【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
イナーフは、いい加減な報告を持ってきた冒険者ギルドの使者に、思わず舌打ちしたい気分だった。
とりあえず、第三神殿の筆頭巫女スクルズの一行を出迎えはしたが、問題はこれからだ。
昨日までは、王都から優秀な冒険者が派遣されるという知らせを受けて、胸を撫でおろしていたのだ。
廃神殿の調査を依頼してから、ようやくギルドが動いてくれたのだと──。
あの廃神殿は、いまのところ、死者こそ出てはいないが、内部に入った者が戻らないというおかしなことが続いている。
すでに若い冒険者の一団が二組も消息を絶っていた。
役人や兵が派遣されたこともあったが、そのときは、なんの成果もなく引き上げている。
それでも、近づかなければ危険はないと考え、これまでは静観してきた。
しかし──最初の事件で、盗賊が記憶と正気を失いながらも、財宝を抱えて廃神殿から現れたという噂が立ってしまったのだ。
実際、事実なのだが、それ以来、禁を破って神殿に入る者が後を絶たず、ついには里の若者までもが足を踏み入れ、彼らも戻らなかった。
金で雇った冒険者ならまだしも、里人が犠牲となれば、責任は里長である自分に降りかかる。
どうしたものかと頭を抱えていたところに、王都からの使いが届いたのだ。
地方の下級ギルドではなく、王都本部が直々に動くという。
その報せに、イナーフは安堵した。
王都の優秀なパーティが出るなら、問題はすぐにでも片づくだろうと。
──だが、その安堵は束の間だった。
驚愕に変わったのは、今日の昼過ぎだ。
ギルドではなく、ミラノの城郭の神殿からの報せで、「派遣されるのは冒険者ではなく、王都第三神殿の筆頭巫女スクルズ様だ」と知らされたのだ。
王都神殿の筆頭巫女といえば、王侯貴族に匹敵する地位を持つ高位女神官である。
しかもスクルズの名は、王都周辺では知らぬ者のないほどの美貌と強大な魔道力で有名だ。
まさか、そんな御方がこの辺境に──?
慌てて冒険者ギルドに確認を入れると、たしかに筆頭巫女が同行するのは事実で、王都の冒険者パーティと共に到着するという。
その瞬間、ようやく合点がいった。
冒険者が主ではなく、筆頭巫女が本命なのだ──。
冒険者たちはその従者、あるいは護衛だろう。
そうであればこそ、冒険者が王都からやって来る理由も納得できた。
──だが、それならば最初からそう説明してくれればよかったのだ。
最初のギルドの使者は、まるで巫女の方が付き添いのような口ぶりだったからだ。
ともあれ、急ぎ屋敷の者たちに準備を命じた。
豪奢なもてなしは無理でも、失礼のない応接は必要だ。
冒険者程度の扱いでは済まされない。
「では、スクルズ様、こちらへ」
イナーフは応接室の扉を開け、筆頭巫女を丁重に迎え入れた。
上座には柔らかな布を掛け、最上の椅子を用意してある。
冒険者たちには、その後ろに簡素な椅子を準備した。護衛の冒険者は、男ひとり、女ふたり──思っていたよりも少ない。
馬車にも女の影があったから、女が主体の一行かもしれない。
だが、ある理由があり、そう思えば、今回の廃神殿の件としては都合が良いかもしれなかった。
それはともかく、イナーフが困惑したのは、スクルズが勧めた席を前に、ためらいを見せたことだ。
長い睫毛の下で、紫水晶のような瞳がこちらを一瞥し、静かに男の方へと振り返る。
「ロウ様が、こちらにどうぞ」
その一言に、イナーフは息を呑んだ。
筆頭巫女が、自らの上座を他者に譲ったのだ。
唖然とするイナーフの前で、スクルズは柔らかく微笑んだ。
護衛の冒険者を上座に勧めようとする姿勢は、耳にした評判の通り、立場に驕らぬ穏やかさと優しさを備えていた。
だが、それでいて、スクルズは圧倒されるほど気品に満ちていた。
白い上衣には金縁の刺繍が施され、淡い光を返している。
腰まで流れる紺の下衣は深い夜を思わせ、布の揺れとともに静かな威厳を漂わせた。
わずかに身を動かすたび、香草のような清香が空気を撫でる。
整った横顔には、神殿に祀られる女神像の気高さがあり、同時に、人の心を安らがせる柔らかさがあった。
イナーフは、その尊さに思わず眼を逸らした。
これほどの人物が、この田舎にまで足を運んでくれるとは──。
胸の奥に、畏れとともに、説明のつかないざわめきが生まれた。
「まさか、ここは筆頭巫女のスクルズ様の席でしょう。冒険者風情の俺たちは、後ろで十分です」
冒険者の男はにこにこと笑いながらも、穏やかにスクルズの言葉を固辞した。
そしてそのまま後ろの簡易席に腰を下ろす。
同行していた女ふたりが、すっと椅子を動かし、まるで当然のように男の隣に並んで腰を掛けた。
しかも、わざわざ身を寄せ合うようにして──。
イナーフは、改めて驚いてしまった。
いままでスクルズにしか気を配っていなかったが、男は平凡な顔立ちであったが、その横の冒険者の女たちの美貌も、随分と際立っていたからだ。
特に、男の右隣に座ったエルフの女性は、息をのむほどの美しさだ。
可憐な美貌をしていながら、どこか艶めいた色香を帯びており、見ているだけで心を奪われるほどだ。
思わずイナーフの胸もざわめいた。
もうひとりの人間族の女性も、小柄で愛らしい印象の娘だった。
スクルズやエルフ女性のような近寄りがたいほどの絶世の美女というわけではないが、どこか人懐こく、可愛げのある女性だと思った。
そのふたりが少し不自然なほど近くに椅子を寄せ、男の両脇にぴたりと寄り添って座ったのだ。
どう見ても、ただの仲間というより、恋人同士のような距離感である。
イナーフは思わず男の顔をもう一度、見つめた。
黒い髪と黒い瞳──この国では珍しいが、顔立ちは平凡である。
年齢も若くはない。
だが、ふたりの美女に寄り添われるその様子には、なぜか抗いがたい魅力のようなものがあった。
「ロウ様、意地の悪い言い方をなさらないでください。どうか、こちらに……」
スクルズはまだ困ったように、男へ視線を向けた。
イナーフは、その態度がますます不思議に思った。
結局のところ、スクルズは渋々といった様子で、イナーフが用意した席に腰を下ろした。
とりあえず、イナーフは家人に温かい飲み物と菓子を運ばせた。
だが、そこでまた小さな騒ぎが起きた。
使用人がスクルズの前に茶を置こうとすると、彼女はそっと手を上げて制し、男に先を譲ったのだ。
さらに、運ばれた菓子の皿までもが、スクルズの手によって自然な仕草で男の方へと回された。
その気遣いには、尊敬すべき慎みがある一方で、筆頭巫女としてはあまりに異例だった。
イナーフは、ますます首を傾げた。
「とにかく、クエストの話をしましょう。詳しく説明してください」
奇妙なやり取りのあと、話を切り出したのは、後ろの冒険者の男だった。
落ち着いた声音でありながら、どこか人を惹きつける響きがあった。
イナーフは姿勢を正し、依頼の経緯を語り始めた。
「問題が発生したのは、約一箇月前のことです……」
そう言って、イナーフは順を追って説明を始めた。
もっとも、大まかな内容については、スクルズと男の双方とも既に把握しているようだった。
最初の異変は、盗賊の噂からだった。
廃神殿に盗賊たちが棲みついたかと思えば、数日後、彼らは全裸で森の中に倒れて発見された。
ところが、全員が記憶も正気も失っていたものの、なぜか全員が袋を持っていて、その中にはひと財産と呼べるほどの財宝を詰められていたのだ。
次の犠牲者は、地方冒険者ギルドへ調査依頼を出したことで派遣された若い冒険者の一行だ。
彼らは、神殿に入り、そのまま消息を絶っている。生死は不明だ。
その後、城郭から十数名の兵と役人が調査に入ろうとしたが、見えざる結界のようなものに阻まれ、誰ひとり中へ入ることができなかった。
さらに、もう一組の冒険者パーティが挑んだが、やはり戻らなかった。
そして──最後に数日前──。
厳しく立入を禁じていたにもかかわらず、里の若者三人が廃神殿へ入ったまま、いまだに戻らないのである。
イナーフが話を終えると、男もスクルズも真剣な面持ちで耳を傾けていた。
どうやら、最初の冒険者が消えたところまでは知っていたが、その後の経緯までは伝わっていなかったらしい。
ふたりは、追加の説明を求めてきた。
「つまり、整理すると──大人数で入ろうとすれば結界に阻まれるが、少人数なら中に入れる、ということか……」
男が小さく呟いた。
その言葉には、推測というより、何かを照らし合わせて確かめているような響きがあった。
「結界とはどのようなものです? 調査の記録などは残っていますか?」
スクルズが静かに問う。
イナーフは首を横に振った。
「魔道によるものとしか……。里には、そうした術に詳しい者もおりませんので……」
イナーフは続けた。
地方の城郭にすら、神殿ひとつを包むような高位結界の魔道を理解できる者はおらず、ましてやこの里では皆無だと。
「どう思われます、ロウ様? ……危険な匂いもいたしますが」
驚いたことに、スクルズが男に向かって判断を仰ぐように言った。
すると、男は少しだけ考え込むような仕草を見せ、やがてしっかりと頷いた。
「とりあえず、その廃神殿という場所に行ってみるしかないでしょうね。いまのところ、明確な犠牲者はいませんが、わかっているだけでも十数人が捕らわれて神殿の中です。多少危険でも、入ってみましょう」
「わかりました、ロウ様」
スクルズが静かに頷いた。
続いて男はいくつかの質問を投げかけ、イナーフは知る限りのことを答えた。
それで話は一応の区切りとなった。
男は明日から調査に入ると告げ、さらに手頃な宿屋がないかと訊ねてきた。
どうやら、冒険者たちはスクルズとは別に宿を取るつもりらしい。
それを聞いて、イナーフはほっと胸を撫でおろした。
依頼を受けてもらえるのはありがたいが、冒険者というのはどこか得体の知れない存在だ。
この国の法の外に生きる者たち──そういう印象が拭えない。
ましてや、身分ある巫女と同じ屋根の下で夜を明かすとなれば、気が気ではない。
冒険者たちの希望は「全員が同じ個室で泊まりたい」というものだったので、イナーフは里に一軒だけある宿屋の場所を教えた。
自分の名を出せば便宜を図ってくれるだろうし、その宿には四人部屋があったはずだ。
ただし、あくまで田舎の安宿であり、期待はしない方がよいと添えた。
男が「十分だ」と言って立ち上がる。
その動きに合わせて、スクルズを含めた三人の女たちも同時に立ち上がった。
「では、よろしくお願いします。ところで、スクルズ様の宿泊ですが──この家にお泊まりください。家人たちは滞在中、召使いとしてお仕えいたします」
「はい?」
すると、スクルズが目を丸くした。
イナーフは、なぜ、そんなに驚くのだろうと首を傾げながら、丁寧に言葉を重ねる。
「……ですから、スクルズ様にはこの屋敷をお使いいただこうと……。この里には、貴人にお泊まりいただけるような場所は他にございません。もちろん、世話をする女たちを除いて、私などは別の家へ移りますので、ご自由にお使いください」
しかし、スクルズの顔にはますます困惑の色が浮かんでいく。
「えっ、スクルズ……様は、ここに泊まるの?」
小柄な女が、首を傾げながら口を開いた。
その声音は、本気で不思議がっているようでもあり、まるで一緒に泊まるものだと思っていたかのようだった。
「まあ……神殿からも、きちんとした対応をするようにとのお達しがありまして。滅多にないことですが、貴人をお迎えする際には、この屋敷に泊まっていただくのが慣例なのです」
イナーフが説明すると、その女が吹き出した。
「だったら──御機嫌よう、スクルズ様。よき夜をお過ごしください。あたしたちは、ご主人様と愉しく過ごしますね。朝になったらお迎えに参ります」
どこか勝ち誇ったような笑顔で言い、男の腕をぎゅっと抱き寄せる。
なぜか挑発的な仕草のように感じたが、それに対して、スクルズが慌てたように声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って──」
スクルズは明らかに当惑している様子だ。
だが、男が静かにそれを遮った。そして、男がイナーフに視線を向ける。
「スクルズ様の宿泊場所は、神殿側の指示で特別に用意されたということですね?」
「そ、そうですが……。まあ、貴人に対する措置としては当然のことで……。まさか筆頭巫女様を、この里の田舎宿などにお泊まりいただくわけには……。申し訳ありませんが、冒険者の皆さまについては、特に準備をしておらず……」
イナーフはしどろもどろに答えながらも、どこか話が噛み合っていない気がした。
そもそも、冒険者たちはギルドを通して雇われており、里が直接宿を手配する義務はない。
扱いとしては、完全に別だ。
「わたしをひとりにするのですか。それは酷いですわ、ロウ様」
すると、スクルズが泣くような声をあげた。
イナーフははっとした。
ひとりにする──確かに、護衛のことがある。貴人としての受け入れに気をとられるあまり、筆頭巫女の護衛としてのことを失念したのだ。
「あっ、もしかして、冒険者の方々も、護衛としてこちらに滞在を?」
イナーフは訊ねた。
そうであれば、態勢についてはすぐに整え直す必要がある。
「あっ、そうです。護衛は必要ですわ。ロウ様については、この家でご一緒にしましょう。ほかの方々は、そのお宿とやらに……。明日の朝、お会いしましょうね」
スクルズがぱっと破顔した。
そして、にこにこと微笑みながら続けた。
イナーフが戸惑うほどの笑顔だ。
「はあ? 馬鹿じゃないの。なんで、ご主人様だけが、あんたと一緒なのよ。いい加減にしなさいよね」
小柄な女が舌打ちする。
しかし、イナーフは耳を疑った。
筆頭巫女のスクルズに向かって、なんという無礼な物言いを……。
「確かに、一番、弱い俺じゃあ、護衛にはならんよな。そもそも、スクルズ様ほどの高位魔道遣いに護衛は不要でしょう」
「そんな、ロウ様……」
スクルズが声をあげる。
すると、男がイナーフに視線を向け直した。
「──ところで、城郭から誰かがスクルズ様に挨拶に来られる予定は?」
男が軽い調子で訊ねてきた。
「夜にはなるでしょうが、おそらく……。なにしろ、この里はもちろん、近隣のミラノ城郭にしても、筆頭巫女様のご訪問など滅多にございません。城郭の高官の方々からも、ぜひご挨拶をさせてほしいと連絡が来ております」
「なるほど、なるほど……。そういうことなら──御機嫌よう、スクルズ様……。どうか、そのような面倒には俺たちを巻き込まれませぬように。コゼの言った通り、朝にお迎えに参ります」
男は軽く頭を下げ、立ち去ろうとした。
「そ、そんな──ロウ様、あんまりです──」
スクルズが叫び、勢いのまま男に駆け寄ってその腕を胸に抱いた。
イナーフは息を呑む。
まさか筆頭巫女が、男の腕を抱いて引き止めるとは。
「イナーフ殿。誰がなんと言おうと、わたしはこのロウ様のもとに泊まります。この屋敷には泊まりません。それに、わたしはこのロウ様のお手伝いをするために来たのです。どなたであれ、挨拶などとんでもありません。──誰がなんと言おうと、です」
スクルズは男の腕を抱いたまま、凄まじい剣幕で言い切った。
イナーフは呆然として、口を開けたまま言葉を失った。
「そんなこと言わないで、お偉い筆頭巫女様なんだから、この屋敷に泊まりなさいよ。あたしたちが泊まるような安宿じゃ、スクルズ様には相応しくないわ」
先ほどの小柄な女が、男の反対側の腕を取って引き寄せながら意地悪く言った。
その言葉自体はまったくの正論だった。
この里の宿屋など、酒場と変わらぬような安宿で、王都の筆頭巫女が泊まるような場所ではない。
イナーフは説明を加えるべきか迷った。
「いえ、そのお話は、たったいま決着しました。ロウ様のおそばで添い寝をさせていただく権利を──わたしはお譲りするつもりはありません、コゼさん」
しかし、それより早く、スクルズがきっぱりと言い放った。
イナーフは、ただただ目を瞬かせるばかりだった。
一方で、男の反対側にいたスクルズが、大きな声で言い放った。
──だが、添い寝?
添い寝……?
いま、添い寝って言ったか?
「権利って、なんなのよ──。そんなもの最初からないわよ──」
「いいえ。たしかに聞きました。ロウ様に愛していただき、最後まで残ることができれば、ロウ様のおそばで添い寝ができると──わたしは、そう伺いました」
「だから、それは、抱き潰されなければの話でしょう──」
なぜか興奮した様子で、コゼとスクルズが言い争いを始めた。
その赤裸々な内容に、イナーフは唖然とした。
しかも、もっと驚いたのは、ふたりに挟まれた男がまるで慣れっこのように、平然と笑っていることだ。
イナーフは、最初に抱いた印象がまるで違っていたことに気づく。
平凡そうな男──そう思っていたのに、いまのその姿には、奇妙な威厳と余裕があった。
「スクルズ……そんなこと、ここでは──」
さすがに、エルフの女も慌てたように小声でたしなめる。
だが、スクルズもコゼも止まらない。
まだ、男を挟んだ言い合いを続けている。
イナーフは呆然とするばかりだった。
目の前で繰り広げられているのは、どう見ても痴話喧嘩としか思えない。
もし自分の見間違いでなければ、王都神殿の筆頭巫女スクルズは、若い人間族の娘と、ひとりの男をめぐって言い争いをしている。
しかも、人目もはばからず、豊かな胸に男の腕を押しつけるようにして離そうとしない。
あの親しげな距離の近さ、自然すぎる触れ合い──どう見ても、ただの関係ではない。
イナーフが思わず目を逸らしたとき、スクルズがきっと彼を睨みつけた。
「よいですか、イナーフ殿──。神殿側がなにを指示してきたのか知りませんが、わたしはこのロウ様の侍女であり、召使いであるつもりです。いらぬ礼式は迷惑です。ましてや、ロウ様を差し置いて城郭の高官などと会うなど、絶対にいたしません」
その声音には、筆頭巫女としての威厳と、女としての激情が入り混じっていた。
「その旨は、わたしの方から地方神殿へ魔道通信で伝えます。──わたしへの挨拶は不要。誰がやってきても、会いません──」
スクルズが強い調子で言い切る。
イナーフは、ただ呆然と頷くしかなかった。