空蝉の裂け目 自分のことをまだ男だと思い込んでいる精神異常TSっ娘を壊してしまった僕の話 作:あかん子を説法
主人公 真空(まそら)
一人称僕 長身細身 なよっこいが努力家 顔は普通だが頑張っているのでかっこよく見えるタイプ 彼方の心を直すため精神科医を志している 父親がセラピスト 父を尊敬している やや神経質 振り回され気質 運動は不得意
TSっ娘 彼方(かなた)
一人称俺 黒髪ショート 美形で真面目な顔はイケメン、気を抜くと美少女 トランジスタグラマー 天真爛漫 演技派 自分を男のままだと思い込んでいる 性欲がうまく処理できない 精神崩壊ギリギリ 女体化後はずっと主人公の家にやっかいになる 一人でいられる場所が限られている 生理を血便だと思い込んでいる
対戦よろしくお願い申し上げます。
中学校2年生、夏休み明け。
騒がしい蝉時雨も、アブラゼミよりヒグラシやツクツクボウシのほうが目立つようになったなと、そう感じられる朝のことだった。
「えっ、かなた学校に来たの⁉︎」
ざわめく教室では、しばらく音信不通だった男親友、彼方(かなた)の話題で持ち切りだった。
耳を疑うようなひどい噂話ばかりが、ざわざわ、ざわざわ。
「あ、そっかまそらくんは仲良かったもんね……」
「どこにいるの?」
「え? 保健室じゃないの? たぶ、あ、ちょっとまっ」
ホームルームが近かったけれど、僕は場所を聞いてすぐ、一目散に保健室へ向かい。
そこで信じられないものを見た。
「いた! かなた!」
見知った後ろ姿へ「もー、メール無視しないでよ、まったく」と早足で歩み寄る。
様子を伺いながら「心配したで、しょ」と、投げ掛けた言葉尻は消え入った。
「おう、まそら、ひさしぶり」
久しぶりに会った親友は、言葉こそ明瞭なものの、声からも表情からも感情の色が失せていて。
学校指定のワイシャツは、下のほうのボタンが止められておらず。
そのお腹は、不自然に膨らんでいた。
嫌な予感は、ずっと前からあった。
彼方の家は、悪い噂の絶えない父子家庭だった。
家の状況については彼が語りたがらないからあまり深く詮索はしなかったけれど、劣悪だったことは想像するに難くなかった。
いつも同じ服を着ていていたり、体育の着替えのときはお腹のあちこちにアザがあるのを隠していたり。ありがちな要素はしっかりと満たしていたから、僕も周りもなんとなくわかっていた。
わかっていて結局、最悪の結果になった。
世間的な不干渉の風潮のせい?
事件が表沙汰になるまで周りの大人が無関心だったから?
いや、そうじゃない。
僕は思う。一番の理由は、彼がとても賢明で、我慢強かったからだと。
貧乏を理由にいじめられても、何をされてもケロリとしていた。なんというか、同い年の子供を相手にしていない感じだった。
机の落書きを「先生の責任だ」って言って先生に掃除させてたときとか、教科書を破かれても内容を諳んじて平然と授業を受けてたときもそうだ。
口調は乱暴だったし、行動も発想も突飛だった。けれどずっと大人で、強くて、賢く見えた。
だから、きっと誰も想像できなかった。
もしくは、踏み込むのが億劫で、面倒だったから、想像する気も起きなかったのかもしれない。
彼が裏でどれだけ弱っていたかを。
彼自身、寛容なようでいて、決して誰も近づけないような、そんな分厚い殻を被って、つとめて明るく振る舞い、誰にも弱みを見せていなかったから。
少しずつ華奢になっていた体格も、体調を崩して休みがちになり始めていたことも、全部。
あと少し早く、あと少し深く、踏み込めたらわかったはずなのに、誰も。
「彼なら大丈夫なはず」と深刻に考えることができず、真に彼を思って叫ぶことも、手を差し伸べることもできなかった。
でも、だとしても、僕だけは────
じーじーじわじわ、じーじーじーじー。
窓の外は、蝉時雨。夕暮れどきにも関わらず、衰える様子のない大合唱が校舎を揺らさんばかりに響いている。
まだ単調なアブラゼミの声しか聞こえない。
けれど、今でも蝉時雨を聞くと、こうして不意に苦しくなるときがある。
「…………」
あれからもうすぐ3年だ。
かなり昔のようで、つい昨日のことのようにも思える。
茜色の空を見上げて、すー、はーと大きく深呼吸をした。
それでも、胸の奥を締め付ける後悔と罪悪感は振り解けない。
「おい、何ぼーっとしてんだ、生徒会長様よ」
書記の加藤がそう揶揄ってきて、にわかに現実へ引き戻される。
「お待ちだぞ、ほら」
「……」
さらに副会長の藤原さんに「早く行ってあげてください」と少し怪訝そうに急かされて、僕はハッとした。
「また、怒られますよ」
表情を取り繕い「ああ、うん」と返事して、促されたほうを向く。
磨りガラスの向こうには、濡れ鴉の色をしたショートヘアの暈けた後ろ姿。
あのころとほとんど変わらない、白いワイシャツを着た華奢な背中が待っている。
荷物をまとめ、徐に歩きドアを開ける。
廊下に出てすぐ、スマホに夢中な横顔に向かって「かなた」と名前を呼んだ。
瞬間、整った童顔がこちらを向いて丸く柔らかな頬を緩ませ、爽やかで威勢のいい笑みを浮かべた。
「おせえよ、待ちくたびれたぞ」
腹の底からドスの効いた、甲高いものを目一杯低く抑えたような声ががらんとした廊下で響き、小さな手が僕の手を取る。
昔のまんまだ。時間から取り残されたかのように、今の姿は過去の面影と重なって相違ない。
僕は「ごめん」と返した。とっくの昔に声変わりした低い声で。
「おらっ、早く帰るぞ。ランク取り戻さねえと」
彼方は反応の悪い僕をぐいぐい引っ張る。
「ちょ、まって」
全部が変わっていなければ、どれほどよかっただろうか。
腕に当たる、丸みを帯びた柔和な感触。
昔は頭ひとつ近く上にあったのに、今や僕の胸の高さにある短めの細柔い黒髪。
その襟足が靡いて覗く、細く白いうなじ。そこから香る、深くて甘い、桃とミルクの合いの子のような香り。
どれもが、かつての彼とはかけ離れている。
「あんまりくっついたらっ」
気恥ずかしさから、引き寄せてくる力にそれとなく抗った瞬間、歩みは止まり、彼方の手に力が込められた。
不意に周囲がしんと静まったような気がして、背筋が凍る。
窓から差した西日が、彼の顔に影を作っている。
「ほら、暑苦しいだろ」
咄嗟に、もっともらしい理由をつけた。
一呼吸、間が開く。
心臓の音だけが何度か響いた、その後に。
「そりゃ悪かった」
彼方はパッと離れて踵を鳴らし、再び悪戯っぽい笑みを浮かべた。
突発性異性化症候群。
原因不明。発症の割合は極めて低いものの、そのインパクトから知名度の高い国指定の難病である。
彼方はそれを患い、変わってしまった身体で望まぬ妊娠と流産を経験した。
まだ子供と言って差し支えない年齢でだ。
はたして、それは彼にとってどれほど悲惨な体験だったのか。
推し量ることは叶わない。
ただ、わかることはひとつ。
以来彼方の心には、あまりにも深い傷が刻まれている、ということだけだ。