※この作品はR-18です。

【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】   作:ドン・ドナシアン

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183 女豪商マア

 女豪商マアの一日は、書きもので始まり、書きもので終わる。

 

 書きものといっても、その内容は実に多岐にわたる。

 単なる日記のときもあれば、商会としての日報、本国タリオ公国へ送る注文書、あるいは王都で影響力を持つ人物への手紙という日もある。

 もちろん、目の前の商売に直接関わる書簡も少なくない。

 

 逆に、届いた手紙や書類に目を通し、それを処理する時間も膨大だ。

 結局のところ、マアの一日の大半は、書類に向き合い、それを片づけるために人を動かすことで終わっていく。

 

 そうして朝が始まり、昼が過ぎ、夕刻に差しかかり、気づけば夜になっている。

 合間に数度の化粧と簡単な食事、身体を洗う時間が挟まるが、それも必要最小限だ。

 この繰り返しを、マアは半ば機械のように続けてきた。

 

 日常の必要最小限の中には「人に会う」という行為も含まれているが、マアはそれを極力避けていた。

 商業ギルドが支配するハロンドール王国で、ギルドに属さぬ「自由流通」を掲げ、タリオから複数の商会を率いてきた中心人物ともなれば、面会を求める者はいくらでもいる。

 だが、それをいちいち相手にしていては身がもたない。

 利害関係者も多く、不用意な隙を見せるわけにもいかない。

 

 対外的には“脚が悪い”ということにしているが、実際はそこまで深刻ではない。

とはいえ、六十を過ぎたマアが積極的に顔を出さないことに不審を抱く者も少ないため、古くからの方便としてそのまま使っている。

 こうした事情から、マアの基本姿勢は「会わない」で通していた。

 

 読み終えた報告書を処置済みの棚に置き、マアは窓から空を見上げた。

 ここは王都ハロルドの中心部にある自由商会連合の会議所で、同時に「マア商会」の執務室でもある。

 そして、マア自身の住まいでもあった。

 事務室の奥に、小さな私室がひとつ。寝台と衣装棚、それに大きな化粧机が置かれているだけの簡素な部屋だ。

 

 楽しみらしい楽しみといえば化粧くらいのものだが、その化粧道具にだけは惜しまず金を使ってきた。

 若い頃にはそれなりに自信もあった顔だが、老いだけはどうにもならない。

 だからこそ、失われていくものを高価な化粧で補うことにしている。

 自分の稼ぎをどう使おうと構わない──それがマアの持論であり、わずかに残った贅沢のひとつだった。

 

 ハロンドールに来てもうすぐ一年になるが、この暮らしはタリオ公国にいた頃とまったく変わらない。

 少女時代に商業ギルドの事務員として働き始め、出世し、自ら商家を立ち上げ発展させ、ギルド制の崩壊と自由流通市場の誕生を第一線で経験してきた。

 波乱の時代を駆け抜けてはきたが、家族を持つには至らなかった。

 それも商人としての巡り合わせだと、マアは淡々と受け入れている。

 

 机の端には、一通の手紙が置かれていた。

 差出人は、王都でも名の知れたラングーン公──。

 この王国にはふたりの公爵家、ラングーン公とグリムーン公があり、どちらも現王ルードルフの叔父にあたる王族だ。

 ただし、その性格は対照的である。

 

 強引で評判の悪いグリムーン公に比べ、ラングーン公は温厚で人当たりがよく、人望も厚い。

 ふたりの息子はすでに早逝しており、現在の夫人は後妻だという。

 権勢を求める気はまったくなく、自分が死ねば公爵位は返納すると口にするほどの男である。

 

 そのラングーン公からの紹介状となれば、さすがのマアも軽く扱えない。

 内容は、第二神殿の薬師ベルズを“膝の治療のために伺わせるので、一度会ってやってほしい”というものだった。

 王族からの紹介である以上、形式的な面談であれ断る理由はない。

 なにより、ラングーン公は自由商会連合に敵意を持たず、その一族が王太子争いでキシダイン側を支持しているという事情もある。

 マアとしても、雑な対応をすべき相手ではなかった。

 

 今日がベルズの訪問予定の日である。

 膝の治療とはいえ、おそらくは神殿への布施かなにかの相談も兼ねているのだろう──マアはそう考えていた。

 いずれにせよ、ラングーン公の紹介状がある以上、会わないという選択肢はなかった。

 

 窓の外では、陽が中天に近づいていた。

面談は午後の予定であり、まだ時間はある。

 

 マアは机上の書類に視線を戻し、次の文書を手に取った。

 キシダイン卿からの手紙である。色々と理由を書き連ねてはいるが、内容は要するに賂の要求だ。

 額は増える一方で、もはや面倒どころの話ではない。

 マアは静かに嘆息した。

 

 商業ギルドが支配を続けるハロンドール王国において、タリオ式の「自由流通」を掲げる商会群が王都に参入できたのは、ひとえにハロルド公キシダイン卿のおかげである。

 それは認めざるを得ない。

 

 もっとも、当初から全面的に自由流通が認められたわけではなかった。

 キシダイン卿が出した通達は、あくまで王都に限り、特定の商品に対してのみ例外的に自由流通を許可するという、ごく慎重なものだった。

 しかし、その決断は想像以上の波紋を生んだ。

 

 良質で安価な商品を大量供給するタリオ商会群の流入により、商業ギルドに属する商家たちはあっという間に駆逐されていったのである。

 しかも王都で成功した自由流通は、すぐさま西方と南方の有力領主たちが倣い、同様の“例外措置”を導入した。

 その動きは加速度的だった。

 

 商業ギルドが形式上の専売権を保持しているとはいえ、実態はすでに崩れはじめている。

 例外として認められていた自由流通が地域と製品種を拡大し、いまや王国全体を席巻しつつあるのだ。

 マアは、その現状をよく理解しているからこそ、強い警戒と同時に大きな期待も抱いていた。

 

 もっとも、そうした恩恵の裏返しとして、キシダイン卿からの“見返り”──要するに賄賂の要求──が次第に増していることも事実だった。

 今回の手紙に記された額も、さすがに目を覆いたくなるほどの大きさである。

 どう処理したものか……マアは思案せざるを得なかった。

 

 タリオ公国からやって来たマアたち自由流通商会がこの国に求めているのは、結局のところ、商業ギルドの完全撤廃と専売制度の終焉だ。

 商業ギルドとは、専売を基盤に商業の一切を握り、ギルド外の商売を厳罰で排除する制度である。

 代官や領主がその罰を執行し、ギルド自身が襲撃者を雇って商売を壊すこともまかり通る──古い秩序の象徴だった。

 

 その専売体制を、王都でごく一部とはいえ崩したのがキシダイン卿であり、タリオ式自由流通を根づかせた功労者でもある。

 複数の商会をまとめ「自由商会連合」を形成し、調整役を務めているのがマアだ。

 

 当然、商業ギルドの反感は自由商会連合へ向けられ、キシダイン卿に対しても強い憎悪が渦巻いている。

 だが、いまやキシダイン卿には大きな政治力と、王都に複数駐留させた私兵団があるため、ギルド側も迂闊には手が出せなかった。

 マアたちとしても、この国の商業がギルド中心である以上、逆らう形での商売は危険を伴う。

 

 それでも──。

 

 ハロンドールは大国であり、その商圏規模は比べものにならない。

 例外措置だけでこの広がりなのだ。

 もしキシダイン卿が次期国王となり、王国全土で専売が廃止されれば、自由流通は一気に全土を覆う。

 そうなったときの利益規模は、想像するだけでも胸がざわめく。

 

 だからこそ、マアたち自由商会連合は、キシダイン卿を支持している。

 後継者争いの渦中であることは承知しているが、それでも次の王にはキシダイン卿に就いてもらいたい。

 彼を支えることは、自由流通の未来を開くための、避けて通れぬ先行投資なのだ。

 

「だがのう……」

 

 マアはキシダイン卿からの手紙にもう一度目をやり、深い嘆息を漏らした。

 近ごろ求めてくる賄賂の額は桁外れで、求め方も露骨になっている。

 今日届いた手紙の金額など、常識を逸していた。

 

 こんな額、素直に払えるはずがない。

 自由流通を維持する将来性があるからこそ、これまではある程度応じてきた。

 だが、ここしばらくは──王都で得た利益の大半がキシダインに吸いあげられているような状況だ。

 このままでは商売そのものが立ちゆかない。

 

「まあ、出さねばならんだろうが……いくらなんでも、これは……」

 

 マアは独り言のようにつぶやいた。

 もし支払いを拒めば、あのキシダインのことだ。

 王都に限って認めてきた自由流通の例外措置など、あっさり撤回し、商業ギルドの権利を完全に復活させるだろう。

 もちろん、その裏でギルドから莫大な見返りを取るに違いない。

 とにかく、この金額はそのまま飲めるものではない。

 いったん保留し、減額交渉を前提とした対応を考えるしかない。

 

「これは……ラレンと相談せねばなるまいね」

 

 マアは小さく頷き、机上の鈴を鳴らした。

 ほどなく、身の回りの世話を担当している若い使用人の娘が顔を出した。

 

「悪いが、ラレンを呼んでおいで。キシダイン卿から届いた例の手紙のことで、少し話があると伝えておくれ」

 

「はい、かしこまりました」

 

 娘は軽く頭を下げ、足早に部屋を出ていった。

 ラレンは、マアがもっとも信頼する腹心である。

 商家を立ち上げた頃に小僧として引き取った子で、いまでは四十を過ぎた実務家だ。

 慎重で判断が確かで、金の流れにも政治の匂いにも敏感である。

 

 五年前に若い娘を妻にし、ふたりの子をもうけている。

 家族想いで、今回のハロンドール進出にも家族を伴い、商会の近くに住まいを構えた。

 そうした生活の基盤を整えながらも、マアの右腕としての責務は決して手を抜かない男だった。

 

 マアは、ラレンを待つあいだに薬茶でも飲んでおこうと思った。

 鎖国中のエルニアから肌艶を整えるために密かに入手させているもので、毎日のように飲んでいる薬茶の粉末だ。

 

 茶器一式をまとめて置いている台に向かい、茶壺の蓋を開けた。

 その瞬間、香りにかすかな違和感を覚えた。

 茶をのぞき込む。本来は淡い褐色のはずなのに、黒い粒が微かに混じっている。

 

 指でひとつまみつまみ、感触を確かめた。

 皮膚の奥に鋭く刺すような刺激が走る。

 

 マアは小さく舌打ちした。

 そのとき、扉が叩かれた。

 

「ラレンです」

 

「入って、こっちに来ておくれ」

 

 マアが応じると、ラレンがひとりで入ってきた。

 台の前に立つマアに歩み寄る。

 

「どうかしましたか、マア様」

 

「本当はキシダイン卿の手紙の相談をするつもりだったんだけどね。その前に、ちょっとこれを見ておくれ」

 

 マアは茶壺を押しやり、ラレンへ手渡した。

 ラレンは蓋を開き、粉を指でつまんで光にかざした。

 すると、ラレンの顔色が変わった。

 

「……色が違います。匂いも変わっています。これは毒の混入と見ていいでしょう」

 

 ラレンの眼は驚きで大きくなっている。

 

「やっぱり、毒かい……」

 

 マアは口元にかすかな笑いを浮かべた。

 驚きではなく、納得に近い表情だった。

 

「昨日までは普通に使っていた壺なんだよ。最後に飲んだのは昨夜だ。その後のどこかで混ぜられたんだろうね」

 

「部屋に出入りできる者を調べます。調合に関わった者も……」

 

「そうしな。脅されてやったんだとしても、こういうことを許せば繰り返されるだけだよ。手足になった者は必ず見つけるんだ」

 

 ラレンは深く頷いた。

 

「問題は……誰が指示したか、ですね」

 

 ラレンが壺を台に置き直す。

 

「この壺に毒が混ぜられたのを見つけたのと、キシダイン卿からの手紙が届いた日が同じ……。偶然とは思えないね」

 

「キシダイン卿が?」

 

「わかりやすい脅しさ……。やり口が雑だから見つけさせるつもりだったろうね。でも、次は無色無臭のものを混ぜる……。そういう脅しだよ」

 

 ラレンは台の上の壺を見つめたま、わずかに息を荒くした。

 

「とにかく、混入させたのが誰であれ、必ず見つけます」

 

「見つけなきゃ困るよ」

 

 マアは机に戻り、椅子に腰を下ろしながら言った。

 

「はい……」

 

「脅されてやったんだとしてもね、こういう真似を許せば、また同じことが起きる。手足になった者だけでも徹底的に追い詰めて、家族ごと処分しな。繰り返されないようにね」

 

 マアはそう言うと、机の端に置かれた茶壺へ軽く視線をやった。

 

「……必ず」

 

 ラレンは深く頭を下げた。

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