空蝉の裂け目 自分のことをまだ男だと思い込んでいる精神異常TSっ娘を壊してしまった僕の話 作:あかん子を説法
────と、これだけあればいいか。
彼方の好みは大体把握している。このスーパーも通い慣れているので、予想通り買い物にあまり時間は掛からなかった。
強いて言うならレジはちょっと並んでいたので、3分くらいは待ったか。でも大きいほうなら十分許容範囲内だ。かなたは長居するほうだから、大丈夫なはず。
レジ袋に品物を入れて、彼方と別れたトイレの前へ向かうとその途中、周囲の視線が出入り口のほうに集まっていることに気づき、嫌な予感が走る。
現場が見えれば、案の定だった。
「おいおい、大丈夫かよ嬢ちゃん」
そこには、地元特有の訛りを効かせた、ガラの悪そうな輩3人に絡まれている彼方の姿があった。
「顔真っ青だぜおい」と輩のうちの1人が言う通り、その顔は蒼白だ。華奢な身体は尻餅をついてなお、怯えすくんで縮こまり、遠くからでもわかるくらいに震えてしまっている。
あまりにか弱く儚げで、一瞬別人ではないかと目を疑ってしまった。
ほんの数分で、こんなお決まりの事態になるなんて。
自分の想像力の欠如を呪い、はらわたが一気に煮えくりかえる。
頭に血が昇って、気がつくと僕は輩たちの前に飛び出していた。
「おい」
精一杯凄んだ第一声が喉を通る。いかつい顔面がこちらを向く。
今更臆病風に吹かれて、腰を抜かしそうになってしまった。
彼らは僕より背が低いが、ずっとがっちりしている。喧嘩になったら勝負にならないだろう。
戦力分析をして、どうやって彼方の手を取って素早くこの場を離れるかを考えた。
が、その努力は無駄になる。
「お、にいちゃんこの子の彼氏くんかい?」
「いや、見た目的に兄貴だろ」
「なんでもいいだろ! なんでもいいからその、なんとかしてやってくれよ、なあ!」
彼らの態度は思いのほか柔和であり、どちらかというと対応に困り、慌てふためいている様子であった。
聞くに、本当にただの通りすがりで、ただあまりにも様子がおかしく見えたから声をかけただけだという。
拍子抜けだが、ほっとするのはまだ早い。
「う、すみません」
謝りながら分け入って、彼方に近づいた。
彼は青い顔で「ひっ」と声をあげたあと、「まそ、ら……?」とか細く僕の名前を呼んだ。
「うん、そうだよかなた、まそらだよ」
僕だとはわかっているみたいだけれど、その瞳にこちらの姿がきちんと映っているかどうかは怪しい。開き切った瞳孔が目まぐるしく動いている。
ここは涼しいのに大量に発汗していて、呼吸も浅い。過呼吸気味だ。
「落ち着いて、ゆっくり息を吸って」
心痛な面持ちで深呼吸するように指示すると、にわかに血生臭いニオイが微かに鼻をつく。
────ああ、そうか。
僕は腹落ちしながら、自己嫌悪で顔を顰めた。
しかし、ナイーブになっている場合ではない。自分も一緒に落ち着こうと、2、3度吸って吐いての深呼吸を見せて、彼方にも繰り返させたあと。
「すみません! お騒がせしました!」と頭を下げて、心許なく震える小さな手を引き、その場を去った。
灼熱の大気のなか、背中に冷や汗が滲む。
どこか落ち着ける場所はないか。
探して、ひとまず人気のない木陰のベンチを見つけたのでそちらへ移動した。
彼方を座らせて、恐る恐る向き合う。
呼吸はマシになった。しかし瞳は揺れたまま、落ち着きは取り戻せていない。
「かなた」
「また、いっぱい血でてた」
呼びかけると、おぼつかない言葉が返ってきた。
紫の唇を震わせて「びょうき、しんじゃうかも」と。たどたどしく、ひどく幼げに。
「かなた……」
彼方は、自分をまだ男だと思い込むことで精神を保とうとしている。
だからこうして月のものがきてしまうと、受け入れられない。心と身体に矛盾を感じて、取り乱してしまうのだ。
「うう、ううぅ」
でも、前まではかろうじて気丈に振る舞えてはいた。こちらが気付かない月も増えてきていたくらいだ。
それが、退行を伴うほど取り乱すなんて。ここまでひどいのは経験にない。
もしかしなくてもこれは、症状が重くなっているのでは。
「はらいたい、もうむり」
涙を流し、崩れ落ちてしまいそうな彼方。
崩れ去る砂の城のようで、僕はその肩を咄嗟に抱き止めた。
あ、あ。
自分から抱いておきながら、手指は躊躇した。
しかし、それではこぼれ落ちてしまいそうな気がして、結局、更に両腕を回して包み込む。
「大丈夫、大丈夫だよ」
連呼した。なんの根拠もないのに。
「だいじょうぶ」
それは、あるいは自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「ダイジョウブ」
男同士のすることではないとわかっていても、せずにはいられなかったから。
男性恐怖症であるはずなのに、彼方がすぐに拒まなかったから。
全部忘れて、強く抱き締めてしまった。
細く小さな身体、柔らかな感触、庇護欲をくすぐるそれらすべてが女子のもので、愛おしく感じてしまったから。
彼方の頭のすぐそばで、無駄に大きく脈打ち鳴らされてしまう、こちらの薄い胸板と。
僕のみぞおちの辺りで、柔和な感触の奥底から微かに拍動を伝えてくる、彼方のふくらみ。
炎天下、熱い体温同士、まったく異なる鼓動を重ねて────
「────……」
言葉が消え入って、周りの音が戻ってくる。
ふと我に返って、力が抜けた。それに合わせるようにして、彼方は無言で僕を突き放す。
たたらを踏んでバランスを崩しかけたけれど、なんとか踏ん張った。
じーじー、じわじわ。
耳の内側、いまだに籠った心拍に叩かれている鼓膜を裂くように、蝉の鳴き声が劈く。
不協和音。ボタンを掛け違えたみたいに、何かがおかしくなってきているのを感じる。
なにか、なにか言わなきゃ。
彼方は俯いたまま、何も言わない。
僕も胸が締め付けられて言葉が出てこず、居心地の悪い、内臓を掻きむしりたくなるような間が終わらない。
そうこうしているうち、汗ばんだ肌を熱い風が撫でた。
彼方の細柔らかな髪が靡いて、にわかに出ていた耳元が隠れる。
「買い物は済んだろ、はやく帰ろうぜ」
彼方は顔を上げ、何事もなかったかのように笑顔を取り繕った。
(ペース的に普通に2つずつになってるんだから2つを1つで出せば良かったと後悔し始めている)