※この作品はR-18です。

ヤンデレと異世界クラス転移は混ぜてはいけない   作:パァンけーき

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A.1 サバイバルが始まらないから

 まだ、平凡な日常の中にいた午後の授業の始業を待つ教室は、時間を過ぎても鳴らないチャイムと姿が現れない数学教師の遅刻、さらには停電まで起きると、緊張の糸が切れた教室がザワついていた。

 

「ちょっと、職員室に先生を呼んでくるね」

 

 授業開始の時刻からすでに5分が経過していて、委員長が立ち上がって教室の扉を開くと「きゃっ!」と短い悲鳴が聞こえて全員の視線が一点に集まり、誰もがその光景を疑った。

 

 そこには──教室の扉を境目にあるはずだったリノリウムの廊下は消え、段差で下に続く草がまばらに生えた地面と青空が遠く果てまで広がっていたのだった。

 

 委員長に駆け寄った一人に続く形でみんなと一緒にスリッパのまま外へ出て、ぐるりと一周するば見事に長方形に切り取られたコンクリートのコンセプトアートな教室の姿が衝撃的だった。

 

「こんな令和に、異世界クラス転移て」

 

 何年前のトレンドだよ……と、戻った教室の席で呟いた俺の小さなツッコミは、次第にこれが現実なのだと受け入れて大きくうねりだした教室のパニックの渦の中に飲み込まれては消え入り、ヒステリックで悲観的な予想の飛び交う口論にもそろそろうんざりしてきたので、席を立って鞄の荷物を取捨選択することにした。

 

「待て、何をしてるんだ……おい!こんなときに、和を乱す勝手な行動はやめろよっ!」

 

 さっきまで混乱して喚いていた勢いで目を剥き、加藤くんが強く机を叩くと支配的な空気がひとときの静寂を生み、怒りの代弁者によって一周して冷静になったクラスメイト達の含みある視線が普段は教室で空気な俺の影を色濃くしていた。

 

「あー、バラバラになるのが怖い気持ちはめっちゃ分かる。今すぐにでも空から災害ドローンやヘリコプターがやってきて、大人達に救助されるならそれが一番いいよな。でもさ、救助を呼ぶにも電波が繋がらないんじゃ、話にならないだろ。だから、建設的な話をすると、救助を待つにしても長期化を見据えて生き残る備えが必要だ。ここを行動拠点にするとして、どうにか今日中に水と食料の問題をなんとかしないと肉体的、精神的にもヤバいのはみんなも薄々気づいてるでしょ?だから、今ならまだ気力も体力もあるから、遅かれ早かれ辺りを散策してくるって話に帰結するだろって話。……それと、野郎は野晒しに穴でも掘って埋めればいいけど、女子達のトイレ問題は早く着手した方がいいと思うし、ライターは持ってるから燃料を広い集めるとかさ。そろそろ不満大会でガス抜きするのはこのぐらいにして、いろいろと出来ることから始めようぜ!……ってなワケで、行ってくるわ」

 

 なんか今日の俺、めっちゃ饒舌じゃね?と話している途中から胸を張って語っている自分の姿を客観視してみて、らしくない自分の様子に驚いていた。遠い昔のことような小学生時代には、ひらめいたことで目立つのが好きで、他人とは違う自分の意見を嬉々として語っていたっけな。……それを面倒で恥ずかしいことだと思うようになったのは、いつからだったか。

 

 頭の中がゴチャゴチャで落ち着きがない俺もまた、生存が脅かされてハイになっている一人なのだろう。

 

「……一人で行って、ここに戻ってこれなかったらどうするの?」

 

 俺の急変に珍獣でも見るような目を向ける加藤くんがそれ以上何も言わないので、最低限までに軽くしたリュックサックを背負って重さを確かめたとき、女子の誰かが小さく呟いたのが聞こえた。

 

「……ちょうど長い前髪が邪魔だったし、遺髪でも置いてくとか?」

 

「最低。その冗談、全然笑えないから」

 

 言葉尻に被せ気味に、苛烈で軽蔑を孕んだ一睨みで俺の戯れ言を両断した井原さんの底冷えするような声に、不謹慎だと同調の声が続く。そんな声は右から左で聞き流していたが、それすらも苦虫を噛み潰したような顔をして聞きながら真っ直ぐ俺を睨み続ける井原さんの表情が印象的で、怖や怖や……と逃げるように目を逸らした俺は束にした前髪をハサミで切って雑に机の上に置くと、一度上裸になって部活動で使っていた黒いインナーを着た上にシャツを着直して熱疲労の軽減と第二の皮膚でケガの予防をしつつ、ケースから出した俺好みなデザインのトレーニングシューズに履き替えて靴紐をキュッと結ぶと、外に出てから一度だけ振り向いて、疎らに生えた木々の中へと飛び込んだ。

 

「……マジでアイツ、一人で行っちまいやがったな。……和也はどうする?ここでじっと何もしないのは、さすがに無くねーか?」

 

「そうだな。考えながら周囲を観察して、まずは一周ぐるっと散歩でもするか」

 

「オーケー。んじゃ、俺達も行こーぜ!」

 

「……ねぇ、いろいろあったけどさ。とりあえず女子トイレが無いのは本当にヤバいと思うから、一面は壁を背にするとして、カーテンを外して仕切りだけでも完成させない?」

 

「「「「(コクリ……)」」」」

 

「私、ソーイングセット持ってますっ!」

 

「……冷静に考えてみると、電波の繋がらないこの状況で救助を求めるなら、狼煙は必要だ。それに、団体行動が苦手な彼らも、大切なクラスメイトだ。煙を見れば戻ってこれるように、明るい内に火を起こそうと思う。そこで、みんなの知恵をかしてほしい」

 

「待って。外はいい天気で枯れ葉も乾いていたし、消す手段が無いのに燃やして火の粉が移ったらそれこそ山火事が怖いよ。それよりも先に、水の確保が優先じゃない?時間を決めて、まだ誰も行っていない方角をカバーして、水と食料を探した方がいいと思う」

 

「たしかに、山火事はその通りだ。……この通り、僕一人ではこんなことすら判断を間違えてしまう。だから遠慮せず、他にもみんなの意見を教えてくれ!」

 

「……あのー、それだったらさ──」

 

「(私にわざと自分の判断を訂正させることで、みんなが意見を言いやすい空気にした。……さすがですっ!ああッ……そして私への絶対の信頼が心地いいッ!次も必ず信頼に応えないと!)……ふふふっ、私には分かりますからね」

 

「……ん?ああ、そうだね。助かったよ(いつも不甲斐ないな。さっきも、太刀川さんのフォローがなかったら大変なことを)」

 

「……僕達はどうする?勇仁くんのことだから、体力が無くてどんくさい僕が一緒だと怪我をするからって、一人で責任を負って行っちゃったんだろうし」

 

「うん、それは後で本人に聞くからいいとして。水問題は清流を見つけたらなんとかなる前提で、この人数の食料問題が一番ヤバい説あるよね」

 

「そこだよね。タンパク質……昆虫飯……炒めたシロアリなら、女子達も白米感覚でいけるんじゃない?」

 

「……それだっ!君は天才だよ」

 

「それだっ!じゃねーよクソオタク共がっ!うげぇーー、シロアリが白米になるとか絶対にねぇーからなっ!?もっと木の実とか果物とかあるだろーがよ、常識的に考えてさぁ……ったく」

 

「ククッ……常識的に考えて、ですか。やれやれ、高校デビューを失敗したギャルモドキとして日々頑張っている姿は健気ですが、ハイカラな見た目をしたところでシマウマがロバの仲間であることは変わりません。内田さんも毎日縞々模様のペンキを塗るのは止めて、我々と同じドンキー界隈が肌に馴染むと素直に認めた方がラクになれますよ?」

 

「ぶとうやリンゴが、木の枝にたくさん実っているといいですね?いや草」

 

「……んだとッ!?クソ、笑うな……そのわざとらしくロバみたいな歯茎を見せつけてくんじゃねぇーよ!」

 

「……ちょっと、さっきから聞いていたら内田さんが可哀想じゃん!くっせー陰キャのキモオタが調子に乗んなよっ!……ね。内田さんもさ、一所にうちらのグループで行動しない?歓迎するよっ!」

 

「……あ?誰だよお前ブス喋りかけるなお前のドブ声で耳が腐るだろーが。虫食いのドングリみてぇーな頭してるから脳味噌もスカスカなのか?さっきは好き勝手にダチの悪口言いやがってゴラ。スゥーー……チッ、いつまで見てんだ?さっさと失せろやボケ」

 

「なにそれ……意味分かんない。……うざ」

 

「悪い、場が白けたな。さっさと行こーぜドンキー共。食える茸の知識ぐらいはあるんだろ?」

 

「うっす。行きやしょうぜ内田の姉御ォ!」

 

「さっきの『わりぃ、場が白けちまったな』ってセリフ、マジかっけぇっす!……でも、僕達はあれぐらいのことは慣れているから。今度からは、内田さんまで相手と同レベルに落ちる必要ないよ」

 

「ふん……。ったく、勇仁のアホが一人で突っ走ったせいで、ツッコミが追いつかねーよ」

 

 ……学年全体でも、とくに変人が多いクラスメイト達だけど、うちは腐っても進学校だしな。混乱から覚めて俺の分かりやすいヒール役でまとまってくれたなら、今ごろは頼もしい働きをしてくれていることだろう。だけど、ひとつだけ気がかりがあるとするなら……俺を含めていつもアホなことをやってる四人組なのに、勝手に一人で飛び出したことをみんながすごく怒っていたらどうしよう。無視とかされた日には……普段から空気な俺の存在感が、次からは天井のシミ程度になってしまうががががが。

 

 ──パキリッ。

 

「誰かそこにいるのか。……猪とか、狼はやめてね?」

 

 背後から枝を踏み折る音が聞こえてきて、呼びかけの後半からは神様に媚びるような声を出して祈りながらゆっくりと振り向く。

 

「バレたところで、一人にはさせてやらないから。あんたの行動を監視に来たわ」

 

 そこには、一番ありえないと考えていた井原さんの姿があった。しかし、監視と言われて納得した。井原さんの目には、俺が足手まといなクラスメイト達を切り捨てて一人だけで資源を独占するサバイバルのプロ、テニスの王子様のゲームに例えるなら、無人島に遭難したときの比嘉中のように見えていたのかもしれない。

 

 腰に手を当てて立つ井原さんの怪訝そうな目つきが、今は少しだけ揺れていた。

 

「……何か言いなさいよ」

 

「井原さん、まさか一人で俺の後をついて来たの?……ダメじゃないか。女の子が一人なんて危ないのに」

 

「別に、あんたなんか怖くないわっ!」

 

「うん、そうだろうね。とりあえず、そこから動かないで。今そっちに行くから」

 

「……っ……にゃにするつもりよあんたっ!?」

 

 今、甘噛んだな。と思いつつ、プライドが高そうな井原さんを刺激しないように努めて笑いを堪えて表情筋を殺す。能面のような、静止した無の表情で接近し、井原さんの手を持ち上げる。

 

「ひっ」

 

「あぁ……本当によかった。急にギュッと目を閉じるから、痛みがあるのかと勘違いしたよ。女の子の綺麗な手に、トゲとかは刺さってないみたいだね。俺の単独行動のせいで井原さんに何かあったら、悔やんでも悔やみきれなかったよ。……軍手を貸してあげるから、俺の私物なんて嫌だろうけど、怪我の予防になるからはめててよ」

 

「いつまで勝手に人の手を握ってるつもり?許可してないし、ありえないんだけど。……まぁいいわ。ダサいけど、軍手は使ってあげる」

 

 こっちの善意に建前でもありがとうが言えない人って、めんどくせぇーな。と心の中で毒を吐きつつ、井原さんもちゃんとした靴を履いているようだし、ここまで来て戻るという選択肢は無かった。

 

「耳を澄ませて……水の音が、聞こえるのが分かる?あっちからだ。急に苔が生えてて滑るかもしれないから、足元に気をつけて。あと、前を歩くから、危ないと感じたらいつでも俺の肩を掴んでいいよ。なんとでも支えるから」

 

 そう言うと、今度は素直に黙って俺の肩に片手を置くので、……今から掴むのは早くない?とツッコミたいのだが、危ないと感じたらと言ったのは俺なので、なにも言えないのがツラかった。

 

「水の音なんて何も聞こえないんだけど、それ本当?」

 

「うん、間違いないよ。……近づいてる。ほら、そろそろ聞こえない?」

 

「!……ぁ……聞こえたかも。ねぇ、これってもしかして私達、大収穫じゃない?」

 

「もしかしなくても大収穫だよっ。……井原さんが来てからこの発見、これには必ず因果関係がある。おおっ!井原さんこそが、俺の幸運の女神様だったのかっ!ずっと側で俺のことを見守ってくれていたなんてっ!」

 

「……やっと気づいてくれたの。遅すぎよ」

 

 井原さんが俺の三文芝居に乗ってくれたことに脳がバグり、驚いて立ち止まり、振り返っては至近距離で井原さんの優しい自然な笑顔を二度見して、まじまじと見つめてしまう。

 

「……こういうときこそ残心だ。絶対に怪我をしないように注意しよう」

 

「そうね。まだ、飲めるような水かは分からないし。……たったの6秒間だけ」

 

「?煮沸消毒は必要だから、水が綺麗に見えても飲まないでほしい。そろそろ……見えた。さっき、あそこで水がきらめいたよ」

 

 そうして俺達は沢で魚影を見つけて、空のペットボトルに水を汲み、リュックサックにいっぱいの水を背負って、みんなの待つ拠点へと持ち帰ることにした。

 

 その帰り道、思い出すのはついさっき不意打ちをくらった井原さんのあの笑顔ばかりで、一目惚れとは遺伝子レベルの本能で人から平常心を奪う病気のことであり、いわゆるカエル化現象とは、一目惚れが正常な判断力を人から一時的に奪う病気であることの証左である。故にこの熱はやがて冷めて、井原さんのことも……俺は、最初から偏見を抱いていたけれど、まだ知らないことばかりだ。あのときだって思い返せば……。

 

「……あれ?思ったんだけど、井原さんって普段から目つきが悪くて素直じゃないから人に誤解されやすいだけで、本当はすごく優しい人なんじゃないか?俺が本当に前髪を切ってそれを遺髪だなんて言うから、万が一にも先を悲観して一人で自殺でもするんじゃないかと心配して、監視にきた……どう?当たってる?だとしたら俺、今日まで井原さんのこと誤解してたか。とにかく、来てくれてありがとな!」

 

「……ふん、馬鹿馬鹿しい。それは自意識過剰よ。……ちょっと待ちなさい。誰の目つきが悪いですってぇっ!?」

 

 俺のうっかりこぼした失言に、ガルルッ、と虎のようなプレッシャーを放つ臨戦態勢に入った井原さんをみて、サーーッと血の気が引く。

 

「あっ、やべ。……ごめんって!」

 

 笑いながら逃げるように先を行く俺の背中を一度叩かれて、しばらくしてもう一度振り向いたときには、知らないうちに立ち止まっていた井原さんと俺との間にはそこそこの距離が離れていた。

 

「もう……こっちは本当にいい迷惑よ。簡単に人の心を分かった気にならないで。……私の心がそんなに綺麗じゃないこと、まだ知らないでしょ?勝手に自分の気持ちだけを清算して、終わらせないでよ。あんたは今、とても清々しい気持ちかもしれないけどね。何年も言えずに腐った言葉が積み重なってドロドロの感情といつまでも発散されないガスが溶け込んだ沼の中で寒くて歯を鳴らしている私に、今さらになって火種を落としたのはあなたの方なのよ。もはやこれは呪いね。そのことへの責任を取ってもらうまで、離さないんだから。……ねぇ、全部聞こえてた?」

 

 遠くで平坦で早口な小声で一息で言い切った井原さんの、唇が動いているのがここからでもよく見えて。最後の蠱惑的な笑顔に、ドキリとする。

 

 さっきは微かな水の流れる音を聞き逃さなかった自分の耳を、今度は疑った。まるで雑踏の中で自分の名前を呼ばれたときのように、井原さんの声はなぜだか鮮明に俺の耳まで届いていた。

 

「おーーい!早くこっちに来いよ。置いてくぞー!」

 

 突然デカすぎる感情を向けられてまだ消化出来ないでいるのを隠そうとして、わざとらしいぐらいに明るく声を張って振る腕に、ぎこちなさが出ていないだろうかと不安になる。

 

「さっきまで涼しかったから、よけいに暑く感じるわ。……汗がすごいけど、大丈夫そう?私のハンカチ貸してあげよっか」

 

「洗って返しに行くときが面倒だから、遠慮しておく」

 

「誰に見られようが、私は気にしないのに」

 

「俺は教室の空気だから。危ないときには存在感が増すことあるけど、基本的にガスは無臭透明な方がみんなが安心出来るしな」

 

「ふーーん、それがさっきの答え?」

 

 距離感を間違えないように躱し続けていると、今度は露骨に鎌をかけてきて、ヒュッ、と喉が鳴る。……さっきから、ここだけ湿度高くなーい?

 

「俺はもう、井原さんがこわいよ」

 

「……熱いお茶も出せるけど?」

 

「……なによりも、日常に戻るのがこわいね」

 

「まんじゅうこわいのオチって知ってる?」

 

「知らないつもりで話してた」

 

「そう、ならいいの」

 

 面倒くさい性格をしていると人は言うかもしれないけれど、それ以外の生き方を知らないのだから仕方ない。

 

「帰ったらいつものお友達に、私達のことを紹介してよね」

 

 横に並んで歩幅を合わせ、俺の腕を掴んで手を握ってくる井原さんに、俺はとうとう混乱した。

 

「いや、どうしてそうなるんだっ!?」

 

「あなたの敗因は、レトリックを使いこなせず、読者に解釈を委ねたこと。私は私に都合がいいようにしか解釈しないから、このシーンは両想いな二人の秘めていた心が通じ合ったところよ。ロマンチックで素敵よね。もう絶対に逃がさない」

 

「こいつ、狂ってやがる……クーリングオフ制度はどうなってるんだ!」

 

「不良品は対象外よ。あなたが私を狂わせたのだから、当然よね?……ずっとまんざらでもないくせに、照れ屋なんだから」

 

「そりゃあ井原さんの容姿は可愛いけど、俺の人生にこんな食い込み方をしてくるとは普通は思わないじゃんか。ヤンキーが雨に濡れて震えている野生の狸に傘をあげていいヤツかもって思っていたら、今度は煮えたぎった土鍋を抱えて戻ってきたらそらビビるわ」

 

「それも一つの愛のカタチよ。二人はこれからもずっと一つになるのね。それに比べたら、私の束縛なんて和やかで可愛いものじゃない。早く慣れることね」

 

 まさかな……とは思ったが、教室に戻っても腕にくっついて離れない井原さんに、水の発見という朗報が霞んでしまっていた。

 

 存在したのか……催眠術ッ!?と言ったアホは後で半殺しにするとして、井原さんのグループの女子達や俺の友達までもが関係の発展に訳知り顔で祝福ムードだったのが、着実に外堀を埋められていたことがここにきて表面化したようで今日一番のホラーだった。

 

「……あれは?」

 

「仮設の女子トイレだから近づくなよ。最初はカーテンを使おうとしていたのを却下して、普段から中庭で昼食を食べる生徒達からレジャーシートと机を二段に組んで隠すように囲ってある。耐震の斜めの柱の窪みがちょうどよくて助かったよ。教室の中も前の扉が男子、後ろの扉が女子と同じ要領で作った机の壁で半分に区切られているから、注意してくれ。この後にあるリーダー会議には、女子達も教室の前半分に集まることになるから、着替えなどをするなら早めに。それと、会議には君も出席してもらうからそのつもりでいてくれ。……連絡はこんなところか、ここまでで何か質問はある?」

 

「さすがだな。……みんなのストレスがたまらないように、よく考えてある。そのつもりで~ってのは、リーダー会議では飲み水のことについて話せるように考えておけって意味だよな」

 

「もちろんだ。あのペットボトルの水は汚れの手洗い用には使えるが、朝には全員の水筒分ぐらいは飲める水を満タンに補充してあげたい」

 

「忙しくなるな。……さっきのレジャーシートのことみたいに、教室にある道具をノートにリスト化してあったりする?」

 

「数の把握までその作業を太刀洗さんがしてくれているところだから、聞いてみるといいよ」

 

「話が早くて助かる。ありがとう」

 

「……こんな状況だしな、協力していこう」

 

「ああ、そうだな」

 

 みんなも頑張ってくれているんだな、と勇気づけられて、自分に出来ることを考えていると、バツが悪そうにして拳を突き出した加藤くんに気づき、俺も拳を合わせて仲直りの儀式をする。あのときは問題解決のプロセスが違っただけで、芯のところは似通っているような気がした。

 

「……内田さん、怒ってたな」

 

 さっき、圧のある無言で内田さんのスラリとした足から繰り出された鋭いローキックをくらった外股が、ジワジワと痛む。俺達イツメンの残りの二人と井原さんが止めてくれなかったら、内出血までいっていたかもしれない。それは自業自得なので別にいいけど、内田さんはアレでいてかなり繊細な人だから、もしかしたら今になって自己嫌悪しているかもしれない。タイミングを見つけてフォローに行かないと、後々の関係にも響きそうなので、その言い訳も考えないとだな。

 

「なに?内田さん、こんなところに呼び出しちゃて。私も暇じゃないんだけど」

 

「……はっきり言ってやる。勇仁は優しいから拒絶しないだけで、本当は迷惑してんだよ。自分が不安だからって、女々しく勇仁に依存するのはやめろ」

 

「?不安になっているのは、内田さんでしょ。人を言い訳に使って自分の思い通りにコントロールしようとするなんて、女々しいのはどっちかしらね。話はこれで終わり?」

 

「チッ……そうだ。これがエゴなのは、自分でもよく分かってる。けど、理屈がどうでも譲れねぇーことがある。……勇仁はいつも、私を正しい道に導いてくれる先生なんだよ。そこに入り込むお前は……邪魔だ」

 

「ファッションヤンキーのメンヘラだって、薄々気づいてはいたけれど、内田さんこそ癌よね。それで?今度は暴力で私を支配するつもりかしら」

 

「高校を卒業したら二度と関わらない人間に、そんな価値ねぇーよ。……ストーカー女に釘を刺してやるだけのつもりだったが、なかなかいい根性してるみたいだしな。宣戦布告だ。勇仁はお前なんかに絶対譲らない」

 

「……あはははっ!お腹痛い。内田さんって、面白い人なのね。私はあなたとお友達になりたいわ。それで、私達の結婚式でブライズメイドをお願いするの!……それって、すごく素敵だと思わない?」

 

「うえーーっ……それがお前の本性かよ。こんな化物に好かれるなんて、勇仁の八方美人も考えものだな。……ったく、私が防波堤になって守ってやらねーと駄目だな」

 

 ◆

 

「内田さん……まだ怒ってる?」

 

「怒ってる。悪いことは言わないから、井原はやめとけ。あいつの顔がいいのは認めるが、中身の方がヤバい。女の勘だ」

 

「……あ、そっち?そうなんだよっ!井原さんって誤解されやすいだけで優しい人なのかなーって、俺も少しだけ心を開きかけたら、玄関に片足を突っ込んで急な押し売りにクーリングオフは拒否されるし、さっきも強引に腕を組んでみんなに見せつけて、どんどん外堀を埋めてくるのが怖くてさ。……友達と一緒にアホなことするのが一番楽しかったのに、井原さんが一緒だと二人は勝手に空気を読んで逃げちゃうしさ。惚気じゃなくて、助けてほしいよ」

 

 一人でいる内田さんを見つけたのでまずは様子をうかがうつもりが、単独行動を怒っていたワケではないと知ってホッと緊張が緩んだ弾みで、胸の内に溜まっていた愚痴が溢れ出してくる。

 

「ほーら、やっぱりなっ!そんなことだろうと思ってたんだ。……それで、具体的にはどうしてほしいんだ?こんなこと頼れるのは私ぐらいだろうし、今回だけは特別になんでも協力してやるよっ」

 

「さす内田懐大母神。……それじゃあ一つだけ、今まではアホ四人組だったけど、井原さんと俺の関係について誤解を解いて友達として迎えてさ、集まったときは五人組になる橋渡しを手伝ってくれないかな?……この話をしたことは黙っていてほしいんだけど、あの二人は二年生になったら理系クラスの進路を選ぶつもりでさ、こんなオタクの野郎とばかりつるんでいたら、女友達を作ろうとしない内田さんが将来的に孤立するんじゃないかって、気にしていたみたいなんだよね。そこで、井原さんと内田さんが仲よくしてくれたら、二人も悔やんで生霊にならずにすむって話。井原さんはヤバいけど悪い人じゃないし、俺も内田さんのこと心配だからさ……ダメ?」

 

「うーーーっ、ん゛ーーっ……そうなるのかよ。しくったな。悪い、さっき井原に宣戦布告してきたんだわ。でもまぁ、友達になりたい!って井原も言ってたし、何とかしてみる」

 

「……いや、さっきの今で宣戦布告してんの?女の勘でもさすがに狂犬が過ぎないか?」

 

「こいつとは卒業をしたら二度と関わらない、って思って会話をしたらメンタルが安定するぞ!って私に教えたのは勇仁だから、私は悪くない……私は悪くない……」

 

「駄犬ェ……」

 

「駄犬言うなっ!それでもなんとかするって言ってるだろーが。……保護者してる私の有り難みを失ってから気づいても、遅いんだからな。ったく、いつも世話が焼ける」

 

「……ありがとう母ちゃん、感謝してるよ。愛してる」

 

「それはお前の母ちゃんに言ってやれ」

 

「……そうだよな、その通りだ。絶対に、一緒に帰って母ちゃんに言うよっ!」

 

「そうか、(二人で一緒に、お義母様の前で『愛してる』と告白して、結婚式の段取りの報告を兼ねた)挨拶に行くんだな?……お前の気持ちは分かった、覚えておく」

 

「?……ああ、二言は無いよ。初心を忘れないように、証人になってくれ」

 

 後に、このとき一瞬だけ感じていた違和感の正体を答え合わせすることになるのだが。

 

 ──さておき、海を見つけたことの報告や、煮沸消毒で飲み水を作る作業のマニュアル化とそれにともなう新たな拠点の作成、就寝時の細かなルール決めなどなど、リーダー会議では様々なことが議題に上がり、司会者の加藤くんが適性をみて仕事を振り分けていった。そんな中、散歩から今まで一度も戻って来ていなかった和也と一平の野球部コンビが帰ってきた。

 

「……みんないるか?とても重要で、信じられないような話だが、どうか落ち着いて聞いてほしいことがある」

 

 いつもはクールな右の本格派ピッチャーな和也が、額に汗をかいているところを俺は初めてみた。

 

「……俺達が今いるこの世界には、RPGのようなレベルの概念が存在するかもしれない。洞窟を見つけた俺と一平は、そこで【職業】を獲得して、俺はレベルを一つ上げた。たぶん、それがこの世界で生きる上でのスタートラインなんだ」

 

 和也の手から、はらはらとチョークの粉のように落ちるのは、さっきまで転がすように手慰みにしていた、純粋な握力によって粉々に砕けた石だった。

 

「和也が腕を振った瞬間、消えたんだ……。投げた石がぶつかった音が、遅れて聞こえてきてさ。ははっ……ありゃ、人間の技じゃねーのよ」

 

 教室の外でありえないことが起きてしまって、俺も最初にこれは異世界クラス転移だと思っていたが、祝福をくれる女神様は現れず、現実はとてもシビアで生きることすら難しく、鈍感になることを自分で選んでいた。だからこそ、一つにまとまり始めていたクラスの団結が……たった今、目の当たりにした暴力への恐怖によって、崩壊する音が聞こえた気がして。

 誰かが悲鳴をあげて深刻な空気の中で、場違いに楽しい!と感じているのが周りにバレないように、俺は自分の手のひらで口を隠した。

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