【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
大勢の人間が後ろからついてくるのがわかった。
その中には、エリカも、コゼも、シャングリアもいるだろう。無論、あの貴族のお坊ちゃん──パーシバルも。
だが、人の波に押し流されて、もう誰がどこにいるのか、はっきりとは見えない。
ギルド本部の表に出たところで、袖を引かれた。
ミランダだった。
「ロウ、正気なの? すぐに決闘なんてやめなさい。あたしが適当に言いくるめてあげるから」
ミランダの声は、怒鳴るでもなく、怯えていた。
それほどまでに、本気の忠告だった。
「問題ないよ。俺は決闘したいんだ」
一郎は小さく笑った。
「いいから、言うことをききなさい──。あのパーシバルは、シャングリアに一撃で勝った男よ。剣の腕であんたが敵う相手じゃない。勝ち目なんか、万にひとつもないわ」
「ひどい言いようだな。万が一かどうか見てなよ……。それより、その腰の短剣を貸してくれないか? エリカに頼もうと思ったが、剣より短剣がいい。剣は使ったことないしね」
「剣を使ったことがないのに、決闘を受けるの? しかも、相手はシャングリアが簡単に負ける相手でしょう」
「それでも、男にはやらなきゃ、ならんときがあるんだ」
一郎はうそぶいた。
すると、ミランダに強く腕を掴まれた。
顔を見ると、泣きそうな顔になっている。
「……だったら、あたしを代理にしなさい……。あたしがパーシバルとやるわ」
ミランダの声が震え、目尻には涙が光っている。
一郎は目を細め、彼女の心をそっと覗いた。
恐れと焦り──、さらに純粋な心配──。
淫魔術で触れることができるミランダの心は、そんな感情でいっぱいだった。
「短剣を貸してくれ。そして、立会人になってくれ……。決闘というのは、そういうものが要るんだろう?」
「冗談じゃないわ……。あたしに、あんたが殺される決闘の立会人をしろというの?」
ミランダが一郎を睨みつける。
一郎は、淫魔術を使って、静かにミランダの中にある心の不安を沈めた。
心を操るのではなく、感情を操るのだ。
女たちの感情に意図的に触れようとすると、不思議とその内側が見える。
目の前にいるミランダの胸の奥で、細い糸のような光がいくつも交差しているのを感じるのだ。
どれが「恐れ」で、どれが「怒り」で、どれが「喜び」なのか──それがなぜか感覚としてわかる。
指先でそっと触れるように、その線を撫でれば、ひとつの感情が静まり、別の感情が息を吹き返す。
心そのものを支配するのとは違う。ただ、流れを整えるだけだ。
そうすることで、暴れた感情の波が、少しずつ平坦になっていくのである。
柔らかな手で撫でるように、ミランダの激しい感情を整えていく。
ミランダの呼吸が落ち着いていくのがわかった。
まだ一郎を睨んではいるが、腕を握っている手からは力が抜けた。
一郎は、そのミランダの手に触れ、一郎の腕から離させる。
「大丈夫だ……。それよりも短剣だ。それとも、俺に武器なしで戦えってか?」
一郎はわざと微笑みを作った。
ミランダが諦めたように息を大きく吐き、腰の短剣を抜いて、鞘ごと一郎に手渡す。
「ロウ様」
「ご主人様」
「ロウ──」
人の囲みの中から、エリカとコゼとシャングリアが現れた。三人とも蒼ざめている。
「ロウ様、決闘なんてやめるんです──。あんな男とまともに戦う必要はありません──」
エリカがミランダ以上の剣幕で怒鳴る。
嘆息とともに、一郎は同じように、淫魔術でエリカの心を鎮めようとした。
だが、今度はなかなか、平坦にならない。
尖った感情がエリカから消えていかないのだ。
「心配するな。遊びだよ、遊び……。ちょっと、あのお坊ちゃんをからかうだけだ」
一郎はエリカをなだめた。
だが、エリカは引き下がりそうにない。一郎の前に立ちはだかってどこうとしなかった。
「ロウ、パーシバルは本当に強い──。お願いだ、やめてくれ」
シャングリアも泣きそうな声で訴えてきた。
「だから、問題ないって……」
「馬鹿を言うな──。お前が剣を握っているのを見たことなどないぞ──」
シャングリアが怒鳴る。
そして、耳元に口を寄せてくる。
「……もしも短銃を使うつもりならだめだ。あれは密かに横流ししているが、軍以外が使うのは御法度だ。こんな聴衆の前では使えないぞ……」
シャングリアは小さくささやく。
「わかっている。これで戦うよ」
一郎はミランダから受け取ったばかりの短剣を見せる。
だが、女たちは蒼い顔のままだ。
すると、今度はコゼが進み出てきた。
一郎は苦笑した。
「お前も決闘を止めるか? 誰がなんと言おうと、俺は引かないからな」
一郎は断言した。
コゼがぬっと前に出て完全に一郎との距離を詰めた。彼女の動きは小さく、客のざわめきに紛れる程度の音しか立てない。
ほぼ密着状態のコゼの右手の指先に、小さな細身のものが光っている。
見れば、まるで虫ほどに小さい針だ。
「……毒針です。誰にもわからないように、あいつに刺します。一瞬で弛緩しますので、ご主人様はすかさず斬りつけてください。遅れると、急に倒れたようにしか見えないので、見逃さないでください」
コゼが唇の端だけで囁くように伝えてきた。
「お前たち、いい加減にしろ──」
一郎は肩越しにそう吐いて、ミランダたちの手を振り払った。
そして、強引に、しかし乱暴にならない程度の力で押しのけ、広場の真ん中へ進み出た。
腰のベルトには、ミランダから借りた短剣が鞘ごと差してある。
前に出ていたパーシバルと距離をとって向かい合う。
「ロウとやら、いまのうちに謝れば許してやる。命を落とすことはあるまい。正式な決闘のもとでの戦いなら、どちらが死んでも罪には問われんのだ」
パーシバルが大声を上げた。
「ああ、そうかい……。じゃあ、始めようよ」
一郎は立会人になったミランダに合図を送ろうとした。
だが、それをパーシバルが遮るような動作をする。
「まあ、待て。こちらが求めるのはただひとつだ──。僕とシャングリア嬢への謝罪、そして分不相応な交際をやめることだ」
「ふたつじゃないか……。とにかく、却下だ。俺はお前を許すつもりはないしね」
一郎は軽口を言った。
すると、パーシバルが呆れたという感じで、大袈裟に肩を竦めた。
改めて、パーシバルと向かい合う。
周囲の空気が熱を帯びていくのがわかった。
一郎は自分自身が武術の素人であることを知っているが、冒険者たちの目には、難関クエストを次々に成功させている勢いあるパーティのリーダーとして映っている。
一郎が弱いなどと考える者はいないだろう。
一方で、パーシバルは王軍の騎士らしいし、そのパーシバルと一郎の決闘ともなれば、格好の見世物に違いなかった。
「本当に決闘に応じるつもりなのか……? 悪いことは言わん。僕は強いぞ。分不相応な恋愛を諦めればそれでいいんだ」
「さっきから、分不相応な付き合いって繰り返すのは、シャングリアのことか? お前、シャングリアに相手にもされてないんだぞ。それがまだわからんのか、色男?」
一郎がからかうように言うと、パーシバルの顔が怒りで真っ赤になった。
だが、それでも剣は抜かない。
──なるほど、そういう仕様か。
一郎は目を細めた。
そういえば、一郎が以前に持っていた剣も、斬りつける寸前に抜かないと効果がない魔剣だった。
「必撃の剣」という名だったな。
あの剣にも、随分と世話になったものだ。
「……立会人は、このミランダが務める。この戦いは法に定められた正式の決闘である。いずれかが死んでも、誰もそれをとがめてはならない」
ミランダが群衆の前へ出て宣言した。
パーシバルが腰の剣に手をかける。
一郎も静かに腰の短剣に手を添えた。
「早く始めてくれ……」
一郎が低く言う。
「はじめ──」
ミランダの声が広場に響いた。
その瞬間、一郎は静かに短剣を抜いた。
同時に、パーシバルの方から焦ったような声が上がる。
「な、なんだあ──? 剣が……抜けない──」
鞘から剣を必死で引くパーシバルの腕が空しく震えている。
──当然だ。
パーシバルの剣の柄と鞘の境目には、一郎の粘着液が塗り込められていた。
冒険者ギルドの広間で、最初の小競り合いで一郎が剣に触れた──そのときに、実は一郎は剣が抜けないように、粘性体を仕込んでいたのだ。
パーシバルは自分が仕掛けられたことなどまるで気づいてなかったようだが……。
しかも、挙げ句の果てに、決闘を自分から仕掛けてきたのだ。
一郎は、笑いをこらえるのに必死だった。
「ま、待て……これは……おかしい、剣が……」
パーシバルは慌てふためている。
一郎は、短剣を抜いたまま、静かにパーシバルとの距離を詰めた。
そのあいだも、パーシバルはなんとか剣を抜こうともがいている。
やがて、完全に距離がなくなった。
パーシバルは目の前だ。
「参ったと言え……。でなければ、俺はお前の顔にこの短剣を突き立てる」
一郎はパーシバルの顔に短剣を突きつけた。
パーシバルの顔には、絶望の色が走っている。
「ま、待て……これはなしだ。僕の剣が抜けないんだ」
「なら、死ねよ──」
一郎は淡々と答えた。
短剣を振りかぶる。
「ひいいいっ──。ま、参った……負けだ……許してくれ……」
パーシバルが悲鳴をあげ、尻もちをつく。
一郎は短剣を振りおろして、パーシバルが剣を吊るしていた腰紐を切断した。
剣が地面に落ちた。
すぐに剣を取り上げる。
同時に淫魔力を使い、粘着液の痕跡を消し去る。
これで証拠隠滅だ──。
「ミランダ、短剣を返すよ」
一郎はミランダに歩み寄り、短剣を差し出した。
「ロウの勝利と認めるわ──」
短剣を受け取りながら、心から安堵したように宣言した。
瞬間、広場に大きな歓声が沸き起こった。
一郎に人の波が寄ってくる。
その中に、エリカ、コゼ、シャングリアの姿もあった。
「ロウ様」
「ご主人様──」
「ロウ、ああよかった」
三人が駆け寄ってくる。
そのうち、真っ先に抱きついてきたのはシャングリアだった。
感情の起伏の激しい女だ。勝敗が決した瞬間に、張りつめていたものが一気に溢れたのだろう。
「……屋敷に戻ったら、改めてお仕置きだ。覚悟しておけよ、シャングリア」
一郎が耳元でささやく。
「う、うん……」
シャングリアは顔を真っ赤にして頷く。
そのとき、背後から大きな声が飛んできた。
「ま、待て。いまの戦いは無効だ──。こいつは魔道を使った。特別に両者が合意しない限り、決闘で魔道を使うのは重大な犯罪行為だ」
声の主はパーシバルだった。
剣を失ったまま、怒りと屈辱で顔をひきつらせている。
「知らんな。証拠でもあるのか」
一郎は淡々と答え、口の端をわずかにゆがめた。
決闘で魔道を使うのが禁じられているとは知らなかったが、すでに粘着剤は跡形もなく消えている。
証拠など、どこにも残ってはいない。
「ふざけるな。告発する。王軍の衛士隊に正式に訴えてやる」
パーシバルが指を突きつけた。
「決闘に負けたくせにうるさい男だな。……そもそも、魔道が禁止なら、お前の剣はどうなんだ。これは魔剣だろう。どんな者が使っても、一流の剣士に化けられる代物だ。それを使うのは、罪にならないのか」
「ど、どうしてそれを……」
パーシバルの顔色が変わった。
だが、次いで、しまったという表情になった。
思わず口走った感じであり、はっとしたように口をつぐむ。
「魔剣?」
横にいたミランダが目を見開いた。
「まあな」
一郎はミランダに、その魔剣を手渡す。
実のところ、一郎は、最初からわかっていた。
魔眼の力で覗けば、パーシバルが身につけているものも、本当の実力も瞬時に明らかにできるからだ。
鎧も、篭手も、剣も、こいつの武具も武器も魔道具だった。
それらが、この男を“強者”に見せていたにすぎない。
しかも、武具の力を取り除けば、パーシバルという人間は、ただの虚像だった。
一郎の魔眼が示す戦士レベルは〈レベル1〉。
剣を失ったいまの彼には、虫を払うほどの力しかない。
正直、一郎は自分よりも劣る戦士レベルの相手に初めて触れた気がする。
──だが、考えてみれば、だから、剣に細工をされたことに気づかなかったのだろう。
剣の柄に粘着液を塗られても、察知できぬほど鍛錬が足りぬわけだ。
「ねえ、ロウ、これが魔剣なの?」
一郎からパーシバルの剣を渡されたミランダが首を傾げている。
「ああ、魔剣だな。これがあれば、誰でも勝てる。俺でもシャングリアに一騎打ちで勝てると思うぞ」
「……だ、だけど、あたしには魔道の気配なんて感じられないわ。本当にそうなの? もしそうなら、パーシバルの方こそ決闘法違反じゃない」
ミランダが剣を手にしたまま、訝しげに首を傾げている。
なるほど、と一郎は思った。
この剣には、並の者では感じ取れぬほど高位の魔道が施されているのだろう。
他者には魔力の気配を隠し、使い手だけがその恩恵を受けられる──そういう類の武器だ。
おそらくパーシバルは、自分の実力を隠すために、この剣を「普通の武具」と装っていたのだ。
ミランダが半信半疑のまま、ゆっくりとその剣を抜いた。
「わっ──。確かに魔剣だわ。抜いた瞬間に、あたしに力がみなぎってきたわ」
ミランダが驚きの声をあげた。
そして、目を吊り上げてパーシバルを睨む。
「パーシバル、あんたは決闘で、相互の合意なく魔剣を使ったのね。あんたのやったことこそ、決闘法で禁じられた犯罪よ」
「ま、待て……。い、いや……。ち、違う……」
パーシバルはしどろもどろになった。
どうやら、魔剣を使っていることが誰にも知られないという自信があったようだ。
それをあっさり一郎に見抜かれたことで、完全に動揺している。
そのとき、一郎の前に出る影があった。
シャングリアだ。
頬に怒りの紅を浮かべ、目は炎のように燃えている。
「パーシバル。お前はずっと魔剣を使っていたのか。さては王軍騎士団の訓練でもそうだったのだな。騎士団では、魔剣や魔道具の使用は、ご法度だということを知っているはずだ」
シャングリアの声が広場に響く。
「えっ、そうなの?」
コゼが横から首をかしげる。
「そうだ。魔道具は能力を引き上げるが、敵に魔道士がいれば簡単に逆に操られる。集団戦では味方に害を及ぼす危険物として、騎士団では固く禁じられているのだ……。それにもかかわらず、お前は平然と使っていたのだな」
シャングリアはさらに声を強めた。
「そ、そんなことは……」
パーシバルが後ずさる。
「違うというなら、わたしともう一度立ち合え──。わたしの剣を貸してやる。お前が魔道の助けではなく、自分の力で勝てるというのなら、わたしの剣でも勝てるはずだ」
シャングリアが剣を抜き、パーシバルの足元に投げた。
「ぼ、僕は……」
パーシバルは、すでに立ちあがっていたが、その剣を拾おうとはしなかった。
代わりに、逃げ場を探すように後ろを振り返る。
だが、周囲の冒険者たちが取り囲み、退路を塞いでいた。
「エリカ、剣を」
シャングリアが手を差し出す。
「殺しちゃだめよ、シャングリア……。あとが面倒になるから」
エリカが苦笑しながら剣を渡した。
その剣は、シャングリアが普段使う重剣よりもずっと細身のものだ。
「シャングリア、気をつけろ。パーシバルの鎧も魔道具だ。斬っても効かないと思う」
一郎が静かに告げた。
「そうか……。なら、武具そのものを斬らなければいいだけだ……」
シャングリアが薄く笑った。
次の瞬間、細剣が閃き、パーシバルの胴を留める紐を二度続けて切り裂いた。
「うわあっ」
悲鳴とともに、鎧が外れ、胴巻きが地面に落ちる。
「もういっちょだ」
シャングリアは尻もちをついたパーシバルの腰垂れの紐を断ち切った。
防具が次々と外れ、パーシバルの体から滑り落ちていく。
「ひ、ひいっ」
みっともなく尻を押さえ、パーシバルは後退した。
もはや恥も外聞もない。必死に逃げ出そうとする。
「待たんか、卑怯者──」
シャングリアが追いすがり、パーシバルの腕を掴む。
上段から剣を振り下ろすように動いた。
「きゃあああ」
女のような悲鳴が上がる。
シャングリアの剣は、パーシバルのズボンを下着ごと引き裂いていた。
「ひいいいっ、助けてくれえ──」
布切れを押さえながら、生尻を晒して、パーシバルが逃げていく。
その滑稽な姿に、広場がどっと笑いに包まれた。
「二度とわたしにもロウにも、王軍騎士団にも近づくな──」
シャングリアが怒声を浴びせる。
その背後で、一郎は小さく息を吐いた。
いずれにしても、こうして王都ギルド前の決闘騒ぎは幕を閉じた。
「それなりに大騒ぎにはなったが、こんな茶番じゃあ、歴史に残る決闘にはならないだろうな」
一郎は苦笑した。
「でも、格好よかったです」
すると、コゼが一郎の腕に飛びつき、まるでネコのように、一郎の腕に頬をすり寄せてきた。