【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
屋敷妖精に案内された広間には、大きな絵が飾られていた。
椅子に腰かける男の前に、美しい女が跪いている構図だ。背景はどこかの庭園らしい。単なる一枚の肖像画にすぎないのに、どこか淫靡な気配が漂っていた。
シャーラは屋敷妖精に導かれ、長椅子に腰を下ろしていた。
広間は中央が大きく空けられ、天井も高い。舞踏会でも開けそうなほどの広さだ。
その奥の一角だけが応接のように区切られ、長椅子と小卓が整然と並んでいる。
いまシャーラが座っているのは、その奥側の一隅──屋敷の主人が客を迎えるために設えた席だった。
これから現れるという冒険者──ロウを待つためだ。
それにしても、意外だった。
王都内にあるロウの屋敷が隠れ家で、本来の住まいがこちらだということも。
さらに、この屋敷に屋敷妖精が仕えているということもだ。
この場所を教えてくれたのは、王女イザベラに監禁されているミランダだったが、屋敷妖精の存在には一言も触れていなかった。
だが、出迎えた童女の姿を見た瞬間、シャーラは悟った。──まぎれもなく屋敷妖精だと。
事前の調査によれば、ロウは確かに優秀な冒険者ではあるが魔道の資質はない。
屋敷妖精は、もともと人間族の魔力の高い魔道遣いにしか仕えない本能を持つ。
身分や地位では従わない。
なぜ、そのような不可思議な習性を持つのかは不明だが、非常に珍しい存在であり、高位魔道遣いの人間族が所有する屋敷があれば、極めて稀に現れ、仕えるべき主人がいなくなればいつの間にかいなくなる。
そういう存在だ。
シャーラの知る限り、ハロンドールの王族で屋敷妖精を従えている者はひとりもおらず、王都の貴族の中にも存在しない。
つまり、このロウの屋敷にいる屋敷妖精は、王都で唯一の存在ということになる。
知られている屋敷妖精は、ローム帝国の皇帝宮に存在したとされ、数百年のあいだ、屋敷妖精の存在が帝位の象徴だった時期もあったようだが、歴代のローム皇帝に高位魔道遣いが出なくなると、いつの間にか出現しなくなったという。
現在のローム皇帝家は、当時の皇帝宮とも異なるし、屋敷妖精はいないはずだ。
稀に地方で屋敷妖精を使役する魔道遣いの噂を聞くがそれでも珍しい。
従って、ここに屋敷妖精がいるということは、すなわち──この屋敷の主人が、極めて高位の魔道遣いである証拠だ。
だから、それがロウだとは考えにくい。
ロウは魔道遣いではないのだ。
では、誰が主人なのか?
ロウと同居しているのは、エルフ族の冒険者のエリカ、人間族の女のコゼ、そして、モーリア家のシャングリアだ。
このうち、魔道を扱うのはエリカというエルフ女のみだ。
しかし、調査によれば、屋敷妖精を支配できるほどの力はない。
屋敷妖精は「屋敷の主」と「その妖精を縛るだけの魔力を持つ魔道遣い」が一致したときのみしもべとなる。
伝えられている屋敷妖精の本能がそれである。
冒険者としてのパーティリーダーはロウ──。
たとえエリカが高い魔力を持っていたとしても、彼女が屋敷の“主”でなければ屋敷妖精は従わない。
屋敷の中ではエリカが主で、外ではロウがリーダー──そんな不自然な共存は考えづらい。
むしろ、シャーラの調べでは、エリカは完全にロウの支配下にあるようだった。
屋敷妖精は、偽りの主人をすぐに見抜く。
ゆえに、エリカでもない。
つまり、この屋敷の真の主は、ロウでもエリカでもないということになる。
では、誰なのか……?
そもそも、この建物は長く“幽霊屋敷”と呼ばれてきた。悪霊が棲みついていたはずの屋敷がいつのまにかゴーストの気配を消し、ロウたちの住まいとなっている。
つまり、新たな主人が、あの幽霊を追い払ったのだろう。
相当な力の持ち主に違いない。
屋敷妖精を従えるほどの魔道遣いとなると、王都では筆頭巫女スクルズ、あるいはベルズの名しか思い当たらない。
ならば、この屋敷は彼女たちの所有物であり、ロウはその使用人か代理人……?
そう考えるのがもっとも自然だ。
シャーラの情報では、ロウが神殿の巫女たちと親しいのは確かだった。
やはり、ロウとスクルズ、もしくはベルズ──どちらかの間に、なにかあるのかもしれない。
そのとき、広間の奥の扉が静かに開いた。
三十代半ばの黒髪の男が姿を見せる。
ロウだ。
直接顔を合わせるのは初めてだったが、シャーラは調査のために、これまで何度も遠くから彼の姿を見ていた。
不思議な男──。それが最初の印象だった。
一見して平凡で、とりたてて特徴のない男に見える。
だが、同時に人を圧するような独特の風格がある。
ロウを知る冒険者たちに話を聞いても、皆が口を揃えて同じことを言った。
「凡庸に見えるのに、なぜか目が離せない男だ」と。
そして今、こうして向かい合ってみても、シャーラの印象はまったく同じだった。
また、ロウは背後に屋敷妖精を伴っていた。
屋敷妖精は、温かい茶と小皿に盛られた菓子を載せた盆を抱えている。
作法に従い、シャーラは立ち上がって一礼した。
しかし、ロウは少し距離を取ったまま立ち止まった。
「ロウです。初めまして。俺にご用件がおありだとか……。それにしても、その装いはどこかの侍女殿のようですね。けれど、立派な剣もお持ちで」
シャーラは王宮侍女の装束に剣を帯びていた。
確かに、見慣れぬ者には奇妙に映るのだろう。
「物騒ですから……。念のためです」
シャーラが軽く頭を下げると、ロウも自然な所作で礼を返した。
粗野な冒険者にありがちな雑な仕草はない。
むしろ、品のある動きだった。
次いで、顔を上げたロウが穏やかな笑みを浮かべる。
「せっかくあなたのような美しい方に来ていただいたのです。少しでもくつろいでいただきたい。──武器は、お預かりします」
丁寧な口調のまま、
しかし内容は「武器を渡せ」という要求だ。
それでも敵意の気配はなく、終始やわらかな態度を崩さない。
その振る舞いに、シャーラは予想していた粗暴な冒険者像を修正せざるを得なかった。
ロウはすでに、シャーラが携えてきたミランダの衣服を確認しているはずだ。
つまり、友好的な客ではないと理解している。
それにもかかわらず、この余裕……。
この男はいったいなにを考えているのか。
自信の表れか、それともただの無防備か。
魔道戦士としての経験から見ても、ロウの肉体や魔力に特筆すべき強さは感じられない。
それなのに、なぜか“怖さ”を感じさせる。
目の前の男の底を測りかねていた。
シャーラは静かに腰紐を解き、素直に剣を差し出した。
「シルキー」
ロウが声をかけると、背後の屋敷妖精が軽やかに動いた。
“シルキー”と呼ばれたその童女は、盆をふたつの長椅子のあいだにある卓上に置き、シャーラから差し出された剣を恭しく受け取る。
「お帰りまで大切に保管しろ」
「はい、旦那様」
屋敷妖精が柔らかく微笑んだ。
シャーラは首を傾げた。
屋敷妖精がロウを「旦那様」と呼んだのだ。
屋敷妖精にとっての“旦那様”とは、屋敷の主人──すなわち強い魔力を持つ者を指す。
まさか、ロウのことではあるまい。
「屋敷妖精。この屋敷に住まうのは、このロウ殿のほかにどなたがいる?」
試すように訊ねると、童女は少し驚いたように目を瞬かせ、すぐに答えた。
「旦那様と、エリカ様と、コゼ様と、シャングリア様の四人です」
その声には曇りがない。
だが──やはり、真の主人の名は出てこない。
なぜだ?
口外を禁じられているのか、それとも恐れているのか。
ロウには、別に後見人がいるのかもしれない。
つまり、目の前の男はただの“表の顔”ということか。
背後には、王都の権力者か、神殿の誰かが控えている……?
そう考えれば辻褄は合う。
だが、これまでの調査では、ロウの周囲にそれらしい人間はひとりも浮かばなかった。
いずれにしても、彼を見極めなければ……。
イザベラに近寄らせていい人物なのかどうかを……。
果たして役に立つ人材なのか……。
有益か……。害になるのか……。
もしも、害であるなら、イザベラの意思に係わらず排除しなければならない。
それが忠義というものだ……。
「彼女はシルキーです。屋敷妖精が珍しいですか? 随分とシルキーに興味をお持ちのようだ」
ロウが柔らかく笑った。
どうやら、シャーラが童女を観察していることを見抜いているらしい。
「ええ、珍しいですね。屋敷妖精など、かつてはローム皇帝に仕えたという神話級の存在じゃないですか。高位魔道遣いにしか仕えない稀有な存在です。──それで、その屋敷妖精の主人は、どなたなのです?」
シャーラは遠慮なく核心を突いた。
「もちろん、俺ですよ」
ロウは変わらぬ微笑をたたえたまま答えた。
「ご冗談を……。屋敷妖精が高位魔道遣いにしか仕えないのは有名な話です。でも、失礼ながら、あなたは魔道遣いですらない」
「だけど、俺には懐きましたね。その理由は俺にもわかりません。この屋敷を知ったなら、隠しても仕方ないから言いますけど、俺にはもうひとつ、王都城郭内にも別屋敷があります。そこにも、別の屋敷妖精がいます。そっちは、ブラニーといいます」
「ばかな……。あっ、これは失礼……。ですが、あまりに荒唐無稽なお話です」
屋敷妖精をふたりも持つ者など、あり得ない。
屋敷妖精は、同時に複数の主人に仕えることは決してない。
もっとも、あの王都内の屋敷にも、なにかがあるのは確かだった。
実はシャーラも、その屋敷について調べようとしたのだ。
だが、特殊な結界が張られており、完全な侵入防止の措置が施されていたため、調査は断念せざるを得なかった。
わかったのは、しばらく空き家だったその屋敷に、つい最近になって新たな持ち主が現れたということだけ。
名義上の所有者はロウ……。
しかし、実際に管理者と交渉したのはロウ本人ではなかったらしい。
それが誰なのか──結局、不明のままだ。
あの王都内の屋敷は屋敷で、やはり謎が多い。
いずれにしても、いまはこの屋敷だ。
誰が真の持ち主なのか……。
この男に近い存在で考えられるのはスクルズかベルズだが、ふたりとも冒険者を背後で操るような人物ではない。
そんな真似をする理由もないはずだ。
とにかく、ロウの背後に誰がいるのかを突き止めるまでは、イザベラに会わせるわけにはいかない。
シャーラは心の中でそう決めた。
「ところで、あなたはどなたですか? もしも、秘密にしたいのなら、そのとおりに接しさせてもらいますが」
ロウが穏やかに言った。
その口調には、どこか探るような響きがある。
「これは申し遅れました。わたしは、第三王女イザベラ姫付きの侍女──シャーラと申します」
「えっ、イザベラ姫? 冒険者ギルド長の?」
ロウが驚いたように目を見開いた。
だが、その表情が演技であることを、シャーラはすぐに見抜いた。
わざとだ──。この男は、最初から自分の正体に気づいていたのだろう。
ただの勘だが、シャーラは自分の勘はほとんど外れないという自負心がある。
でも、ならば、どうしてロウはシャーラを知っているのか。
表向きは、シャーラはただの侍女長だ。
やはり、ロウの背後には誰か、情報に通じた存在がいるのだろう。
腹を探り合いながらでも、手がかりを得るしかない。
シャーラは話を続けることにした。
「そうです。第三王女殿下イザベラ様にお仕えする者です。わたしは姫様のご命令により、ロウ殿に強制クエストをお伝えに参りました。座ってもよろしいですか?」
「強制クエスト?」
今度はロウが意外そうな表情を見せた。
さすがに、イザベラの気まぐれな命令の詳細までは、情報が届いていなかったか。
まあ当然だ。
あの仰天する内容は、シャーラ自身もつい先ほど、ミランダの前でイザベラから直接聞かされたばかりなのだ。
だがロウは、戸惑いを一瞬で柔らかな笑みに変え、小首を傾げた。
「さあ、どうでしょうか。ところで、俺は弱いですよ。武器なんかなくても、あなたなら片手で俺の首を折れます。ほかの武器もシルキーに渡してください」
ロウの視線がすっとシャーラのスカートへと流れた。
今度こそ、シャーラは息を呑む。
彼女が身につけているのは、王宮で用いる膝丈の侍女服。イザベラの使いとして訪れるための装いでもある。
だが、スカートの中は暗器を忍ばせるには格好の場所だった。
実際、いまも太腿のあたりに小さな刃を隠している。
それに気づく者など、今までいなかった。
「もう、なにも持っていません、ロウ殿」
シャーラは表情を崩さずにそう答えた。
「そうですか。では、そういうことにしましょう」
ロウが軽く頷くと、屋敷妖精に合図を送った。
次の瞬間、屋敷妖精が抱えていたシャーラの剣がふっと消えた。
どこか別の空間に隠したのだろう。
屋敷妖精は、卓上の盆を取り直して再び控える。
「……お座りください、シャーラ殿」
ロウが長椅子を指し示した。
シャーラが腰を下ろすと、向かいの席に座ると思っていたロウが、同じ長椅子の端に腰をかける。
その距離の近さに、思わず身構える。
「とりあえず、飲み物でも。シルキー ──」
呼びかけに応じて、屋敷妖精が湯気を立てる赤い茶と、小皿に盛られた菓子を運んできた。
「パール茶です。お口に合えばいいのですがね」
パール茶は、ごく一般的な嗜好品だ。
だが、カップを口に運んだ瞬間、シャーラはかすかな違和感を覚えた。
香りの奥に微かな薬臭……。
なにか混ぜられている。
シャーラは何事もなかったように一口分を口元に含み、袖に吸わせて処理した。
飲んだふりをして、茶器を卓に戻す。
「なるほど、さすがは王女付きのシャーラ殿ですね。眠り薬なんかには引っかからない」
ロウがにやりと笑った。
いま初めて、シャーラはこの男に対して“怖れ”という感情を抱いた。
王宮には罠が多い。
第一王女の婿キシダイン卿とイザベラが王太子位をめぐって争っている以上、油断は命取りだ。
だからシャーラは人前で不用意に飲食せず、どうしても必要な場合はこうして袖に吸わせるなど、警戒を怠らない。
だが、これまで一度として、その手口を見破られたことはなかった。
「わたしに一服盛ろうとしたのですか、ロウ殿?」
内心の動揺を悟られまいと、わざとむっとした口調を装う。
「当然でしょう。ミランダの服を、あんな形で運んできたのは“ミランダは素裸で監禁されている”という伝言に違いありません。そうであれば、俺はあなたを敵と見なすしかない。ミランダは、大切な友人ですし」
ロウの声は淡々としていたが、その言葉の中に微かな怒気が滲んでいた。
「敵ですか……? わたしは、第三王女イザベラ様付きの侍女、シャーラですよ。ミランダの処遇は、王女殿下のご意思によるものと考えないのですか? それでも軽々しく“敵”と口にしてよろしいのですか?」
シャーラは少し脅すように言った。
もちろん、ロウの反応を見たいのだ。
「なるほど、これは軽率でした。どうやら、ミランダが大切なので、我を忘れてしまったみたいです。取り消します」
ロウが余裕のある表情で返す。
シャーラは息を吐いた。
どうにも、この男の前では心の均衡が保てない。
魔道の気配も力強さも感じないのに、なぜこれほど落ち着かないのか。
不安が胸の奥でざらつくように広がっていく。
「ところで、強制クエストという話ですが、それはミランダが監禁されていることと、関係があるのですよね」
ロウが訊ねた。
「はじめにお伝えいたしますが、ミランダ様はまったく問題ありません。姫様が大切に保護をなさっています」
シャーラはいったん言葉を切った。
ここまでは、相手を安心させるための前置きだ。
「……大切にねえ……」
ロウが苦笑のような表情を浮かべながらわずかに首を傾げる。
言いたいことがありそうな気配だが、とりあえず自重をしたという感じだ。
シャーラは続ける。
「ただ──姫様は、ロウ殿が今回のクエストを拒否なさるようなら、ミランダ様を酷い目に遭わせると仰せです」
わずかに声を落とす。
脅しと取られても仕方ない。
「ほう?」
「ですが、これは姫様のいつもの気まぐれです。姫様はミランダ様を信頼しておられますし、最終的に危害を加えることなどあり得ません」
言葉を終えると、シャーラは小さく息を吐いた。
これが、忠実なる使者としての伝達であり、同時に火種を抑えるための言葉でもあった。
とりあえずの役目として、イザベラの言葉を正確に伝える義務はある。
だが、王女に夜這いを仕掛けるなどという馬鹿げた計画を、本気で実行させるつもりはなかった。
あの姫の気性を考えれば、ロウが本気で夜這いに挑めば、面白がって本当に身体を許し、そのまま取り込もうとするかもしれない。
もし、ミランダを救うためにクエスト受諾を選び、なおかつ成功してみせるだけの実力があるのなら、そのときは頼るに足る人材として、ぜひとも手を借りたい。
だが、本気で破廉恥な要求そのものを楽しもうとするような男であれば話は別だ。
そんな危険人物は、イザベラの前に出る前に、どれほど強引な手段を使ってでも排除しなければならない。
「じゃあ、こっちの言いたいことを喋っても?」
ロウが小首を傾げる。
「どうぞ」
「危害を加えないと言っても、実際には加えているでしょう? ミランダはその姫様という方のもとで、素裸にされているんですよね? 届いたものには彼女の下着もあった」
ロウがわずかに声を荒らげた。
「ただの悪戯です。むごいことをされているわけではありません」
「素裸で監禁されることが“むごくない”と? ──俺はそうは思いませんね」
ロウの言葉に、シャーラは短く息を呑んだ。
たしかに、言われてみればそのとおりだ。
だが、今さらイザベラの行動を否定することもできない。
「まあいいでしょう。とにかく、ミランダがこれ以上、酷い目に遭わないためには、クエストに応じなければならないということだ……。ギルド長自らの強制クエストとは、いったいなんなんです?」
ロウの口調は静かだったが、その奥に確かな怒りがあった。
シャーラは一瞬ためらった。
けれど、命を受けた使者として、伝えぬわけにはいかない。
必要なのは、ロウが“命令を受けても王宮には来なかった”という事実だ。
それがあれば、イザベラもこの男への興味を失うはず──。
「……姫様のお出しになったクエストは、王宮内におられるご自身を夜這いせよというものです。それが成功すれば、ミランダ様は解放されます」
シャーラは、言葉を吐き出すように告げた。
さすがのロウも、目を丸くした。
シャーラはすぐに畳みかけて語った。
王宮は衛兵により厳重に守られており、侵入者はその場で斬り捨てられること──。
さらに、魔道士隊が魔道避けの印を刻み、結界を巡らせているため、魔道による潜入も不可能であること──。
たとえ逃げ延びたとしても、魔道の痕跡を辿られ、最終的には捕縛されること──。
そのすべてを一息に説明し終えた。
「なるほど……。つまり、クエストの内容は──俺の友人ミランダを素裸にした、世間知らずの姫様のところへ乗り込み、生尻の二、三発でも叩いてお仕置きしてこい、ということですね」
「はああ?」
シャーラは言葉を失った。
「面白い。これまで受けたどのクエストより、ずっと愉快だ……。受けましょう。ミランダには“すぐ助けに行く”と伝えてください」
さらりと告げる口調に、悪びれも迷いもない。
シャーラの背筋に冷たいものが走った。
──本気で行くつもりだ。
「ロウ殿、これは脅しではありませんよ。忠告です。王宮への潜入など無謀すぎる。ましてや、姫様に手を出すなど、姫様がなんと仰せでも、このシャーラが許しません」
言葉と同時に、シャーラはスカートの裾を素早くたくし上げた。
太腿に巻きつけた革帯には、薄刃の短剣がある。
殺すつもりはない──。
ただ手首の一本でも断てば、冒険者生命は絶たれる。
それで十分だろう。
イザベラに夜這いを仕掛けるような愚行も、二度とできなくなる。
可哀想だが、これも忠告だ……。
シャーラは刃を抜こうと右手を伸ばした。
──だが、抜けなかった。
椅子の肘掛けと座面の境目に、いつの間にか粘着するような光沢が浮いていたのだ。
手が……腕が……スカートが……背中が……すべてがべったりと吸い付くように固定された。
「な……なに……?」
シャーラは息を呑んだ。
まるで椅子そのものが生き物のように全身を包み込み、逃がしてくれない。
ロウがくすくすと笑った。
ふと見ると、彼の手の触れている長椅子の表面から、粘り気を帯びた透明なものが伸びてきている。
それは生き物の触手のように、シャーラの背中や腕の下に広がり、肌に密着していた。
「……実は、俺には少し変わった特技がありましてね」
ロウが静かに言う。
「特技……?」
シャーラは唖然とした。
この得体の知れない粘性物は、もしかして、ロウの仕業?
いや、そうなのだろう。
シャーラの身体を長椅子に吸い付けている粘性体は、明らかにロウから流れ出ている。
「身体に触れているものを媒介に、粘着性の高い物質を生み出せるんです。椅子を通して、あなたの身体の下にそれを出してみました」
「いつの間に……」
シャーラは呟いた。
いや、長々とシャーラがロウと会話を続けているあいだにか……。
そうなると、さっきの会話そのものがロウの手の内だったか……?
「もっとも、いつでもできるわけじゃない。たとえば、あなたを犯すなんてことを考えたときだけ、こうして自然に発動するんですよ。俺の好色が俺の力の源です」
淡々と語る声には、冗談めいた軽さすらあった。
「シルキー。天井の革枷付きの鎖を出せ。魔女拘束用の特別性だ」
「はい、旦那様」
ロウが立ち上がると同時に、シャーラの目の前に鎖が音もなく降りてきた。
その先には、分厚い革製の枷が揺れている。
「せっかくのご訪問ですから、少しくらい遊んでいきましょう。──まずは、魔道戦士様の下着を拝見させてもらおうかな」
ロウはそう言って、鎖の先を取ると、シャーラの右足首へ革枷を嵌めた。
「こ、この──。あっ」
蹴り飛ばそうとしたが足元の床にも粘性の膜が広がっており、靴がまるで吸い付くように動かない。
「これは預かりますね」
ロウがスカートの下に手を差し入れ、まくり上げられた布の奥から短刃を呆気なく抜き取る。
さらに、上衣の裾に隠していた魔道杖までもさっと取り上げる。
まるで最初から隠し場所を知っていたかのような手際だった。
シャーラは息を呑んだ。
──この男は、絶対にイザベラの前に出してはいけない。
この自分をここまで完璧に無力化できるのだ。
もしかしたら、夜這いくらい簡単に成功させるかもしれない……。
裏に黒幕がいるどころではない。
この男自身こそが危険だ。
「あっ、なに?」
その瞬間、足首の鎖がカラカラと鳴り、革枷ごと天井に引き上げられた。
右足が大きく吊り上がり、身体の重心が崩れる。
なぜか、足を密着させていた粘性体は、右足の部分だけ消滅していた。
しかし、ほかの部分は長椅子に密着させられたままなので、右足だけが天井に向かって跳ねあがっていく。
当然にスカートはまくれあがった。
「あっ、いやっ」
思わず声が漏れる。
だが次の瞬間、椅子の粘着物がふっと消え、拘束が解けた反動で、シャーラは前方へつんのめった。
よくわからないが、粘性体が消えて、手も自由だ。
だが、ロウも屋敷妖精も、すでに数歩離れている。
手を伸ばしても届かない。
魔道で……なんとか……。
そう思ったが、すぐに悟った。
魔力が、凍りついたように流れない。
足首の革枷が、淡く光を帯びている。
魔道封印の枷か──。
「くそっ……」
シャーラは両手で鎖を掴み、力任せに引き千切ろうとした。
だが、その動きを眺めている正面のロウの口元に、冷ややかな笑みが浮かんでいることに気がついた。
「無駄だよ……。それは外れない。王都で一番と二番の魔道遣いが刻印した枷だ」
ロウの口調は静かだった。
シャーラは息を呑んだ。
──一番と二番……?
もしかして、スクルズとベルズのこと……?。
「それよりも、いいのか。もうすぐスカートがめくれるぞ」
からかうような声──。
「あっ──」
気づけば、右足は肩の高さ近くまで吊り上げられていた。
スカートが引き上げられ、太腿の付け根まで露出している。
「やっ……やめて」
シャーラは慌ててスカートの裾を押さえる。
「いいですねえ。高位魔道戦士殿の焦った顔なんて、なかなか見られない。しかも、第三王女付の護衛だ」
ロウの笑いにシャーラは凍りついた。
──この男、ただの冒険者ではない。
自分が魔道戦士であることまで、すでに見抜いている。
それだけでなく、侍女だと名乗ったのに、しっかりと護衛だという本来の役割まで言い当てた。
この男は、何者なの──?
一方で、その間にも鎖はじわじわと引き上がっていく。
「ああっ──」
ついに、右足だけじゃなく、左足も床を離れ、全身が宙に浮いた。
身体が空中で回転して頭が下になる。咄嗟に片手でスカートを押さえて、反対の手を床に手をつける。
スカートが一気にめくれさがって、他の部分はすべて露わになっていた。
右足首はさらに引きあがり、頭も宙に浮く。
シャーラは逆さ吊りの体勢になり、両手でスカートの前を押さえた。
「もう、やめて──。やめなさい──」
引きあがっているのは右足だけ……。
左足を右足に重ねて、なんとか裾を落とさぬように耐える。
ついに、両手を伸ばしても、床には届かないくらいまで身体が浮きあがって停止した。
必死に両手で押さえている場所を覗いて、垂れ下がっているスカートを下から押さえる。
その姿勢は、羞恥と痛みの入り混じった苦行のようだった。
「みんな、もう出てきていいぞ。悪者は捕まえた」
ロウが声を上げた。
奥の扉が勢いよく開く──。
だが、悪者ってなんだ……?
「ロウ様、お怪我はありませんか──?」
真っ先に現れたのは、エルフ族の女エリカ。
すでに剣を抜いていた。
「案外あっけなかったわね。魔道戦士って聞いて緊張したけど」
「確かに。だが最近のロウは……以前より冷静で、強くなった気がするな。いまのやり取りにも隙はなかった。術が浸透するあいだの時間稼ぎの会話も自然だった」
「まったくね。さすがはご主人様だわ」
次いで現れたのは、コゼとシャングリア──。
「ロウ様、大丈夫ですか?」
「言われてみれば、顔だけはわかるな。第三王女殿下の出られる式典などで、殿下の側にいた気もする」
そのあとに、スクルズとベルズまでもが姿を現した。
なにかが起きれば、彼女たちが即座に対応する構え──つまり、この一件は最初から彼女らの手のひらの上にあったのだ。
「スクルズ様、ベルズ様、お助けください──。わたしはイザベラ姫付きの侍女のシャーラです。姫様の命でここに──」
シャーラは叫んだ。
だめでもともと……。ロウの冒険者仲間は無理だろう。しかし、王都神殿の筆頭巫女のふたりであれば……。
「それで、どうなさるのですか、ロウ様?」
「まずは、ミランダのことを吐かせるか?」
だが、スクルズもベルズも、シャーラを振り向かない。
その視線はロウだけを見ていた。
そこには上下の差など感じられない。
──違う。この男が、彼女たちの“主”なのだ。
二人の視線は、明確にロウの指示を待っている。
混乱と恐怖が一気に押し寄せる。
「まあ、手っ取り早く、屈服してもらうか。それが一番早い……。シルキー、指示したものを出してくれ──」
返事と同時に、鼻を突く刺激臭が漂った。
シャーラが逆さ吊りになっている真下の床に、白い煙を立ちのぼらせる香炉が出現する。
煙がゆらゆらと立ちのぼり、シャーラの全身を包み込んだ。
たちまち全身が熱を帯び、力が抜けていく。
「これは……なに……」
息を吸うたびに、身体の芯が痺れるようにとろけていく。
「大したものじゃない。エルフ族を発情させる媚香だ。特別に調合したものだ。たっぷり吸うといい。訊きたいことはあるが、答えは身体に訊いてやるよ。お前自身の口ぶりによれば、急がなくてもミランダに危険はないらしいし」
ロウの低い声が響いた。
「えええ……ちょっと、ロウ様」
エリカが悲鳴のような声をあげ、慌てて部屋から駆け出ていった。