空蝉の裂け目 自分のことをまだ男だと思い込んでいる精神異常TSっ娘を壊してしまった僕の話 作:あかん子を説法
8月。夏休みに入り、蝉時雨も真っ盛りのなか。
その日は生徒会の仕事もとくにないので、僕は何をするでもなく、ただなんとなく、リビングのテレビの前で彼方と肩を並べていた。
なんとなく、ただなんとなく、話題なし。
お昼のワイドショー番組は退屈で、話すこともなくて、僕も彼方も手元のスマホ画面ばかり見ている。
適度に騒々しいけれども、内容は入ってこない。コメンテーターたちがする当たり障りのない会話よりも、全開のクーラーの送風音と窓の外の蝉の声に耳がいく。
今日も天気いいなぁ。
ぼんやりとそう思いながら、なんの気なしに彼方のほうを見た。
整った横顔は、やや物憂げに手元を眺めている。黙っていれば芸能人以上に綺麗で可愛らしい少女にしか見えない。
けれど相変わらず薄着で、目のやり場に困るようなだらしない格好なので、やっぱり彼方なんだなと納得させられてしまう。
にしても、元気がない。
体調は悪くないのだろう。
しかし、ずっと心ここに在らずといった感じだし、ほんの僅かに顔色が良くない。
いつもならそろそろ「ランクマ始めようぜ」とか、「なんか面白い映画探さない?」なんて言い始めるところなのに、その様子もない。
なにも見るものなんてないのに、僕はスマホのアプリを開き、漫画を探してまた画面を閉じた。
夜毎、彼方のうなされる頻度が増えている。
昨年も一昨年も傾向として同じだった。やはり夏は、彼方にとって辛い記憶を思い起こさせる季節になってしまっているようだ。
慮り、僕は恐る恐る「かなた」と声をかけた。
「んー?」
本来なら、好きな季節だったはずだ。
家庭の事情も関わっていたかもしれないけれど、元々は闊達で外によく遊びにいこうとする子だった。
鬼ごっこに、サッカーに。山での昆虫採集なんかにもよく誘われた。
それが今はもっぱらインドアな趣味に甘んじている。
僕がいないとほとんど外にも出ようとしないし、いても人目のつくようなところは行こうとしない。
他人に女子として見られ、扱われてしまえば、彼方のなかでズレが生じてしまうから。
きっと、自分のしたいことを我慢しているはずだ。
「ちょっと買い物付き合わない? おやつ買いに行こうと思うんだけど」
外の空気を吸わせたほうがいい。
僕はそう判断して、ちょっとした提案をした。
「えー、あついからいい」
彼方は気だるげにそう答えた。
外は灼熱だ。無理もない。
しかし、あっと彼は思い出したように声をあげて「でもアイスは買ってきてほしい」と、少しばかり目を輝かせた。
「ずうずうしいと思わんかね、それは」
態度を崩さないこちらに対し、「だめ?」と上目遣い。
自分が可愛いことを自覚しているような、おねだりの視線が向けられる。
事情を知らない男子が向けられていたらやられていたかもしれない。そんな小悪魔的な危険さを孕んでいる視線だ。
しかし、僕は知っている。
彼が男子の頃から、こういったテクニックを他人相手に平気で駆使していたのを。
それが今や僕だけに発揮されていることも。わかっているからこそ、冗談として成立している。
だからこそ、わざとらしい態度にはむしろそっけなく接する。
彼方にとっても、僕にとっても良くないから。
「だめ」
一蹴して「共に灼熱を越えし者にのみ与えられよう」と、直前に思いついた流れのままに、どこぞのRPGに出てきそうな偉そうなおじさん風に言ってやった。
「けち」
「なんとでも言いたまえ」
ぶーたれる彼方をあしらって、どうするのと問いかける。
彼はうーう唸った末、結局、渋々外出を選んだ。
炎天下、アスファルトの照り返しは厳しく、世界は熱で揺らいでいる。
「あ゛ー……」
目指すは最寄りのスーパー。田舎ゆえに若干遠い。
あまり歩きたくないのだけれど、残念なことに、彼方は女の子の身体になってから自転車に乗れない。
後ろに座らせて、というわけにもいかない。色々気が咎めるし、ルール違反だ。
だから仕方がないので、できる限りの省エネでとぼとぼと歩いている。
……別にうまく動けなくなったというわけではない、と思う。
身体が変わっても、依然として、彼方の運動神経はすこぶる良い。
だから乗れないというより乗ろうとしない、という認識が正しいだろう。
一体何が原因なのやら。
「あつすぎ」
「だね」
彼方はまただるそうに文句を言いつつ、歩調を合わせて後ろをついてくる。
足下はサンダルで、上下はダボっとした黒の半袖と青の半ズボンというラフな格好だけれど、日に当たると袖から覗く細い腕と、青っ白い素肌がよく目立つ。
日焼けどめを塗っていないので、長居させるのが怖い。さながら病弱少女だ。真っ赤になって水脹れができてしまわないか心配になる。
「はー」
けれど歩みを進めていくうち、表情も声も、むしろ家のなかにいたときより明るくなっていく。
「もうちょい早く歩こうぜ、はやく涼んだほうがいいだろ」
ついにはせっかちな一面が顔をだして、僕は追い抜かれてしまった。
「一理なくはないけども」
頑張れば頑張るほど、熱くなった身体は冷めにくくもなる。
長く直射日光を浴びても身体は熱くなるが、はたしてどちらがマシだろう。
あまり体力に自信のない僕は、このままのほうが合ってる気がしている。
「昔からガリ勉だもんなー、まそらは」
揶揄うような笑みが向けられた。
ちょっとムカつくけれど、それで笑ってくれるなら安いものだ。
なんて、内心余裕ぶっていたのを見透かされた。彼方は「よっし」と一歩大きく踏み出して息巻く。
「じゃあこっから競争ってことで」
「えっ」
あっけに取られる僕。
彼方はまったを言わせてはくれない。
「遅れたほうの奢りなー」と指でお金のジェスチャーをして、一目散に走りだした。
「あっ、ちょっと!」
身体が変わっても、彼方は彼方だ。
僕より先をいく。敵わない。
「はい、オレの勝ち」
店の自動ドアが閉まる。
「なんで負けたのか、明日までに考えといてください」
クーラーの冷気と共に、どこかで聞いたことのあるセリフが誇らしげに吐かれた。
そういえば、モノマネも得意だったな彼方は。イントネーションまで完璧だ。言われているのが僕じゃなかったら、笑いを堪えきれず吹き出していたかもしれない。
くっそー……。
「はー……くっ、うぅ」と手に膝をついて息を切らす僕。余裕そうに見下ろす彼方。
マウント感のあるセリフなんていらないだろう。これだけで十分だ。
「勉強だけじゃなくて、もうちょっと運動もしたほうがいいぞ、マジで」
「か、かなたにだけは言われたくない……」
碌に運動していないのはお互い様なはずだ。最近は登下校と体育の時間くらいしか走ってなかっただろうに。
だとしても、いやだからこそ、すごく格好がつかなくて、考えれば考えるだけ惨めになる。
フルでハンデを背負っている相手にこのザマは、言い訳のしようがない。
仕方ない。甘んじて受けよう。
そう諦めて、散財を覚悟したときだ。
「あっ、わりいちょっとトイレ」
拍子抜けするタイミングで彼方はそう言って踵を返す。
別に問題ない。「わかった」と返事して、スマホをポケットから取り出し壁に寄りかかろうとした。
「ああ、待たなくていい、先に買い物してて」
「え、いや」
どんなものが店にあるかを彼方は知らないし、僕だって詳しくない。奢るには彼方が一緒に買い物をする必要がある。
加えて、正直彼方をあまり一人にはしたくない。トイレには一緒に入れるわけではないけれど、少なくとも出入り口で待っていれば、そうそうおかしなことにはならないだろうから安心できる。
時間に余裕だってある。いくらでも待てるので、急ぐ必要がない。
「言わせんなよ、大のほうだよ大の、時間かかりそうなの」
「でも、買いたいもの何かわからないし」
「適当に買ってよ、任せるから」
しかしこう言われてしまうと、待つ理由は1つ潰れて弱くなってしまう。
なにせ残る理由は、彼方の容姿を鑑みての考えなのだから。
「……」
理由もなく頑なに過保護な態度を取れば、不信を招くかもしれない。
まあ、買い物に時間を掛けなければ大丈夫か。幸い多目的トイレも空いている。男子トイレに向かうようなことはないだろう。
僕はあまり深く考えずに、彼の言うことに従った。