【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
太陽宮の評議の間は、いつもより静かだった。
長卓を囲む大臣、事務官、記録官たちは、王妃アネルザの一挙手一投足を待つように、背筋を伸ばしている。
アネルザは卓の中央に座ったまま、手元の書類を一瞥し、すぐに顔を上げた。
「午後に入っていた王妃の謁見は取りやめる。その代わり、リマの港商務官との面談は財務補佐官が応対せよ。主題は関税据え置きのみだ。譲歩は不要」
名を呼ばれた官吏が即座に深く頭を下げる。
「南部穀倉地帯の輸送遅延については、内政卿代理に一任する。今回は書面判断で十分だろう。期限は三日だ」
指示は途切れない。
誰に何を任せれば滞りなく進むかが、初めから見えている。
身体には気怠さが残っているというのに、頭は冴え渡っていた。
「王都下層区の治安対策は、都市管理官に任せる。騎士団は使うな。今回は冒険者ギルドを利用しろ。費用は予備費から出せ」
卓を囲む者たちは、誰ひとり異議を挟まない。意図も結論も、説明されずとも理解できている。
「例の法案整理は書記官長に。修正案は一案でよい。議会は押し切れるだろう」
アネルザは最後に、ゆっくりと全体を見渡した。
「……指示は以上だ。わたしは、午後は王妃宮で過ごす。各自、任された件を処理しろ。急務でない限り、報告は明日の定例でよい。頼むぞ」
椅子が静かに引かれ、アネルザは立ち上がった。
一拍の遅れもなく、評議の間にいた全員が頭を下げる。
その光景を背に、アネルザは評議の間を後にした。
判断は冴えている。言葉も澱まない。
それでも、胸の奥から、説明のつかない重さがじわりと広がっていた。
眠れていないわけではない。
食事も取れている。
だが、思考とは別の場所が、静かに消耗している感覚が、この数日、抜けない。
廊下へ出ると、足取りがわずかに鈍る。
外から見れば、疲労の色など見えないはずだ。
実際、仕事は順調すぎるほどだった。
だからこそ、その気怠さが、気に掛かる。
午後の予定は入れていない。この三日はずっとそうしている。
その理由を言葉にすることはできなかった。
しかし、頭だけは異様なほど冴えていた。
この三日──あのロウたちとの不思議な体験が終わってから、思考に曇りがない。
誰に、なにを任せればよいかが、考えるよりも先に浮かぶ。
官吏の顔を思い浮かべるだけで、その力量と限界がはっきりと見える。
無理をさせれば破綻する者、任せれば期待以上の働きをする者、その見極めに迷いがない。
政策についても同じだった。
官吏に説明を聞かずとも、資料で数字を追わずとも、どこを締め、どこを緩めればよいかが直感的に理解できる。
貴族議会への対応も、先の反応までが自然と読めていた。
誰が反対し、誰が沈黙し、誰が裏で動くか──その配置が、最初から決まっているかのように見える。
これまでの自分に、こんな感覚はなかった。
経験と勘に頼ることはあっても、ここまで明確に「わかる」ことはなかったはずだ。
判断は速く、的確で、しかも疲れない。
だから、短時間の業務で、以前と同じ量──いや、それ以上をこなせるのだ。
それなのに……。
身体の奥に残る、この気怠さだけが、どうしても説明できない。
頭は冴え、仕事は進む。
だが、別の場所が、確実に削られている。
アネルザは歩きながら、小さく息を吐いた。
評議の間を離れ、太陽宮の回廊を進んだ。太陽宮と王妃宮を繋ぐ渡り廊下を進む。
侍女ふたりが従っており、磨き上げられた床に、その足音だけが響く。
特に話しかけることはない。いまは、なるべく誰とも話したくなかった。
胸の奥に溜まった重さは、仕事で消える類のものではない。
むしろ、判断を重ねるほど、静かに増しているような気さえする。
なにかが、足りない。
それがなにかは、まだ、はっきりしない。
ただ、その欠落を意識するたび、下腹部の奥が、微かに熱を帯びる。
それを感じ取った瞬間、アネルザは無意識のうちに歩調を速めていた。
私室に戻れば、少しは落ち着くだろう。
そう思いながら。
だが、心のどこかで、落ち着くはずがないことも、理解していた。
王妃宮の奥側にある私室に着く。
部屋に入ったところで、アネルザは従ってきた二名の侍女に足を止めさせた。
「お前たちは控えで待機せよ。なにも世話はいらん。声を掛けるまで入るな」
即座に命じると、同行していた侍女たちは一礼し、静かに部屋を出ていった。
扉が閉まる音が消えた直後、入れ替わるように侍女長が、もう一人の侍女を伴って入室する。
盆の上には、封を切られていない数通の書簡が整然と並べられていた。
「王妃陛下。本日午前中までに届いた分の書簡でございます」
侍女長は一歩下がってそう告げ、盆を差し出した。
「……そこに置いておけ。後で確認する」
アネルザは椅子に腰を下ろしたまま、机を顎で示す。
「承知いたしました。──ただ、昨夜、王妃陛下よりご照会された、冒険者ギルドへの件についての回答が届いております」
その言葉に、アネルザの身体が一瞬、強張った。
それは、散々に迷った末、昨夜になって自ら命じた照会だった。
ロウ、エリカ、コゼ、シャングリア──。
その四名の冒険者についての照会である。
白い空間での出来事の直後、一度は追い払ったものの、アネルザは、献上される男娼奴隷としてやってきたロウたちを、すぐに追わせていた。
だが、その時点ですでに四人は出門しており、所在を掴むことはできなかった。
そこで官吏は次の手として、献上の元である女豪商マアに連絡を取ろうとした。
ところが、そのマアが、いつの間にか姿を消していたのである。
毒を盛られて虫の息だという噂は耳にしていた。
しかし、商会長の交代手続きはすでに済まされ、マア本人は所在不明となっていた。
その報告を受けたとき、アネルザは、しばらく言葉を失った。
次に取った手段は、王都騎士団への確認だ。
白い空間に、女騎士シャングリアがいたことは、はっきりと記憶している。
騎士団からの返答は簡潔だった。
所属はしているが、現在は休職扱い──。
騎士団長からは、出頭指示を出すかどうかの確認も来ていた。
その問いに対し、アネルザは迷わず答えた。
不要だ、と。
命じて従わせる──。
その形だけは、違う気がした。
少なくとも、あの白い空間での関係に、王妃としての命令権を持ち込むべきではないと感じた。
もっとも、その過程で、シャングリアが冒険者ギルドにも所属していることを知った。
女騎士でありながら、冒険者であるロウに心酔し、彼の冒険者パーティに強引に加わったという話は、王都では割と知られた艶話らしい。
侍女の中にも、その話を知っている者がいるほどだった。
それで、ようやく、ロウとの線がつながったのだ。
アネルザは、昨日のうちに冒険者ギルドへの照会を命じていた。
ロウたちの居場所の確認と可能であれば、王妃宮への訪問を願いたいという内容。
王妃による出頭命令ではないことを、あえて強調した。
あくまで、相手が応じる意思を持つのであれば、という慎重な文面を選び、王妃名で問い合わせを行ったのだ。
その返事が来た──。
胸の内で、鼓動が不自然なほど大きく鳴り始める。
「……見せよ」
声は落ち着かせたつもりだったが、わずかにうわずっていたかもしれない。
侍女長が盆の上から一通の書簡を取り、両手で差し出す。
アネルザは椅子に腰を下ろしたまま封を切り、目を走らせた。
そして、大きな失望が襲った。
冒険者ギルドからの回答は、簡潔なものだった。
四名はいずれも、王都冒険者ギルドに所属する正式登録冒険者であること。
だが、かなり前から王都を離れており、現在の所在は不明。
依頼の受注記録も途切れており、直近の行動は確認できない。
アネルザは書簡を膝の上に落とした。
行方不明……。
言葉にすれば、それだけだった。
だが、胸の奥が、はっきりと沈んだ。
期待していたわけではない。
それでも、なにかしらの手掛かりがあるのではないかという淡い望みが、音もなく崩れていく。
そのとき、侍女長が一歩、近づいてきた気配がした。
「騎士団に命じて調査させることも可能かと存じます。冒険者ギルドは、冒険者保護のため、王宮相手であろうと、意図的に情報を伏せている可能性もございます」
その言葉に、アネルザは一瞬、迷った。
平静を装ったつもりだったが、今回の突然の照会に、侍女長はなにかを感じ取ったのかもしれない。
だが──。
「……不要だ」
短く告げる。
侍女長は、わずかに目を伏せた。
「畏まりました」
アネルザは書簡を机の上に置き、視線を上げないまま言う。
「残りの書簡も置いておけ。後で目を通す」
「承知いたしました」
侍女長は一礼し、ほかの書簡を盆ごと置かせると、静かに部屋を辞した。
扉が閉まり、私室には再び、アネルザひとりだけが残される。
「所在不明か……」
ほとんど息と同じ軽さで、呟いた。
本当に行方が知れないのか、それとも、そう装っているだけなのかは、わからない。
だが──三日前の、あの白い空間での出来事が、白昼夢や幻ではなかったことだけは、いまのアネルザには疑いようがなかった。
冒険者ギルドに照会した四名と、あのとき白い空間にいた者たちが、同一人物である保証はない。
まったく別の存在である可能性も、理屈の上では否定できる。
だが、おそらく、彼らなのだ。
そして、侍女長の言葉どおり、冒険者ギルドが、王宮相手であろうと、冒険者保護を理由に情報を伏せることは、十分にあり得る。
つまり、これは拒否だ。
ロウは、アネルザの呼びかけに応じなかった。
そう思うしかなかった。
もちろん、方法はある。
照会ではなく、「命令」に切り替えることもできる。
王妃の権限をもってすれば、出頭を命じることは難しくない。
しかし──。
それをしてはいけない、という感覚がはっきりとあった。
アネルザは、手にしていた冒険者ギルドからの書簡を脇のサイドテーブルに置いた。
ロウに拒まれたのだ──。
そう受け取るしかない。
胸の奥が、じわりと沈んだ。
アネルザはしばらく、そのまま動けずにいた。
拒まれた──そう理解した瞬間から、下腹部の奥で、別の熱がくすぶり始めている。
椅子に深く腰を沈め、視線を落とす。
私室は静かだった。
侍女もいない。アネルザが厳命しているので、絶対に入ってこない。
……耐えられない。
座ったままスカートをたくし上げて、下着を膝までおろした。
この三日間で暇さえあれば繰り返している自慰──。
刺激をしなければ、とてもじゃないが我慢できないのだ。
女としての局部に、男の子の性器が付随する奇妙な股間が露わになる──。女の身体であるはずの股間は真っ赤に熟れ、そこに付随した小さな男根も同じように濡れ、完全に勃起していた。
女の部分の性器に触れる。
「はあ……ああ……」
すぐに甘い吐息が零れた。
指を膣内に潜り込ませて愛撫しながら、乳房を服の上から揉む。
大きな快感が襲ってきた。
「ああ、あっ、だめ、だめだよう……」
だらしなく開いた両脚の奥を一心不乱に愛撫する。
秘部に挿入した指がねちゃねちゃと淫らな音を立て、肉体は砕けそうになっていた。
「ああっ、いくっ、いくよ──ロウ──」
アネルザはあっという間に女の極みに昇りつめていた。
だが、絶頂の後にやってくるのは、空しい焦燥感と快感の渇望感だ。
達したのに、なにかが足りなかった。
アネルザは深く息を吐いた。
身体は反応した。
感覚も、頂点も、あったはずだ……。
それなのに──。
達したはずなのに、満たされない。
むしろ、空虚さだけが残っている。
視線が、自然と下腹部へと落ちる。
そこには、三日前と同じものが、確かに存在していた。
女性の身体に生えた、小さな男根と、その根元を締めつける金属環……。
射精は、封じられたままだ。
解放される兆しはない。
もしかして、果てたのに、果てた感覚が足らず、焦燥感がすぐに襲うのは、男の側で快感を得られないためなのだろうか?
そして、淫紋──二匹の蛇……。
あの白い空間で、確かに動いていたそれは、三日前を境に沈黙している。
どれほど願っても、どれほど身体を刺激しても、紋様はただの模様のままだ。
あのときのように、勝手に暴れ、苛み、倒錯と被虐の激しい快楽へ、アネルザを引きずり込んでくれることはない。
「……なぜだい……?」
答えは出ない。
ただ、常に、満たされない苛立ちが残る。
欲情と倦怠が同時に押し寄せ、心身を鈍らせる。
だからこそ、この三日、業務は午前中だけにしていた。
午後になると、集中を装うのが難しくなるからだ。
それなのに──。
皮肉なことに、頭だけは異様なほど冴えている。
短時間の判断で、以前より多くの案件を片づけている。
数字も、人の配置も、自然と正解が見える。
特に、人を見る力。
誰が使えるか、誰が限界か、誰を外すべきか。
説明も資料も要らない。視線を交わしただけで、理解できてしまう。
とても偶然とは思えない。
「……人物眼、か……」
そんな言葉が、ふと脳裏をよぎった。
理由はわからない。
だが、確実に、なにかが変わっている。
たとえば──アネルザが次期王太子の婿として据えるべく動いているキシダインについてだ。
これまでも好ましい存在ではなかったが、いまは説明のつかない嫌悪感が、はっきりと大きくなっている。
理屈ではなく、本能に近い拒絶だった。
また、ルードルフに対しても同じだ。
無能であるという評価自体は、以前から変わっていない。
だが、そこに混じる感情が違う。
失望だけではない。
いまは、明確な不快感と警戒心が重なっている。
価値判断の基準が、変わったのか。
それとも、見えていなかったものが、見えるようになったのか。
いずれにせよ──。
それは、アネルザの内側で、なにかが確かに変質した証だった。
しかし、快楽は奪われ、射精は封じられ、身体は飢えたまま。
その代わりに、思考と判断だけが研ぎ澄まされていく。
そして、そのすべての中心にいるのは──。
「ロウ……」
名を呼んだ瞬間、下腹部の奥が、じくりと疼いた。
淫紋は動かない。
だが、淫欲だけは、確かにそこにある。
出口のないアネルザの身体の中で暴れ続けている。
アネルザは、静かに目を閉じた。
この飢えがいつまで続くのか……。答えは、まだ、どこにもなかった。
アネルザは、しばらくそのまま椅子に沈み込んでいた。
身体は重く、思考だけが先走る。快楽の余韻はすでに消え、代わりに、じっとりとした不快感が肌に残っていた。
気怠さに抗うように、スカートを下ろして下着を引き上げる。
濡れた布地が股間に触れ、その感触に眉をひそめた。
アネルザは机の前に移動して、引き出しから一枚の魔道紙を取り出した。
淡い紋様が刻まれたそれは、洗浄用に調製された魔道紙だ。
アネルザ自身に、大きな魔道力はない。
だが、あらかじめ魔道紋を刻み、起動だけを行う程度であれば問題はなかった。
魔道紙を指先で挟み、静かに意識を向ける。
わずかな魔力が流れ込み、紙の紋様が淡く光を放った。
温もりにも似た気配が広がり、肌をなぞるようにして、汚れと湿り気が消えていく。
下着に残っていた不快な濡れも、股間にまとわりついていた嫌な感覚も、跡形もなく拭い去られた。
清潔さは戻る。
だが、胸の奥の重さまでは、消えなかった。
魔道紙を畳み、脇に置く。
机に向き直った、そのときだった。
盆の上に置かれた書簡の束に違和感があった。
封を切られていない数通の中に、ひとつだけ、異質なものが混じっていたのだ。
アネルザの視線が、自然とそこに吸い寄せられた。
封蝋に刻まれているのは、向かい合わせに絡む二匹の蛇。
見覚えのある紋様だった。
「これは──」
思わず、声が漏れる。
息が、わずかに止まった。
あの淫紋と、同じ形──。
理解するよりも早く、アネルザは書簡を手に取っていた。
差出人の名はない。
宛名として、アネルザの名も記されていない。
無地の封筒に、二匹の蛇の封蝋が押されているだけだ。
あり得ない。
この太陽宮で、しかも王妃宮に届けられる書簡は、すべて女官と侍女の手を経る。
検分も記録もなしに、こんな異様な手紙が紛れ込むことなど、本来は起こり得ない。
だが──。
現に、それはここにある。
机の上に、何事もなかったかのように置かれている。
どうやって、運び込まれたのか。
どの経路を通ったのか。
一瞬、そんな疑問が浮かびかけたが、すぐに、切り捨てられた。
手段など、どうでもいい。
いま重要なのは、ただひとつだ。
この中に、なにが書かれているのか──?
書簡の中身は、短い。
命令文のようでいて、強制の気配はない。
『今夜、目隠しと手枷を施したうえで、全裸となり、寝台の上で胡座をかいて待つこと』
刻限も、はっきりと記されている。
読み終えた瞬間、アネルザは言葉を失った。
唖然とするほどの内容だったはずだ。
王妃という立場を考えれば、正気とは思えない指示でもある。
それなのに──。
不安は、なかった。
恐れも、逡巡も、胸には湧かなかった。
ただ、ひとつだけが、はっきりと理解できていた。
ロウに、会える──と。
その事実が、他のすべてを押し流していく。
胸の奥が一気に軽くなり、思考が熱に浮かされる。
気怠さも、空虚さも、いまは遠い。
有頂天、という言葉が、これほど正確に当てはまる状態もないだろう。
理性は状況を理解している。
それでも、身体のほうが、先に応えていた。
アネルザは、書簡を握りしめたまま、静かに息を整えた。
今夜が来るのを待つだけだ。