【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
パーシバルは丘の上に立ち、眼下の平原を見下ろしていた。
五十騎対五十騎──二つの騎士隊が互いに向かい合い、風に翻る隊旗の下で緊張が張り詰めている。
鎧の金属が陽光を反射し、ウマの嘶きが響くたびに、冷えた空気が微かに震えた。
数年間の地方勤務で認められ、ようやく王都の王軍騎士団に赴任して初めての演習である。
王都郊外の練兵場だ──。
広い平原を削って造られた地形の周囲には、木柵と観覧台が設けられ、貴族の紋章旗が風にはためいていた。
王都の尖塔が遠くに霞み、空は雲一つない青さで広がっている。
ただ、パーシバル自身はまだ復帰したばかりで、実戦形式の訓練には加われない。
いまは「集団行動の観察」という名目で、丘の斜面から五十騎同士の模擬戦を見学していた。
周囲には同じように演練を終えた騎士たちがウマを並べ、斜面に腰を下ろしている。
左の隊は青布を、右の隊は赤布を鎧に巻いていた。
やがて、白布が掲げられ、合図とともに両軍が一斉に動き出す。
「ほう……」
パーシバルは思わず感嘆の息を洩らした。
赤隊の動きが見事だった。
先頭の騎士が号令とともに、あっという間に突撃し、まだ隊形を整えきれない青隊の中央を切り裂いたのだ。
演習用の刃のない剣と槍が激しくぶつかり合い、金属音が丘の上まで響いた。
さっきの赤隊の先頭騎士がまたたく間に三騎をなぎ倒し、青隊は瞬く間に混乱に陥った。
やがてすれ違うようにして両隊が離れたときには、青隊の半数が戦列を失っていた。
赤隊はほとんど損なわれていない。
「勝負あったな。やはり女の騎士が先頭に立つと、男どもは遅れを取るまいと必死になる。勢いが違う」
「いや、あの統率ぶりは見事ですよ、隊長。少し前までは、彼女に集団指揮は無理だという評価が信じられないですね。それが今や……」
「確かに」
「しかも、これほどの采配とは……。なにが彼女を変えたのか、実に興味深いですよ」
声の主は、王軍騎士団の隊長と副隊長だった。
ふたりは王都の名門貴族の出で、遡れば王家に連なる家系だったはずだ。
ただし、彼らのような家は領地をもたない。五代前の国王による改革で、旧領主家の多くは領地を奉還して「俸給貴族」となり、貴族俸給を賜るとともに、王都や各王国直轄地での政務と軍務をもって家格を保つようになったのだ。
その結果、いまや実際に領地を有する貴族は、南部域を治めるダウス侯爵家をはじめとする南方の諸侯か、タリオ公国と国境を接する西方域の辺境諸侯──いわゆる辺境貴族だけである。
王都で地位と栄華を誇る俸給貴族も、パーシバルのダウス家のような領地貴族から見れば、どこか砂上の栄光に映る。
それはともかく、彼らの会話の中で耳に引っかかった言葉があった。
──「女の騎士」。
あの赤の隊の指揮は、女騎士なのか?
「申し訳ありません、隊長。いま、あの赤隊の長が女だと仰いましたか?」
パーシバルが思わず声をかけると、隊長は振り向いて笑った。
「おう、パーシバルか。あれはモーリア伯爵家の娘、シャングリアだ。事情があって現在は休養中だが、月に一度こうして演習に顔を出すのだ」
「先程、見違えるようだと評価されておられたと思いますが?」
「ああ、聞こえてしまったか。まあそうだ。少し前までは騎士団のお荷物とまで言われたのは確かだ。だが、いまや誰よりも生き生きとしている。休職中なのが惜しいくらいだ」
「そうなのですね」
パーシバルは軽く眉を上げた。
モーリア伯爵家といえば、西方領主域でも有力な領主のひとつだ。
西方域は、南部域と同じく、まだ領主貴族が残っている地域であるが、タリオ公国との国境に接する地に勢力を築いているため「辺境域」とも称する。
その辺境全体を統べるのはマルエダ辺境候だが、モーリア伯は「傭兵王」の異名を取るほどの武辺者として知られていた。
しかも、現当主は剣の才に加えて商才にも長け、軍需品や交易で莫大な資産を築いたと聞く。
その家の娘が、あの赤隊の先頭に立っているのか……。
パーシバルは無意識のうちに、その女騎士に視線を追わせた。
赤布を風に翻しながら馬上で号令を飛ばす姿は、勇ましさの中にひときわ艶を帯びていた。
鎧越しにもしなやかな身体の線がわかり、髪の隙間から覗く横顔に、女の色気がかすかに混じっている気がした。
「もともと、素質はあったが、気の強さが災いして、動きがひとりよがりだった。だが今日はよく周りを見ている。先頭に立つが突出はしない。理想的な指揮だ」
副長も続けた。
モーリア家のシャングリア嬢か──。
会うのは初めてだが、その名は王都に来てから何度か耳にした。
美貌では知られているが、男勝りのお転婆だという話だ。
とにかく気が強く、男嫌いで、絶対に男を寄せつけないとも聞く。
パーシバルは、そのときは他人事のように聞き流していたが、いまこうして戦場で彼女の姿を見ていると、不思議と胸の奥がざわめいた。
噂の女騎士──あれが、モーリア家のシャングリア。
その名を意識した瞬間、彼の中で何かが目を覚ました。
パーシバルの男としての血が騒いだ。
そんな女を落としてみたいと思ったのだ。
アーネの一件では、家長である伯父にも迷惑をかけたが、なんとか片をつけてもらった。
ただし、今回面倒を看る条件として、パーシバルは早く身を固めろという条件をつきつけられた。
いつまでも独身で遊んでいるから、こんな騒動を引き起こすのだと、伯父にはさんざんに説教もされた。
そう考えると、シャングリアといえば、パーシバルの結婚の相手として申し分ないのではないかと思えてくる。
男嫌いだということは、変に男に染まっていないということだろう。
相手のモーリア伯爵家としても、侯爵家の一族であるパーシバルとの婚姻に不服はないはずだ。
なによりも、シャングリアは大変な美貌だという。
そんな女を妻にするのは、パーシバルの男としての箔がつくというものだ。
もっとも、シャングリアの美しさが、せめて噂の半分でも真実であった場合の話だ。
パーシバルほどの男が妻にするのだ。
それなりの美貌でなければ、その資格はない。
眼下では、二度目の馳せ違いが開始されていた。
やはり、シャングリアと思われる騎士が先頭に立ち、赤隊が先に突っ込み、青隊を蹴散らした。
それで終わりだった。
青隊は完全に分断し、まだ馬上に残っている騎士も数騎単位に散っている。
隊長が横の部下に指示を出し、騎士隊がぶつかっている練兵場に白い布を繋いだ石を投げ入れさせた。
演練の終了を告げる合図だ。
それぞれの隊が丘のこちらへ引き上げてくる。
シャングリアと思われる騎士もウマを操って近づいてきた。
ただ、まだ兜を被っているので顔は見えない。
「シャングリア、素晴らしい動きだった。よかったぞ」
近づいてきた赤隊の指揮官──シャングリアに、隊長が大きな声で言った。
すると、シャングリアがさっとウマから降り、兜を取った。
白銀の髪が陽光を弾き、滑るように肩へと流れ落ちた。
パーシバルは、思わず小さく声をあげてしまった。
白銀の髪──端正な顔立ち──すらりとした体形──。
どれをとっても、パーシバルの想像を遥かに越えた美しさだった。
なによりも、醸し出す不思議な色香に心を奪われた。
先日別れた田舎娘にはない、艶やかさがあった。
風に揺れる髪の光沢が目を射る。
そのわずかな仕草だけで、パーシバルの胸の奥が熱を帯びる。
整った顔立ちと所作が練兵場で際立っていた。鼓動が速まるのを自覚する。
「どうだ、シャングリア。騎士団に正式に戻らんか? いまのお前なら、一個隊を預けたい」
隊長がシャングリアに声を掛けた。
「戻らん。大伯父との約束で席は置くが、月に数日演練に顔を出すだけだ。もう冒険者として身を成すと決めた。申し出は嬉しいが」
シャングリアが柔らかく笑う。
穏やかで、どこか優しそうな印象だった。
噂に聞いた勝気な女騎士とは異なり、むしろ人の温もりを感じさせる笑みであると、パーシバルは思った。
鎧の縁をかすめる光が頬の線を淡くなぞり、まるで陽が彼女だけを包み込んでいるように見えた。
「俺も同じ気持ちだ。少し前までのお前は、反骨が先に立ち、気構えが空回りしていた。いまは周りを見る余裕がある。功名心の焦げ臭さもない。本当に見違えた。戻ってくれるなら心強い」
副長の声にも、どこか感慨の響きがある。
「評価は嬉しいが、それでも戻らん。仲間がいるからな」
「そうか。気が変わればいつでも言え。いまのシャングリアなら、皆も喜んで指揮に従うだろう」
冒険者──その言葉に、パーシバルは眉をわずかに動かした。
モーリア伯爵家の娘が、よりにもよって冒険者を名乗るとは。
領主貴族であれ、俸給貴族であれ、貴族というのは、領地を治め、あるいは、軍や騎士団に仕えるのが定めだ。
それを捨てるというのは、家名と誇りを同時に投げ捨てるに等しい。
理解できない。しかし、その理解できなさに、妙な好奇心を刺激される。
パーシバルは一歩前へ出た。
シャングリアが気づき、静かに視線を向ける。
その目は澄んでいるが、底に鋼の光を宿している。
なるほど、気の強そうな目をした女だ。だが、こういうタイプほど、男の力量を見せれば態度を変える。力の差を悟った瞬間、女は従順になるものだ。
また、間近で見る顔立ちは、噂よりも整っていた。
男嫌いと聞いていたが、実際には違う。
むしろ、強い男に従う機会を持たず、強がりで埋めているだけだ。
いずれ気づくだろう──パーシバルの前でなら、その強さなど無意味だと。
そして、その美貌が自分に向けられる日も遠くはない。
パーシバルには、そう確信できるだけの理由と自信があった。
「シャングリア殿。最近、王軍騎士団に加わったパーシバルです。ダウス侯の一門。よければ一騎討ちで、お手合わせ願いたい」
「手合わせ、か?」
シャングリアの長い睫毛がほんの少し伏せられる。
その仕草さえ艶めいて、パーシバルは喉の渇きを意識した。
パーシバルには狙いがあった。
男勝りの女には、本物の力を見せればいい。
とりわけ自分より強い男に、強く惹かれるものだ──そういう経験を彼女に刻むつもりだ。
「ここで拝見して、見事な采配でした。是非に稽古を。ご心配なく、手加減はいたしますよ。女のあなたに怪我はさせません。どうか」
「手加減だと」
シャングリアの声が低くなり、明らかに怒気がこもった。
眉がぴくりと動き、視線が鋭く突き刺さる。
「それとも、怖いですか?」
パーシバルは、わざと挑発した。
その言葉が空を切った一瞬、明らかに周囲の空気が張るのがわかった。
「まさかな」
吐息のような一語──
次の瞬間、シャングリアの表情が切り替わる。
口角がわずかに上がり、目元に鋭い光が宿った。
怒りが表に出たというのに、どこか愉しげで、その二重の相が美しさをさらに濃くした。
「いいだろう。そこまで言うなら相手をしよう。ただし──後悔するな。殺しはしないが、手脚の骨くらいは覚悟しておけ」
シャングリアの手がウマのたてがみにかかる。
身体が弾み、シャングリアが再び馬上となった。
鞍に身を収めるまでの動きはしなやかな一条の線であり、まったく無駄がない。
また、今度は兜がない。白銀の髪が陽にほどけ、肩へ滑り落ちる光の流れが視線を奪う。
パーシバルは息を忘れた。
怒りをまとった彼女の横顔は刃のように凛として、同時に柔らかな艶を放っている。
自分ほどの男がすでに魅せられているという自覚が、鼓動をひとつ強く打たせた。
「はっ」
シャングリアがウマに声を掛け、練兵場に向かって、ウマを駆けさせた。
一方で、パーシバルの合図を受けた従士が、ウマを引いてきた。
その手綱を受け取り、パーシバルもウマに跨がる。
「おい、シャングリアは強いぞ。一対一なら、この隊で敵う者は少ない。あまり怒らせると、腕の骨では済まんかもしれんぞ、パーシバル」
副長が冷やかすような口調で言った。
「まあ、見ていてくださいよ……。これも僕なりの口説き方というものなんです」
パーシバルの言葉に唖然となった隊長たちを置いて、練兵場の中央へ向けてウマを駆けさせた。
中央付近で、すでに待っていた馬上のシャングリアとぼく向かい合う。
場の空気が一瞬で変わった。
さっきまでざわめいていた騎士たちが、息を潜めて見守る。
二騎が正面で止まる。
互いの視線がぶつかる。
鎧の金属が光り、白銀の髪が風に揺れた。
「おい、パーシバル── 一騎討ちをしてやる。その代わり、負ければわたしを女だと侮ったことを、皆の前で謝れ」
シャングリアの声が響いた。怒りを含んでいながら、凛としていた。
「ならば僕が勝ったら、一日、お付き合いください。女としてね、シャングリア嬢」
その一言に、周囲の空気が凍りついた。
「な……なに?」
シャングリアの目が見開かれる。
だが、次の瞬間、パーシバルのウマが動いた。
馬腹を蹴り、抜剣の音が重なる。
訓練用ではないパーシバル自身の剣だ。
距離が一気に詰まる。
シャングリアも咄嗟に剣を抜いた。
金属がぶつかり合い、甲高い音が場に響く。
一瞬、二騎の影が交差した。
次の瞬間、一本の剣が宙を舞った。
飛んでいったのは、シャングリアの剣だった。
落ちる音と同時に、パーシバルの剣先が彼女の喉元に止まっている。
「参った……ですね、シャングリア嬢? デートしてもらいますよ」
パーシバルは馬上で口元をゆるめた。
勝利を確信した笑みだ。
馬上で硬直する彼女の顔を、パーシバルは静かに見据えた。