【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
「スカラー、命拾いしたな。もし、シャングリアを人間の男たちに犯させていたら、手足をばらばらにして、生きたまま鳥の餌だったぞ」
一郎は低く笑った。
「ぼ、ぼう……おゆるし……を……」
スカラーが息も絶え絶えながらも、必死に口を開く。
その横で、シャングリアの怒気がまだ収まらないらしく、険しい顔をして仁王立ちになっている。
彼女の身体を乗っ取っていた魔妖精は、すでに五、六発は蹴り飛ばされ、血まみれのままふらふらと立ち尽くしていた。
それでも倒れないのは、一郎の「命令」が効いているからだ。さもなければ、とっくに気を失っているだろう。
「監禁していた者たち──人間族から奪ったものはあるか?」
一郎はスカラーという新たな名を与えた魔妖精に訊ねた。
廃神殿の結界はすべて解かれ、屋敷妖精ブラニーが刻んでいた術式の痕も、いまは白い靄のように消え去っていた。
外に置き去りにしていた一郎たちの衣類や装具も、ブラニーが回収して運び入れてくれている。
一郎たちはようやく服を着終えたところだった。
また、ここに捕らわれていた冒険者や里の者にも衣類が戻され、彼らはまだ夢の続きのような顔をして、ゆっくりと着替えている。
ただし、まだ朦朧としている様子である。無理はない。
ブラニーの話によれば、眠るとき以外は、全員が淫気を生むための乱交状態に置かれていたという。
そんな日々を過ごしていた心が、すぐに平常へ戻るはずもない。
省みられては不都合なことも多いので、一郎としては、彼らが正気に返らないうちに、魔妖精についての決着をつけておきたい。
いずれにしても、魔妖精に操られ「家畜」にされていたとはいえ、体調の管理そのものはブラニーが行っていたらしい。女も男も、肉体的な損傷はないという。
ならば、あとは帰すだけだ。魔妖精に支配されていた屋敷妖精のブラニーの妨害が消えたいま、スクルズの移動術を使えば帰路は一瞬で済む。
「奪ったもろは、れんぶ、ブラニーに……ごしゅりんらま」
呂律の回らぬ声だったが、「奪ったものは全部ブラニーが管理している」と言っているらしい。
一郎は息をひとつ吐き、「治療だけは許す。ただし動くな」と命じた。
すると、スカラーの身体を覆う擦り傷や打ち身が、たちまち消える。鼻血も止まった。
ただし、服の血までは消えない。
それは「治療行為」だけを許可した命令の範囲だった。ほかの魔道は一切、封じてある。
「あ、ありがとうございます。あ、あのう……もう悪いことはしませんから……。と、というより……そんなに悪いことでしたか? 人族にとっては、性交は気持ちのいいことでしょう?」
ほっとした様子で、スカラーが媚びるように言った。
一郎は苦笑した。
確かに、魔妖精にとっては大罪の意識などないのかもしれない。
人族の淫気を喰らうのは、彼らの本能だ。
夜ごと寝室に忍び込み、こっそり淫気を盗む──それが彼らの習性だと、クグルスが教えてくれたことがある。
だが、監禁と洗脳で人族を交尾の機械に変え、淫気を量産する「牧場」を作ろうとしたのは、さすがに常軌を逸している。
知恵はあるが、まだ浅い。そう思えた。
「なにが悪いことはしてないだ──。わたしは許さんぞ。わたしの身体を好きなように弄びやがって」
シャングリアは怒気を燃やしたままである。
最初に単独で突入した彼女は、瞬時に身体を乗っ取られ、クリトリスで自慰を繰り返させられて、何度も恥辱的な絶頂を強いられていたという。
いまもその怒りが収まらないのは当然だった。
「まあまあ、シャングリア。あとで埋め合わせしてやるから……。だが、お前も悪いぞ。罠だとわかっていながら突っ込んだだろう」
一郎はそう言いながら、彼女のスカートの中へそっと手を伸ばし、下着越しに尻を撫でた。
わずかな触れ方でも、魔眼で読んだ“いちばん感じる一点”を正確に捉えていた。
「んふっ……う、うわっ」
シャングリアが腰を抜かすように沈む。
その様子に、スカラーが目を丸くした。
「うわっ……なに、なに? 自慰で絶頂させたときより、触っただけで淫気が大量に噴き出したぞ? 手で触れただけで」
スカラーが唖然としている。
一郎は小さく笑った。
「愛があるからだ。お前のは、ただ発情を強制して擦り合わせただけだ。そんなもので濃い淫気は得られん。濃い淫気が欲しいなら、惚れ合う恋人同士の交わりを通して、その果てでこっそり淫気を回収しろ。人間牧場よりはるかに効率は悪いが、質が違う」
一郎の言葉に、魔妖精は深く頷いた。
「愛のある性交……か……。確かに、そっちの方が濃かった。なるほど、そういう仕組みだったのか……。恋の架け橋ねえ……。ううむ、面白い」
スカラーは、なにやらぶつぶつと独り言をつぶやいていた。
どうにもちょっと不安だ。
だが、このまま放っておけば、また余計なことをして騒ぎを起こすかもしれない。
一郎は小さく息を吐く。
まあいいか……。
廃神殿に巣食っていた悪意を退治することは、今回のクエストの目的ではない。
クエスト的には、あくまで「調査」だ。
魔妖精が原因だったと報告すれば、それで依頼は果たされる。逃亡を許しても構わない。
「ところで──。最初に追い出した盗賊に財を渡したのは、お前だろう。あの金貨はどうした?」
「ああ、金貨のことですか? あれは余の……いや、俺のもんっす。あちこちで集めたやつで。別にいらなかったから、土産代わりにくれてやったんです」
「わざわざか?」
「まあ、家畜になってくれましたし……。だって、人族って、ああいうのを喜ぶんでしょう?」
一郎は息を吐いた。スカラーに悪意の響きは薄い。
この魔妖精は、本気でそれを“善意”だと思っているのだろう。
「……ふうん……。だが、そもそも、あれはお前が集めたのか?」
「いや、俺がブラニーと契約した直後に入ってきたんですよ。だから、とりあえず確保して家畜にしようとしたんですけどね。男ばかりで、自慰くらいでしか淫気が出ないし……」
「だから、追いだしたのか?」
「へえ、そういうことになりますね。搾り切ったら、もう出なくなって……。仕方ないから、記憶を抜いて外に捨てたんです。そしたら、またやって来て……」
「あいつらのことか? じゃあ、盗賊にしろ、あの冒険者たちにしろ、お前から呼び込んだわけじゃないんだな?」
「勝手に入ってきたんです。でも、雌が混じってたんで、雄たちだけよりも、ずっと効率よく淫気が集められました。もちろん、追い出すときには、金貨をやるつもりでしたよ。嘘じゃないっす」
「……ふうん……。つまりは、まだ金貨は残っているのか?」
「ええ、地下に山ほど残ってますよ。よければ、ご主人様に差し上げます」
スカラーはえびす顔で胸を張った。
一郎は、その悪びれない笑みに思わず苦笑した。
──自分が淫魔師だからだろうか。
どうしても、この魔妖精を“悪意の塊”とは思えない。
確かに、冒険者や里の者を監禁したのは許しがたい。
だが、洗脳し、乱交を強いた以外に、直接の危害は加えていない。
そもそも、彼らは自ら立ち入ったのだ。
しかも、追い出す際には盗賊にすら一財産の金貨を渡している。
あの冒険者たちにも、同じつもりでいたのだろう。
完全な無法ではない。
人族と魔族とでは、価値観そのものが異なる──それだけのことだ。
一郎たちは斬りかかられたが、結局のところ、誰も傷を負ってはいない。
──まあ、許してやるか。
このまま引き渡しても、人族の法では処刑されるだけだ。
そこまでの罪ではない。
「ふう……まあ、だったら遠慮なく貰っとく。俺たちを殺しかけた代償だ。……許してやる。二度と俺たちにも、この神殿にも近づくな。悪いことをするな。なるべくいいことをしろ」
「えっ、これで解放するのか?」
シャングリアが思わず口を挟んだ。
「まあ、もう許してあげなさいよ」
「そうよ。捕まえたのはご主人様なんだから」
エリカとコゼが横から口を出して、シャングリアを宥める。
一郎はふとスクルズを見た。
魔妖精は妖魔、すなわち魔族である。
教会の教義では滅ぼすべき絶対悪のはずだ。
だが、巫女装束を整え終えたスクルズは、にこにこと一郎を見守っているだけだった。
この女は、一郎がなにをしても咎めない。
おっとりとした微笑みの奥に、奇妙な達観がある。
逃がすことに異論はなさそうだった。
「えっ、許してもらえるんすか──?」
スカラーが、驚きと喜びの入り混じった声をあげる。
まさか、本当に放免されるとは思っていなかったようだ。
「ああ、許す。その前に……」
一郎は魔妖精の前に屈み、耳元へ口を寄せた。
「……クグルスって知っているか」
興味があって訊ねてみた。
クグルスは手のひらほどの小人の妖精型であり、スカラーは膝下くらいの大きさだ。見た目はかなり異なるが、同じ魔妖精ということで、知り合いかもしれないと思ったのだ。
「クグルス? ああ、あの若い雌。すごい主人を見つけたって騒いでましたね。なんたって、本物の淫魔師を見つけたって……」
「ほう」
どうやら、やはり知り合いのようだ。
「でも、多分、嘘ですよ。淫魔師なんて、そんなの伝説の存在でしょう? まあ、最近あいつが急に強くなったのは事実で……。あれっ? でも、ご主人様、なんでクグルスのことを?」
一郎はさらに口を近づけ、低く囁いた。
「俺がそのクグルスのご主人様だ。クグルスにも逆らうな。命令だ。あいつに不利なことをすれば、死ね──そう命じておく」
→
「ええ?」
スカラーの眼が驚きで丸くなり、口をぱくぱくとさせた。理解が追いついていない様子だ。
「これで終わりだ──、お前を縛っていた魔道と行動制限をすべて解く。もう自由だ。消えろ、命令だ」
その言葉と同時に、魔妖精の姿は霧のように消え失せた。
姿を消すときのスカラーの顔は驚愕したままだった。
静寂が落ちた。その中に、すっとブラニーが現れる。
紺と白のメイド服を揺らしながら、一郎の前で深く頭を下げた。
「ご苦労様でした、新しい旦那様。そして、ありがとうございました。一度契約した屋敷妖精は、旦那様に従わねばなりません。けれど、いま契約は消えました」
さて、次はこの屋敷妖精の処遇か……。
その前に、まだ片づけねばならないことがある。
「ブラニー、まず伝えておく。俺はこの神殿には残れない。王都に家がある」
「承知しております。わたくしが魔妖精を主として受け入れたのが過ちでした。あの人族のお方々には、ご迷惑をおかけしました。ブラニーは、ここでこのまま眠ります……。そして、この建物とともに朽ち果てる所存です」
その声は、淡々としていながらも、どこか鈴のように震えていた。
ブラニーの瞳には、長い奉仕の末に主を失った者の寂しさが宿っている。
屋敷妖精にとって、主のいない屋敷は魂の抜けた器にすぎない。
その理を受け入れた声音だった。
「お前……それでいいのか?」
一郎は、思わず口にしていた。
問いというより、ただの独り言に近い。
「はい。屋敷妖精は屋敷に結ばれて生まれ、屋敷とともに果てます。それが理でございます。主がいなくなった屋敷に留まり、やがて静かに崩れていくのが、わたくしたちの最期……。定めです」
ブラニーは静かに微笑んだ。
その笑みは温かくも、どこか透けて見えるような儚さを帯びている。
長く仕えた屋敷と一体にある存在──。
彼女は、廃墟となった神殿の空気と同じ匂いをまとっていた。
「屋敷とともに、死ぬのか?」
「それが寂しいことだとは知っていても抗えません」
「そうか……」
「はい、今回は本当にありがとうございました。……もしお許しがいただけるなら、あのお方々にも直接お詫びを申し上げたいのですが」
一郎はしばらく黙って彼女を見つめ、それから小さく頷いた。
「いいさ。謝るだけで気が済むなら許す」
「はい……旦那様。ありがとうございます」
ブラニーは深々と頭を下げた。
長いスカートの裾が、まるで風に吸い込まれるように揺れた。
その姿は、朽ちゆく屋敷とともに消えることを、どこか嬉しそうに受け入れているようだった。
ブラニーは、離れたところでこちらを見ている冒険者たちに視線を向けた。
一郎は頷いた。
「魔妖精が残した財は、すべてお前が管理しているな?」
「はい、旦那様」
「前に盗賊たちに渡したのと同じくらいの額を、彼らひとりひとりに手渡しても、まだ残るか?」
「半分以上、残ります」
即答だった。
さすがは屋敷妖精だ。屋敷の管理に関しては驚くほど有能だ。
しかも、ひとり当たりの金額を訊くと、それはまさに一財産といえる額だった。
あのスカラーがどうやったかは知らないが、実際、とんでもない額の財を集めていたようだ。
「謝るときに、同じ程度のものをひとりずつ渡せ。残りは後で指示する」
「ありがとうございます、旦那様」
無表情に近かったブラニーの顔が、ふっと柔らかくほころんだ。
やはり、善良なのだと思った。
主人に選んだ魔妖精の命令とはいえ、人族を監禁するのは不本意だったのだろう。
ほっとした顔になっている。
さらに、そのブラニーに、ひとつの指示をする。ブラニーが小さく頷き、一度姿が消えた。
さて、あのブラニーをどうするかだ……。
ここに捨てていくのは可哀想な気はする。
だが、屋敷妖精とは、屋敷に縛られるものなのだ……。
以前にシルキーに訊ねたこともあるが、シルキー自身も知らなかった。
自分たちは「ひとつの屋敷に縛られ、高位の魔道遣いに仕える本能がある」ということだけを自分自身の輪郭として認識していた。
シルキーの概念によれば、屋敷とともに生まれ、屋敷がなくなるときに死ぬ。
そのあいだに、高位の魔道遣いが住人になれば、主として仕えることができる。
主を見つけること自体が悦びで、心からの望み──それが屋敷妖精の本能であり、理だ、と。
ただ、よく考えれば、シルキーは魔道遣いではない俺──淫魔師の一郎を主人とした。
理は理として、例外はあるのだ。そこに道がある。
「みんな」
一郎は、女たちを呼んだ。四人の女たちが集まる。
「……一応は、これでクエストは終わったようなものだけど、完了の報告の前に屋敷妖精のことは考えたい。だが、細かい話をする前に、まずは連中を帰したい……」
一郎はちらりと、広間の隅にいる十数人の男女に視線を向けた。
彼らは、いまだにぼうっとしている感じだ。
「追い払うのか?」
シャングリアが小声で言った。
一郎は頷く。
「ああ……、スクルズ、悪いが、移動術で全員を里まで送れるか。置いてきたら戻って来てくれ。込み入った話になるかもしれないし、助言が欲しい」
「かしこまりました、ロウ様……。それと、やっぱり、ロウ様は頼もしいですね」
スクルズがくすくすと笑った。
一郎は面食らってしまった。
「でも、ほんと、シャングリアに斬りかかられたときは、肝が冷えたわ。久しぶりに命の危機を感じたもの」
コゼが苦笑した。シャングリアの顔が真っ赤になる。
「それは悪かったと……」
「いいのよ。……正直、この数日、ずっとあんたの剣筋を見ていたおかげで、ひと太刀目を避けられたわ。短剣は弾かれたけど、斬られずに済んだのは、あたしにしては上出来よ。エリカのいうことをきいて鍛錬してよかったかも」
コゼが白い歯を見せた。
「そうでしょう、コゼ──。だから、ロウ様も」
エリカが乗りかける。
一郎は悪い流れを断つように口を挟んだ。
「それより、シャングリア。連中をスクルズが送ることになったら付いて行ってくれ。エリカとコゼは、そのあいだ、俺と神殿を一巡りしておこう。ブラニーの話では変わったことはないそうだが、念のためだ」
「わかりました、ロウ様」
「わかりました」
返事が重なる。
一方で、ブラニーが冒険者たちのところへ現れ、金貨の入った袋を配りながら謝罪を始めたのが見えた。
まだ半分正気に返らぬ顔つきが多いが、袋の重みを確かめると、あちこちで歓声が上がる。
よかった。
大声で文句を言われずに帰ってくれそうだ。
やがて、冒険者たちがこちらに寄ってくる。
彼らがわっと集まってきた──。スクルズの周りに──。
「えっ」
スクルズが当惑顔になった。
先程、冒険者たちには、救援隊の指揮はスクルズだと説明するように、ブラニーに指示したのだ。
冒険者と王都大神殿の筆頭巫女なら、筆頭巫女が長だと思うのが自然だ。
一郎はさっと身を引く。
「スクルズ様、ありがとうございます」
「助かりました。本当に」
「ありがとうございます」
囚われていた者たちがスクルズを囲む。
スクルズが困ったように一郎を見る。
すかさず一郎は口を開いた。
「じゃあ、スクルズ様、俺たちはご指示により神殿内の確認にかかります。その間に、その人たちを送ってあげてください。里長には、最終確認ののち、夕方にでも改めて報告するとお伝え願えると助かります」
一郎は頭をさげた。
エリカたちは横で苦笑している。
これで世間的にはスクルズの功績になる。
スクルズは面食らっていたが、すぐに小さく嘆息した。口裏を合わせてくれる気配だ。
そのときだった。
ただひとりだけ、冒険者が一郎の前に歩み出た。
あの、突っ込みどころ満載のステータスを持つ女だ。
いや、本当にただの冒険者か?
彼女が一郎の目前に立つ。
それにしても、目の前に立つと、かなり迫力のある巨乳だ。
しかも、色っぽい。
「エレインよ。感謝するわ」
彼女は言った。
エレイン──?
さっきのステータスでは、“ビビアン”と名前が出ていたが……。
──すると、視界の隅で、ステータスの名表示がすっと変わる。
ビビアン→エレイン(レイク=ダーム)
人間族、女
タリオ公国諜報員
冒険者
年齢35歳
ジョブ
諜報(レベル30)
戦士(レベル15)
アサシン(レベル10)
毒遣い(レベル3)
生命力:50
魔道力:10
攻撃力:300(剣)
経験人数
男120、女31
淫乱レベル:A
快感度:300/300
もしかしたら、偽名の名乗りが変わったので、ステータスに変化があったのか。とにかく、本名は“レイク=ダーム”なのだろう。
この大陸の人間族で、家名があるのは、大抵は貴族階級ということになるらしいが……。
それはともかく、タリオ公国の名が脳裏に小さく灯った。
旧帝国の三公国──その中でも最も力のある国──それがタリオ公国だ。
ローム三公国のうち、このハロンドール王国と直接に国境を接する国であり、国境争いもしばしば起きていたという。
ただ、いまは、タリオ公国のアーサー大公に、ハロンドール王の二女のエルザ王女が嫁ぎ、友好関係になるという。
まあ、一郎が認識しているタリオ公国とハロンドール王国に関する知識はその程度だ。
「エレイン……ね。それで、話はなんだ?」
一郎は静かに口を開いた。
「いや、俺はただの雇われ護衛だ……。礼ならあっちに……」
視線でスクルズを促した。
スクルズはいまだに、ほかの冒険者たちに囲まれて、お礼を言われ続けている。
「いや、あなたよ」
エレインが一歩進み出た。
「なにが?」
「全部、見てたわ……。ほかの者たちは、まだ頭がぼんやりしてるみたいだけど──あたしは違うわ」
その声音には、ただの冒険者らしからぬ落ち着きがあった。
一郎は嘆息した。
さて、どうするか……。やっぱり、面倒のようだ。
「なに、あんた?」
「ロウになにか用か」
「すぐにスクルズ様が里に送るわ。向こうに行きなさい」
エリカ、シャングリア、コゼが、さっと一郎を囲むように前に出た。
三人の殺気が空気を鋭く裂く。
エレインは肩をすくめて苦笑した。
「おっかないわねえ……。別に取って喰おうってわけじゃないわよ。……いや、喰いたいけどね」
挑発めいた軽口──。
だが、その目の奥には観察者の光が宿っていた。
「まあ、いまはそんな話じゃないのよ……。話し合いをしたいのよ」
「話し合い?」
一郎は三人を制して、相手の言葉に耳を傾けた。
「屋敷妖精のことよ」
「屋敷妖精がどうした?」
意外な言葉に、思わず眉が動く。
どういう意図だ──?
そのとき、スクルズが近づいてきた。
「ロウ様……。では、一度里まで行ってきます。……さあ、あなたもどうぞ」
スクルズがエレインに声をかける。
だが、エレインは小さく首を振った。
「あたしはいいわ。一緒に来たパーティとは、ただの雇われ関係よ……。ミラノのギルドで知り合っただけ……。どうせクエストは失敗だし、もうここで別れる約束なの。自分で帰るわ」
「しかし……」
スクルズがちらりと一郎を見た。
その刹那、エレインが一郎をまっすぐに見据える。
「うわあ……あんたって、やっぱりどういう男なの? 横のおっかない女たちもそうだけど、筆頭巫女様まで、あんたの言いなりじゃない」
軽い調子で言うが、探るような声音だった。
「いや、違うよ。スクルズ様は、お偉い方だけど、気さくな方でね。俺みたいな冒険者風情でも、丁寧に対応してくださるんだ。言いなりなんて誤解だよ」
一郎はできるだけ平然と見えるように肩をすくめて見せた。
「へえ、普通にセックスをする関係なのに?」
エレインがくすりと笑った。
一郎は眉をひそめた。
「なんことだが……」
「あたし、ちゃんと見てたのよ。あんたが、その筆頭巫女様とセックスしていた。それが終わった途端に、巫女様が白い光を放って浄化した。でも、まずは、あんたからだったわ」
エレインが不敵そうな笑みを浮かべる。
一郎は内心で舌打ちした。
洗脳で正気を失っていると思ったが、しっかりと見ていたらしい。
「ああ? なによ、あんた──? 消えなさい」
コゼがずいと前に出る。
エレインとコゼの距離が詰まり、ほとんどくっつくくらいになった。
だが、エレインも動じる気配はない。
その視線は、コゼを無視して一郎に向いていた。しかし、コゼは一郎でもわかるくらいの殺気を放っている。
それにも関わらず、エレインは平然としていた。大した自信と度胸だ。
「……それからの指示も全部、あんただったわ。最初は、一番弱そうに見えたのに、まさか、あんたがパーティリーダーだったとはね。それと、あのセックスに意味はあったの?」
「耳はあるの、お前? スクルズと一緒に里に向かうのよ」
コゼに続いて、エリカが前を阻むように移動する。
さらにシャングリアも並ぶ──。
さすがに、エレインがたじろいで数歩後ずさる。
「ねえ、話くらいにさせてくれてもいいでしょう──」
エレインが哀願するような口調になる。
一郎はエリカたちに、軽くて手で合図した。三人が警戒を解かないまま、少しだけ移動して一郎とエレインの前を開けた。
「おっかないわねえ……。でも、やっぱり、全部、あんたが仕切ってるのね……。不思議な技も使ってたし……。まあ、とにかく、あたしとお話をしてくれない?」
「話か?」
一郎は息を吐く、
「そうね……。さもないと──あることないこと、お話するかもね。あちこちで……。セックスをして魔道結界術を解く、変な男がいたってね」
一郎は小さく眉を寄せた。
まさか、一郎が淫魔師である秘密までは届いていないだろう。
だが、彼女が相当な観察眼を持つのは確かだ。
タリオ公国の諜報員という肩書きが脳裏をよぎる。
──本当に厄介だ……。
「ロウ様……」
エリカの低い声──。完全に殺気がこもっている。
一郎が淫魔師であることは、絶対に隠すべき秘密だと、エリカは再三繰り返していた。
いまの挑発のようなエレインの言葉で、エリカも、このエレインがなにかを悟ったということがわかったはずだ。
たぶん、一郎が命じれば、この場で殺すだろう。
「おお、怖っ──そんなに睨まないでよ……、あんた。別に敵じゃないってば。この人に危害を加えたりしないわ」
「どうだか」
コゼがさらに一歩横へずれ、エレインの背後を塞ぐように立つ。
シャングリアはすでに剣に手をかけている。
その鋭い空気に、エレインの頬が引きつる。
「……もう一度言うけど、あたしはこの人に危害を加えない。むしろ、助けてくれたことに感謝してるの」
エレインの手がわずかに動くのを、コゼがすぐ背後から制した。
冷たい刃先が、エレインの背に触れたのがわかる。
「不用意に動かないのよ。緊張するじゃないの」
コゼの囁きに、エレインの表情から余裕が消える。
「どうかしましたか、ロウ様。そろそろ里に向かいたいと思うのですが」
スクルズの声──。
にこやかに見えるが、指先では魔道の詠唱が始まっている。
このスクルズもまた、一郎が命じれば、ためらいなく致命の一撃を放ちそうだ。
まったく──怖い味方たちだ……。
一郎は息をひとつ吐いた。
「わかった。話を聞いてやる。なんだ?」
女たちを目で制し、短く問う。
「だから……屋敷妖精のことよ」
エレインが静かに言った。
屋敷妖精──またその言葉だ。
「ブラニーが、どうかしたのか?」
「ブラニーっていうの? そう、あの屋敷妖精」
エレインは一瞬ためらい、それから続けた。
「……正直に言うわ……。あたし、今回の調査クエストとは別の依頼があるの。……ある分限者から、屋敷妖精を連れてきて欲しいって依頼よ」
「別のクエスト?」
「ええ。こっちが本命だったの……。あんたらが、あの屋敷妖精をどうするつもりか知らないけど、もし引き取る気がないなら、こっちに任せてくれない? もちろん、相応の報酬は支払うわ」
「屋敷妖精を……連れていく? タリオまでか?」
「タリオ? なんで、あたしがタリオって……?」
エレインが面食らった表情になる。
今度は一郎が挑発することにした。
「だって、タリオの諜報員なんだろう?」
一郎のその言葉で、エレインの表情が、すっと変わった。
その全身に殺気が走る。
「あんた……やっぱり、何者?」
低く響く声。
一郎を囲む女たちの緊張も同時に高まった。