【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
177 奸計談義
馬車が止まり、外側で扉が開かれる音がした。夜気が流れ込み、屋敷前の魔灯の光が差し込む。キシダインは一段を踏んで石畳に降り立った。その瞬間、視界の端で従者が動き、頭を下げた姿が形だけ見えた。
キシダインは外套の前を軽く払うと、玄関の大扉の方へ歩いた。
近づくに合わせて内側から扉が開かれる。玄関の扉の向こうには魔灯の光が広がっている。
「お帰りなさいませ、閣下」
入口の前には十名ほどの家人が並んでおり、キシダインに向かって頭を下げていた。
従者のひとりが外套に手を伸ばす動きが視界をかすめたところで、外套を無言のまま投げ渡す。背後で布が受け取られた音がした。
「部屋に行く。あとでモルドに来るように伝えろ」
出迎えの中に若い執事の姿があり、キシダインは用件を告げてその前を通り過ぎた。
モルドとは、キシダインの家宰である。
石床に光が伸び、敷かれた絨毯の端が視界に入る。先導の侍女の後ろを歩きながら、廊下の灯りが途切れず続いているのを確認し、そのまま奥へ進んだ。
階段を上がる。二階の廊下の最奥にある私室の扉が開く。室内には暖気が広がり、椅子が用意されている。キシダインは腰を下ろし、片手を上げた。
ともに入ってきた侍女たちが素早く背後へ回り、礼服を外して平服に着替えさせるために動き出す。着替え終えると、机の上に湯気を立てる香茶が置かれた。
そのとき、扉が開く音がした。叩き方の癖で誰なのか分かる。
妻のアン王女──の顔をした女が入ってきた。
「お帰りなさい、あなた。夜会はいかがでしたか?」
アン王女の顔をした女が微笑んだ。キシダインは椀を置き、軽く頷いた。
「いつもの通りだ」
「いつもの通りなら、あなたこそ王太子だと、皆さんがもてはやしたに違いないわ。わたしもそう思うもの」
「そうだな。たまにはお前も夜会に連れていきたいが……どうしても綺麗なお前をほかの男に見せるのは耐えられんのだ」
「いいのよ。あなたの独占欲が嬉しいもの」
女の声に湿り気のある笑みが混じる。キシダインは片手をわずかに動かした。
「下がれ」
合図に応じて、部屋に控えていた侍女たちが一礼し、音を立てずに退室した。扉が閉まる音だけが残った。
静けさが満ちる。女とふたりきりになると、キシダインは椅子の背に軽く寄りかかり、女を見た。
「愚人どものご機嫌取りも疲れる。……奉仕しろ。お前のようなあばずれには、それくらいしか能がないだろう」
「酷いわねえ」
女がくすりと笑い、ゆっくりと歩み寄った。キシダインの前にしゃがみ込むと、丁寧すぎるほどの仕草で膝を揃え、手が彼の腰元へと伸びる。その気配が伝わった。
視界の下で、女の髪が静かに揺れる。
キシダインは椅子に深く身を預け、脚をわずかに開いた。
股間がズボンの外に出され、ついで温かいもので包まれた。
女の頭がゆるやかに動き始めた。動きのリズムが、膝越しにわずかに伝わってくる。
室内には、静かな息遣いとぴちゃぴちゃという女が奏でる舌の水音だけが広がった。
すると、扉を叩く音がした。
キシダインは視線だけを扉へ向ける。
「入れ」
扉が静かに開き、家宰モルドが姿を現した。
部屋へ踏み込んだ瞬間、キシダインの膝元にしゃがみ込んでいる女の影が視界に入ったのか、モルドがほんの僅かに呼吸を乱したように見えた。
しかし、すぐに無表情に戻る。
「お呼びと伺いました」
「来い」
キシダインは顎で正面を示した。
一方で、股間で奉仕を続けている女が、躊躇するようにわずかに舌の動きを途切れた。
キシダインは迷いなく女の髪を掴み、自分の股に顔を強く押しつけた。
女が慌てて動きを戻す気配だけが伝わった。
「タリオから連絡があった。……グラム兄弟が二か月後に来る」
モルドのまぶたが静かに動いた。
「閣下の旧きご関係の方々でございますな。……派閥の古参から、あのお二方の話は何度も伺っております。直接お目にかかったことはございませんが、気質の激しい方々だとか」
「激しい……か。婉曲に言えばそうだな」
キシダインは鼻で笑った。
「昔は兄貴分のようにしてくれた。実父もいなかった頃、何かと面倒を見てくれたものだ。……だが節度がない。なにをしでかすか分からん」
短く息を吐くと、指先で肘掛をとん、と叩いた。
「難しいお方なのですか?」
「いや、扱いが難しいわけではない。……贄をあてがっておけば、大きな騒ぎは起こさん」
「贄……と申しますと?」
「適当な下級貴族の娘でいい。だが、婚約者がいようが、恋人がいようが、若い令夫人であればなお良い。昔から誰かの女を好む。……それを毀すのが愉しいらしい」
キシダインの口元に、うっすらと嘲るような笑みが浮かんだ。
「なるほど……」
「こちらで候補を選び、道を敷いておけばあいつらはその中だけで満足する。勝手な動きは減る」
「承知いたしました。宴席の布陣と合わせて、人選と……必要であれば弱みの確保も進めましょう」
「任せる」
香茶を一口だけ含むと、次の話題へ移った。
「……次だ。マアの件だ」
「また、ご融資を?」
「当然だ」
マアはタリオの流通網を一代で築き上げた老いた女商人で、莫大な資金力を持つ豪商である。
いまは半隠居を名目にハロンドール王国の王都ハロルドへ拠点を移し、この王国内のタリオ派との橋渡しや取引の窓口を続けている。
キシダインもモルドも若い頃から幾度となく顔を合わせてきた相手であり、王都でも無視できない影響力を持つ。
タリオ派の金も流通も、今や半分はマアの掌の上にあると言ってよかった。
「最近は、出資に慎重になっておりまして……。話を持っていっても渋られております」
「出させろ──。俺が王太子に選ばれるための工作資金だとな。出し惜しみすれば、これまでの投資が全部無駄になるとでも言えば、どうせ金は出す」
キシダインは鼻で短く笑った。
「かしこまりました。なんとか致します」
「ああ……。まったく、六十の婆のくせに、どこにでも口を出してくる厄介な女だ」
「しかし、金に関する抜け目のなさはいまでも健在でございます。こちらでも何度もお相手しておりますが……強かで、手強い」
「金づるとしては優秀だ。気に入らんが、それとこれとは別だ……。例の王家の利権の一部を渡すと伝えろ。どうせ食いつく」
「承知いたしました。滞在中ですし、こちらでもすぐに話の場を設けます」
「ああ」
キシダインは視線を宙へ向け、低く呟いた。
「……二か月後にはグラム兄弟も来る。その頃までには、ある程度形をつけたいな」
「王太子の件でございますね」
モルドが深く頷く。
「当然だ」
キシダインは机を軽く指で叩き、短く応じた。
イザベラ──。第三王女であり、キシダインと次期王太子の座を争っている相手だ。
すでに後継者争いは大勢が決まりつつあるというのに、いまだに正当性を掲げて食い下がってくる小娘である。
王族法では、後継資格を持つ実子であるイザベラが継ぐのが筋だという理屈が根強く残るせいで、下級貴族を中心に、あの小娘を推す声も未だ消えない。高位貴族ほどには広がってはいないが、数としては決して馬鹿にできない。
キシダインは、胸の奥にざらつく不快感が湧くのを抑えなかった。
生まれと正統性だけを盾にして居直り、いまだに自分に逆らうつもりらしい。
身の程をわきまえず、王都の場で澄ました顔をして立っていると思うだけで、癪に障る。
しかも国王が優柔不断な態度を改めず、いまだ決め手を打たない。
王太子を指名すれば済む話をぐずぐずと引き延ばしている。
その甘さが、小娘をつけ上がらせているのは明らかだった。
王都の社交の場でも、すでに表向きはキシダインを次代と見なす空気が出来上がっている。
だが、酒席の陰では、いまだにイザベラの名を口にする愚か者もいる。慎重を装い、どちらにも顔を向けておこうとする中立派も、実質的には邪魔でしかなかった。
そういう優柔不断な連中の首根っこを押さえ込み、小娘の支えを順に潰していく作業が、いまのところ最も面倒だと感じている。
「忌々しい……いまだに引く気はないか」
キシダインは低く呟き、肘掛を指先で軽く叩いた。
「その件ですが、駒をひとつ手に入れました」
モルドが静かに口を開いた。
キシダインは指を止め、わずかに視線だけを向ける。
「どこのだ」
「ある下級貴族の家です。姉のほうを、タリオ派の伯爵家に後妻として送り込むことに成功しました。表向きは中立派ですが……実際には完全にタリオ派の影響下にあります」
「それで?」
「その妹が、王家で働いております」
「ほう?」
その言葉だけで、モルドの狙いは十分察せられた。
キシダインは椅子の背にもたれ、片眉をわずかに上げる。
「どう使う?」
「毒を」
「殺すのは拙いな」
キシダインは短く鼻を鳴らした。
モルドは小さく苦笑を浮かべる。
「殺しはしません。脅しです。所詮は小娘。恐れをなして身を引くかと。守るもののない立場で、王太子の座を欲することがどういう意味か、思い知らせる程度で十分です」
「やる価値はあるな。実行しろ」
「はっ」
モルドは頭を垂れたまま、表情を変えなかった。若い頃から、
キシダインの命でいくつもの薄汚れた仕事を片づけてきたが、一度も異を唱えたことはない。
今回の策も同じように飲み込んでいるのが見て取れた。
そのとき、足元の女がわずかに肩を震わせた。キシダインは苛立ちを押し隠そうともしない。片手で女の後頭部を掴み、キシダインの怒張を咥えている女の顔を激しく前後に動かす。
女の上体が強引に前後へ揺さぶられ、喉の奥で引きつったような音が漏れる。
拒む余裕など与えず、キシダインの腕は荒い勢いのまま、同じ動きを何度も繰り返した。
やがて、女の肩がびくりと震えた。
キシダインは押さえつけていた手を離さず、下腹部から込みあがった快感を股間から吐き捨てる。
「一滴でも吐けばどうなるか、わかっているな?」
キシダインは女の頭から手を離す。
苦しげな呼吸が静かに震え、女が従順に頷く気配が伝わった。
やがて、精飲も終わり、女が息を整えながら立ち上がった。
「酷いわね。相変わらず、女扱いが悪いこと」
口元を指でそっと拭って苦笑を浮かべた。
「地下にいるあの忌々しい女よりはましだろう」
キシダインは視線を上げもしなかった。
地下の薄暗い部屋に閉じ込めてあるのは、他ならぬ自分の妻──本物のアン王女だ。
共同統治で恩恵を受けられるはずだった女が、「継承権を放棄した自分には相応しくない」と愚かしくも言い張り、しまいには実母アネルザに泣きつこうとした。
そのくだらぬ逆らい方が、キシダインの堪忍袋を切らせた。
結果、アンを地下に監禁し、その代わりに替え玉を据えた。立場も名も奪い、誰からも認められない最底辺の存在にしてやったのだ。
だが、それでもなお折れきらず、いまだに目だけはまだ自分を睨み上げてくる。
そのしぶとさが、キシダインの癇に触れる。
思えば、地下へ放り込んだ初日からそうだった。
一切の服を奪い、屈服の姿勢を強いたうえで、相応のしつけを施してやった。それでもあの女は折れず、唇を震わせながら、最後の最後だけは目に反抗の光を宿し続けた。
何度も淫具で犯した夜のことも、逆に癪に障った記憶として残っている。
痛みと屈辱を与え、従順な姿勢を強制し、長時間の責めを与えさせても、アンは身体こそ反応しながら、心だけは頑なに沈めようとしなかった。
膝を突かせられ、息を乱し、声を抑えきれず漏らしながらも──あの女の瞳だけは、まだ自分を拒んだのだ。
滑稽な話だった。
立場も名も未来も奪われた女が愚かというほかない。
折れた姿を見せるどころか、あの夜も、何度器具を替えて責めさせても、女は最後の一点だけは守るように固く閉ざしていた。
「なかなか折れん。名も立場も奪われたくせに、あれはまだ自分を王女だと思っているようだ。……まあ、いずれ消える。王家の血は、妙にしぶとい」
「ふふ。心を折るなら、あたしにもさせてよ。ああいう高慢な女が沈む瞬間って、見てみたいわ。退屈しのぎにもなるし」
偽アンの声音は残酷なほど柔らかい。
キシダインは軽く息を吐いた。
その息には倦怠と、思い通りに運ばぬ事柄への苛立ちが滲む。
「好きにしろ。ただ……あの女はまだ使い道がある。完全には毀すな、即位式のときには、さすがに替え玉のお前では都合が悪い。王家の継承具に血の刻みがいるからな」
「わかっているわ……。大事にするわ。毀れない程度にね……。それに、あの女の心を折るのは難しくないわ。だから、男はだめね」
女が喉の奥で笑った。
キシダインは視線だけを向ける。
「自分にはできるとでも言いたげだな?」
「そうね。あの王女が目をかけている若い侍女がいるのは知ってる?」
「若い侍女?」
「名はノヴァ。王家から連れてきた侍女よ。いまは下女みたいな扱いをさせているけれど、本来は王女付きの侍女だった子」
「ほう、侍女になど気にも留めてなかったな」
「そのノヴァを、王女の前で調教するのよ。それこそ徹底的にね。大事にしていた子が壊れていく姿を見せられたら、あの女の心なんてすぐに折れるわ。間違いなく」
女の声音は甘いのに、言葉は酷薄だった。
キシダインは鼻で笑った。
「面白い。……わかった、やってみろ」
女が愉悦を含んだ笑みを浮かべる。
キシダインは手を振った。
モルドとアンの替え玉の女が部屋を出ていく。
キシダインは椅子の背に体重を預け、瞼を半ば閉じた。
すでに、ほとんどこの手の中だ。
この国の行く末も、王太子位も、そして地下に沈めた女の運命さえも──。
やがて、全て自分の手のひらの上に収まるだろう。
その確信は、静かに胸の底に残っていた。