【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】 作:ドン・ドナシアン
ユイナの視線の先で、小さな火の粉が散っている。
地面に描いた魔道陣の中心で、燐光がチカチカと瞬いていた。
……できた。
指先に残る魔力の痺れが、いつもより少し強い。
それだけ集中していたということだろう。
あとは、呼びかけるだけ──。
「出てきなさい──。命令よ。そして、わたしと契約をしなさい」
ユイナが言い終えると、ほんの一瞬の沈黙のあと、魔道陣の中央に、ふわりと白い光が立ち上った。
それは火ではない。光でもない。
どこか……異質な空気のようなものが、こちらの世界に滲み出してきているのだ。
やがて、その光の中から、手のひらほどの小さな女の姿が浮かび上がった。
「わあ。久しぶりに呼ばれたなあ……。まだ召喚術を遣える人族がいたんだ。でも、人族の掟では、召喚術でぼくたちを呼び出すのは禁忌なんじゃないの?」
女……いや、小人のような妖魔は、どこか気怠げに笑っていた。
裸同然の姿に、金の飾りをいくつも身につけている。肌は透き通るように白く、髪は緑色。
瞳だけが毒々しい赤色を帯びていた。
小さな羽根が背中にあり、ふわふわと宙に浮いている。
こいつが……魔妖精……。
ユイナは小さく息を呑んだ。
召喚に応じた相手が、まさに、その種であることを一目で悟る。
妖魔族──。
魔族の一派であり、人族とは異なる世界に起源を持つ異種──。
中でも、いま目の前に現れた小人のような妖魔は、淫魔族と呼ばれる一族のひとつとされ、彼女たちのような小さな身体をした飛翔種は、“魔妖精”と呼ばれる種だった。
人族にとっては忌避の対象だが、ある意味で最も強力な使役対象にもなる。
ただ、この魔妖精自身が口にしたとおり、妖魔の召喚は、いまは禁忌となっている魔道術だった。
「禁忌だろうか、そうでなかろうが、あんたに関係ないでしょう」
「そりゃあ、そうだ。あんたらの決まりであって、ぼくたちの決まりじゃないものね。でも人族でエルフ族の女の子かあ……。見た目は可愛いけど、召喚者ってのは、こう……もっとエロい儀式とかで呼んでくれるんじゃなかったっけ?」
「黙りなさい」
「うわっ。ああ、でも、その顔好きだなあ。睨んでるのに、どこか怯えてる。いいね、たまらない。……名前、訊いちゃっていい?」
「……ユイナよ」
「へえ、ユイナ。覚えておく。じゃあ、こっちも名乗らないとね。わたしは“クンニ”。そう呼んで」
「クン……。はああ? なに言ってんのよ──」
いま、なんて名乗った……?
耳を疑ったが、確かにそう言った。
「ふ、ふざけてるの……?」
「ふざけてないってば。ちゃんとした契約名だよ。そっちの世界の決まりで言えば、“契約の印”ってやつ?」
「……最低ね──。ちゃんとした名前にしなさいよ──」
「ちゃんとした名前だよ。く・ん・に──。契約するなら、ちゃんとその名で呼んでね。妖魔は契約名でしか力を貸さないって、知ってるでしょ?」
ユイナは思わず奥歯を噛み締めた。
契約名──。
そんな下劣な名を口に出すのは屈辱だった。だが、妖魔との契約においては、相手が自ら名乗った“契約名”でしか命令を発することはできない。
たとえ、どれほどふざけた名前でも、ユイナの側に選択の余地はない。
だが、絶対に本名じゃないだろう。
「……クンニ、わたしと契約を結びなさい。いいわね」
だが、それでも名を呼ばねばならない。ここで退けば、これまでの準備が水の泡だ。
「ふうん、どうしようかなあ」
魔道陣の上の魔妖精が宙に浮かびながら、小馬鹿にしたように笑う。
その態度にちょっと腹がたってきた。
「とにかく、出てきたってことは、契約に応じる気があるってことね。なら、契約しなさい。命令よ」
「うわっ、突然に召喚して、いきなり命令? ちょっとは、お礼の言葉とかがあってもいいと思うんだけどなあ」
「じゃあ、お礼を言うわ。だから契約しなさい」
ユイナは吐き捨てるように言った。
「こんなに心のこもってないお礼は初めてかな。まあ、いいよ。ちょっと生意気そうだけど、まあ退屈してたしね……。あんたのこと好きになれるかもしれないし……。あんたは、どう? クンニのこと好き? なら、クンニ、好きって言ってよ」
魔妖精──クンニがふわふわと魔道陣の上で浮かびながらけらけらと笑う。
むっとしたが、苛立ちをなんとか呑み込む。
「余計なこと喋らないで。じゃあ、契約よ」
「待ってよ。条件が先だよ、それによっては契約してもいいよ。ちょうど退屈してたしね」
クンニがふわりと宙を舞いながら、声のトーンを変える。
「契約の内容は、ある男に罰を与えることよ。契約は三日間で……」
「おっと。代償の話だよ──、わかってんでしょう。ただ働きなんてしない主義なの。だって、ぼくたちは、冥王戦争のときから、そういう決まりで動いてるんだ。人族は嘘つきで卑怯だし」
「冥王戦争ねえ……」
「あれっ知らない? そっか、人族の歴史って、あの辺の記録って、めちゃくちゃだもんね。ま、ざっくり言えば、人族が隠謀を張り巡らせて、ぼくたち魔族を異界に追放した事件だね」
「冥王戦争を知らないわけないでしょう──。ちゃんと歴史で勉強したわよ。そもそも隠謀を起こしたのは魔族よ──」
ユイナは怒鳴った。
「冥王戦争」──。
かつて、この世界には、人族と魔族という二つの大種族があった。
エルフ族、ドワフ族、人間族、獣人族などを含む人族と比べ、魔族は暴力と支配を絶対とする価値観で動いていた。
また、魔族は瘴気──すなわち、汚れた大気を生存の糧とするが、人族は瘴気の中では生きていけない。棲み分けの可能性もあったが、魔族側が拒絶し、人族と魔族が生存域を賭けて大戦争を起こした。
これが「冥王戦争」である。
冥王というのは、そのとき魔族の中に現れた統一者であり、彼は瘴気を操り、大陸全土に魔族の支配を広げようとしたそうだ。
だが、人族も黙ってはいなかった。
分裂していた国々をひとつにまとめ、抗った。
その中心にいたのが、ロムルス──初代ローム帝国の皇帝である。
激しい戦いの末に、冥王は敗れ異界に封印された。
そして、魔族たちの多くも異界に追いやられた。
しかし、冥王に従わなかった魔族もいた。
魔族でありながら、人族に味方した魔族種たち──。
それが「妖魔族」である──。
だが、表向きは生き延びたとされるが、実際には瘴気のない世界では長く生きられず、自ら異界へと去っていった。
しかし、妖魔族の異界は、現界──人族の住まう世界と薄い膜一枚で繋がっており、特殊な魔道を用いれば呼び出すことができる。
それが、禁忌とされる妖魔召喚術だ。
「ねえ、報酬がなきゃ契約はできないよ? まあ、気に入ったら、ただでやってあげてもいいけどね──ははは」
「まあ、報酬は払うわ。どんな報酬よ?」
ユイナは仕方なく訊ねた。
正直にいって、報酬のことは考えてなかったのだ。
「あんたに準備できない報酬までは要求しないよ……。まあ、人族の掟に背いてまで、ぼくを召喚したんだ。それに免じて、無理は言わないさ」
魔妖精はくすくすと笑った。
「人族の掟」というのは、「魔道十二戒」のことだ──。
この妖魔、異界の住人のくせによく知っている。
魔道遣いにとって十二戒は常識だ。人族が定めた禁断魔道の封印規定であり、その中には妖魔召喚も含まれている。
異界に封じられた彼らを呼び戻すのは、禁忌中の禁忌魔道──。
だが実際には、「妖魔召喚術」と呼ばれる魔道を用いれば封印を越えられる。
妖魔は独特の価値観を持つ。召喚契約が成立すれば、召喚者を裏切らない。
もともと魔道に長けていた種族だけに、多様な術を自在に扱う。だからこそ、多くの上級魔道遣いが禁忌を犯してでも妖魔を使役してきた。
ただし、十二戒の封印は絶対だ。異界から直接呼び出そうとすれば、魔力そのものが凍結される。
……それでも、裏で禁断を犯す者は絶えない。禁忌の力に触れたいという欲は、知を持つ者の本能だとユイナは思う。
かつて独立した賢者たちは、十二戒の抜け道を探り、実際に出し抜く方法を編み出した。
その手順は禁書として扱われ、見つけ次第焚書に処されてきた。
古の賢人たちが残した“十二戒破り”は、表向きは完全に失われたとされている。
──だが、その一冊がいまここにある。
ユイナがそれを見つけたのは偶然だった。
両親を亡くし、祖父トーラスに引き取られてまもなく、蔵書の奥で埃を被っていた古文書を手に取った。
古代語で書かれたその内容を、祖父は理解していなかっただろう。
ユイナだけが、その複雑な文脈を一目で筋道立てて読み解けた。
まるで、ずっと前から頭の中に答えが用意されていたかのように──。
胸の奥が熱くなる──禁忌に触れる興奮。
魔道を極めることは、彼女の夢だった。
生まれながらに高い魔道の素質を持つ自分なら、それができると信じていた。
十歳で古代語を学び始め、六年かけて妖魔召喚の方法を完全に習得する。
その過程は、他者にとっては途方もない難業だったが、ユイナにとっては謎を解く遊びにも似ていた。
自分は天才だ──。
ユイナはそのとき密かに自画自賛した。
いま目の前にいる、クンニと名乗る魔妖精も、その古代語で書かれた魔導書にある方法で呼び出した。
もちろん、この力は絶対の秘密だ。
知られれば、命すら危うい。
「……とにかく、こっちの要求は、この家に泊まっているロウという人間族の男に“ある罰”を与えることよ。三日間──。それが終わったら、元に戻していいわ」
ユイナは言った。そして、ロウに与えてもらいたい罰の魔道を説明する。
「……ふうん。そんなことか。まあ、大した内容じゃないね。面白いそうだし、契約してもいいかね……。相手は、ロウという人間族だね」
魔妖精が笑った。
ユイナは、ほっとした。あとは契約だけだ。
召喚契約は魔道契約の一種だ。
魔道契約は、魔道を扱う者同士が結ぶ絶対の誓いであって、その破ることのできない誓いを妖魔と結ぶということだが、相互の意思の一致が必要だ。
どんな手段でも、召喚契約を意思に反して結ぶことはできない。
あとは、目の前の魔妖精に承諾させるだけだ。
「じゃあ、条件を言いなさい」
ユイナは言った。
「そうだねえ……。どうやら、この家には、おいしい魔石があるみたいだね。それでいいや──。あんたがさっき言ったロウという人間族の男を三日間、懲らしめるくらいの仕事なら、魔石一個でいいよ。それで引き受ける」
「魔石?」
ユイナは首をかしげた。
「あんたらは、クリスタル石と呼んでいるだよね? それを一個だ。それでいいよ」
「クリスタル石を──?」
ユイナはびっくりして声をあげてしまった。
確かに、クリスタル石はこの家にある。
もともと、あのダルカンが、密売のための北の屋敷に隠していたものであり、いまは、とりあえず、このトーラスの家の倉庫に運んで、トーラスたちが魔道で施錠している。
そして、数日後にはすべて処分するとも聞いている。
もともと、許可された個数を超えるクリスタル石を作成することは許されておらず、ダルカンが作った密売用のクリスタル石は、その存在そのものがご法度なのだ。
「それは駄目よ──。持ち出すのは禁止なのよ。それに、わたしでも施錠は解けないわ。二重、三重に施錠されているのよ」
ユイナは言った。
だが、魔妖精は指を一本出して軽く左右に振った。
「……あんたがなにかをする必要はないさ。あんたは許可をくれるだけでいい。あとは勝手にするから」
「勝手に?」
「ぼくらにもいろいろな縛りがあってね。こっちの世界のものになにかをするには、こちら側の誰かの許しが必要なのさ。あんたが許可すれば、あとはぼくが自分でする。施錠なんて簡単に解けるよ」
「でも……」
ユイナは渋った。
だが、クリスタルの持ち出しなど絶対の掟破りだ。
それを許すなど……。
「……もしかして、ばれるのを心配しているのかい? それは問題ないよ。絶対にばれない偽物を代わりに置いておくよ。もう魔力を失った空の魔石を置いていく。実際に使おうとしない限り、ばれやしないさ」
クンニは言った。
だったら……。
ならば、ばれる心配はほとんどないと思う。
トーラスたちは、あそこにあるクリスタルを処分するつもりなのだ。使おうとするわけじゃない。
すりかえた偽物は、ほかの本物と一緒に処分されてしまうだけだ。
処分されてしまえば、実際には偽物だったなどということはわかるわけがない……。
大丈夫か──。
「……い、いいわ……。ただし、絶対にばれないような偽物を置いておきなさい。それから、ロウに悪戯をするときに、絶対にわたしのことがばれないようにもしなさい。そして、さっき示した罰を三日間与えるのよ」
ユイナは言った。
「契約するよ。三日間、あんたのしもべになるよ」
クンニが満足そうに言って、小さな腕を前に出した。
「契約する」
ユイナもその小さな腕に指をつける。
魔道契約の縛りがユイナを包むのがわかった。