【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
「おかえり、ご主人様。ずいぶんとお愉しみだったね。淫気もおいしかったよ。ごちそうさま」
「戻ってきたか。それにしても、呆れた人間族だな。──作る仮想時空が、すべて自分の好色を満たす世界とは」
くすくすというクグルスの笑い声と、呆れたようなリンネの溜め息が重なったことで、一郎は「仮想時空の世界」から再び「空白の部屋」と呼ばれる場所に意識を戻したことを悟った。
リンネ──この白い時空を支配し、ここで生まれる仮想時空を統べる女妖魔である。
時空を操る力を持つ、古き魔族の一族に属するらしい。
一郎とクグルスは、あの漆黒の書に魔力を注ぎ、封印を解いたことで、この空白の部屋へ導かれた。
そして、リンネの力を借りて三つの仮想時空を作り出し、いままさにそこから戻ってきたところだった。
この空白の部屋は、仮想時空の世界へ向かうための、いかなる存在も持たない時空である。
想像によって新たな時空を準備するための場であり、同時に、ここでは想像したものを現実のように具現化することもできる。
その言葉どおり、ここは何もない真白の時空であり、いま、隔てのない白光が果てなく広がっていた。
すべてが白い光に包まれ、影すら存在しない。
一郎はそこで、一脚の椅子を思い浮かべ、想像のままに出現させ、その椅子に静かに腰を下ろしていた。
リンネの力を一時的に借りているため、そうしたことができるのだ。
その管理者であるリンネは、呆れたような笑みを浮かべ、腕を組んで一郎の隣に立っていた。
リンネは、この空白の部屋と、そこから派生するすべての仮想時空を見張っている存在だった。
彼女の外観は、人間族の成熟した妖艶な美女を思わせた。
肌は滑らかで白く、整った顔立ちはため息の出るほど美しい。
ただし、魔族──あるいは人族が“妖魔”と呼ぶ種族らしく、頭には大きな羊牛のように曲がっている二本の角があり、瞳は深紅に光を帯びている。
身に着けているのは、黒の光沢を帯びたセパレーツの水着のような装いである。
乳房から上を覆う上衣は薄く、豊満な胸の形をそのままに包み、肌にぴったりと張り付いている。
腹部には何もなく、臍から下はすべて露出していた。腰と腿を包む下衣だけが、かろうじて布の役目を果たしている。
その姿は挑発的でありながらも、どこか威厳すら漂わせていた。
「せっかくの夢の世界だし、愉しまないとね。それにしても、現在、過去、未来の順で仮想時空を作ってみたけど……シャングリアを入れた“未来”の仮想時空は興味深かったな。俺とシャングリアが交わらなかった未来という感じだった」
一郎は肩を竦め、苦笑した。
「ふむ。あれもまた、あり得たかもしれない世界ということだ。仮想時空は“想像”で産み出すといっても、無からなんでも作れるわけではない。作れるのは、存在したかもしれない世界だけだ。もっとも、その種類は無限に近いがな」
リンネが腕を組んだまま、わずかに顎を上げた。
「無限の種類か?」
「そうだ。たとえば、お前はいま黒いズボンをはいているが、同じ瞬間の中で“白いズボンをはいているお前”が存在する世界もある。あるいは灰色のズボンをはいている世界もな。そういう現実世界の無数の“分岐”から、仮想時空を借りてくるにすぎん」
「未来でも?」
「仮想時空に時間の概念はない。未来も過去も自在だ。ただし、すべては現実ではなく、あくまでも“仮想”だ」
「そういうものか」
一郎はゆっくりと頷き、肘をついた。
その手の先、椅子の片側の手摺りには、漆黒の装丁を持つ一冊の本──「性書」が置かれている。
この書を媒介に、彼は三つの仮想時空を生み出し、エリカ、コゼ、シャングリアをそれぞれの“もしも”の世界へ送り込んだのだ。
そして、順に介入して遊びを終え、いま再びここへ戻ってきたのである。
「すっごいねえ。すっかりと、リンネ様にお借りしている仮想時空の力を使いこなしてたじゃない、ご主人様」
性書のある側の椅子の肘掛けにちょこんと座ったクグルスが、白い光の空間を見渡しながら感嘆した。
また、その性書から淡い光が立ち上り、目の前の宙に三つの四角い枠を浮かび上がらせている。
そして、それぞれの枠の中には、まるで絵画のように別々の景色が映し出されていた。
ひとつ目は、エリカのために作った仮想時空だ。
あの屋敷からかつて“イフリート”と名乗る魔人に出遭った場所──性書の暴発によって一郎たちが時空を跳躍したあの世界を再現し、エリカをそこへ放り込んだ。
実際には存在していない「現実」の世界だ。
だが、彼女を襲ったのはイフリートではない。
統制者としての一郎自身が、イフリートと同じ幻術能力をまとい、彼女を惑わせて嬲ったのだ。
仮想時空の内で統制者は、どんな姿にも成り代わることができる。
それに応じて、時空に入る者の記憶も書き換わる。
エリカの世界では、一郎は彼女の恐怖と快楽の幻を生み出す魔人となり、エリカはその幻術に抗えぬ無力な女として翻弄されていた。
二つ目の枠には、コゼの世界──。
彼女が十歳のとき、奴隷として競りにかけられたあの「過去」の場面を再現した時空である。
あの時空そのものは現実に存在した過去だが、一郎はそこに“いなかった自分”として入り込み、実際には存在しなかった架空の競りの参加者として介入した。
かつて救えなかった童女時代の彼女を救い、支配するために。
三つ目の枠には、シャングリアの時空が浮かんでいる。
それは「未来」──ジーロップで大きな事件が起きず、彼女が一郎の女にならなかった“時の枝”だ。
もっとも、すでにシャングリアは、一郎の女になっているので、存在しない未来ということになるのだろう。
その世界の中で、酒場の酔客たちの視線を浴びながら、放尿の恍惚に身を委ねるシャングリアの姿は、一郎の嗜虐心を存分に刺激してくれた。
三つの世界は、それぞれの女が入ったまま静止している。
宙に浮かぶ枠の中では、時間が止まったかのように、景色も人物も微動だにしていない。
この空白の部屋も、作り出された時空も、時間の流れは外の現実とはまったく異なる。
統制者の意志次第で、同じ時間軸を進ませることも、遅らせることも、一時的に時間の枠から外して静止することもできるのだ。
それが仮想時空だ──。
「ふん、確かに使いこなしているな」
リンネが腕を組み、やや呆れたように鼻を鳴らした。
「性書が選んで招かれた者への報酬として、力を使う権限は与えた。だが──まさか仮想時空の仕組みまで理解するとはな。……人間族にしては、なかなかの才だ」
「そうだよ。ぼくのご主人様は頭がいいし、それに、すっごく好色で、素晴らしい淫魔師様なんだ」
クグルスが胸を張って威張った。
「淫魔師? 本当か?」
リンネが目を細め、深紅の瞳を光らせた。
「そうだよ、リンネ様。ぼくのご主人様は、本物の淫魔師様なんだ」
クグルスが自慢気に応じる。
「まあ、そんなところだ」
一郎は口の端をわずかに上げた。
「ほう……。淫魔師とは、あの“見捨てられたクロノス”の力だろう。そんなものが人間族に芽生えるとはな」
リンネは唇の端をわずかに吊り上げ、赤い瞳を細めた。
一郎は眉を寄せる。
淫魔術がクロノスの力に由来する──それは以前にも耳にしたことがある。
だが、リンネが大神クロノスを“見捨てられた者”と呼んだことが気にかかり、その意味を問おうとした瞬間、彼女の声が重なった。
「ふん。なるほど。だからこそ、性書に選ばれたか……」
リンネが黒い装丁の書に視線を落とす。
「選ばれたとは?」
一郎は首を回して、リンネを見上げる。
「門をくぐる資格は性書が決める。ここへ導かれた時点で、お前は門に選ばれているということだ」
リンネが白い歯を見せた。
「つまり──性書に導かれて、ここに入ってこられたら、リンネが力を貸してくれるということか」
「そうだ。性書に選ばれた者には、わしの力を貸す。──まあ、退屈しのぎだな……。いずれにしても、わしはこの境を統べる統制者だ。通すべき者を選び、時空を制御する力を持つ。そして、わしの力を借りれば、無数の分岐の中から仮想時空をいくらでも編み出すことができる」
「なるほど、統制者ってのは、そういう意味か」
一郎は小さく頷いた。
「さっきも言ったとおり、あり得たかもしれない現実だけを再構成する。無からは作れん」
リンネが指先をわずかに弾くと、宙の三つの枠が淡く明滅した。
「心得た。これからも、ほどほどに愉しむさ」
「愉しむなどと言うな。これは便利な道具ではないぞ。扱えるのは、それだけの器を持つ者だけだ」
「けれど、力を貸してくれるのは事実なんだろう? この性書とやらに選ばれたんだから」
「一時だけの権限だ。性書が眠れば、すべて封じる。そのときは──ここでのことも薄れる」
「薄れる……ね。でも、面白い力だから、これからも、ちょくちょく使わせて欲しいんだけど……」
一郎は少し媚びるような口調で言った。
これは実に愉しい玩具だ。これっきりで終わるのは惜しすぎる。
「ならん。わしが仮想時空を作り出すこの場所に、余人を招くのは例外中の例外だ。さっきも言ったが、性書に選ばれたから、お前たちを特別に招いただけだ。二度はない」
「誰も? 例外なし?」
「例外などない──。ここはわしだけの場所だ。ここを使えば、ほかの妖魔どもも瘴気の溜まりなど無くとも往還はできるが、わしはここを荒らされるのは好かん。だから、誰も通さぬ」
リンネの声は低く、冷ややかだった。
とりつく島もない。
「リンネ様は、あまりほかの妖魔とも仲良くしないものね。孤高の妖魔将軍様なんだ」
クグルスが場を和ませようと口を挟んだ。
「妖魔将軍?」
一郎が見返すと、リンネは薄く笑んだ。
「かつては小煩い連中も大勢いたがな。いまは、わしにこの空間で逆らえる者などおらん。だから、ほかの妖魔どもは、わしを“妖魔将軍”と呼ぶのだ」
「リンネ様は大勢の眷属を支配してるんだよ。だから、そう呼ばれてるの」
クグルスが翅を揺らしながら、一郎の肩に乗った。
「確かに、眷属にしている妖魔どもは数百にも上る。頼まれれば、妖魔をお前たち側に通すこともある。だが、何度も言うが、あくまで例外だ。わしは面倒事を好まぬ。だからこそ制御している」
リンネの瞳が冷たく光る。
「ふうん……。まあ、それはともかく、面白い体験だったから、できれば今後も少しだけ、この力を借りたいんだ。話し合いといこうよ。どういう条件なら、ここを貸してくれる?」
一郎は穏やかに微笑み、手のひらを上げてみせた。
遊び心半分、本気半分の、軽い申し出だった。
「はあ? 客人として招くのは一度きりだと言っておるだろう──。しつこいぞ──」
リンネが不愉快そうに鼻を鳴らした。
「まあまあ、ときどきだけだよ。ほんのときどきだ。ほどほどにするからさ」
一郎は軽い調子で手を振る。
その瞬間、リンネの顔から笑みが消えた。瞳の奥に紅の光が灯る。
「ほどほど、だと──。いい加減にせよ。そもそも、さっきから、誰に向かって口をきいておる。わしはこの境を統べる妖魔将軍のリンネだぞ。立場をわきまえよ、人間」
リンネの唇が釣り上がり、怒気が空間を震わせる。
一郎は一瞬たじろぎながらも、へらりと笑って言い返した。
「だから、話し合いだって……。あ、そうだ。さっき眷属なら使わせることもあるって言ってたよな。だったら、仮の眷属関係ってのはどうだ? 俺が眷属になるか、それとも、リンネが眷属になるとか……」
冗談めかした言葉だった。
だが、言い終えた瞬間、リンネの顔色が一変した。
「貴様──いま、なんと言った? わしをお前の眷属にするって言ったかあ──」
低い声が響く。
それは、冷たさと怒りが溶け合ったような、背筋を凍らせる響きだった。
「いや、そんな……ことは……。あっ、いや、言ったか? うわっ、とにかく落ち着けって」
一郎が慌てて言葉を繕う間もなく、リンネの周囲に風が巻いた。
白光がねじれ、空間が波打つ。
慌てて、顔を庇うように手を前に被せる。
「優しくしておれば、つけあがりおって……。このわしを眷属にするだと──? 人間ごときが、冗談でも口にしてよいことではない」
リンネの怒声が響き渡る。
クグルスが悲鳴を上げて一郎の背中に飛び込み、両手で耳を塞いだ。
「リンネ様、やめて──。ご主人様に悪気はないよ……」
「そうだよ。どっちかがって、言ったんだ」
一郎も慌てて口を挟む。
「黙れええ──」
リンネが手を振り払うと、白光の波が床を走った。
一郎の足元がぐらりと揺らぎ、咄嗟に椅子ごと転げ落ちる。
「うわっ」
床に手をついて体勢を立て直す。
リンネの影が迫る。怒りに満ちた紅の瞳が、まるで焼けた鉄のように光っていた。
「お前のような人間ふぜいが、わしを愚弄するのは万死に値する。この場で魂ごと焼き尽くしてやるわ──」
「そんなに怒ることかよ……」
一郎が困惑して言った。
「やかましい、人間──。お前の女どもなど、わしが望めば指先ひとつで消せるのだぞ。時を止め、この場に閉じ込め、永遠に沈めることもできる」
その言葉に、今度は、一郎がむっとなった。
一郎自身はともかく、女たちに手を出せるわけにはいかない。
「……いや、待てよ──。俺の女たちに手を出すっていうのか? それは、こっちが承知しないぞ」
「承知しない? ほほう……。やはり、口のきき方がわかっておらぬのだな……。この空間でわしの逆鱗に触れるということがどういうことか教えてやる。手始めに、あの女たちだ。承知せぬというなら、なにかしてみよ」
リンネが手を掲げる。白光が凝縮し、音もなく空間が軋んだ。
一郎は反射的に身をのけぞらせた。
「わっ、なにするつもりだよ、リンネ様?」
背後のクグルスの悲鳴が響く。
「やかましい。言ったとおりだ。お前の女たちは、この場で永遠に閉じ込める。お前の記憶は抜き去って、二度と戻れぬ時空の亡者してくれるわ」
リンネが一歩踏み出し、紅い光を放つ掌を振り下ろそうとした。
その瞬間、一郎は本気で悟る──この妖魔は、怒りの勢いで本当に実行するつもりだ。
慌てて、リンネの前に詰め寄る。
「待て──。俺の女たちに手を出すことは許さん──。承知しないぞ」
「承知しないだと──。ならば、なんでもやってみよ、この空間でわしに逆らえるのはおらん──」
リンネの瞳が紅く光り、白光の空間が軋んだ。
「……おい、なにするつもりだよ?」
「さっき、言ったことを実行するだけだ。お前たちの女は、しばらくここで閉じ込める。お前は記憶を抜いて立ち去れ──」
リンネが大きく手を振る。
白光が渦を巻き、三つの仮想時空が軋みながら震えた。
一郎は背に冷たいものが走るのを感じた。──この妖魔は本気だ。
「やめろ──」
一郎はとっさに叫んだ。
「うるさい──わしを怒らせたことを後悔せよ──」
「やめるんだ──。俺の女たちに手を出すことを禁じる。リュンネガルト・ゴーテンバウム・サキュテスト」
その瞬間、空間のうねりが止まった。
リンネの動きが硬直する。掲げた手は宙で凍りつき、深紅の瞳が見開かれた。
「……いま、なんと……」
声は乾いて震えていた。
怒りではない。明らかな動揺と恐れが混じっている。
一郎は息を整え、手を下ろした。
胸の鼓動は早いが、手応えはあった。
リンネ(リュンネガルト・ゴーテンバウム・サキュテスト)
魔族(妖魔)、女
年齢***
ジョブ
妖魔将(レベル80)
虚無統制者(レベル50)
……
一郎は魔眼でそれらを読んでいたのだ。
だが、主ジョブのレベルが〈レベル80〉の相手を、淫魔師〈レベル75〉の自分が押さえ込めるかは確信がなかった。
ただひとつ、真名を保持する魔族たちが、それを知られたら魂に縛りを受けるということだけは、クグルスから聞いて知っていた。
結果的には成功だった。
まだ、完全ではないが、命令を通すだけの拘束は届いていたようだ。
「どうして……、わしの真名を……。人間族の鑑定術でわかるはずなどないのに……」
リンネが蒼ざめた顔で呟いた。硬直した腕がわずかに震えている。
「ご主人様は魔眼の保持者なんだよ。すっごいんだ──」
クグルスが一郎の背から顔をのぞかせる。小さな体がひらひらと舞い始める。
「魔眼……? まさか……。クロノスの淫魔術に、メティスの魔眼持ちだと……?」
リンネは呆気にとられた顔になった。
「ねえ、すごいことをしたね。あの妖魔将軍のリンネ様を支配したんだだから──」
クグルスは大喜びだ。
一郎の周りで、歓声をあげて舞い続けている。
「まだだよ……。まだ、完全ではない」
一郎は静かに息を吐き、リンネを見据えた。
彼女は動かない。恐れと屈辱を混ぜた表情で一郎を睨んでいる。
「だが、俺に危害を加えない程度には拘束できたようだ。──リュンネガルト・ゴーテンバウム・サキュテスト」
「くっ」
名を重ねると、リンネの肩が小さく跳ねた。
「新しい名を与える。これからはリンネではなく、サキと名乗れ」
白い空間の空気がかすかに鳴った。
命の響きが理に編み込まれていく感覚が一郎にははっきりとわかる。
真名を知り、新たな名を与えることで支配は完成へと傾く。
クグルスのときも同じだった。
この魔妖精のときも、彼女の真名を読み、新しい名を授けた瞬間に主従の契約が結ばれたのだ。
「こんなことは許されんぞ……」
リンネ──いや、サキの声は低く掠れていた。瞳には焦りと恐れが揺れている。
「そうだな……。確かに、許されないし、卑怯だな。だけど、ここで許したら、お前は、俺たちに手を出すだろう?
一郎は少し戯けた口調で言った。
すると、サキ……の顔がさらに真っ赤になる。
「当たり前だ──。わしにこんなことをしおって──。殺してやる──。確かに、真名による支配が刻まれたが、それだけで屈することはないぞ。必ず、支配から脱して、お前たちを八つ裂きにしてやる──」
サキが力を振り絞るように声をあげた。
一郎は肩を竦めた。
「そうか。だったら、完全に支配するしかないな……。悪く思うなよ、サキ」
力を奪うつもりはない。ただ、危害を加えさせないための枠はしっかりと嵌めないとならないだろう。
一郎は、まだ半分呆然とした感じのサキに、すっと近づいた。
「うわっ、なんだ?」
サキがたじろいだように声をあげた。
だが、距離を詰めても、一郎に危害を加える様子はない。真名の支配というのは、それだけ重いのだろう。
「ああ、心配するな、サキ……。それよりも、この白い空間の統制権を一時的に、俺に完全に付与しろ。そして、俺が許可するまで、お前の能力は全て凍結しろ」
一郎の言葉に、サキの瞳が見開かれた。ついで歯を食いしばり、なにかを堪えるように細い震えが肩へ走った。
「う、うう……そ、それだけは……」
「……それを、リュンネガルト・ゴーテンバウム・サキュテストに命じる」
名が重ねられた瞬間、白い時空の空気がわずかに軋み、命が通った手応えが一郎の皮膚へ返ってきた。命令は届いたと分かる。
「くっ」
サキの顔が蒼くなり、歯噛みの音が聞こえた。
自分の力が凍結されたことがわかったのだろう。
「……これから、一切の抵抗をするな、リュンネガルト・ゴーテンバウム・サキュテスト」
一郎はさらに続けて告げた。
サキの身体が硬直したように固くなる。
その身体を抱き寄せた。サキの顔に当惑と驚きが浮かぶ。
「な、なんじゃ。ち、近いぞ」
「照れるな。仕返しされても困るから、支配を完全にするだけだ……。さっきも言ったが、俺は淫魔師だ……。淫魔師がどうやって女を支配するか知っているんだろう」
「なっ……まさか、お前、わしを……」
サキの紅い瞳にぎょっとした色が灯る。
次の瞬間、一郎はサキの四肢を消滅させることを念じた。白い世界の「統制者」だからこそできる「仮想」だ。
白い空間が静かに波打ち、サキの四肢が光へ溶けるように、一郎の視界から薄れていく。
音も痛みもなく、腕と脚は白に同化し、痕跡だけが淡く残って消えたのだ。さすがは、妖魔将軍の力だ──。
一郎の腕の中には、胴と頭だけになったサキが軽く収まっている。
「うわああ」
サキが悲鳴をあげた。