【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
167 第一王位継承者の焦燥
【ロウに関する記録】──。
イザベラが、シャーラが手渡してきた「刻符」に魔力を注ぐと、木符が静かに崩れて消えて、空中に淡い光文字が浮かびあがった。
第三王女にして、第一王位継承者であり、十六歳のイザベラは、いまや王宮で孤立しており、真に信頼を置ける相手はこのシャーラというエルフ女ひとりだ。
ほかには、十人の専属侍女たちがいるが、全員が年若く、しかも、下級貴族出身ばかりであり、平民階級の出の者までいる。
「信用」はできるが、実家にも本人たちにも力はなく、「信頼」はできない。
シャーラは表向きには侍女長として仕えているが、実際にはイザベラ直属の護衛であり、密かに諜報を担っており、王宮で敵ばかりのイザベラにとっては、唯一無二の存在だ。
また、「刻符」というのは、見た目はただの樫の木の木片であり、エルフ女王国とも称されるナタル森林国出身の彼女が実家で使っていたものを持ち込んだものである。
木肌には微細な符紋が刻まれており、指定の波動魔力を与えると、符紋が淡く光を放ち、記された文字情報を空間に投影する仕組みだ。
それ以外の者が触れても、ただの木片にしか見えず、奪われても秘密が漏れることはない。
この刻符を文字にする魔道波を知っているのは、イザベラとシャーラだけである。
今回、シャーラに命じて探らせたのが、ロウが所属する冒険者ギルドにある個人記録だ。
何度催促しても、あのミランダがのらりくらりと言い訳をして持ってこないので、シャーラに潜入させて入手したのが、この記録ということだ。
【ロウに関する記録】
・年齢35歳
・出身地不詳
・外見:人間族。黒髪、中肉中背
・家族構成:不明
・ドロボーク西境の城郭にて入国手続き ××月××日
・王都ハロルドにて冒険者登録 ××月××日
・冒険者ランク:
・所属する冒険者パーティにおいてリーダー登録
構成員
──エリカ(エルフ族・女・18歳)
──コゼ(人間族・女・20歳)
──シャングリア=モーリア(人間族・女・22歳)
・特筆すべき功績:なし
以上
「なんだ、これは……なにも功績なしか」
イザベラは思わず笑ってしまった。
「ギルドにあったのは、これだけでした」
シャーラが静かに頭をさげる。
「おかしなことだな。ギルド側に功績の記録がないのに、
「ミランダに、なに事情があるとしか……」
シャーラとミランダは仲が良い。
だから、シャーラは困惑気味だ。もちろん、今回の裏調査をミランダに教えることは禁じた。
「まあいい。記録以外でわかったことは? 息のかかっておる貴族とかはおるのか? 懇意にしておる高官とかは?」
「申し訳ありません。手を尽くしましたが、たいしたことは掴めませんでした。あとは、実際にやったクエストの情報だけです」
シャーラが申しわけなさそうに頭を下げた。
「ミランダが取るに足らぬと判断して、正式記録に上げていない成功クエストだな……。あのドワフ女め……。なにを考えて、ギルド長であるわたしに報告を隠すのか……」
イザベラは舌打ちした。
いずれにしても、ギルド構成員についての記録については、職員が意図的に改ざんすることは許されてない。
ロウについては、ある程度の噂は集めさせたのだから、優秀な冒険者だということはわかっている。
もちろん、成功クエストの情報も掴んでいる。
驚いたのは、その功績がすべて記録から抹消されているということだ。
ロウを連れてこいと指示して以来、ずっとミランダの態度はおかしかったから、シャーラにギルドの記録に潜入させて入手させたところ、今回の情報の齟齬に辿り着いたということだ。
「わたしからはなんとも……。ミランダを呼び出して訊くしかないかと……」
「まあ、そのつもりだ。……わたしとしては、ロウという冒険者がキシダインと繋がりを持っていないという絶対の確信ができれば、それでいいのだがな」
イザベラは小さく息をつき、光文字にもう一度視線を向ける。
「それについてですが、わたしには、信用できる相手ではないと思ってます……。その、ちょっと問題が……」
シャーラは少しばかり言い淀んだ。
「問題? やはり、キシダイン派の息がかかっている可能性があるのか?」
「それについては、その可能性はないと思います。キシダイン卿との繋がりの形跡は皆無です」
「だったら、なぜだめなのだ? 冒険者であるからか? だが、シャーラ自身が冒険者出身ではないか」
イザベラは笑った。
もともと冒険者ギルドに属する冒険者だったシャーラをイザベラに紹介したのは、姉である第二王女エルザだった。
当時、エルザは「王族からギルド長を出す」という古い慣習により、王都冒険者ギルドの形式上の長を務めていたが、二年半前、タリオ公国の大公に嫁ぐことが決まり、その座を妹のイザベラに譲っていた。
そのとき、エルザがイザベラのもとに連れてきたのがシャーラだ。
シャーラは、一介の冒険者にすぎなかったが、冷静で判断力に優れ、なによりも、絶対にイザベラを裏切らない誠実さをエルザが保証した。
王宮内にほとんど後ろ盾を持たぬイザベラにとって、そんな人材は喉から手が出るほど貴重だった。
エルザは「侍女としてイザベラの傍に置け」と助言し、イザベラもその言葉に従った。
姉エルザは、女にしておくのが惜しいほどに有能で、どんな人物よりも信頼できる存在だった。
だから、イザベラは迷わずシャーラを迎え入れた。
そしていまでは、シャーラは侍女であると同時に護衛であり、さらにイザベラの命を受けて諜報や工作も担っている。
十六歳の若さで王女という肩書を持たなければ、ただの小娘にすぎないイザベラにとって、彼女は数少ない、絶対に信頼できる者のひとりだ。
「冒険者として優秀であることは、集めた噂だけでも十分にわかります。裏切りのような卑怯なふるまいも耳にしません」
「十分ではないか。わたしには信頼と信用のできる部下がもっと必要だ。この歳でまだ死にたくはないしな」
イザベラは小さく笑った。
そもそも、第三王女であるイザベラが第一王位継承者に定められているのは、姉ふたりに王位継承の最低条件が欠けていたためだ。
ハロンドール王家では、代々、国王にしか扱えぬとされる国宝級の宝具──〈王授の杖〉や〈封命の玉璽〉など──を用いて国事を執り行う。
これらは象徴ではなく、王権を証明するための魔道具であり、魔道力が弱いのは問題ないが、魔道の素質を全く欠く者は駄目なのだ。
ゆえに、王位継承者には、血統とともに、「魔道力を保有していること」が絶対に必要となる。
イザベラの父である、現王ルードルフには、三人の娘がいる。順に、二十三歳のアンとエルザ、十六歳のイザベラである。
ただし、母は全員違う。アンは王妃アネルザの実子、エルザは庶子、イザベラは下級貴族の娘である。エルザとイザベラの実母はすでに死別していた。
本来であれば、第一王女アンこそが第一王位継承者となるのが順当だった。
王妃アネルザの娘にして、名門マルエダ辺境候家の血を引く正嫡なのだから、誰も異を唱える者などいなかっただろう。
だが、アンには魔道力がまったくなく、本人の希望で早々に王位は放棄していた。
アンは正妃アネルザの実子でありながら、幼少のころから一度も魔力の兆候を示さず、〈王授の杖〉を握っても、宝具は沈黙したままだった。
エルザもまた、庶子ながら才覚に優れ、政務にも通じていたが、やはり魔道の素質を持たず、王家の儀式で宝具を動かすことができなかった。
そのため、両姉は早々に継承権を放棄し、第一王女アンは王族籍を保ったまま、貴族キシダイン卿に嫁ぎ、第二王女エルザはタリオ公国の大公へ政略結婚で送られた。
結果として、幼少よりわずかとはいえ確かな魔道力を示していたイザベラが、実質的な第一王位継承者とされたのである。
だが、形式上の「王太女」には、いまだ任じられていない。
それは、現王ルードルフ──イザベラの父が、優柔不断で決断を避け続けているからだ。
ルードルフ王──。
即位してすでに十数年以上が過ぎるが、イザベラから見ても有能な王とは言い難い。
政務にはほとんど興味を示さず、しかも、男女を問わぬ好色ぶりで知られている。
その情欲のままに多くの愛人を抱えて、後宮で日々を過ごすのが常で、王政の実務はほとんど、王妃アネルザ任せだ。
それだけの女好きでありながら、側妃を持たず、愛妾とのあいだに子も作らないのは、王妃アネルザに頭が上がらないからである。
実際、公務のほとんどをアネルザに丸投げし、その代わりに、アネルザの機嫌を損ねぬよう、イザベラ以外に王位を継承できる子がいないにもかかわらず、さらに子をもうけることは避けている。
彼なりの均衡なのかもしれないが、王としてはあまりに情けない姿だ。
どれほど政務に関心がないかといえば、王位について十年以上になるのに、いまだ正式な王太子を指名していないほどである。
決めねばならぬことを先送りにし、結果として王宮全体の混乱を招いている。
その日和見が、いまの王家の争いを生んだ。
そして、その混乱のただ中に立たされているのが、ほかならぬイザベラだ。
即ち、イザベラは第三王女にして、第一王位継承者ではあるが、まだ王太女ではない。
つまりは、イザベラが死ねば、王位継承が繰り上がる者がいるということだ。
その筆頭が姉であるアン王女の夫のキシダイン=ハロルド公だ。
ほかに王位継承権を持つのは、王叔父グリムーン公爵の息子と孫がいるが、事情があり、実質的にはイザベラかキシダインのどちらかが王位を継ぐことになるだろう。
キシダイン=ハロルド公──。
彼が王位継承第二位なのは、特殊な事情がある。
彼は、もとはタリオ公国内の侯爵家の血を引く外様の貴族であり、前王セリオンが側妃セレナと共に王宮へ迎え入れた連れ子である。
のちに王命により正式な養子とされ、一代限りの新設公爵位「ハロルド公」を授けられた。
王都ハロルドと同じ名を冠する公爵号は、本来なら王族にしか許されないものだ。
血統的には王族ではないにもかかわらず、ハロルド公を与えられたのは、前王からそれだけの寵愛をされた証拠である。
そんな異例の存在──それがキシダイン卿である。
とはいえ、その立場だけでは王位継承者にはなれない。
彼が継承資格を得たのは、第一王女アンとの婚姻によってである。
王妃アネルザが推し進めた「共同継承制度」によって、血統を持つが魔道力を持たないアンと、公族籍を持つキシダインが、ひと組の王位共同継承者として登録されたのである。
アンは王位を継承するための魔道を持たないが、それを夫であるキシダインが補うという理屈だ。
王妃アネルザの実子は、第一王女のアンしかいない。
アネルザは、それを王の養子となったキシダインに、アンを嫁がせることで、アンの王位継承を復活させたのである。
アンが妻であるかぎり、キシダインはアンとともに第二位の王位継承権を持ち、逆に言えば、アンと離縁するか、失踪するか、あるいは死ねば、その瞬間にキシダインの資格は消滅する。
だが、婚姻である限り、キシダインは王位継承の資格を得るのである。
しかし、当然ながら、王族の血を引いていないキシダインが共同継承とはいえ、王位を継ぐなどあってはならないことだ。あれは、タリオ公国の出身なのだ
王太女となるべきなのは、イザベラに決まっている。
にもかかわらず、父王ルードルフの優柔不断ゆえに、イザベラは王太女に指名されないままなのだ。
王妃アネルザをはじめ、彼女の実家であるマルエダ家、そしてアンの夫キシダインが、その決定を妨げている。
キシダインは、野心家で自信過剰な男だ。
自らを「次代の王にふさわしい」と公言してはばからず、実際にその支持者は少なくない。
王妃アネルザもまた、娘アンを共同継承者の座に据えるため、夫の王を操ってキシダインを後継に推している。
マルエダ家をはじめとする大貴族の多くが彼らの後ろ盾となり、いまの王宮ではキシダイン派が圧倒的多数を占めていた。
それに比べ、イザベラに味方する者はごくわずかだ。
王位の座を狙うキシダインにとって、イザベラの存在は障害以外のなにものでもない。
イザベラさえ“事故”で死ねば、共同継承第二位のキシダイン夫妻が繰り上がるのである。
実際、ここ最近のイザベラの周囲では、暗殺未遂が相次いでいる。
いまや彼女の身を守っているのは、姉エルザが残していったシャーラただひとりである。
それで、イザベラが目をつけたのが、一介の冒険者にすぎぬ男──ロウであった。
シャーラのときと同様に、信頼のできる部下をギルドから青田買いしようということだ。
我ながらいい案だと思った。
彼は登録して間もない新人ながら、王都三神殿の筆頭巫女が陥った危難を鮮やかに解決し、一躍その名を知られるようになった。
短い活動期間にもかかわらず、記録されたクエスト成功の数と内容は、凡百の冒険者をはるかに凌ぐ。
ならず者の集まりと揶揄されることの多い冒険者の中にも、一騎当千の実力を持つ者は少なくない。
要は、人となりさえ見極めれば、信頼に足る人材を得ることもできる──それを示す最たる例こそ、ほかならぬシャーラ自身だ。
だからこそ、イザベラはロウという男に、強く興味を抱いた。
政治的な打算ではなく、直感に近い興味もあった。
もしこの男が本当に噂どおりの力量を持ち、なおかつ信義をわきまえる人物であるならば──いまの自分にとって、これ以上の味方はいないかもしれない。
「とにかく、そのロウという男を引き込むにはどうしたらいいかだ……。もっとも、ミランダがロウの功績を隠したりしてなければ、もっと早く存在を知れたのだろうがな」
イザベラは、不満を隠すことなく鼻を鳴らした。
ミランダに、ロウという男を連れてこいと命令をして、すでに一か月以上が過ぎている。
会うべきではないの一点張りで、面談はいまだに実現していないし、数日前にも強く催促したが、ロウは急病だと返事が来た。
絶対に嘘に決まっている。
つまり、ミランダがロウという男に肩入れしているということだ。
それならば、なおのこと興味が湧く。
あの生真面目で融通の利かぬミランダが掟を犯してまで庇う男──。
そこまでさせるほどのなにかを、この男は持っているのだろうか。
いずれにしても、その真偽は、実際に確かめるしかない。
イザベラは指先で刻符の残光をなぞるように眺めながら、小さく息を吐いた。
燭台の炎がわずかに揺れ、光文字が影のように壁に反射する。
もう外は暮れかけており、窓の外の空には薄い群青が沈みつつある。
王都の塔鐘が遠くで六つ鳴り、いまがちょうど日没の時刻だと告げていた。
「……とにかく、ロウ個人について、どのような能力を持っているか不明か?」
「武芸にはあまり堪能ではない、というのがわたしの調べの評価でした。そのため、主に短銃を使っております。武芸の心得がなくとも銃は扱えますし……腕前はそこそこ、というところでしょうか。ただし──」
「短銃だと? 王軍以外の者が持つのは禁じられているはずだろう」
イザベラは、シャーラの言葉の途中で口を挟んだ。
「はい、形式上はそうですが、実際にはあまり守られておりません。闇商人や退役兵の手を経て流出した銃が少なくないようです。とにかく、銃の扱いに関しては、素人ではないようです」
「ふむ……。となると、武芸に不向きというより、別の戦い方を心得ているというわけか。……で、“ただし”と言ったか?」
「はい……。その評判を覆すような出来事がありました。王軍騎士パーシバルの件はお聞き及びですか、姫様?」
「パーシバル?」
イザベラは記憶を辿った。
「ダウス侯爵家の一門の男です。先日、禁止されていた魔道具を武具として長く使用していたことが判明し、王軍の騎士団を追放されました」
「おお、あの事件か──。思い出した。そういうのがあったな」
「そのきっかけを作ったのが、ロウです。話によれば、パーシバルはロウの目の前で、あのシャングリア嬢に言い寄ったとか。それで口論になり、決闘騒ぎに発展したようです」
「決闘? パーシバルとシャングリアがか?」
シャングリア──モーリア伯爵家の一門の女騎士だ。
男勝りの武勇で知られ、しかも筋金入りの男嫌いとして名を馳せている。
その家の一族の美貌の女騎士が一介の冒険者の愛人となった──そんな艶聞を知らぬ者は王都にはいない。
「違います。決闘をしたのは、パーシバルとロウです。しかも、得物はパーシバルが剣、ロウが短剣。当時、パーシバルが禁忌の魔道剣を使っていたことはまだ知られておらず……ロウは、その相手に短剣一本で立ち向かったのです」
「ロウがか? それで?」
「パーシバルが剣を抜くより早く、ロウはその喉に刃を突きつけたそうです。見ていた者の話では、電光石火の早業だったとか。……まあ、不確かな情報ではありますが」
「魔道剣を持った相手に、短剣で? まさか──。ならば、ロウも魔道剣を使ったのではないか?」
「いえ、ロウは自分の武器を使っておりません。普段の得物は短銃ですが、その時はミランダの短剣を借りたそうです。調べたところ、普通の短剣で、しかも多くの見物人がいたため、虚報とは思えません」
「ますます、興味深いな。いずれにしても、わたしはミランダから、ロウが病だとずっと説明されておった。それも、やっぱり嘘だったのだな」
イザベラは苦笑した。
ミランダの病の言い訳は嘘だとわかっていたが、これで確たる虚報の証拠として、ミランダを追い詰められる。
「病どころか……。パーシバルだけでなく、長く王軍と神殿の双方で手配されていた闇魔道士ザーラの捕縛にも協力したようですよ」
「……あの事件もロウが関与しているのか?」
イザベラは思わず息をのんだ。
闇魔道士ザーラの名は、もちろん耳にしている。
王都外縁の貧民街に潜伏していた女魔道士で、禁忌の術を用い、金で暗殺を請け負っていた。
捕らえられたのはつい先日のこと。
神殿魔道士隊が実行にあたり、王軍すら手を焼いていた凶悪犯だった。
操りの魔道に長け、捕縛しようとした者を操って逃げおおせる──そんな怪物を、長年誰も捕らえられなかったのだ。
「そのザーラを直接仕留めたのがロウたちです。第二神殿の報告によれば、捕縛の際、ロウが決定的な働きをしたと」
「……ほう」
イザベラは感嘆の息を漏らした。
ますます、ただの冒険者ではない。
ロウという男──いったい何者なのだろう?
信用に足ると見極められれば、ぜひ自分の家人に引き入れたい。
いまの自分には、信頼できる者があまりに少なすぎるのだ。
もしも、この男が味方となってくれるなら──。
エリカ、コゼ、シャングリア──。
いずれも絶世の美女だという。
だが、素性がはっきりしているのはシャングリアだけ。
エリカはエルフ族で、ロウと共に入国したところからしか記録が残っていない。
コゼにいたってはさらに不明瞭で、冒険者登録以前の経歴は完全に途絶している。
シャーラのこれまでの報告では「逃亡奴隷の可能性あり」ということだった。
シャングリア──彼女のことはもちろん知っている。
モーリア伯爵の養女にあたる女騎士で、男顔負けの武勇と強情な気質で知られている。
だが最近では、王都の一角で、ロウという男に破廉恥な行為を強いられていたという目撃が相次いでいる。
それでも、彼女はその男に心底惚れているらしい。
これまでの調査で、三人の女についても、しっかりと把握していた。
「……ところで、あれの噂は本当か? スクルズとベルズのことだ」
イザベラが声を潜めて言った。
「スクルズ様とベルズ様のことというと……そのふたりが、ロウという男と男女の仲にあるという噂のことでしょうか?」
「そうだ」
イザベラはゆっくりと頷いた。
スクルズとベルズといえば、神殿の敬虔な筆頭巫女であると同時に、王都でも屈指の魔道遣いとして知られる存在だ。
そのふたりが、先日の事件をきっかけにロウの女になった──そんな信じがたい噂が、王都の上層でも囁かれている。
「確証はありませんが、否定もできません。ふたりがロウやその仲間と親しいのは事実です。ただ、転移術を使われるので、夜に神殿を抜け出しても見つけるのは難しいでしょう」
「……やはり、かなりの実力者であることは確かだな。しかも、周りに集まっている女が一流だ。一流の女は、つまらぬ男は相手にせぬ……。よし、決めたぞ、シャーラ。わたしはこのロウを家人にする」
「そのことですが──最初に申し上げるべきでしたが、賛成いたしかねます」
「そういえば、さきほどもそんなことを言っておったな。理由を聞こう」
「この男は、希代の女たらしです。それも、見境がありません。どんな女でも手を伸ばすと聞きます。話半分に聞いても、姫様が近づくべき相手ではございません」
「むしろ好都合だな」
イザベラは小さく笑った。
「えっ……? いま、“好都合”と仰いましたか?」
シャーラが目を瞬かせる。イザベラはゆるやかに微笑んだ。
「見境がないというなら、わたしでも構わぬということだろう? ならば、利用のしようはいくらでもある」
「……どういう意味ですか、姫様?」
シャーラの眼が大きく見開かれた。
「この男が、わたしに興味を抱くにはどうしたらいいか──そのことだ」
「は、はあ……?」
シャーラが困惑の声をもらす。
イザベラは唇の端を吊り上げて笑った。
「たとえば、胸が大きくなければいかんとか、痩せていなければならんとか、人間族でないと駄目だとか……そういう好みのことだ」
「えっ、そういう話ですか……?」
「エリカは完璧な曲線美で胸は大きめで髪は黄金。コゼは小柄で幼い体つき、胸は控えめ、髪は黒。シャングリアは鍛え抜かれた肢体に白銀の髪、背丈はやや高め……。もしミランダもロウの女だとすれば、あのドワフ族まで受け入れる男ということになる」
イザベラは愉しげに顎へ指を添えた。
「ちょっ……お待ちください、姫様、まさか──」
「つまり、見境がないというのは、わたしにも希望があるということだな。立候補しようと思う」
「……姫様、いま、立候補とおっしゃっておられるように聞こえますが?」
「ふふ。まあ、わたしもシャングリアほどではないが、そこそこ見られる美人だと思うがのう。スクルズは穏やかな栗毛、ベルズは烈しい赤毛──。だが、誰もわたしの黒髪ほど長くはあるまい。腰まで届くこの髪、ロウとやらも興味をそそらぬか? しかも、王族だ」
イザベラは自慢の漆黒の髪をすくうように撫でながら、余裕の笑みを浮かべた。
「えっ……? そのような方向に興味を向けられても……」
「報告を聞いて、ますますロウという男を部下にすると決めた。ついては、わたしもロウの女になろうと思う」
「な──なにを仰っておられるのです?」
「ロウは女好きの一方で、クロノスの傾向があるという。だが、自分の女は大切に扱うようだ。ならば、女として取り込むのがいちばん手っ取り早い。……政治も恋も、駆け引きは同じことだ」
「姫様──」
シャーラが蒼ざめて何かを言いかけた、その瞬間──。
扉が叩かれ、外から侍女の声が響いた。
「姫様、ミランダ副長が、面会を願っております」
シャーラの声は遮られた。
「呼び出しておったが、やっとミランダが来たようだ……。ここに連れよ」
イザベラが外に声をかけた。
ほどなくして扉が開き、ミランダが入ってくる。
「ひ、姫さ……いえ、ギルド長、ミランダです」
おずおずと名乗り、深く頭を下げた。
その表情には、すでに自分が呼び出された理由を察しているような緊張が走っていた。
「ミランダ、そんなに硬くならなくてもいいわ。こっちに来て座ってよ……」
シャーラが優しく言った。
かつて同じ冒険者仲間として幾度も危険を共にした間柄であるし、いつもは、イザベラも交えて気さくに会話もする。
しかし、今日はそうはいかない。
イザベラは手を上げて制した。
「座ることは許さん。そこに立っておれ」
短い言葉に、ミランダの動きが止まる。
シャーラは息をのんでイザベラを見たが、王女は視線を返さなかった。
「ロウの件だ」
イザベラが静かに告げた。
その声は低く抑えられていたが、室内の空気がわずかに震えた。
ミランダの背筋が自然と伸びる。
「ええっと……ロウの件と申されますと……」
「黙れ──。お前は、あの男が病で休養中だと言っておったな。その“病人”が、王軍騎士パーシバルの不法を暴き、さらに闇魔道士ザーラの捕縛にも関与したと聞く。どういうことだ──」
沈黙が流れた。
ミランダは唇を噛みしめ、やがて小さく息を吐いた。
「嘘をつくつもりはありませんでした。あのふたつは確かにロウたちの功績ですね……。正式な記録に加え、報奨金も手配しております。ギルドにとっても大きな……」
「誤魔化すな──。報奨の話は要らぬ。なぜ、わたしに偽りを言ったのかと問うておる」
イザベラは椅子から立ち上がった。
その指先が机上の魔道装置に触れる。
次の瞬間、ミランダの足もとに淡い光が走り、格子状の魔道の檻が立ち上がった。
「な……」
ミランダが息を呑んだ。
「姫様、どういうおつもりですか?」
シャーラも立ち上がり、慌てて声を上げる。
「シャーラも黙れ──」
イザベラは怒鳴った。
シャーラは言葉を失い、ただミランダとイザベラを見つめた。
「ミランダ。お前はロウのことを隠し、わたしを欺いた──。罰として、ロウに与える強制クエストの餌になってもらう」
ミランダの目が揺れた。
「……餌、ですか?」
「そうだ。ロウを試す。お前を囚われの身として知らせ、助けたければクエストを受けよと伝える」
「クエストとは?」
ミランダは光の格子の中で眉をひそめた。
イザベラは杖を手に取り、真っすぐにミランダを見た。
「ロウに与える強制クエストは……わたしの夜這いだ」
部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
「よ、夜這い──?」
「ええっ?」
シャーラが凍りついたように息を止め、ミランダも唖然となっている。
「王宮の衛兵と魔道師の警備を突破して、わたしの寝所に来る。さらに、わたしの処女を奪う。これが、ロウへの強制クエストだ。そして、ミランダを解放する条件だ」
淡々とした声でイザベラは告げた。
「ばかなことを……。姫様、お考え直しください。そんなことを告げれば、ロウは来ます──。本当に夜這いに来てしまいますよ」
ミランダはきっぱりと言った。
「姫様……もちろん、本気ではないですよね?」
シャーラも驚いている。
「もちろん本気だ。ロウがそれを成し遂げれば、わたしはその男を家人として迎える。もし尻込みするようなら、それまでの男ということだ」
「いやいやいや、いくらなんでも……」
シャーラはイライザをなだめるように近寄ってくる。
イザベラは、それをまたもや手で制する。
「やかましい。これは試しだ──。文句は言わさん。決定事項だ──」
イザベラの声が鋭く遮った。
その手が軽く杖を振ると、檻の光がわずかに強まり、ミランダの頬を照らした。
「ミランダ、指輪を外せ。魔道の使用を封じる」
ミランダは無言で指輪を外し、光の格子越しに差し出した。
イザベラがそれを受け取り、小箱にしまいこむ。
「そして、いま着ているものをすべて脱げ。上から下までだ。下着もだ。心配はいらん、ここにいるのは女だけだ」
ミランダは目を見開いた。
「姫様、それはやりすぎです。そんな命令は……」
シャーラも顔を強張らせた。
「黙れ、シャーラ。言ったはずだ。これは餌だ」
イザベラはゆっくり杖をミランダに向けた。
光が杖の先に集まり、細く鋭く輝く。
「……早く脱げ、ミランダ。それとも、魔道で無理にでも脱がせてやろうか」
その声には怒りでも激情でもない、冷ややかな決意があった。
ミランダが唇を噛む。
「……王家を侮るな、ミランダ……。わたしが本気を出せば、心も体も縛る術はいくらでもある。だが、これはせめてもの慈悲だ。自ら全裸になれば、余計な苦しみを味わわずに済む」
イザベラは、わざと声を冷たくした。
その目をそらさず、抵抗するミランダを見据える。
ミランダの喉がごくりと鳴った。
魔力の格子の中の空気がぴんと張り詰め、誰も動けなくなった。