※この作品はR-18です。

【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】   作:ドン・ドナシアン

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223 宿場町の夜

 安宿の廊下は、夜ともなれば、かなり暗い。

 一階の共有厨房から戻る階段は急で、盆を抱えたボニーの腕に鈍い痛みが走る。

 傷めた右腕を庇いながら、ボニーは息を整えた。

 また、短く切られた髪を包むように、頭には布を巻いている。

 怪我を隠すためでもあり、血が滲むのを抑えるためでもある。

 腕も、脚も、頭もクライドの暴力を受けた痕だ。

 

 扉の向こうから、寝台が軋む音が聞こえてくる。

 安宿だ。扉も壁も薄い。

 クライドがそれを気にするとも思えないが……。

 また、部屋のなかから伝わる振動で廊下も揺れている。規則的ではない。重たい揺れだ。

 中からは、喉の奥を押し潰したような女の呻き声──。

 それに重なる、男の低く詰まった息遣い。

 

 ボニーは部屋の前で足を止めている。

 右脚の疼きもあったが、部屋のなかでなにをしているのかを知っているので、入るのを躊躇ったのだ。

 しかし、嘆息して、扉を叩く。

 

「……あたしよ。戻ったわよ」

 

 返事はない。

 鍵が掛かっていないことを確かめ、ボニーは両手で大きな盆をかかえたまま、扉を肩で押した。

 右脚を引きずりながら部屋に入る。

 

 中に入ると、扉近くのテーブルに盆を置くと、すぐに扉を閉めた。

 部屋の中には寝台がふたつ──。

 その奥側の寝台が揺れていた。

 クライドが小柄な童女を押し倒し、男根を股間に挿し入れたまま、腰を打ちつけていた。

 

 童女の顔は虚ろだ。

 眼は開いているが、焦点が合っていない。

 それでも、繰り返される陵辱の中で、身体は少しずつ反応してしまうのか、甘さの混じった掠れた鼻息が漏れている。

 

 ボニーはテーブルに料理を並べていく。

 焼いた干し肉。

 豆を煮たもの。

 それから、酒瓶を二本。

 

 強い酒だ。

 路銀は残り少なく、安くはなかったが、クライドが酔って寝てしまえば、あの子が犯される時間が減る。

 それだけでも、意味はある。

 並べ終えた瞬間だった。

 

「んおおおっ」

 

 獣じみた声とともに、クライドが腰を深く突き入れた。

 童女の身体がびくりと跳ねる。

 

「ああ、腹が減ったぜ。ああ。また、干し肉と豆かよ──」

 

 やっと童女から離れたクライドが、股間を露出したまま立ちあがって、ボニーの前のテーブルを一瞥する。

 そのまま、部屋にもうひとつある寝台に上がり、胡座をかいた。

 

「夕食よ」

 

 ボニーは黙って、盆に載せた皿を差し出す。

 干し肉と豆。

 それから、酒瓶を二本。

 

「はあ、しけた飯だよなあ。もっと、まともなもの準備できねえのかよ」

 

「ごめんなさい……。その代わりに、お酒を買ってきたから……。足りなければ、いつでも言って。買ってくるわ」

 

 クライドが盆と酒を無造作に受け取る。

 

「まあ、いいだろう。だが、いい加減に宿屋暮らしも飽きたな。しかも、安宿に隠れるようによお」

 

 クライドが肉に噛みつき、酒を飲み始める。

 

「……明日にはとりあえず、王都に入れるわ。そしたら、帝国から潜入している諜報員に接触できると思うの。路銀はそこで追加してもらうわ」

 

「連絡して、ここまで持ってこさせればいいじゃねえか。パリスの言いつけで、任務をしてんだからよお」

 

「無茶言わないでよ。王都のどこに拠点があるのか確認するところから始めないとならないのに」

 

「ちっ、まあいいぜ。じゃあ、王都に入ったら、すぐに金を調達しろ。俺については、ロウとエリカを殺しといてやる。終わったら王都を出るからな」

 

「やめてよ──。とりあえず、王都内になるけど、明日も宿屋よ。大人しくして。あたしが情報を集めてくるから。あなたは、じっとしてて。騒ぎは起こさないで」

 

 ボニーは必死に言った。

 そのときだった。

 目の前に、なにかが飛んできた。

 次の瞬間、頬に痛みが走り、熱いものが顔に広がる。

 

「きゃあ」

 

 からんからんと、金属音が床に転がった。

 料理の載った皿だった。

 クライドが、それを投げつけたのだと悟る。

 

「誰に口きいてんだ──。お前は黙って、言われたとおりにしてりゃいいんだ」

 

「ごめんなさい……いえ、申し訳ありません……。でも、お願い。迂闊には動かないで。命令で、タリオの諜報組織に、あたしたちの動きを読まれるなって……いえ、言われているんです」

 

 それは本当だった。

 パリスから、暗殺と同時に厳命されたことだ。

 意味までは、わからない。

 

 ただ、ハロンドール王都には、皇帝家から派遣された諜報員だけでなく、タリオ公国から送り込まれている諜報組織もある。

 そちらには、動きを悟られるなと言われていた。

 王都に入ったあと、改めて潜入中の皇帝家の諜報組織から、任務の付与を受ける予定になっている。

 

「ふん、まあいい。それを片付けろ。代わりの飯を寄越せ」

 

 クライドが吐き捨てる。

 怒鳴られ、ボニーは頷いた。

 顔や衣服に付いた料理を、布で軽く拭う。

 

 残っている皿のうち、ひとつを差し出す。

 クライドが無造作に受け取った。

 ボニーは床に散らばった料理を布で拭き、食べられそうなものだけを皿に戻していく。 

 

「まあいいだろう」

 

 クライドは酒瓶に口を付けてぐびぐびと飲む。

 喉が鳴る音が、やけに大きく響く。

 ボニーは、残っているひとつの皿を手に取り、奥の寝台へ戻る。

 

「食べなさい。あと、水筒……」

 

 皿と水筒を差し出す。

 童女はのそのそと身体を起こしたが、受け取ったものをそのまま寝台の上に置いた。

 彼女の右足首には、金属の枷が嵌まっている。

 そこから伸びた鎖は、クライドが座る寝台に巻かれ、鍵が掛けられていた。

 鍵は、クライドの身につけている服のどこかだ。

 

「……少しでも食べなさい。お願い」

 

 童女の名はミウ。

 この数日の旅のあいだで、それだけは教えてもらった。

 小柄で、成熟しきっていない身体。

 年齢はたったの十歳。

 

「クライド様……この湯で、この子の身体を拭いていいですか? ……拭かなくっちゃ」

 

 ボニーは、慎重に声を掛ける。

 料理と一緒に、木桶にいっぱいの湯を買ってきていた。

 勝手に使えば、怒鳴られるだけでは済まない。

 すぐに、暴力が飛んでくる。

 

 それが自分に向くなら、まだいいのだ。

 だが、この子に向かうこともある。

 なにが沸点か、わからない。

 

 返事はない。

 ふと見ると、一本目の酒瓶がすでに半分ほど空いている。

 ここ数日の様子からすれば、二本目の半分ほどで、いびきをかき始める。

 そうなれば……。

 

 ボニーは木桶を持ち、寝台にあがると、ミウの傍に寄った。

 

「拭くわね……」

 

 布を湯で濡らし、黙って彼女の身体を拭き始める。

 

 肩──脇腹──太腿──。

 あちこちに痣がある。

 古いものと、新しいものが混じっていた。

 色も大きさもまちまちで、どれもが乱暴に付けられたものだ。

 クライドのしたことである。

 

 腕を持ち上げたとき、右手が目に入った。

 中指と、人差し指。

 添木を当て、布を巻いたが、ボニーの施した素人の応急処置に過ぎない。

 

 一日目の夜にミウが、夜中に泣きじゃくり始めたときがあった。

 それに腹を立てたクライドが、無言で手を掴み、指をへし折ったのだ。

 

 ミウを抱き締めて、背中をクライドに蹴られながら必死に庇った。

 だが、折れてしまった指については、治療術を使えない自分にはなにもできなかった。

 

 布を湯につけ直して、身体を拭き続ける。

 ミウは生気を失ったままで、ほとんど反応を示さない。

 

 声も身じろぎもない。

 ただ、そこにいるだけだ。

 せめて、身体を清めることくらいしかできない。

 それが、いまの自分にできるすべてだった。

 

 下腹に手を伸ばす。

 彼女の股間には陰毛はない。

 膣からは、白く体液が零れ出ていた。

 クライドが放った精液だ。

 布を替え、丁寧に拭っていく。

 何度も、何度も……。

 

 しかし、思わず手が止まった。

 股間の裂けた痕だ。

 すでにかさぶたになり始めている。

 こんな状態で、繰り返し犯されれば、痛くないはずがない。

 それでも、ミウはさっき声を上げてなかった。

 我慢強い子なのだと思った。

 

「……ごめんなさいね……。なにもできなくて……」

 

 ボニーは、ほとんど音にならない声で呟いた。

 誰に向けた言葉なのか、自分でもわからない。

 もう一度、布を洗い直して、慎重に拭く。力を入れないように、触れるだけにする。

 

 終えると、懐に手を入れた。

 小さな布袋から、緑色の丸薬を取り出す。

 

「ミウ、これを飲んで」

 

 彼女の口元に近づける。

 

「サビナ草よ……。知っているでしょう。絶対に安全な避妊薬」

 

 一瞬、迷う。

 だが、続けた。

 

「……こんな男の子どもなんて、産みたくないでしょう?」

 

 ミウの睫毛が、わずかに動いた。

 遅れて、小さな口が開く。

 ボニーは、その中に丸薬を押し入れた。

 ミウは、かすかに喉を鳴らして飲み込む。

 

 それだけの反応だった。

 ボニーは、胸の奥で息を吐いた。

 ほんのわずかだが、肩の力が抜ける。

 

 避妊……。

 

 守れたものは、たったこれだけだ。

 それでも──。

 

 そのときだった。

 ミウが俯かせていた顔をすっとあげたのだ。

 ボニーの顔を突然にじっと見てきた。

 

「あ、ありがとう……」

 

 小さな掠れるような声だった。

 

「ああ、ああ、ミウ──」

 

 思わず、ボニーはミウを抱き締めた。

 ボニーはそのまま、しばらくミウを抱き締めていた。

 その耳に、隣の寝台から高いいびきが届く。

 

 荒く、喉の奥で擦れるような音だ。

 酒を飲み始めてから、まだそれほど時間は経っていないはずだが──。

 ゆっくりと顔を上げ、クライドの方を見る。

 背を向け、股間を露出したまま、だらしなく寝台に突っ伏している。

 

 この三日で、クライドが一度眠ってしまえば、夜明けまで目を覚まさないということを、ボニーは覚えていた。

 

 ミウの足首に繋がれた鎖に視線を向ける。

 金属の枷が白い脚に食い込み、それがクライドの寝台の脚へと巻かれて、鍵が掛けられている。

 鍵は、あの男の服のどこかだ──。

 

 しばらく考えたが、ボニーは小さく首を横に振った。

 いま触れれば、どれだけ静かにやっても気づかれる気がした。

 無理だ──。

 

 諦めの代わりに、別の場所へと視線を落した。

 ミウの両手首だ。

 そこに巻かれた、黒ずんだ金属の輪──。

 初めて見たときから、ずっと気になっていたのだ。

 

「……ひとつ、教えて」

 

 ミウを抱き締めたまま、耳元にささやくように口を開く。

 

「……これって、魔道封じよね? あなた……魔道遣いなの?」

 

「……違い……ます……」

 

 ミウは、ほんのわずかに首を振った。

 

「……じゃあ、どうして、魔道封じなの?」

 

 間を置いて、ミウの唇がかすかに動いた。

 

「魔道……暴発するから……」

 

 ぽつりと、掠れる声が落ちた。

 

「魔道暴発?」

 

 ボニーは、眉を寄せたまま考える。

 聞いたことはある。

 だが、身近な出来事ではない。

 

 本来なら、魔道は制御して使うものだ。

 けれど──。

 

 感情が揺れた拍子や、体調を崩したときに。それとも、眠っている最中や、強い痛みを受けたときに。理由もなく、勝手に噴き出してしまう者がいると聞いた。

 

 炎だったり──。

 電撃だったり──。

 

 制御できなければ、本人も周囲も危ない。

 だから、魔道封じ──。

 そんな話を、昔、遠い席で耳にした覚えがあった。

 

「……でも、あたし……危険なんです。魔道封じも効きにくいって……」

 

「えっ、どういうこと……?」

 

 驚いて問い返すと、ミウはすぐには答えなかった。

 俯いたまま、しばらくしてから、ぽつりぽつりと言葉を落としていく。

 

 平民だったこと。

 ある日突然、地方の神殿で魔道力があると認定されたこと。

 測定を何度繰り返しても、数値が一定せず、安定しなかったこと。

 魔道暴発の可能性があると判断されたこと。

 地元で、魔道を安定させるための訓練を受けたこと。

 けれど、うまくいかなかったこと。

 だから、王都神殿へ行くようにと、紹介状を渡されたこと。

 

 その間、ずっと。

 一番強い魔道封じを付けられていたこと。

 

 ミウの話は、途切れ途切れだった。

 言葉も順序も整ってはいない。

 それでも、断片を繋ぎ合わせれば、だいたいの事情は見えてくる。

 

 平民の少女に、突然芽生えた魔道力──。

 しかも、制御できない不安定な型──。

 暴発の可能性があると判断され、危険物のように扱われた。

 保護の名目で拘束され、封じられ、王都神殿へ送られる予定だったのだろう。

 そこへ至る途中で、クライドに捕まったのだ。

 ボニーは、小さく息を吐いた。

 

「……でも、魔道訓練は、一度は受けたのね?」

 

 ミウは、かすかに頷いた。

 ボニーは正直、魔道のことはよくわからない。

 自分が使えるのは、魅了だけだ。

 魔道の流れを感じ取ることも、術式を組むこともできない。

 

 それでも──。

 

 懐に手を入れ、包みを取り出す。

 食料を調達したとき、無理をして手に入れた魔道紙だ。

 あらかじめ魔道紋が刻まれている。

 

 解錠の魔道──。

 使い手が魔力を流し込むだけで起動する単純な術式だ。

 

 ボニーには使えない……。

 だが、魔道遣いであれば──。

 

「……これに、魔道を流せる?」

 

 そっとミウの前に差し出した。

 もし、ほんの少しでも魔力を流せるなら……。

 もし、この封じられた状況でも反応があるなら……。

 

 ボニーはもう一度、クライドを見た。

 相変わらず、大きないびきをかいたまま。

 ボニーは、ミウに視線を戻して、しっかりと眼を見た。

 

「……一緒に……逃げましょう」

 

 ボニーははっきりと言った。

 ミウはしばらくじっと見ていたが、やがて、かすかに頷いた。

 

「……やってみます」

 

 ミウが魔道紙を受け取ると、じっとそれを見て、集中しはじめた。

 

「えっ、魔道封じは外さなくていいの?」

 

 思わず声が出た。

 てっきり魔道封じを外してから、魔力を注ぐものを思ったのだ。

 

「あたし……封印が効かないらしいんです……。もしも、王都で制御できるようにならなきゃ、死ぬしかないって……」

 

 次の瞬間だった。

 真っ白い光が、部屋の中央から噴き出した。

 

「きゃあああっ」

 

 ミウの悲鳴が上がる。

 

「うわああっ」

 

 同時に、凄まじい暴風が巻き起こり、ボニーの身体も宙に浮いた。

 なにが起きたのか、わからない。

 ただ、耳を裂くような爆音がして、視界が白に塗り潰された。

 

 金属が砕ける音──。

 壁や天井が引き裂かれる音──。

 四方八方に金属片が弾き飛ばされる。

 

 ボニーは、反射的にミウの腕を掴んだ。

 そのまま、ミウとともに壁に叩きつけられる。

 必死にミウの身体だけを庇った。

 

 衝撃で息が詰まる。

 だが──。

 爆風は、身体を弾き飛ばしただけで、肉体を引き裂くような力はなかった。

 

「ぐあああ、なんだ、なにが起きやがった──」

 

 怒鳴り声とともに、さすがにクライドも目を覚ましたようだった。

 しかし、寝台から落ちて、床に転がってしまっていた。

 

 室内は、無残だった。

 壁は抉れ、天井の梁が露出している。

 金属片が突き刺さり、床には破片が散乱している。

 

 それでも──。

 誰も、致命傷は負っていない。

 

「ミウ──」

 

 ボニーは、掴んだ腕を確かめる。

 生きている。

 震えてはいるが、意識はある。

 そのとき、視線がミウの足元に落ちた。

 

 ない──。

 

 ミウの足首を縛っていた枷も、そこから伸びていた鎖が跡形もなく、消滅していた。

 考える暇はなかった。

 ボニーは跳ね起き、破れた寝台から毛布を一枚引き剥がす。

 ミウの身体を包み込むようにして抱えた。

 

 窓はすでに砕けている。

 外気が、壊れた部屋に流れ込んでいた。

 

 ここは二階だ──。

 ボニーは、一瞬も迷わず、壊れた窓枠を蹴り飛ばして、ミウを毛布に包んで抱いたまま、外へ飛び出した。

 

「くっ」

 

 宙を切った身体が、そのまま地面に叩きつけられた。

 肩から落ち、背中を打ち、さらに横へと転がる。

 

 その瞬間、もともと傷めていた箇所に、まとめて衝撃が乗った。

 右腕──脇腹──引きずっていた右脚──。

 鈍く燻っていた痛みが、一斉に噴き上がる。

 

「……っ」

 

 声にならない息が、喉から漏れた。

 肺の奥が押し潰され、視界が一瞬だけ歪む。

 

 ただでさえ、まともに動かせない身体だった。

 そこへ、この落下だ。

 古い打ち身が裂けるように疼き、治まりかけていた痛みが、さらに深く刺し込んでくる。

 

 それでも、腕は離さなかった。

 毛布に包んだミウを胸に抱え込み、必死に身体を丸める。

 

 地面に伏したまま、わずかに息を整える。

 

 だが──。

 

「なんだ、いまの音……」

 

「宿屋の方だぞ」

 

 ざわめきが、周囲から一斉に湧き上がった。

 宿屋だけではない。

 周囲の建物からも、次々と人が姿を現している。

 

 灯りが点き、窓が開く。

 驚きと恐怖と好奇心が混じった視線が、こちらに集まってくる。

 

 まずい──。

 

 ボニーは歯を食いしばり、身体を起こした。

 脚に力を入れた瞬間、鋭い痛みが跳ね返る。

 

 立つだけで、全身が悲鳴を上げていた。

 それでも、止まれない。

 

「ボニーさん──」

 

 腕の中のミウが叫ぶ。

 

「黙って──声をあげないで──」

 

 毛布を抱え直し、ミウの頭を胸に押し付ける。

 そのまま、人の波へと踏み込んだ。

 

 肩がぶつかり、肘が当たるたびに、古傷が疼く。

 だが、振り返らない。

 

 人の流れを縫い、さらに細い路地へ──。

 背後の声が遠ざかるまで──。

 

 ボニーは、打ち身の痛みを引きずりながら、ミウを抱いたまま、ただ逃げ続けた。

 宿場町の中を滅茶苦茶に走った。

 どこへ向かうかなど、考えていない。

 

 人の声──灯り──建物の並ぶ通り──。

 それらを振り切るように駆け抜け、町外れへ飛び出す。

 舗装された道を外れ、そのまま横へ逸れ、林の中へと身を投げ込んだ。

 

 枝が顔を叩く。

 茂みが脚に絡みつく。

 

 それでも、止まらない。

 必死に草をかき分け、奥へ、奥へと突き進む。

 

 ――そのときだった。

 

 背中に、強烈な衝撃が叩き込まれた。

 

「あがああっ」

 

 前へと弾き飛ばされ、顔面から地面に叩きつけられる。

 口の中に、土と草の味が広がった。

 

 それでも、腕は離さなかった。

 地面に転がりながら、ミウだけは守る。

 

「このやろう──、殺してやるぜ──」

 

 低い声が、背後から降ってくる。

 振り向かなくても、わかる。

 クライドだ。

 

 振り返る。

 いつの間にか、ズボンを履き、剣を手にしている。

 こんなに早く追いつかれるなんて……。

 

「きゃああ」

 

 ミウが引き剥がされた。

 腕が離れる。

 

「待って──」

 

 必死にミウに腕を伸ばす。

 次の瞬間、身体を思い切り蹴り飛ばされた。

 

「ひぎいいっ」

 

 ボニーは転がりながら丸まり、必死に身体を庇う。

 しかし、クライドが追いかけてくる。

 

 腹に蹴りが喰い込む。

 頭を蹴られる。

 

 雨嵐のような暴力──。

 顔に上から踏みつけられる。

 

 意識が、遠のいていく。

 口から、鼻から、血が溢れ出すのがわかる。

 治りかけていた頭の傷が割れ、熱いものが顔を伝った。

 

「もう死ねや」

 

 虚ろになる意識の中で、クライドが剣を抜くのが見えた。

 

「やめて……やめてください……」

 

 ミウの声が、震えながら響く。

 

「一緒に行きます……。もう、絶対に逃げません……。だから、ボニーさんを殺さないで……」

 

 ミウが、クライドの脚にしがみついていた。

 

「邪魔だ──」

 

 乾いた音がした。

 ミウが殴られる。

 

 それでも、ミウが離れない。

 必死に、クライドの脚に縋りついている。

 

 何度も、殴られる。

 それでも、ミウはしがみついたままだ。

 

「ミ、ミウ……」

 

 ボニーは、最後の力を振り絞った。

 

「……もういいから……ミウ……」

 

「しつけえなあ──」

 

 クライドの舌打ちが聞こえる。

 

 次の瞬間、腹に強烈な一撃が叩き込まれて、身体が転がる。

 息が、完全に途切れる。

 

 しかし、今度はクライドは追いかけてこなかった。

 そのまま、ミウを引きずるようにして、クライドは道の方向に戻っていく。

 

 ボニーは、倒れたまま、それを見送ることしかできなかった。

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