【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
【歴史余話1】伝承のアスカ城
大陸の東の果て、ルルドの森の辺に、古記に「アスカ城」と記された砦がある。
この名は、第二帝国勃興の頃にまでさかのぼるとされる。
いまに伝わる伝承によれば、魔女アスカと呼ばれる女がこの城に棲み、異界と交わりを持ったという。
だが、第二帝国の正伝にはその名はなく、彼女の実在を確証づける史料も存在しない。
年代的には確かに帝国創建期にあたるが、同時代の記録はいずれも沈黙している。
ゆえに、アスカという人物そのものを伝説とみなす史家も少なくない。
いま、ルルドの森を歩けば、そこには穏やかな風と、清らかな泉が広がっている。
木々は陽を浴び、鳥は梢でさえずり、透明な水は静かに石を洗って流れる。
瘴気に満ち、魑魅魍魎の巣くう森であったとされる往古の姿を思えば、その穏やかさはあまりにも対照的である。
この平和な風景こそ、アスカ城の伝承を疑う史家たちの一つの根拠ともなっている。
これほど美しく、澄み切った土地が、果たして、かつては瘴気に包まれ“異界の門”が開かれた時代があったのか──と。
丘の上に登ると、〈アスカ城跡〉と刻まれた標石が立っていた。
しかし、その建立は帝国創建より百年あまりを経た後のことであり、同時代の遺構を示す発掘物も見つかっていない。
風に晒された石碑の文字はすでに掠れ、ただ古の名をかすかに留めているばかりである。
この地に城があったのか、あるいは伝承の想像が築いた幻の砦であったのか──それを知る術はもはやない。
魔女アスカが異界より何者かを召喚したと伝えられる記録の中に、名をイチとする男がいる。
もっとも、この記録そのものが、伝承の伝承を繰り返したものであり、歴史資料としての信憑性については、古くより多くの議論がある。
それでも、後世の人々はこのイチという男を、諸王国を平定し、女王たちを娶りて帝国を興した初代皇帝ロウ=サタルスと同一視してきた。
この説を〈外界人イチ説〉という。
正伝は沈黙しているが、民の伝承はこの物語を好んで語り継いだ。
英雄の始まりを、常に神秘に結びつけようとするのは、人の習いである。
初代帝ロウ=サタルスの出自はいまも謎に包まれている。
史料に現れる彼は、すでに成熟した統治者として登場し、その前半生は闇に沈む。
諸王国の女王たちを妻として迎え、血と婚姻によって大陸を束ねたことだけが確かな事実として残る。
それが神の導きであったのか、人の智略であったのか──。
その起こりを魔女アスカの召喚に求めるのは、荒唐ではあっても、どこか心惹かれるものである。
もし、この丘の下で、かつて存在した魔女が異界の門を開き、ひとりの男がその光の中から現れたのだとすれば──それは夢のある話である。
風が梢を渡り、森の奥から遠い鳥の声が響いた。
その音が、はるか昔の帝国のはじまりを告げる鐘のように聞こえた。
エリオス=ヴァンレーン『ロウ帝伝承の地をゆく』より