。これでは確かめられない。何を? 奴の背中を。
ああ、これがあったか。
私は舌を出した。
舌先で、中腹で、根元で、奴の羽を確かめた。中身は堅い骨のようでもあり、柔らかい膿のようでもある。
額の角を泣きながら削っていた頃を思い出す。胸を焼く懐かしさに目を細める。
私がしていることに気付いたか、ぶるるっ、と奴の全身が震えた。
「九鬼、悪ふざけならやめろ」
殺意。
奴が身じろぎを始める。先ほどまで頬を赤くしていたというのに、私を殺そうとしている。それで面白くなってしまった。
ベルトを引く。ブチブチと硬い革がちぎれる音がして、緩んだ。
手を伸ばすと、サラサラとした布の感触があった。微かに熱を感じる。
「ッ九鬼……っ………!」
手の中で弄んだ。すこしずつ指先がぬめりはじめて、奴の呼吸も荒くなる。
おとなしくなったのをいいことに、私は舌で羽の感触を楽しんだ。それから、背骨も。
「クク、ク」
気付けば、喉の奥から笑いが漏れていた。
手を離した瞬間、また殺意が飛んだ。私は素早くその首を掴んだ。どうやら旋視しているらしく、奴は爪を整えた指先でソファを切り裂いていた。
私の情欲はどうにもならなくなっていた。
必死に呼吸しようと悶え苦しむ草薙の横顔を見たまま、私は洋袴の前を広げた。固く膨れたそれを奴の背中に押し当てる。
遠い目をしている。
こんな時にも、奴は何かを考えている。
「……ぐっ……九鬼、お前……んっ……何をっ」
両手で首を絞めた。全身が、びくん、と脈打ち羽の走る肩甲骨で私を挟み込む。
指先を緩める。弛緩し、呼吸に集中する。
繰り返すうちに、奴の浅黒い背中は白濁した液体で泡立ち始める。
もうとっくにわかっているだろうに。
「はー……はー、はー……」
草薙は、何を考えているのだろうか。
殺したいならさっさと殺せばいいし、尊厳を守るなら舌を噛んで自決すればいい。物言わぬ死体を嬲る趣味は私にはない。
おとなしく待っていれば解放してくれると思っているのか。だとしたら、随分と……。
いや。
遠い目の奥に『それ』が見えて、私は笑ってしまった。
「ク、クク、ク……」
首を絞めるのをやめて、私は腰を揺らした。
頭の中が、ぼうとしてくる。奴の香りがするつむじに口づけする。喉が鳴って、荒い息が吐き出された。
「九鬼、いいかげんに」
怒りの感じられない声音で奴は窘める。童でも相手にしているように。
私は答えた。
「っ、一晩だ。契約をたがえるつもりか?」
一瞬の間のあと、奴はようやく気付いたのか、肩甲骨を自ら寄せた。私はそれに怒張した自らを擦り付ける。
「クク、はは、はぁ、はは……」
笑いながら動きが早くなる。
奴の背中で、ねばつく液体が塗り広げられて、私は快感を得ることしか考えられなくなる。
「はは、あ、は、はあ、はあ、は、は、あ、あ、……っ!」
びくびくっ、と先端が震えて子種が飛んだ。
それはうなじまで飛んだ。奴の浅黒い肌と私の白い指の境目に、黄みがかった白い液体がこぼれる。
真っ白になった頭のまま、垂れていく雫を見つめて、しばらく余韻に浸っていた。
「はあーっ、はあーっ、はあーっ……」
気付けば、草薙も自分自身を愛撫していたのか息が上がっている。ソファが汚れていた。
私は放心したままの草薙を担いで、ベッドまで運んだ。
仰向けに転がすと、絡まったままの邪魔な衣服を取り払って、ぬめった股間を銜えた。
「あっ……!」
喘ぎ声などお構いなしに、私は吐き出されずに残っていた精液を吸っていた。喉奥まで導いて締め付ける。味わいながらスーツと革靴を脱ぐ。
粘液と唾が混ざって裏筋に垂れ、それを掬い取る時に、指先が肛門を撫でていく。
しゃくりあげて泣く声が聴こえる。私は視線を上げる。
目があった。涙の浮かんだ奴の両目が見えた。
私は目元だけで笑った。
あまりにも気に食わない。
「ふうっ、……~~~~っ!」
指先を突き入れた瞬間、草薙は絶頂した。
腹筋が激しく波打ち、私の唇にもびりびりと衝撃が伝わってくる。
「っはあ、あ、あ、が、……~~~~~っ! うおお、お、あっ……~~~~~っ!」
言葉にならぬ声を必死で抑えながら、何度も絶頂している。逃れようと身体を捻ったので、足首を掴んでさらに奥へと進んだ。
二本目。
「ぐうううううう、う、ああ、っ……~~~っ!」
指先は奥にある塊を捏ねてやりながら、舌先はひくひくと動く鈴口を撫でていた。
のけぞった表情は見えない。そのほうがいい。
「はあーっ、はあーっ……あ゛っ、だっ、……っ、……~~~~~っ! っんあ……」
糸が切れたように、急に奴の緊張がほどけた。
シーツを掻いていた腕が突然こちらへ振りかぶられ、髪を掴まれた。
そのまま腰を打ち付けられる。私は抵抗もせず受け止めた。喉奥を奴の裏筋が滑る。
「はあ、はあっ、はあっ、あっ、あ、あ、い゛っ、い゛っ、い……~~~~~~!!」
全身がこわばり、喉奥に打ち付けたまま絶頂する。
シャー、と水の感覚が喉を流れて行った。
「…………っ、あ、…………んん、ん」
こいつ。
私の喉で放尿しおった。
仕舞まで飲みくだして、私は奴を喉から引き抜く。
「……九鬼」
足が出た。
両手で退けながら、奴は呻く。
「なにしやがる」
「こっちの台詞だ。他人の口を厠扱いしおって」
「おしっこじゃないだろ、さっきのは」
「あ?」
足をどけた。ふと、奴の視線が私の股間に降りた。
「なんでまだ勃起してるんだ……!」
怒りと恐怖の混ざった声で、奴は言った。
◆
どうしてこうなっているのか。
気付けば弟弟子は私の上で腰を振って、疲れ果てたのか全身を預けている。
腰は動き続けている。
「九鬼、頼む」
なにを頼んでいるのか。
「……っ」
私は怒りに任せて奴の尻を掴んだ。そのまま腰を浮かせて、突き入れる。
「お゛あっ! うっ、うっ、うっ、ううっ……!」
色気のない低い声が耳元ではじける。腹を熱い液体が滑っていく。奴の吐き出した精液が臍に溜まる。
逃げようとする腕を掴んで、何度も奴を犯した。遠い目が見下ろす。私を。
「九鬼」
その瞳の奥に、奴の心象が見える。
椅子。
「やめ、もうい゛って、あ゛っ、あ、うあ、あ゛……!」
いつの間にか奴は絶頂していたらしい。お構いなしに、私は続ける。
瞳が涙で歪む。瞼が閉じられる。その心象は遠ざかる。
私に知り得なかったものをこいつは知っている。知っていながら、忘れたふりをしている。
ようするに、嫉妬だ。
「ふう、う、ううう……っあ、く、あっ……」
呻く奴の中に精を吐き出した。
しばらく動けなかったが、この程度で怒りは収まらない。
寝転がったまま腰を動かすのも疲れた。乱暴に引き抜く。
「ぐおっ……!」
腹の中を支配していた気配が急に抜けて驚いたのか、短く叫んだ。
体勢を変える。今度は正常位に。
「っはあ、はあ、はあ……」
草薙は瞼を固く閉じて、嵐が過ぎるのを待っていた。それも気に食わない。
再度突き入れる。
「あっ……! あ、あ、ああ……はあ、はあ、はあ、ああああああ」
口の端から汗とも涎ともわからぬ液体を垂らしながら、迎え入れる。全身を揺さぶられながら快楽に身を投じている。気付けば奴の左手の指輪が消えていた。どこにやったのかと思えば、ベッドサイドに灰皿と共に置いてあった。
手を伸ばす。
「っ九鬼……!」
気付いたのか、もがいて私の腕に絡みつく。
瞼を閉じたまま。
その細い顎を掴んで、私は強引にこじ開けた。
結婚指輪を奴の口に放り込む。
「んっ、む……」
金属の感触を、必死で出そうとする。舌がうねって輪っかが転がっていく。私は出て行こうとするそれを幾度も投げ込む。
とうとう、ごきゅん、と喉が鳴った。
「……っ! 九鬼っ、ぐっ」
両目が見開かれる。口の中に指輪は見えない。
口を両手で塞いで、腰を振った。私の腕を掴んだまま、快楽と殺意の間で奴の気配が動く。
「……! …………っ」
それが心地よく、ひりひりと私の全身を焼く。
「ハハ、ハッ、ギャハッ、ハハハ」
私は笑いながら奴を犯していた。
ふと、手のひらに熱を感じる。
私は手をどけて解放してやった。草薙は身を起こして横を向き、胃液を吐く。塊のほとんどない吐しゃ物でシーツが黄色く染まった。
「げほっ、えほっ、げほ、……」
草薙は自らの指を喉奥に突っ込んだ。第二波がぼだぼだと薄い唇から落ちる。
「それほど大事なら、なぜ外した」
私は訊ねた。
流れ落ちる胃液の中に、ころりと金属が飛び出した。汚れた指輪を手探りで拾って、草薙は左手の薬指にはめた。
「……」
答えはない。
「……もうやめるか」
「いいや」
「いい加減にしろ」
振りかぶるために灰皿を手に取ったが、草薙は頭を横に振る。
「一晩の約束だ」
多分、今行われているのが殺し合いでも同じことを言っただろう。
それが不意にわかって、私は諦めた。
胃酸の香りが鼻腔をつく。
◆
結局、勝負はつかなかった。
互いに果てるまでやるつもりだったが、遮光カーテンの隙間から朝日が差し込んできて、夜が終わるのが先だった。
私の下から草薙の腕が伸びてカーテンを動かす。
「一晩の約束だったな」
部屋を朝日が蹂躙する。
「ああ」
「シャワーを浴びていくが、襲うなよ」
「襲わん」
そんなことをすれば、今度こそやめられなくなる。
私から離れて、草薙は浴室へよたよたと歩く。
私は紙巻を手に取って、マッチを擦った。
「火事になるぞ」
声の方を見ると、奴が裸のままこちらを睨んでいた。
「そうなる前に消す」
「眠いだろ」
思わず喉が鳴る。
「ククク、クク……」
笑いながら、ベッドサイドの灰皿で火種を消す。
「嬉しそうだな」
「お前に叱られるのが面白くてな」
こんな奴に諫められるとは。
羽の見える背中は浴室に入っていき、扉が閉じられた。
私はシャワーの雨粒が落ちる音を聞きながら、天井を見上げる。
「馬鹿めが」
誰に対する言葉だろうか。
それから『さとりの視点』は使っていない。
終