※この作品はR-18です。

【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】   作:ドン・ドナシアン

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168 老公の愚痴と鏡の召喚

「いやあ、筆頭巫女のベルズ殿のお顔を久しく拝しておらなんだ。今日は診を受けに参ったついでに、少しばかり愚痴をこぼしたくてな」

 

 ラングーン公爵は苦笑を浮かべながら、夫人は静かな微笑みを浮かべて、ベルズの向かい側にゆっくりと腰を下ろした。

 第二神殿の来客用の応接室である。

 ベルズは、ラングーン公爵夫妻の訪問を受け対応をしていた。

 紅茶を運んだ巫女はさがらせたので、部屋はベルズとラングーン公爵夫妻の三人である。

 

 白髪を丁寧に撫でつけたその老公は、王族の中でも数少ない穏健派であり、政から退いても民に慕われている。

 評判の悪い者ばかりの王家のなかで、いまや唯一の良識人と呼べる存在だった。

 

 また、その隣のフラントワーズ夫人は後妻となる。

 子爵家の出で、まだ四十五歳で公爵とは三十以上の歳の差がある。

 聡明で知的な女性だが、実家はすでに財を傾けかけていて、彼女を迎えたのもラングーン公が援助の手を差し伸べるためだと聞いている。

 淡い金髪をまとめ、深紅の薄衣を纏う姿は、年齢を感じさせぬ気品があった。

 

「ご機嫌麗しく、ベルズ殿。殿は、こう見えてもあなたのお話ばかりなさっておりますの」

 

「ありがたく存じます。御霊前の慰霊も、毎月欠かさず務めております」

 

「うむ、感謝しておる。息子たちも、ようやく静かに眠っておろう。……歳を取るとな、死んだ者のことばかり思い出す。わしもそろそろ爵を返上し、年金だけを寄進に回すつもりだ」

 

 老公の声には、諦念というより穏やかな安らぎがあった

 ふたりの公爵──ラングーン公と、もうひとりのグリムーン公は、すでに死去した前王セリオンの王弟であり、現在のルードルフ王の叔父にあたる。

 王家の血筋はいま、ルードルフ王とその妃アネルザ=マルエダ、第一王女アンとその夫キシダイン、第三王女イザベラ、そして目の前のラングーン公夫妻、さらに王叔父グリムーン公とその妻、子、孫たちによって構成されている。

 

 かつては華やかであった王族も、いまではこの数えるほどの面々を残すのみ。

 ラングーン公は早くに息子家族を相次いで失い、表の政務からも遠ざかっている。

 それ以来、政治や社交の場に出ることはほとんどなく、いまは静かな余生を送っているという印象だった。

 

「お加減はいかがですか。先月の治療で痛みは和らいでおられたと伺いましたが」

 

 ベルズは、向かいのソファに腰を下ろしているラングーン公夫妻に紅茶を勧めながら言った。

 

「うむ、胸の方はよい。神殿の薬も魔道もよう効く。……だが、治らんのは王家の恥の痛みの方でな。陛下の話をするだけで悪化する」

 

 老公は胸に手を当てて笑い、すぐに眉をひそめた。

 政事から退き、いまや権力の座には遠い身であるが、その分、言葉は辛辣だ。

 ベルズは苦笑した。

 

「陛下のことを案じておられるのですね」

 

「そうよ。あれでも甥だからな。だが、わしの説教を嫌がって、後宮から出てきもせん」

 

 老公はかすかに項垂れた。

 その瞳に宿る陰りに、ベルズは言葉を選ぶ間を置いた。

 王の無能ぶりは誰もが知っているが、筆頭巫女がそれを肯定するわけにはいかないだろう。

 王の不在を補うように、政務の多くは王妃アネルザが握っており、いまや市民のあいだでも「実質の女王はアネルザ陛下」というのが常識になりつつある。

 

「陛下にご進言を?」

 

 ベルズは言った。

 政事には口を出さない方なので、甥とはいえ、ラングーン公がなにかを進言するのは珍しいだろう。

 

「いまは神殿が担っておる病床治療や平民への教育についても、いずれは王国で制度を立てるべきだと進言したのだ。だが、説教と聞くとすぐ顔をそむけ、次からは後宮から出てこなくなった。王妃に話を通そうにも、わしにはもう伝手がない」

 

「なるほど」

 

 ベルズは静かに頷いた。

 神殿は医療と教育の両輪を担う機関だ。

 貴族階級には王立の学舎があるが、地方では神殿が平民学校の役割を果たしている。

 読み書きや作法だけでなく、子らの中から魔道の素質を持つ者を見出して育てるのだ。

 それは信仰であると同時に、国家の維持そのものだった。

 ただ、神殿は王国には属さない。総本山は旧ローム帝国帝都にある大神殿であり、ベルズたちは形としては、大神殿にいる法王猊下に従っている。

 

「陛下には、もう少し広く民の声を聞くべきなのだ。神殿の務めが増えすぎれば、支えきれなくなる日も来る」

 

「神殿はできる限りのことをいたします」

 

「そうであろう……。だが、国の形を守るには、神殿は王国の機関ではない。信仰の場だ。信仰は神殿。恵民は王国であるべきよ。王家はそれを忘れつつある」

 

「神々もわたしたちも、民を見放しません。民が神にすがるかぎり、導きに務めます」

 

「うむ、そう言ってくれると救われる。……だが、王家の乱れは目に余る。兄のグリムーン公など粗暴そのもので、民を顧みぬ。息子は薬物に溺れ、女遊びに狂って王宮からも神殿からも追放された。後継ぎは三歳の幼児だが、家中は荒れ放題だ。しかも、ルードルフは知らぬふり。王族の恥よ」

 

「お立場ゆえ、さぞお辛いことでしょう」

 

 ベルズはそれだけを言った。

 

「それに、あれはいつまで経っても王太子を定めぬ。もう年も年だ。早くキシダイン公に決めるべきなのだ」

 

 ベルズは思わず顔を上げた。

 老公があのキシダイン卿を推すとは意外だった。

 彼のことを深く知るわけではないが、恵民の精神とは遠い、権力志向の強い人物という印象を持っている。

 

「キシダイン公が、次の王にふさわしいとお考えですか?」

 

「イザベラには味方がおらん。それでも、王位を望むのは責任感かもしれんが、それでは王は務まらん。あれには力がない」

 

「イザベラ殿下は、まだ十六ですし。力を備えるのは、これからでしょう」

 

「もう十六だ……。王になるには力がいる。味方をする者がな。イザベラにはそれが欠けている」

 

「力は……キシダイン卿がお持ちですね」

 

 ベルズは言った。

 キシダインの妻は、王妃アネルザの実子であるアン王女だ。

 次の王位がキシダイン公とアン王女の共同継承となれば、アン王女は大人しく、王政を動かす器ではない。

 実質の王はキシダインになるだろう。

 

 それでも、王妃アネルザは、娘の存在によってキシダインを後継に据えるはずだ。

 アネルザの実家は領主貴族のなかでも最大のマルエダ辺境候であり、キシダインは本来タリオ公国の血筋を引く。

 キシダイン王が誕生すれば、タリオ公国と王国の結びつきはいっそう強まるだろう。

 この数年、タリオ公国の流通発展の勢いは凄まじく、蜜月を歓迎する者は王国にも多い。

 多くはキシダインの味方をするにちがいない。

 

「そうよ。キシダイン公であれば、うまく王家をまとめるであろう。力なき者が王位につけば、淘汰される。わしはイザベラの葬儀には出たくないのだ」

 

 老公はそう言って、膝の上に置いた手を見つめた。

 その表情は、怒りではなく、遠くを見つめるような憂いを帯びていた。

 

「……殿下の未来も、神々が見守っておられます。どうか、お疲れをお溜めになりませぬように」

 

 ベルズは静かに言った。

 すると、ラングーン公が薄く微笑む。

 

「おぬしらの祈りがあるだけ、まだこの国は持ちこたえておる。……まったく、情けない話だ。わしなど、せめて毎月ここで治療を受け、寄進をするくらいしか能がない」

 

「まあ、あなた。寄進などとおっしゃいますが──そのお金がどれほど多くの者を救っているか、ご存じないのでしょう?」

 

 隣にいたフラントワーズ夫人が穏やかに言った。

 落ち着いた声だったが、その眼差しには確かな誇りがあった。

 

「んっ、そうか?」

 

「わたくしもたまに、神殿の孤児院の報告を目にいたしますの。公の寄進がどれほど尊いものか、ぜひお聞かせくださいませ、ベルズ様」

 

「ありがたいお言葉です、フラントワーズ夫人。公のご厚志は、各地の貧民院や学徒の学資に充てられております。あの孤児たちも、公の名を口にして感謝しております」

 

「ほう、それは初耳だ。……あの子らの中から、将来立派な神官が育つとよいがな」

 

 ベルズは微笑んだ。

 彼が寄進の使い道を尋ねるのは、純粋な好奇心からであって、見栄ではない。

 そんな貴族は、王家の中ではもはや希少だった。

 

「それにしても、王都の空気は少し明るくなったな。あの悪名高い魔道遣いザーラを捕らえたと聞いた。第二神殿の働きとあって、民のあいだでも評判だ」

 

「恐縮です。第三神殿のスクルズの協力もあったのです。とにかく、王都の平穏を取り戻せました」

 

「そうか……。その捕縛には、ロウとかいう冒険者も関わっていたと耳にしたぞ。実力のある人物らしいな」

 

「ええ、神殿に協力的な方です。あの件も、彼の助力がなければ成しえなかったでしょう」

 

「なるほど……。その名は、三巫女の件にも上がっておったな。あれは偶然か、あるいは神の導きか」

 

「神々の御心に沿って動かれたのだと思います。少なくとも、いまの王都には必要な方です……。ともかく、神殿としても、秩序の回復と民の安心のために全力を尽くします」

 

「うむ。……筆頭巫女殿の言葉には力がある。やはり、そなたたちがいてこそ神殿が保たれておるのだろう」

 

「恐れ入ります。でも、わたしたちは務めを果たしているだけですので」

 

「その務めの中に、あの男もおるのではないか……? さっきのロウ殿という男のことだ」

 

 ラングーン公の声音にはからかいではなく、探るような柔らかさがあった。

 ベルズは思わず、指先に力をこめてしまう。

 

「ロ、ロウ……殿ですか?」

 

 自分の声がわずかに裏返ったのがわかり、胸がどきりと鳴った。

 

「ああ、なかなか風変わりな人物だと聞く。だが、わしは嫌いではない。筆頭巫女といえども、恋をしていかんという話はあるまい」

 

「恋──」

 

 その言葉が耳に刺さった瞬間、頬が熱くなるのをベルズははっきりと自覚した。

 視線を上げることができず、思わず紅茶のカップに目を落とす。

 

「クロノス大神と五人の女神が毎夜愛し合うのは神殿でも語り継がれておる。神々ですらそうなのだ、人の世に禁ずる理由などあるまい」

 

 熱が引かないのを悟り、ベルズは唇をきゅっと結んだ。

 

「……お戯れを。わたしはただ、神の御心に仕える身にすぎません」

 

「いや、真面目に申しておる。人も神も、愛を知ってこそ祈れるのだ」

 

 ベルズは言葉を失い、掌を静かに膝に置いた。

 するとフラントワーズ夫人が、やわらかな笑みを浮かべたことに気がついた。

 ベルズは夫人に視線を向けた。

 

「愛を知る者の祈りは、きっと神々にも届きましょう。心を閉ざすより、開いた方が光は差すものですわ」

 

 その穏やかな言葉に、ベルズの胸が一瞬、強く脈打った。

 老公の冗談めいた探りはさておき、いまの夫人の視線には曖昧な含みがあった。

 ──まさか、ベルズたちとロウの関係が、すでに……?

 そんな考えがよぎり、背筋がわずかに粟立つ。

 

「……それぞれの関係が、よいものであることを祈っておるよ。神々の加護のもとに」

 

 ラングーン公がそう言い、夫妻はゆっくりと立ち上がった。

 扉が静かに閉じ、香草と薬煙の香りだけが部屋に残る。

 ベルズは長く息を吐いた。

 老公の言葉の余韻と、夫人の微笑の中に、奇妙な熱が胸に残った。

 それが神へのものか、あるいは──自分の心に宿るものなのか、彼女自身にもわからなかった。

 

 夫妻を見送ったところで、ベルズは扉の外に控えていた若い巫女を呼んだ。

 

「この後の午後の予定はなにか入っておるか?」

 

「はい、ベルズ様。……祈祷室と病床室の定期視察が入っております。あとは書類確認です……」

 

「なら、視察は第二神官に任せる。書類は執務室か?」

 

「書類箱に優先順に置いております」

 

「わかった。じゃあ、もうここはいいぞ。急ぎの用件が入れば、魔道鈴を鳴らしてくれ」

 

 巫女が深く頭を下げるのを見届けてから、ベルズは執務室をあとにし、自室へと向かった。

 石床を踏む足音が、いまになってどっと重さを帯びて聞こえる。

 老公の言葉の余韻と、ロウの名を出されたときの熱が胸の奥にまだ残っていた。

 自室に入ると、扉を閉め、ひとつ息を吐いた。

 

 来客対応用の巫女服から、もっと軽い服装に着替えようと思い、ベルズは姿見を兼ねた鏡台の前に立ち、髪飾りに手を伸ばした。

 そのときだった。

 いきなり、鏡面が水面のようにゆらりと揺れた。

 

「……え?」

 

 光が歪み、鏡の奥から人影が抜け出る。

 次の瞬間、ベルズの目の前に、スクルズが現れた。

 

 この鏡台は、表向きはただの姿見だが、実際には〈移動ポッド〉として機能している。

 移動ポッドとは、あらかじめ転移術式が刻まれた高等魔道の設備であり、魔道師の介入なしに瞬時の移動を可能にする装置だ。

 王都でもその存在を知る者はほとんどいない。

 この装置のことを知っているのは、ロウ、ベルズ、スクルズたち──つまりは、ロウの身近な女たちだけである。

 

「すまないわ、ベルズ。大変なことになったの。すぐ来て」

 

「スクルズ……? その格好はなんだ──?」

 

 ベルズは思わず目を見開いた。

 スクルズは巫女服ではなかった。

 裸身の上に薄いガウンをひっかけただけの姿であるのが明白で、肩口からは白い肌が覗いている。

 肌はうっすらと汗に濡れ、頬は上気し、額には乱れた髪が張りついていた。

 なんという格好だ──。

 

「なにをしていたんだ、お前は……。それと、大変とはなんのことだ? もしかして、ウルズに、なにかあったのか」

 

 ウルズの世話は、王都内に小屋敷を用意して、ベルズとスクルズで分担して行っていた。

 小屋敷は、もともとスクルズが見つけた空き家を買い取って準備したものであり、神殿の目を避けるため、登記上の名義も偽装している。屋敷妖精のブラニーが常駐し掃除や食事の世話をしているのだ。

 

「来ればわかるわ。説明している暇がないの」

 

 スクルズが一歩、鏡台の前に踏み出し、ベルズの手首を掴んだ。

 冷たい指先に魔力の感触が走る。

 

「ちょ、ちょっと待て。いまは神殿の執務中だぞ。勝手に──」

 

 ベルズの言葉を遮るように、スクルズはもう片方の手を伸ばし、ベルズの頭に触れた。

 その指が髪の根元をつまみ、するりと一本を抜く。

 

「痛っ──なにを──」

 

 短く息を呑む間もなく、スクルズは抜いた髪を握ったまま、焦ったように顔を近づけた。

 

「いいから、こっちに」

 

 有無を言わせぬ声とともに、ベルズの身体がぐいと引き寄せられる。

 背中が鏡面に触れた瞬間、冷たいものに全身を飲み込まれた。

 

「うあっ──」

 

 かすかな浮遊感と耳鳴りがして、足元の感覚が途切れる。

 次に地の感触を取り戻したとき、ベルズは神殿の自室にはいなかった。

 

 視界が開ける。

 そこは、王都の小屋敷──ウルズの世話をしているあの中庭のある家……ではない。

 もっと広かった。

 

 石造りの柱が何本も立ち並び、天井は高く、壁には魔道灯が等間隔に灯っている。

 ひんやりとした地下の空気。

 ロウたちが暮らしている郊外の屋敷、通称幽霊屋敷の、その地下広間だった。

 

「ああ、本当に来たのか。忙しくなかったんですか?」

 

 前方から聞き慣れた声がした。

 広間の中央にいたのはロウだ。

 片手には見慣れない魔道具が握られている。

 金属と水晶を組み合わせた細い紐が、掌ほどの箱のような装置につながっており、紐の先端が微かに光を放っている。

 箱の表面には数列の魔術文字が浮かび上がり、まるで生き物の鼓動を映すかのように明滅していた。

 

「ロウ殿か……? これはどういうことだ?」

 

 ベルズは訳がわからずに訊ねた。

 

「どういうこととは……どういうこと? スクルズはなにも説明を?」

 

 ロウはきょとんとしている。

 

「説明もなにも、いきなり執務中にここに強引に連れてこられたのだ。どういうことなのだ? いや、スクルズ、どういうことだ?」

 

 ベルズはロウ、次いで、スクルズに視線を向ける。

 

「問題ありませんわ、ロウ様。ベルズは働き過ぎなんです。息抜きさせないと」

 

 隣でスクルズがにこにこと笑みを浮かべながら、さらりと言った。

 また、ベルズがスクルズに視線を向けたとき、スクルズの手に、いつの間にか小さな白い人形が握られていることに気がついた。

 布で作った簡素な人形だが、形は人の身体を模している。

 

 そして、はっとした。

 あれは、確か、闇魔道師のザーラの捕物に参加をしたときに、ザーラが作った『淫呪の人形』ではないだろうか。

 証拠品として機関に提出したはずだが、どうしてここにあるのか──?

 

「お前なにをしておる──。あの呪術の人形をなぜ持っているのだ」

 

 怒鳴ろうとして、ベルズはスクルズが、その人形になにかを魔道で刻もうとしていることに気がついた。

 ベルズは眼を見張った。

 勘違いでなければ、スクルズが人形に刻もうとしているのは、さっき抜いたベルズの髪の毛ではないだろうか?

 

「スクルズ、お前──」

 

 抗議したときには、自分の身体が完全に硬直したのがわかった。

 全身がぴたりと固まる。

 

「な……」

 

 声は出た。

 だが、足も手も動かない。

 腕を持ち上げようとしても、まるで身体そのものが自分のものではないようだった。

 

「問題ないわ、ベルズ。大丈夫よ」

 

 スクルズがにこにこと微笑みながら言った。

 

「……ベルズは、問題がまったくないという様子じゃないけど?」

 

 声がした。

 コゼだ。

 視線だけを向けると、部屋の隅にコゼが座り込んでいた。

 それだけではなかった。

 エリカも、シャングリアも同じ場所にいて、三人ともぐったりとした様子で脱力している。

 肌には汗が光り、乳房と股間だけを大きな布でなんとか覆っている状態だった。

 

 ベルズは言葉を失った。

 また、彼女たちのいるそばの壁には、大きな張り紙があり、記号と数字が並んでいる。

 それはともかく──いったい、これは、なんの集まりなのだろうか。

 いや、そもそも、ベルズはどうして連れてこられたのか……?

 

「じゃあ、ロウ様、じっくりと計測してあげてください」

 

「お前たち、いいかげんに──。なにを勝手にしているのだ──? とにかく、わたしはまだ公務の途中だ。魔道を凍結するのもやめろ、解け。すぐにだ。聞いているのか、スクルズ」

 

「まあまあ、ベルズ、そんなに怒らないでよ。ロウ様がわたしたちの身体の測定をしたいとおっしゃっているのよ。少しの時間なので、お願いよ」

 

 スクルズが人形をロウに手渡してからベルズに近づいてくる。

 くすくすと笑いながら、ベルズの巫女服にスクルズが手をかける。

 

「や、やめんか、スクルズ」

 

 ベルズは叫んだ。

 だが、手脚はもちろん、首さえも動かない。

 スクルズがベルズから巫女服を剥ぎ取るために、留め具と紐を外してベルズの腕をとって片袖を抜く。

 すると、ロウが手に持っている人形──それの手が同じように勝手に動くのが見えた。

 本当に完全に連動している。

 ベルズはぞっとした。

 

「や、やめろ、スクルズ……」

 

 布が滑り落ち、白い肌に冷気が触れた。

 瞬く間に、儀礼衣の下に隠していた下着だけの姿になった。

 ベルズが身につけている下着は、この国の令嬢たちが身につける典型的なものであり、胸も腰も厚手の絹布で丁寧に包まれているものだ。

 胸元からみぞおちまでを幾重にも布で巻き、背には結び紐を通して形を整える。

 透けはしないが、光を受けると下にある肌の色が淡く滲んでいる。

 

「改めて見ると、随分と布が多いな。下着というよりは服だな。だが、俺は不満だ」

 

 ロウがゆっくりと視線を下ろしながら笑う。

 

「不満……と言われても……」

 

 ベルズは息を詰めた。

 

「俺の女は全員、もっと隠さない布で統一している。布で隠すより、結びで従わせる方が美しいからな。スクルズ、ベルズのこの手の下着は、全部没収してこい。これからは、俺が渡すものしか許可しない」

 

「わかりましたわ、ロウ様」

 

 スクルズは軽く一礼し、魔道の光とともに姿を消した。

 

「な、なんのつもりだ……勝手なことをするな──」

 

 本当に下着を没収しに行くのだと悟り、ベルズは声を上げた。

 だが、反論の響きは石壁に吸い込まれた。

 スクルズの気配はもうなく、ロウだけが静かに残っていた。

 

 ロウが片手を上げると、空気がかすかに震えた。

 すると、なにもない空間からふたつの小さな布片と細紐が形を結ぶ。

 

「これがベルズがこれから身につけていい下着だ……。紐パンとブラだ」

 

 ロウが手に出現させたものをベルズの前にかざす。

 それは──下着というより、小さな布と紐だけのものだった。

 腰の部分は指ほどの幅しかない紐が一本、そこに薄い三角形の布がひとつ縫い留められている。

 色は白──。それが“紐ぱん”か?

 

 もうひとつは、細い紐で繋がれた二枚の小布で、胸の形に沿うように曲線を描いている。

 そっちは“ぶら”と呼んだものだろうか?

 

 どちらも滑らかな光沢を帯びた絹製で、縁には銀糸が細く縫い込まれていた。

 形も繋ぎ方も、この国の衣類には存在しない構造だ。

 

「これが……下着、なのか?」

 

 ベルズは息を詰めて見入った。

 あまりに華奢で、実用性を疑うほどだ。

 壁際にいたシャングリアが笑いを含んだ声を上げた。

 

「それは、慣れないうちは恥ずかしいが便利だぞ。動きやすいし、洗うのも楽だ。──それに、ブラってやつはもっといい。すごい発明だ」

 

「ぶ、ぶら……。もしかして、乳房に当てるのか?」

 

 ベルズが聞き返すと、シャングリアは軽く肩をすくめた。

 首は動かないが、視線の方向なので彼女たちは見える。

 

「胸を支えるための布だ。最初は信じられなかったけど、これがあると姿勢も変わるし、動いても形が崩れない。剣を振るときも楽だ」

 

 シャングリアが付け加えた。

 すると、ロウが微笑む。

 

「この王国にはまだ存在しないものだったけど、俺が仕立屋に試作させた。しかも、素材は絹と魔糸の混紡で、肌に沿って形が変わる。──紐パンとブラ。俺の女は全員、それを着ける」

 

 ベルズは眼の前にかざされているそれらを見つめた。

 指先で触れたくなるほど柔らかく、けれど、わずかに冷たい光を帯びている。

 いったいどうやって着けるのか、想像すらできなかった。

 だが、見ているだけで、肌の奥がざわめくような感覚がした。

 

「それよりも、まずはその上品な布を外すか……。計測もできない」

 

 ロウが人形を床に置いて、ベルズの背後に回っていく。

 その指が腰を包む下着の紐に触れる感触が伝わり、ベルズは悲鳴をあげた。

 

 背中の方で、金属が擦れる音がした。

 なにかが衣の紐に当たる。鋏のような刃先だと気づいたのは、布が断たれる鋭い音を聞いたときだった。

 

 じょきじょきと肌のすぐ近くで、布が切り離されていく。

 背中を走る微かな振動とともに、刃の冷たさが伝わる。

 見えない恐怖と、そこに混じる不可解な熱が、胸の奥で絡み合った。

 

「あっ──」

 

 思わず、喉の奥から声が漏れた。

 自分でも驚くほど甘い響きだった。

 ベルズは慌てて唇を押さえ、息を殺す。

 次の瞬間、肩口から滑り落ちた布が、足元に静かに広がるのがわかった。

 全身を包んでいたものが消え、冷たい空気が肌を撫でていく。

 羞恥のせいなのか、それとも別の何かが──、ぞくぞくとした震えが背筋を走った。

 

 ベルズは歯を食いしばった。

 心の奥で、何かが小さく軋む音がした。

 拒もうとする意志と、それを上書きするような甘い混乱が、彼女の中でゆっくりと形を変えつつあった。

 

 そして、切られた布がすべて落ちた。

 なにも身につけてない局部に、部屋の空気が触れる。

 羞恥が波のように押し寄せ、息が詰まる。

 

「──羞恥で感じているのかな?」

 

 ロウの声が背後から低く届いた。

 その声に合わせて、指先がすっと乳首に触れた。

 

「あっ、いやっ」

 

 ほんのかすかな接触なのに、そこから体温が溶け出していくようだった。

 拒もうとしたのに、はっきりとした嬌声が漏れ出てしまった。

 

 ──まただ。

 ベルズは震える唇を噛み、視線を落とした。

 抵抗できず、否応なく快感を与えられると、抗う気力が薄くなり、どうしようもない酔いのような快感に全身が包まれる。

 すると、ベルズの身体も心も制御を失うのだ。

 

 羞恥とともに、心の奥から別の感覚が目を覚ますのである。

 支配されることに身体が反応するのだ。

 ベルズの中にある被虐体質──。

 屈辱の中にあり、なぜか逃れがたい甘い熱が潜んでいることを誰よりもベルズ自身が知っている。

 

「ロ、ロウ殿……恥ずかしい……許してくれ」

 

 これまでと全く違う弱々しい声が自分の口からこぼれていた。

 

「さて、じゃあ、身体測定を始めるぞ。まずは身長からだ」

 

 ロウが手にした魔道具の箱をベルズの頭上にかざした。

 かすかに音がして、装置の表面に淡い光が走る。

 魔力が反応すると、箱の表示部に数値が浮かび上がった。

 

 ベルズの目には、〈84 manun〉という数値が映った。

 

「表示は“84 マヌン”だな。……俺の元の世界の単位に換算すると、百六十八センチくらいだ」

 

「身長……? 身長を測っているのか?」

 

「ああ、そうだ。身長だけじゃない。胸回り、くびれ、お尻の寸法──それと、絶頂時の膣圧もね」

 

「……膣圧って、言った?」

 

 ベルズは思わず声を上ずらせた。

 周囲の空気がぴたりと張り詰め、ロウの手が止まる。

 

「ああ。絶頂時の膣圧な。そっちも専用の計測具を準備してある」

 

 平然とした口調で言い放たれ、ベルズの頬に熱が上る。

 羞恥の波が一気に押し寄せ、言葉が出なかった。

 なのに、なぜか股間が熱くなり、甘い疼きのようなものが下腹部を襲った。

 理性は拒んでいるのに、身体だけが別の答えを示すのか……。

 ベルズはどうしようもない、自分の被虐性に、またしても歯噛みした。

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