※この作品はR-18です。

【改訂版】異世界で淫魔師ハレム【コミカライズ作品】   作:ドン・ドナシアン

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227 怒りの短刀

「早くしろ、愚図が──」

 

 クライドの怒声が二階に澱んでいた気配を叩いた。

 スクルズは、居酒屋二階の入口に近い小部屋の敷居に磔にされていた。

 倉庫代わりに使われていたらしい部屋らしく、壁の棚の外された痕が残り、床には古い木箱と縄が無造作に転がっている。

 

 怒鳴られているのはミウだ。

 ミランダの両手首と両足首を、それぞれ縄で縛れと命じられているのだが、思うようにいかず、クライドは苛立ちを募らせている。

 クライドが大声で吠えるたびに、ミウの小さな肩がびくびくと震える。

 

 スクルズは下着さえも身につけてない全裸だ。

 扉の上側に渡された横材に、両手首を左右へ引き延ばすように高く括られていた。肩が持ち上げられ、体重の一部が常に腕に掛かっている。

 両足首は床に打ち付けられた鉄杭に引き結ばれ、開かれたまま閉じることはできない。

 剥き出しのお尻と背中は階段側を向いている。

 階段を上ってくる者には、まず無防備な背面が晒される配置だ。

 クライドのやったことであり、外を囲んでいる衛兵が突入してきても、スクルズの身体が邪魔になるという仕掛けだ。

 通りに面した窓は、クライドがしっかりと見張っている。

 

 スクルズを縄で磔状態に拘束したのはクライドだが、服を脱いだのはスクルズ自身だ。

 短剣の切っ先を喉元に突きつけられ、命じられるまま、一枚ずつ脱いでいった。

 脱がされた衣服は下着を含めて、ミランダの身体から剥がした毛布や下着とともに、ミウが羽織っていた毛布と一緒に、窓から外へ放り投げられた。

 二階の窓から、ギルド前広場に落ちていく布切れを、スクルズは黙って眼で追うしかなかった。

 

 地上からは、押し殺しきれない声がいくつも跳ね返ってきた。

 ざわめきは悲鳴に近く、壁を伝って耳に刺さった。

 

「若い嬢ちゃんたちが裸じゃ、逃げられねえだろう」

 

 そのとき、クライドがせせら笑った。

 

「早くしろって、言ってんだろうが──」

 

 クライドがまた苛立って叫ぶ。

 スクルズの視界の中央では、裸のミウが一生懸命に手を動かしている。

 小柄な身体を縮めるようにして、ミランダの横に跪き、縄を手に取っている。

 彼女の裸の肩が小刻みに震え、視線は落ちたまま上がらない。

 しかし、ミウの右手の指の二本が赤黒く腫れており、不自然な角度で曲がっているのがはっきりと見える。

 だから、うまく力が入らないのだろう。

 

 縄は指から滑り落ち、結び目は形にならない。

 ミウは何度もやり直そうとするが、そのたびに手が止まり、身体が先に竦む。

 怒声が飛ぶのを、動き出す前から理解しているかのようだった。

 

「もう、いい。代われ──」

 

 苛立った声と同時に、鈍い衝撃音が響いた。

 ミウの身体が横殴りに飛び、積まれていた荷にぶつかる。

 木と布が崩れ、頭を打ちつけた音がした。短く息が漏れ、そのまま動かなくなる。

 

「ミウちゃん──」

 

 スクルズは、声を張り上げた。

 

「やめなさい、乱暴するんじゃないわよ──」

 

 ミランダの声も重なる。

 

「やかましい──。俺に指図すんじゃねえよ──」

 

 クライドが窓から離れて、ミランダの後ろに屈むと、ミウが取り落とした縄を掴んで、ミランダの拘束をしていく。

 慣れた手つきでミランダの両手首と足首は左右側のそれぞれで緊縛され、ミランダはお尻を高くあげた格好で動けなくなってしまった。

 

 一方で、蹴飛ばされて脚を開いた格好でしばらく動けなくなった感じのミウを見て、スクルズは気づいてしまった。

 ミウの全身の肌に散った打撲の色──小さな股間を無理矢理に陵辱された痕だとしか思えない股間の腫れと亀裂の痕──拭かれることなく乾いた精液の残滓──。

 この男が日常的に、ミウに暴力を振るい、陵辱をしていたのは明白だ。

 スクルズのなかに、ふつふつと怒りが湧く。

 

「よし、これで動けねえだろう」

 

 ミランダの拘束を追えたクライドが顔をあげた。

 

「ちっ……さっさと済ましてしまいなよ……。このクソ男──」

 

 大きくお尻を掲げた格好のミランダが口惜しそうに悪態をつく。

 しかし、縄を締め上げられたミランダの身体がかすかに震えた。だが、スクルズには、そのミランダの声に明らかに、怯えの響きがあることに気がついた。

 

「ははは、そんなに早く犯して欲しいかよ、このドワフ女──」

 

 クライドが平手で、ぴしゃりとミランダの尻を叩いた。

 ミランダが小さく呻く。

 

「本当は、毛があるだけで萎えるんだが、後ろからなら、年端もいかねえ童女に見えねえこともねえ。心配しなくても、暇つぶしに存分に犯してやるよ」

 

 クライドがミランダの股に下から手を差し入れて、愛撫のような動きをさせた。

 

「や、やめないかい──く、くそうっ」

 

 ミランダが顔を赤くして、悲痛な表情になる。

 

「いい気味だ。雌の顔になりやがったか。だが、ちょっと待ってろ──。卑しい雌犬には、貰いが少ねえぞ」

 

 クライドが大笑いしながら、ミランダの股間から手を抜く。

 ミランダが口惜しそうな顔になった。

 スクルズは、その光景を悲痛な気持ちで見ることしかできなかった。

 

「ちょっと来い、ミウ──。ぐずぐずするな──」

 

 クライドが怒鳴り、ミウを呼び寄せた。

 次いで、そのミウに担がせてた荷から短剣と小壺を蹴り寄せる。クラウドは外で振り回していた剣とは別に、腰に短剣を差しているが、それとは違う短剣だ。

 その刃に小壺の中の油剤が塗られていく。

 窓からの陽の光を受け、油剤を塗られた刃が青黒く光る。ぬらりとした光沢と、鼻を刺す匂いで、それが毒だとわかった。

 

「それを取れ、ミウ。その魔道遣いがおかしな動きをしたら躊躇わずに刺せ。もしも、逃がしたら、死ぬのはお前だ」

 

 クライドがミウに向けて吐き捨てるように命じた。

 ミウが、震える身体を引きずるように起こし、短剣に手を伸ばす。

 

「ああ、それと──」

 

 クライドは、さらに荷の中から金属音を立てて魔道紋の刻まれた枷を放り出した。

 

「魔道切れでも、いつ回復するかわからねえ。念のためだ。足首に嵌めとけ」

 

 ミウは小さく頷いた。

 声は出ない。

 ただ、理解したという動きだけを見せる。

 スクルズは、その一部始終を、目を逸らすこともできずに見ていた。

 ミウが短剣と枷を持って、のろのろと近づく。

 

「……ごめんなさい……」

 

 か細い息とともに、聞こえるか聞こえないかの声でミウがスクルズにささやいた。

 枷が右足首に嵌められる。

 スクルズの魔道を封じるには、あまりにも不十分な魔道封じだったが、魔道力が枯渇している状態のスクルズには、かなりの効果がある。

 全身の脱力感が拡大した。

 ミウが両手で握った短剣をスクルズに向ける。

 その手は、静止することなく、小刻みに震え続けていた。

 

 スクルズの正面で、ミランダの身体が引き寄せられた。

 ミランダは、両手首と両足首を縄で縛られ、床に固定されている。身体を捩ることも、姿勢を変えることもできない。

 与えられた位置に、ただ留め置かれているだけだ。

 

 立て膝になったクライドがズボンと下着をさげ、股間を露出した。

 すでに勃起していた怒張をミランダの後ろから貫く。

 ミランダは声を上げなかった。

 喉の奥で、短く息が擦れる音が一度漏れただけで、それきりだ。

 顔は伏せられ、表情は見えない。

 だが、肩の線がわずかに強張り、呼吸の間隔だけが変わった。

 それ以上の反応は、なかった。

 

 律動が始まる。

 スクルズは、目を逸らさなかった。

 腕に力を込める。

 縄が食い込み、肩に鋭い痛みが走る。

 足を踏み出そうとしても、鉄杭に繋がれた足首が一寸も動かない。

 声を出そうとして、喉が詰まった。

 

 動けない。

 止められない。

 ミランダの身体は、正面で小さく揺れている。

 揺れは不規則ではなく、抵抗の意志を示すものでもない。

 縛られたまま、加えられる力に従っているだけだ。

 

 時間の感覚が失われていく。

 短いはずの一瞬が、異様に引き延ばされる。

 視界の横で、ミウが立ち尽くしている。

 短剣を両手で握り、俯いたまま動かない。

 

 刃先は床を向き、指先は白くなるほど力が入っているのに、腕全体が小刻みに震えている。

 ミウは、顔を上げることも、目を閉じることもせず、命じられた位置に留まっている。

 スクルズは、歯を食いしばった。

 

 下から喧噪が一気にせり上がってきた。

 人の声が重なり、階段を踏み鳴らす音が続く。

 スクルズは、反射的に身体を竦めた。

 

 次の瞬間、背中にばさりと布の重みが落ちてくる。

 冷え切っていた肌に、上着が掛けられたのだとわかる。

 

「スクルズ、大丈夫?」

 

 聞き慣れた声。エリカだ──。

 続いて、息を呑む音が重なる。

 はっとなる。

 裸身にかけられたのは、冒険者仕事のときに、いつもロウが身につけている上着だったからだ。

 

「あっ、ミランダ──。ちょ、ちょっとお前、なにしてるのよ──」

 

 エリカが叫んだ。

 磔にされた身体の隙間から、エリカが身を乗り出している。

 

 その反対側の隙間にも、もう一人の影──。

 ロウだった。

 

「ロウ様……」

 

 思わず、声が漏れた。

 堪えていたものが切れ、視界が滲む。涙が止めどなく落ちた。

 

「あっ、ロウ──。み、見ないで──」

 

 ミランダの悲痛な声が正面から響く。

 クライドに犯されているミランダ──。

 その姿が、はっきりとロウに映ったとわかる。

 

「エリカ……その子の短剣には猛毒が塗ってある……。取りあげろ」

 

 最初にロウの短い指示が飛んだ。

 エリカが素早く、ミウから短剣をとりあげた。

 

「あっ……ああ……」

 

 力を失ったように、ミウがその場にしゃがみ込む。

 

 一方で、ロウが部屋に一歩踏み出す。

 その手には、すでに短銃があった。

 構えは完成している。迷いはない。

 銃口は、まっすぐにクライドを向いていた。

 

「俺の女から離れろよ、三下……」

 

 静かな声だった。

 

「ああ、三下? 殺すぞ」

 

 クライドが腰を動かすのをやめて、ロウを睨んだ。

 だが、まだミランダの中に挿入したまま……。

 

「こっちのセリフだ。まあ、もう遅いがな」

 

 ロウが静かに言った。

 だが、スクルズは、その口調で悟った。

 ロウが激怒しているのだと……。

 これほどの怒りを他人に向けるロウを見るのは初めてだった。スクルズの背筋が冷える。

 

「おう、お前らがロウとエリカかよ……。イチとエルスラから名を変えても無駄だったな……。ちょっと待ってろ。相手してやるから……。もうすぐ出るからな」

 

 クライドが律動を再開する。

 ミランダが小さく呻く。

 

「離れろって言ってるでしょう──」

 

 エリカが激昂して叫んだ。

 しかし、そのまま踏み出そうとした気配のエリカをロウが手で制した。

 

「俺に任せろ、エリカ」

 

 ロウが銃をクライドに向けたまま言った。

 

「へっ、幾らでも撃てや──。俺は不死身のクライドだ──。どんな攻撃も効かねえよ──。それよりも、間違って、この女に当てねえようにしな」

 

 クライドが、腰を振りながらせせら笑う。

 

「ロ、ロウ、本当よ──。こいつには攻撃が効かないの──」

 

 犯されながら、ミランダが声を張り上げる。

 

 次の瞬間だった。

 ロウの銃口が、大きく逸れた。

 

 クライドではない。

 部屋の隅の積まれた木箱の上だ──。

 

 乾いた音が二つ連続して響く。

 呻き声が、そこから上がった。

 

 間を置かず、ロウの手が亜空間に沈み、別の短銃が現れる。

 同じ方向へ、迷いなく撃つ。

 

 さらにもう一度──。

 同じ動作。

 同じ方向。

 

 合計、六発──。

 撃ち終えた瞬間、ミランダの背後にあったクライドの姿が、音もなく掻き消えた。

 

 代わりに、部屋の隅で、血を噴き上げながら男が崩れ落ちた。

 腹と胸を撃ち抜かれ、床を汚している。

 

「くっ……ど、どうして……わかった……」

 

 同じ顔──。

 同じ声──。

 

 スクルズは、息をすることすら忘れて、その光景を見ていた。

 

 クライドはそのまま、木箱の上から床まで崩れ落ちてきて仰向けになった。血は流れ続けている。

 しかし、ロウは、床に倒れたクライドから目を離さない。

 血を流すクライドに銃口を向けたまま、亜空間から新しい短銃を引き抜いた。

 しかし、一度だけ、扉越しに階下に向かって叫んだ。

 

「おおーい、全部終わった。クライドは制圧した──。だけど、まだあがってくるな。こっちは裸の女ばかりだ。シャングリア、コゼ──。毛布を持って来い──。急げ」

 

 声だけを飛ばしてから、すぐに視線をクライドに戻す。

 

「……エリカ、スクルズの縄を解いてやってくれ」

 

「はい……。スクルズ、大丈夫?」

 

 エリカが即座に動く。

 スクルズの足元へ回り、床に打ち込まれた鉄杭の結び目に指を掛ける。

 緊張が抜けた瞬間、脚の感覚が崩れて、膝が折れかける。

 

「もうちょっとよ……頑張って」

 

 足首の縄が外れる。エリカが続いて扉の上の横材に縛られていた腕の縄を外していく。

 最後の結び目が解けた途端、腕に溜まっていた痺れが一気に流れ込み、身体が傾いた。

 

「座っているといいわ」

 

 壁に背を預ける形で座らされる。

 手首と足首に残る縄の跡が、じくじくと痛んだ。

 

 すると、階段をどたどたと駆け上がる足音。

 シャングリアとコゼが、毛布を抱えて部屋に戻ってくる。

 

「大丈夫ですか、ご主人様──。ああ、よかった、みんなも……。ほら、スクルズ、毛布。こっちもね」

 

 コゼがスクルズに毛布を投げる。スクルズはすでにロウの上衣をかけられていたが、その上衣ごと毛布を身体に覆わせて抱きしめる。

 床にしゃがみ込んだまま動けずにいるミウの身体にも、毛布が覆い被せられた。

 

「ロウ、ミランダの分だ」

 

 シャングリアがミランダのそばにいるロウにも毛布を渡した。

 

「エリカ、あいつをしっかりと見ておけ」

 

 ロウは、ようやくミランダへ向き直った。

 

「……ああ、ロウ……」

 

 ミランダが泣きそうな顔になっているのが見えた。

 

「なにも言うな……。お前たちが無事でよかった……」

 

 ロウが、まだ縄を解かないままのミランダの身体に毛布を巻いていく。

 

「あ、あの……ロウ……先に縄を解いて欲しいんだけど……」

 

 ただ、縄を解いてもらえないまま身体を毛布で隠され、ミランダが面食らった様子を示している。

 

「いいから、そのままだ」

 

 毛布に包まれたまま、ミランダの身体が持ち上げられ、ロウがそのまま膝に抱えてしまった。

 ミランダを横抱きに抱えて、座ったロウだが、銃口はなおもクライドを捉えたままだ。

 

「あの……ちょ、ちょっと……」

 

 ミランダがさすがに恥じるように声を漏らす。

 

「まあまあ……。それよりも、すまなかったな。多分、こいつは、俺とエリカへの刺客だ。ミランダたちは巻き込まれたんだ。すまなかった」

 

 ロウがミランダに頭をさげる。

 スクルズにも……。

 

「い、いえ……。なんの力にもなれずに……」

 

 スクルズは小さく首を振る。

 

「ええっと……それよりも、ロウ、いい加減に、あたしの縄を……」

 

「まあ待て──。とりあえず、こいつだ」

 

 ロウはそれだけ……。

 ミランダはロウの膝の上で、恥ずかしそうに、窮屈そうに身体をもじつかせている。ミランダの顔は赤い。あれは羞恥ばかりでなく、抱き抱えられて照れているのだろう。

 スクルズは、息を整えることもできず、その光景を見ていた。

 そして、あんな光景を見たのに、ロウがミランダに優しく接してくれて、心からほっとした。

 

 それはそれとして、ロウは、床に倒れているクライドから目を離してない。

 ミランダは抱えているが、右手が短銃を向けたままで、銃口もクライドの頭に向けている。

 血の匂いが、強くなっていた。

 木箱の陰で、クライドが浅く息をしているのがこちらにもわかる。

 

「おい、まだ生きてるな……? このまま死にたいか? それとも、治療術をかけてやるか?」

 

 ロウはクライドに言った。

 その声は低く、抑えられている。

 クライドの眼が大きく開く。

 

「た、助けてくれ……。た、頼む……」

 

「ああ、わかった……。じゃあ、喋るんだ。まずは、お前の仲間だ。ひとりか? それとも、まだどこかに隠れているのか?」

 

「……ひとり……じゃ……ねえ……」

 

 クライドの声は、濁っている。

 言葉の合間に、喉を鳴らす音が混じる。

 

「名前は?」

 

「……ボニー……。女だ……」

 

 スクルズは、その名を記憶に刻んだ。

 聞き覚えはない。だが、ロウの視線がわずかに動いたのが見えた。

 

「どこにいる?」

 

「知らねえ……。逃げた……」

 

「……治療を受けたくないようだな」

 

「ほ、本当だ──信じてくれ──」

 

 クライドが必死に言った。

 ロウが鼻を鳴らす。

 

「まあいい……」

 

 短い沈黙。

 

「ほかには……?」

 

「……いねえ……」

 

 クライドが息を吸おうとして、失敗する。

 

「……治療を……先に……。このままじゃ……」

 

「質問が先だ。誰に命じられた? アスカか……?」

 

「パリス……」

 

「パリス?」

 

 ロウが訝しむ口調になった。

 

「……ロウ様……、パリスはアスカ様の従者です」

 

 エリカガロウの耳元に近づき、ささやくのか聞こえた。

 

「ああ、覚えてる……。あいつも、パリスの命令だと言っていた……」

 

 あいつ?

 スクルズはロウが呟いた言葉に首を捻る。

 

「ノルズという女を知っているか?」

 

 ロウが訊ねた。

 その名を聞いた瞬間、スクルズの胸の奥がひくりと動いた。

 思わずロウを見る。

 

「……ノルズ……?」

 

 クライドの声がわずかに揺れた。

 

「……聞いたことは……ある……かも……」

 

 唇の端から血が垂れる。

 クライドが頭を巡らすような顔になる。

 ロウの銃が、わずかに持ち上がる。

 

「まさか、ノルズは捕まっているじゃないだろうな。知っていることを話せ──」

 

「な、なんにも知らねえよ……。本当だ──。あっ、いや、知っている──。知ってるけど、これ以上は治療しねえと喋んねえぞ──。さ、さっさと治療しろ──。ノルズって者のことを知りたくねえのかよ──」

 

 クライドが真っ赤な顔になって怒鳴る。

 スクルズの目で見てもわかる。

 すでに出血が激しい。

 おそらく、なにもしなければ死ぬ。

 だが、治療術なら多分、いまでも助けられる。

 

「そうか。助けて欲しいか……?」

 

 ロウの銃口が、ゆっくりと眉間に定まり直すのが見えた。

 

「た、助けてくれ──死にたくねえ──」

 

 クライドが絶叫した。

 

「ふん、やなこった……」

 

 乾いた音が室内に響く。

 クライドの頭が跳ね、その身体が大きく一度震えた。

 それだけだ。それきり動かなくなる。

 スクルズは、息を止めていたことに、あとから気づいた。

 

 ロウは、しばらく銃を下ろさなかったが、完全に動きが消えたのを見届けてから、ようやく視線を外す。

 気がついたときには、ロウの手からは銃は消えていた。

 

「死んだの……?」

 

 ロウの膝の上のミランダがぽつりと言った。

 

「ああ、死んだ。間違いない」

 

 ロウが断言する。

 

「……でも、どうして……? みんなで寄ってたかっても、クライドには傷ひとつつけられなかったのに……。なんで、あんたはあっさり殺せたのよ?」

 

 ミランダはどうしても腑に落ちない様子だ。

 それはスクルズも同じだが。

 

「そりゃ、お前たちは、こいつの影と戦ってただけだからだろう」

 

 ロウが答える。

 

「影?」

 

 ミランダだ。

 

「分身みたいなもんだ。自分の影を表に出して、本体は隠す。たぶん、姿も消してたんだろう」

 

 ロウは、部屋の隅に視線を向けた。

 

「分身?」

 

 ミランダは唖然としている。

 

「俺には、どれが影か、すぐにわかった。隠れてる本体の位置もね」

 

「……そういうこと……。言われてみれば、そんな単純な話だったのね」

 

 ミランダが、悔しそうに唇を噛んだ。

 スクルズも、ようやく理解した。

 おそらく、間違いないのだろう。

 クライドは無敵だったわけではない。

 皆が相手にしていたのは、クライドが作り出した影だったのだ。

 

 刃が届かず、魔道が効かなかったのも当然だ。

 傷を負いそうになるたびに、影を消して、別の場所に出し直していたのだろう。

 いや、もしかしたら、スクルズが広域結界で包むように捕らえたときには、偶然にもクライドを捕獲できていた可能性もある。

 しかし、影が結界からすり抜けたことで、結界を解いた──。

 それで、逃げおおせたと思う。

 失敗した──。

 

「……だから、誰も気づかなかったのね?」

 

 ミランダはまだ口惜しそうだ。

 

「そういうことだな」

 

 ロウが肩を竦める。

 

「あのう……」

 

 そのとき、部屋の隅から、かすれた声が上がった。

 ミウだった。

 毛布に包まれ、呆然とこちらを見ている。

 

「この人は……死んだんですか。本当に」

 

 ロウが短く答えた。

 

「死んだな」

 

 その一言で、ミウの表情が歪んだ。

 次の瞬間だった。

 ミウが、クライドの腰に差さっていた短剣を突然に抜き取ったのだ。

 

「こいつ……こいつが……」

 

 叫びにもならない声。

 ミウは、床に横たわるクライドの死骸に短剣を突き立てた。

 

 抜いて、また刺す。

 何度も、何度も。

 

「お母さんを……お父さんを……ボニーさんまで──」

 

 言葉は途切れ、嗚咽に変わる。

 それでも、手は止まらなかった。

 虚ろだった顔に、初めて感情が浮かんだ。

 激しい憎しみだった。

 スクルズは、背後からミウを抱き締めた。

 

「もういい。終わったわ──」

 

 短剣が、床に落ちた。

 ミウは、そのままスクルズに縋りつき、声を上げて泣き始めた。

 

「大丈夫。もう苦しめる者はいない。わたしがついているわ」

 

 ミウの身体は、小さく震え続けている。

 

「……スクルズ。その子、相当な魔道力を持っている」

 

 ロウの声がした。

 

「えっ?」

 

「まだ目覚めていないようだが、よく事情を訊ねてやってくれ」

 

 スクルズは、改めてミウの魔力を探った。

 確かにある。

 ただ、膨らんでは消え、消えては戻る。

 極めて不安定だ。

 

「どうして、それがわかるんですか?」

 

 スクルズはロウを見る。

 

「ただの勘だ」

 

 ロウがわずかに笑った。

 

「いずれにしても、もう十分だろう……。目障りだ。片づけるぞ」

 

 ロウが死骸に近づく。

 エリカ、コゼ、シャングリアが手を貸す。

 

「おおい、隊長さん──。この殺し屋をそっちに返すぞ。あとは頼む──」

 

 ロウが窓を解放して、外に向かって声を投げた。

 次に、クライドの身体が持ち上げられ、そのまま外へ放られる。

 

 スクルズは、ミウを抱きしめたまま、立ち上がった。

 死骸は一度、下の屋根に叩きつけられ、鈍い音を立てた。

 そこで身体が不自然に折れ曲がり、勢いを失ったまま、さらに下へ落ちていく。

 王都の衛兵と野次馬が集まる中へ、どさりと重い音を立てて落下した。

 その光景を、スクルズは黙って見下ろしていた。

 

「ロウ様、ミランダ……。この子は神殿で預かります。落ち着いたら、今後のことを相談させてください」

 

 スクルドの言葉に、二人が静かに頷いた。

 

「……さて、じゃあ、ここから出るか──。ミランダは、そのまま俺たちとギルドに行くぞ。あいつの汚したところを上書きしないといけないしな。心配するな。これでもかと、たっぷりと上書きしてやろう」

 

 ロウがミランダを横抱きにしたまま立ちあがった。

 ミランダは小柄だ。

 ロウでも簡単に持ちあがっている。

 

「ちょっと待ってよ……上書きって……。いえ、それよりも、あんた、まさか、このまま外に連れて行こうとしてんじゃないでしょうねえ。縄を解きなさいよ──」

 

 ミランダが真っ赤な顔で叫んだ。

 毛布に包まれているとはいえ、その中のミランダは全裸であり、左右の手首と足首を繋げられたままなのだ。

 

「大人しくしてろ。抵抗すると、毛布がはだけてしまうかもな。みんなに裸を見られたいか?」

 

 ロウがミランダを抱えて部屋の外に向かう。

 エリカ、コゼ、シャングリアがそれに従って、ついていく。

 

「ひ、卑怯よ──。いやあ、このままは許して──」

 

 ミランダが悲鳴をあげる。

 しかし、容赦なく、ロウはそのまま外に出ていってしまった。

 スクルズはその後ろ姿を視線で追いながら、日常が戻ってきたことを感じた。

 

「さあ、わたしたちも帰りましょうか」

 

 スクルズもまた、腕の中のミウを抱きしめたまま、その後ろを追いかけた。

 

 

 

 

 

 27話『誰にも触れない男』終わり──

 28話『災厄の後始末』に続く──

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